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第6回桜庭メルの心霊スポット探訪:某別荘地 後編

 目の前に浮かぶ犬の生首を前に、メルは言葉を失う。

 その犬は首から下が存在していないにもかかわらず、明らかに命を失っていない。まるでギロチンで首を斬り落とされた犬が、そのまま首だけで生き続けているかのようだ。

 顔つきからして恐らく日本犬だが、今はそんなことはどうでもよかった。


 「犬の、幽霊……?」

 『マジか』『すげー』『本物?』『柴犬かな』『秋田犬じゃね?』『首どうなってんの?』


 その犬の首の断面がどうなっているのかは、今のメルの立ち位置からは見えない。ただ犬の後頭部から、緑色の淡い光が彗星のように尾を引いていた。その光の揺らめき方を、メルは人魂のようだと感じた。

 犬の生首はメルを睨み付け、牙を剥き出しにしながらグルグルと唸り声を上げている。口の端からはぼたぼたと唾液が滴っており、相当飢えているような印象を受けた。


 「メ、メルは……食べても美味しくないですよ……?」


 メルは犬の生首と目を合わせたままゆっくりと後退る。何とか犬を刺激することなくこの場を逃げ出そうという魂胆だ。

 しかしメルの思惑は見事に外れ、5mも後退しない内に犬の生首はけたたましく吠えながら襲い掛かってきた。


 「ひえええっ!」


 情けない悲鳴を上げ、メルは犬に背を向けて一心不乱に走り出す。


 『足はっや』『よくパンプスでそんな速度出るな』『え、これパンプスの速度なの!?』『メルちゃん陸上とかやってた?』


 短距離走者もかくやという速度で街を掛けるメル。パンプスという履物の不利を感じさせない見事な走りだ。

 しかしそんなメルに、犬の生首は苦も無く追従してくる。引き離すことはできそうにない。


 「ちょっと待ってよ~っ!」


 ただ走るだけでは犬を振り切れないと感じたメルは、壁を登ったり段差を飛び降りたりとパルクールの真似事を始めた。幸いと言うべきか、別荘地は全体的に高低差が大きく、パルクールに適した地形だった。


