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桜庭メルの心霊スポット探訪番外編:不朽の桜 前編

 「皆さんこんにちは、心霊系ストリーマーの桜庭メルで~す」


 鬱蒼とした雑木林のような場所で、メルはスマホのカメラに向かって手を振る。


 『メルちゃーん!!』『待ってた』『足大丈夫?』

 「足ですか?足はもう大丈夫です」


 メルは前回の生配信で、右足首に重傷を負った。視聴者から心配の声が出るのは当然だ。


 「ちょっと待ってくださいね……」


 メルは右脚のパンプスを脱ぐと、片足で立ったままハイソックスを脱ぎ始めた。フラミンゴの如く微動だにせず左足だけでピンと立つその姿は、メルの体幹の強さを物語っている。


 「ほら見てください、もう綺麗に治って傷跡も残ってないんです」


 ハイソックスを脱ぎ終えたメルは、自らの右足首をカメラで映した。前回の配信で深い噛み傷を負った足首には、今や傷を負ったことを示す跡は何も残っていなかった。


 「ちょっとお見せできないですけど、肩とかお腹も綺麗に治ってますよ~」

 『ほんとだ』『跡も残らなかったんだ』『よかった』『安心した』『え、治るの早くね?』『どんな自然治癒力してんだ』『まだ1週間も経ってないだろ』


 メルの回復力に騒然とするコメント欄。


 「そう言えば前回の配信、いつもより投げ銭してくれた方が多かったみたいで。おかげで前回駄目にしちゃったブラウスとスカート、同じのもう1回買えました~。ありがとうございま~す」


 前回の配信でメルは怪我を負っただけでなく、着ていた服がほぼ全滅してしまった。

 ブラウスは噛み跡でボロボロになり、スカートは一部を引き千切って包帯代わりにしたためお釈迦、ソックスも噛まれて穴が開いてしまった。

 このようにセットアップを丸々失ってしまったメルだったが、視聴者の送金のおかげで無事衣装一式を新調できたのだ。


 「さて桜庭メルの心霊スポット探訪、今日は番外編って感じなんですけど……」

 『こんな時間に配信するの珍しいね』

 「そうなんですう、いつもは大体夜中にやってるんですけど、今日はね、見てもらったら分かる通りまだ全然明るいですよね」


 メルはカメラを頭上に向ける。

 木々の隙間から見える空は青色だったが、そもそも木々の葉が多すぎるせいで空がよく見えない。


 「……あんまり明るくはなかったですね。でもまだ全然お昼ですから。メル、こんな時間の配信は初めてなんですよ」

 『こんな早い時間にメルちゃん見れるの嬉しい!』『今日たまたま仕事休みでよかった』

 「いつも配信見てくれてるけど今日のは見れないっていう視聴者の方いたらごめんなさい。でもこの配信もアーカイブは残る予定なんで、よかったら見てくださいね~」

 『生配信見れない人への宣伝を生配信でやってどうする』『なんで今日こんな時間早いの?』

 「あっ、そうでしたそうでした。お昼から配信してるのには理由がありまして……心霊スポット探訪のネタが無くなってきたんですよ」

 『草』『正直で草』

 「メルが知ってる近場の心霊スポット、行き尽くしちゃいまして……だから今日行くところは、心霊スポットじゃないんです」


 心霊スポットというのはそうそうあるものではない。かなりのペースで生配信を行っていたメルは、知っている近場の心霊スポットは全て手を付けてしまったのだ。


 「今日メルが来てるのはとある山なんですけど、ここには1年中花が咲く桜があるっていう噂があるんです。ですからちょっと山の中をウロウロしてみて、その桜を探してみようと思います」

 『その恰好で山登りするの?』『山をなめるな』

 「大丈夫です、山って言っても標高500mくらいのほとんど丘みたいな山ですから。道もしっかり整備されてますし、私の親戚にはハイヒールで頂上まで登ったっておばさんもいるくらいで」