 『パルクール始めてて草』『どんな身体能力してんだ』『運動神経のバケモノ』


 高低差や障害物を利用して犬を撒こうという作戦だったのだが、残念ながら効果は薄かった。犬の生首は低いながらも飛行しており、地上の障害物はあまり妨げにならなかった。

 犬を振り切ることもできず、かといって追いつかれることもなく、メルは無人の街を走り抜ける。

 やがてメルは、街のほぼ中心部にある噴水広場のような場所に辿り着いた。


 「はぁ、はぁ……」


 立ち止まって息を整えるメル。そんなメルにじりじりとにじり寄る犬の生首に疲労の色は見えない。


 「ちょっと……これは、逃げ切れそうにないですね……」

 『マジか』『メルちゃんあんなに速かったのに』『なんであんなに速いんだよ』『これからどうするの?』

 「逃げ切れないので……逃げるのを止めて、戦おうと思います」

 『知ってた』『知ってた』『それでこそ俺達のメルだ』


 メルはその場に屈み込み、右の太ももに装着しているホルダーから呪いの包丁を引き抜いた。


 「人の幽霊を殺せるんだから、犬の幽霊だってこれで殺せるはず……」


 メルが包丁を手にした途端、犬の生首はそれ以上距離を詰めて来なくなった。その包丁が自分にとって危険であることを、犬も理解しているのだ。

 10mほどの距離を保ちながら睨み合うメルと犬。

 そのまま数十秒が経過した頃、膠着していた場に変化が起こった。

 犬の後方から、夜の闇から滲み出るようにして1人の男性が姿を現したのだ。

 男性は深緑色のジャケットを身に付け、頭にハンチング帽を被っている。外見年齢は50代で、顔の彫が深く日本人ではないように見えた。

 そして男性の首元には、獣に食い千切られたようなグロテスクな傷跡があった。その傷跡は、この別荘地で目撃された幽霊の特徴と一致している。


 「皆さん、今回も幽霊が出てきてくれたみたいです……!」


 メルは犬への牽制を続けながら、スマホのカメラを男性の方に向けた。


 『今回も出たか。メル持ってるな』『本物?』『首の傷グロっ』『これ映して大丈夫?BANされない?』


 視聴者の様々な反応がコメント欄に流れる。

 男性はポケットに両手を突っ込み、気だるげにメルを見据えている。


 「Go ahead」


 メルから視線を外さないまま、男性が短い英語を口にする。

 すると男性の側に控えていた犬の生首が、弾かれたようにメルへと飛び出した。


 「ちょっと!?」


 一気に動いた状況にメルは面食らったが、それでも咄嗟に逆手に持った包丁を振り上げる。

 犬の生首は鋭い牙を剥き出しに、弾丸のような速度でメルへと迫る。それに対してメルは包丁を振り下ろし……。


 「えいっ!」


 一瞬の攻防を制したのはメルの方だった。

 包丁の赤黒い刃は犬の脳天に突き刺さり、その牙はメルの首までは届かなかった。

 犬の生首は白目を剥き、舌をだらりと垂れさせる。そのまま重力に引かれるかのようにずるずると包丁の刃から滑り落ちていき、べしゃっと地面に落下した。


 「ふ~……危なかったぁ……」


 奇襲に対応できたことで、メルはほっと胸を撫で下ろす。

 しかし安心するのは早すぎた。


 「いっ!?」


 右の足首に激痛が走る。

 視線を落とすと、行動不能と思われた犬の生首が、メルの足首に噛みついていた。頭からドクドクと黒い血を流しながら、それでも必死の形相でメルの柔肌に牙を突き刺している。

 しかしその攻撃は文字通り死力を尽くしてのものだったようで、程なくして犬の生首は力を失い、白目を剥いて地面に横たわった。


 「くぅっ……」


 メルの足首の傷口からは、ドクドクと血液が流れ出す。

 痛みのあまりその場に蹲るメル。ソックスやパンプスは、止まらない出血で真っ赤に染まってしまっている。


 『やば』『大丈夫?』『めっちゃ血出てる……』『足やられたのヤバくない?』


 メルを心配する視聴者の声が、続々とコメント欄に流れてくる。


 「だ、大丈夫です、皆さん……」


 しかしメルは足の痛みに脂汗を浮かべながらも、カメラに向かって笑顔を作って見せた。

 そして突如履いている黒いスカートを、ビリッ!と破り始めた。


 『!?』『どうした!?』『メルちゃん!?』


 破り取ったスカートの一部をメルは更に引き裂いて、細長い紐状の布を作り出す。そうして作った紐状の布を、メルは右足首の噛み傷にきつく巻き付けた。 


 「次からは、包帯も持ってこないとかもですね……でもこれで、応急処置はできました。これでメルはまだ動けます……!」


 メルは笑顔を保ったまま、痛みをこらえてゆっくりと立ち上がる。


 『嘘だろ』『かっけぇ』『頼もしすぎる』『惚れた』

 「犬はもう殺しました……残ってるのは、あのおじさんだけです……!」


 両方の足でしっかりと地面を踏みしめ、メルは真っ直ぐ男性を見据える。男性は相変わらず、ポケットに手を入れたまま気だるげな様子だ。


 「メル、絶対にあのおじさんも殺して、絶対に生きて帰りますから……!」

 『頑張って!』『超カッコいい!』『メンタルが強すぎる』『言動がバトル漫画の主人公なんよ』『心霊系ストリーマーとは……?』


 メルを称賛するコメントといくつもの投げ銭が、配信画面を飛び交った。


 「皆さん、あのおじさんが逝くとこ、ちゃんと見ててくださいね……!」


 メルが包丁の切っ先を男性に向ける。

 男性は1つ溜息を吐くと、ようやくポケットから両手を引き抜いた。

 すると男性の手の中に、どこからともなく1丁のライフルが現れた。


 『ライフル!?』『なんでライフル!?』『幽霊がライフルって何!?』

 「っ……」


 生まれて初めて目にする銃火器に、メルは思わず息を呑む。

 男性は慣れた様子でライフルを構え、照準をメルの頭にピッタリと合わせた。その姿は堂に入っており、男性が引き金を引けば間違いなく銃弾が狙い通りに命中することを確信させた。


 『ライフルは流石にヤバいよ……』『メルちゃん逃げて!』『でも足怪我してるし……』

 「……大丈夫です。メル、ドッジボール得意ですから。ライフルだって避けられます」

 『いやいやいやいやいや!?』『流石にふざけてる場合じゃないって』『ドッジボール過信しすぎ!』


 メルはじっと男性を、特に引き金にかかった男性の指を観察する。

 男性が人差し指を僅かに動かし、引き金を引くのと同時に……正確に言えば、男性が引き金を引くよりほんの一瞬だけ早く、メルは地面を蹴った。

 メルの眉間に照準を合わせて放たれた弾丸は、音を置き去りにする速度で空気中を突き進み……メルの左目の横を僅かに掠めて後方へと逸れていった。

 男性が狙いを外したのではない。メルが弾丸を躱したのだ。


 『マジで避けた!?』『嘘だろ!?』


 眉間を狙うのは、恐らく男性の流儀のようなものなのだろう。先程メルが発見した、眉間に銃創のようなものがある白骨死体も、きっとこの男性に撃ち抜かれたのだ。

 しかしその狙いが正確過ぎたことが、男性にとって裏目に出てしまった。眉間を狙っていることが明白であれば、例えそれがライフルの弾丸であろうと回避できるだけの能力がメルにはあった。