 『なんで?』『できるできない以前になんでハイヒールで山登りを?』『メルの親戚もやっぱり変人なんだな』

 「ちょっと、メルの親戚『も』ってなんですか。それじゃまるでメルがまず変人みたいじゃないですか」

 『うん』『そうだね』『そう言ってる』

 「も~!」


 こうしてメルが視聴者からコメント欄で揶揄われるのは、生配信でのお決まりの流れだ。


 「じゃあ早速……山、登っていきましょう!はいっ!」

 『なんだその掛け声』『慣れないことすんな』


 メルは張り切って登山道を歩き始める。

 先程メルが言った通り登山道はきちんと整備されており、加えて傾斜もきつくない。メルが今履いているのはパンプスだが、それでも登山に支障は出ない。


 「とは言っても、普通に山を登るだけだと見つからないと思うんですよね~、桜。多分道の近くとかじゃなくて、もっと奥の方の人が全然来ないところだと思うんですよ、あるとしたら」

 『だからって道じゃないとこ行こうとするなよ、危ないから』

 「分かってますよ~、メルもそんな命知らずなことしないです」

 『お前は充分命知らずだよ』『心霊スポット巡りなんてしてるやつが何言ってんだ』

 「も~!」


 その山は登山道や頂上の展望台こそきちんと整備されているが、観光地として特筆すべき施設は備わっていない。そのためメル以外に登山客はおらず、メルは人目を気にせず声を出して配信することができた。


 「あれ?こっちにも道があるみたいですね」


 しばらくは普通に登山道を歩いていたメルだが、ふと登山道から分岐するように伸びる細い道を発見した。

 その道は正規の登山道とは違ってきちんと整備されておらず、石や樹木の根で凸凹している。生い茂る木々や植物によって道自体が半ば覆い隠されているような状態で、獣道のような印象を受けた。


 「……ちょっとこっち行ってみましょうか」

 『なんで?』『危ないよ』『山で余計なことすんな』

 「いやでも、登山道とこの細い道、どっちの先に散らない桜があるかっていったら、こっちの方がありそうじゃないですか?」

 『それは確かに』『でも危ないよ?』『熊とかいるかも』

 「う~ん……じゃあちょっとだけ覗いてみて、危なそうだったらすぐ引き返します」


 メルは道を塞ぐ枝を掻き分け、獣道へと足を踏み入れる。


 「結構歩きづらいですね……」

 『そりゃそうだろパンプスなんだから』『捻挫とか気を付けて』


 その道を通行する人間が年単位でいなかったことは、丁度人間の顔の高さに伸びきった枝の数々から明白だった。仮にこの道が今でも使われているなら、これ程鬱陶しい枝をそのままにはしておかないだろう。

 しかし同時に、かつてこの道が人間に使われていたことも確かだった。メルがその証拠を見つけたのは、獣道に入って10分ほど歩いた時のことだった。


 「あ!皆さんこれ見てください」


 メルは明るく声を弾ませながら、カメラを地面に向ける。

 そこには明らかに人の手によって作られた、数段の石段があった。


 「石段があるってことは、この先に絶対何かがあるんですよ!これはこっちの道を選んで正解だったかもしれません!」

 『おお』『やったね』


 石段の存在は、この道がどこかへ通じていることの証拠になる。そう確信したメルは、上機嫌になって再び道を進み始めた。

 石段から更に20分ほど歩いたところで、メルは再び人工物を発見した。


 「これは……祠ですかね?」


 それは高さ30cmほどの、小さな木製の祠だった。長年風雨に晒され、いつ崩れてもおかしくない程に老朽化している。

 メルが腰を屈めて祠の中を覗き込むと、中には1体の石像が収められていた。


 「お地蔵さん……でいいんですかね、これ」


 その石像も祠同様に老朽化が進んでおり、彫刻が摩耗してほとんど消えかかっていた。辛うじて顔らしき部分が判別できたためにメルも石像だと理解できたが、ともすればただの石の塊に見えてもおかしくなかった。


 「すっごくボロボロです……」


 メルはスマホで祠と石像を撮影しながら、顔を近付けて石像を深く観察する。

 すると突如、バキンッという破砕音と共に、石像の首の部分がポロリと取れて地面に落ちた。


 「……え?」


 思わぬ出来事に、メルは一瞬硬直する。


 『あーあ、壊した』

 「こっ、壊してないです壊してないです!だってメル触ってないですもん!」

 『お地蔵さん壊すのは流石にヤバいでしょ』『祟られるんじゃない?』

 「だからメルじゃないです!何もしてないのに壊れました!」


 実際、メルの弁明は正しかった。

 メルは石像に1度たりとも触れていない。ただ観察するために顔を近付けただけだ。石像の首が取れるような行為は、メルは何もしていなかった。

 そして視聴者の大半もそのことは理解していた。理解した上でメルを揶揄っているのだ。


 『でも何もしてないのにお地蔵様が勝手に壊れるって、そっちの方がヤバくね?』『確かに、なんかよくないこと起こりそう』

 「……そう言われてみたら、メルもそんな気がしてきました」


 祠に祀ってあった石像が独りでに壊れる。その現象にメルは不吉な予感を覚える。

 そしてその予感を肯定するかのように、メルの周囲では俄かに霧が出始めた。


 「霧!?なんで……」


 山の天気は変わりやすいというが、それにしてもこの霧は急激すぎる。


 カロロロロロロロ……


 そして霧の発生と同時に、どこからともなく得体の知れない音が聞こえてきた。まるで空のアルミ缶がアスファルトの坂を転がるような音だ。

 メルは音の出処を探すが、既に周囲が見通せないほど霧は濃度を増している。


 カロロロロロロロ……


 霧によって視界が閉ざされ、不気味な音だけが聞こえ続ける中、メルはゾクリと背筋が凍えるような気配を感じた。


 「何……?何か、いる……」


 それはメルがこれまでに感じたことの無い類の気配だった。

 まず間違っても人間のものではなく、幽霊の気配とも異なっている。それは人間と比べて遥かに現実味がなく、幽霊と比べて遥かに悍ましい気配だった。

 唯一メルに分かるのは、気配の主が決してメルに友好的ではないということだ。

 メルはその場で膝を曲げて屈み込み、スカートの中に右手を滑り込ませる。そして右足の太ももに装着しているホルダーから、心霊スポット探訪の心強い味方である呪いの包丁を引き抜いた。

 包丁を片手に、メルは油断なく周囲に目を向ける。


 カロロロロロロロ……


 不気味な音は徐々に近付き、やがて霧の中からゆらりと何かが姿を現す。

 それは髪の長い女性だった。顔を覆い隠すように伸びた前髪の隙間から、2つの血走った目がメルを覗いている。

 女性の首から下は、霧に隠されて見えていない。まるで霧の中に女性の生首だけが浮かび上がっているかのようだ。


 「ひっ!?」


 女性がメルの方へと更に接近すると、メルの喉から引き攣るような悲鳴が漏れた。

 その女性は、首から下の体が人間のものでは無かった。白い鱗に覆われた長い蛇の体が、女性の頭から伸びている。

 人面犬という、人間の顔を持つ犬の都市伝説がある。メルの前の女性は、人面犬の蛇版、言うなれば人面蛇と呼ぶべき姿だった。

 人間の頭を持つ蛇という異形を前に、メルは無意識に半歩後退る。


 「カロロロ……」


 人面蛇がにたりと口角を上げる。先程から聞こえ続けてきた音の正体を、ようやくメルは理解した。

 それはこの人面蛇の笑い声だったのだ。


 「ハアアアアア……」


 人面蛇が口を大きく開き、灰色の息を吐き出した。

 灰色の息が近くに生えていた細い木に吹きかかると、驚くべきことに息がかかった場所が石のような材質へと変化した。


 「い、石になった!?」

 『マジ?』『流石にフェイク動画でしょ?』『何が起こってんの』


 騒然とするメルとコメント欄。

 メルと視聴者が驚いている間に、木の石化は広がっていく。最初に息がかかった場所を起点に石化が進行し、やがて生木だったはずのそれは木を模った石像へと変貌してしまった。