 「ふっ!」


 メルは地を這うように走り、男性との距離を一気に詰める。それを男性は信じられないものを見るような目で見ていた。当然だ、近距離から放たれたライフルの弾丸を、まさか回避されるとは夢にも思わない。

 地面を蹴るメルの右足首では、傷口から血が溢れ出している。深い傷を負った右足はただ動くだけでも激しい痛みを伴うが、メルはその痛みを気合でねじ伏せていた。

 男性は再びライフルを構えようとするが、今更間に合うはずもない。

 メルは男性に向かって包丁を振り上げ、


 「え?」


 その瞬間、男性の背後から2つの影が飛び出してきた。

 獰猛な唸り声を上げるそれらの影は、緑色の光の尾を引く犬の生首だ。

 メルが傷を負いながら仕留めた個体とは別に、男性はまだ2体の犬の生首を従えていたのだ。


 「まだいたの!?」


 2匹の犬は顎を大きく開いてメルへと迫る。

 メルが犬の攻撃を回避しようとすれば、男性にライフルを構え直す時間を与えてしまうだろう。そしてもう1度ライフルを構えた男性が、再び馬鹿正直にメルの眉間を狙って発砲するとは考えにくい。眉間以外の場所を狙われたら、傷付いた脚で銃弾を回避することは不可能だ。

 つまり犬を避ければ、その時点でメルに勝機は無くなってしまう。


 「っ、ああああっ!!」


 一瞬の内にそれを悟ったメルは、犬達を避けることなく男性に向かってそのまま突っ込んだ。

 2匹の犬がそれぞれメルの左肩と右脇腹に食らいつき、メルに激しい苦痛を与える。

 しかしメルはひるむことなく男性に向かって包丁を振るい、その左胸に深々と刃を突き刺した。


 「あああああっ!!」


 更にメルは痛みを誤魔化すように叫び声を上げながら、男性の胸から包丁を引き抜き、メルに噛みついている2匹の犬の生首を斬りつける。

 2匹の犬は呆気なくメルから口を離し、そのまま地面に力無く落下した。


 「はぁ、はぁ……」


 メルは包丁を取り落とし、肩と脇腹の傷口を庇いながらその場に蹲る。

 傷は深く、出血もかなりの量だ。


 『メルちゃん大丈夫!?』『どうなってんだこれ』『血ヤバくね?』『救急車とか呼んだ方がいいんじゃ……』『呼ぼうにも場所分かんねーだろ』


 視聴者達から混乱している様子のコメントやメルを心配するコメントが続々と寄せられる。


 「はぁ、はぁ……」


 しかし視聴者の心配を余所に、メルは痛みを堪えながら気丈にも顔を上げ、未だ立ち尽くしている男性を油断なく睨み付ける。

 ガシャン、と男性はライフルを取り落とす。既に男性の体は、包丁が刺さった左胸を起点として崩壊を始めていた。

 男性はゆっくりを顔を動かし、メルに視線を合わせる。


 「……Amazing」


 男性はメルへの称賛を口にすると、その言葉を最後に粒子となって消えていった。

 男性の消滅と同時に、メルはその場にへたり込む。


 『メルちゃん勝った!?』『うおおすげええ!!』『マジでライフル避けたの!?』『足大丈夫?』『肩もお腹も大丈夫?』


 コメント欄にはメルへの称賛や心配などのコメントが、投げ銭と共に飛び交っている。

 メルは顔を上げると、痛みを隠すように無理矢理笑顔を作った。


 「そんな感じで今回も無事に、幽霊を返り討ちにすることができました~。ちょっと体のあちこちが痛いので、急ですけど配信はここまでにさせてください……皆さん、次回の心霊スポット探訪でお会いしましょ~、バイバ~イ」


 メルは早口でどうにかそれだけを言い切ると、カメラに手を振りながら配信を終了する。

 そして病院へと向かうべく、痛む体を引き摺ってバイクを止めた場所へと歩き始めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 地雷系女子とのギャップがすごくいい。なんでこんなにスペック高いんだよw才能の固まりすぎる
[一言] 勇ましすぎたらコイツ 時代が違えば勇者って呼ばれてたんちゃう?
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