 「嘘……」


 超常現象を前に、メルは言葉を失って立ち尽くす。


 「ハアアアア……」


 そんなメルに向かって、人面蛇は再び灰色の息を吐き出した。その呼気は空気中に拡散し、メルの体にも降りかかろうとする。


 「ひゃあっ!?」


 メルは珍妙な悲鳴を上げながら、悲鳴とは見合わない俊敏さでその場から飛び退く。

 しかし広範囲に拡散した息を完全に回避することは難しく、息が僅かに左腕を掠めてしまった。


 「っ!?」


 メルは直感的に、ブラウスの左袖を引き千切って投げ捨てる。

 地面に落ちた左袖は、息が掠めた箇所から急激に石化が進行していき、1秒と経たずに完全な石になってしまった。


 「あ……危なかったぁ……!」


 僅かに息が触れただけの木が石像と化してしまったように、人面蛇の吐息は少し触れただけでも全体が石化してしまう。

 左袖を破り捨てるのがあとコンマ数秒でも遅れていたら、今頃は服だけでなくメル自身も石になってしまっていただろう。

 咄嗟の判断で命を拾い、バクバクと早鐘を打つメルの心臓。

 そんなメルに対し、人面蛇はまたしても灰色の息を放とうとする。


 『メルちゃん戦うの?』『戦うでしょ』

 「無理無理無理無理無理!」


 メルが女性に背中を向けて走り出すのと、3度目の息が吐き出されるのはほぼ同時だった。


 『えっ、逃げるの?』『今までは戦ってたのに』

 「逃げる逃げる逃げる逃げる逃げる!」


 背中に灰色の息が迫っている気配をひしひしと感じながら、メルは地面の不安定さを感じさせない速度で山の中を駆ける。

 メルが逃走を選んだのは、単に蛇の吐く息が危険だからというだけではない。

 メルはあの人面蛇が、これまで対峙してきた幽霊とは別格の存在であることを、直感的に感じ取っていた。

 これまでメルが心霊スポット探訪で遭遇した幽霊というのは、あくまでも死後もこの世界に留まった人間の成れの果て、つまり人間の延長線上にある存在だった。

 しかしあの女性はそうではない。アレは人間を起源に持たない、人間とは根底から異なる存在だ。正真正銘の怪物と言ってもいい。

 幽霊と違って、ノリと勢いで戦って勝てる相手ではない。メルはそう感じていた、


 「ちょっと!あの蛇速すぎるんですけど!?」

 『お前も充分はえーよ』


 霧の中を必死で逃げ惑うメル。しかし人面蛇は木々の間を縫うように細長い体をくねらせて、離れることなくメルの背後にぴったりとついてくる。

 メルを追いかけている最中にも人面蛇が灰色の息で攻撃してくるため、メルが駆け抜けた側から木々や地面が石化していく。

 触れたら即死の息が背後に迫る中で全速力で逃げ続けるのは、メルと言えどかなりのプレッシャーを感じずにはいられなかった。

 ただでさえ足場が不安定な山の中、少しでも速度を落とせば息を浴びて石に変えられる。そんな極限状態の最中で、足元への注意が疎かになっていたとして、一体誰がメルのことを責められよう。


 「きゃああっ!?」

 『メルちゃん!?』


 突如メルを襲う浮遊感。足の裏で感じていた地面の感触が無くなり、メルの体は重力に引かれて落下し始める。

 自分が穴に落ちたのだと気付いた時にはもう遅かった。


 「ああああああ……」


 メルは為す術無く、暗い穴の中を転げ落ちていった。

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