第16回桜庭メルの心霊スポット探訪:裏人形館 二
「うえっ!?」
人形が言葉を発したことに驚き、メルは変な声を上げる。
人形の声は、メルがこの家に来るまでに何度も聞いた声と同じものだ。
ここに来るまでに聞いた「こっちよ」の声と、今しがた市松人形が発した「やっと来た」の言葉。この2つから察するに、この市松人形がメルをこの場に呼び寄せたのだろう。
「ふふふ……」
朱で彩られた唇を歪め、市松人形が不気味に笑う。
それと同時にメルが右手に持っている包丁の刃から、勢いよく紫色の炎が噴き出した。
「きゃっ!?なっ、なんで!?」
メルの呪いの包丁が宿す呪いは、紫色の炎となって表出する。その炎をメルは意図的に出現させることができるが、メルの感情に呼応して独りでに炎が噴出することもある。
しかしメルの意思や感情に関係なく炎が出現したのは初めてのことだ。
包丁から噴き出した炎は、メルの目の前のガラス窓に直撃した。窓は粉々に砕け散り、細かなガラス片がそこかしこに飛び散った。
「きゃっ!」
メルは後方に飛び退きながら、左腕でガラス片から目を庇う。
そして腕を退かすと、目と鼻の先に人体模型の頭があった。
「ひゃあああっ!?」
ただでさえ不気味な人体模型が、目を開けたらいきなり触れそうな距離に迫っていたのだ。誰だって驚く。
メルは驚きのあまり、右手の包丁を反射的に横薙ぎにした。
偶然か、はたまたメルの体が覚えているのか。包丁の刃は人体模型の首を的確に捉え、そのまま頭部を斬り飛ばした。
首を失った人体模型がその場にばたりと倒れ込む。するとガラスの割れた窓枠を何体かの人形が乗り越えようとしているのが見えた。
「あっ!?」
窓ガラスが割れたことで、人形が家の外に出られるようになってしまった。それはつまり夢崎氏が家の中に収容した曰く付きの人形を、メルが解き放ってしまったことになる。
「どうしようどうしよう!?」
『落ち着けよ』『慌てすぎじゃね?』
「他人の家の窓ガラス壊して、しかもそのせいで閉じ込められてた呪いの人形を外に出しちゃうなんて……このままじゃメル炎上しちゃいます!」
『そこ!?』『もっと他に気にすることあるだろ!?』
メルの危惧は場違いではあるが的を得ていた。
他人の家の窓を割ったというだけでもこのご時世炎上は避けられない。しかもメルが割ったのはただの家の窓ではなく、人形型の怪異が何体も収容された裏人形館の窓だ。
窓から外に飛び出した怪異達を野放しにすれば、いずれ街に繰り出して人を襲うだろう。そうして発生した人的被害も、このままではメルの責任になってしまう。
「どうしよう……どうしたら……」
メルの視線の先で、可愛らしいビスクドールが窓枠を乗り越えてとうとう外に出た。
ビスクドールが口を大きく開くと、ノコギリのような鋭い金属質の歯がびっしりと生え揃っている。その鋭い歯を剥き出しに、ビスクドールは弾丸のようにメルへと飛び掛かってきた。
「ああそっか……」
迫り来るビスクドールを前に、メルは悟ったように小さく呟く。
「今ここで全員始末すればいいんだ」
メルが包丁を振り下ろし、紫色の炎を纏った刃がビスクドールを斬りつける。
まるで豆腐を切るかの如くビスクドールの体は両断された。
「裏人形館の怪異を皆殺しにすれば、メルのやらかしは窓ガラス割っただけになりますよね!?」
『草』『そうかもしれないけどさぁ』『発想が脳筋過ぎる』
ビスクドールを皮切りに、窓から次々と人形の怪異が飛び出してくる。
それらの怪異は全てメルを一目見るなり襲い掛かってくるほど凶暴だが、はっきり言って強い怪異ではなかった。メルが包丁を一撃食らわせれば呆気なく殺すことができる。
そうして10体ほどの人形の怪異を葬った頃。不意にメルは一際強い気配を感じた。顔を向けると、そこにいたのは大きな市松人形。不思議な声によってメルをこの場に誘き出した個体だ。
「……ひょっとして、あなたがここのボスだったりします?」
メルの質問に対し、市松人形はただ笑顔を浮かべるばかりで答えない。だがその佇まいは、明らかに他の怪異とは一線を画していた。
市松人形はいつの間にか、その手に日本刀を携えていた。
『おもちゃ買ってもらった子供みたい』『ちょっと微笑ましい』
市松人形は一般的なそれと比べてかなり大きいが、それでもその体格は人間の子供程度。日本刀は手に余る得物に思える。
しかし市松人形は苦も無く日本刀を鞘から引き抜き、堂に入った姿勢でメルに向かって日本刀を構えた。
「なるほど?」
メルも包丁の切っ先を市松人形に向け、両者の間に張り詰めた空気が流れる。
先に動いたのは市松人形だった。体格の小ささを生かして高く跳び上がり、上からメルに目掛けて日本刀を振り下ろす。
メルは日本刀の側面に包丁を当て、市松人形の斬撃を受け流した。そして返す刀で市松人形の胴体を狙おうとするが、
「っ、嘘!?」
市松人形の髪が一瞬で長く長く伸び、メルの右腕に絡みつく。髪によって動きが阻害され、メルは包丁を振り抜くことができなかった。
メルが腕に絡む髪の毛を包丁で切断している間に、市松人形は距離を取って体勢を立て直す。
「なるほど、一瞬で髪を伸ばせるって訳ですか……呪いの人形らしいじゃないですか」
市松人形が素早い動きでメルへと近付いてくる。再び日本刀を振るって攻撃を仕掛けてくるかと思いきや、市松人形は刀を振り上げるのではなくメルの顔目掛けて突きを繰り出してきた。
「わあっ!?」
攻撃を読み違えたメルは慌てて首を傾け、突きを回避する。しかし完全に躱しきることはできず、刀が僅かに頬を掠める。
マスクの紐が切断され、はらりと地面に落ちた。
「あっぶなぁ~……」
冷や汗を流しながらも反撃に打って出ようとしたメルだが、その右腕に再び髪の毛が絡みつく。
「くぅっ……」
髪を振り解こうとするがびくともしない。市松人形の髪はかなり頑丈で、腕の力で引き千切ることは難しそうだ。
「ふふふ……」
右腕の拘束に悪戦苦闘するメルを、市松人形は不気味に笑いながら見つめている。
するといつの間にか、メルの左腕と両足にも髪の毛が絡みついていた。
「あっやばっ動けないどうしよ」
『おいおいおい』『ヤバくね?』
身動きの取れなくなったメルに、ゆっくりと市松人形が近付いてくる。
先程までの俊敏な動きとは打って変わった緩慢な動作で、日本刀を上段に振りかぶる市松人形。
動けないメルをすぐに仕留めにかからないのは、敢えて時間を掛けることでメルの恐怖を煽ろうという腹積もりだろう。性格の悪いことだ。
「舐められたものですね~……!」
市松人形の振る舞いに対し、メルは額に青筋を浮かべて怒りを露わにする。その怒りに呼応するように、包丁の刃に纏う紫色の炎が勢いを増す。
「ふふふ……」
しかしメルの怒りを目の当たりにしても、市松人形は不気味な笑顔を崩さない。怒ったところでメルにできることはもう無いと高をくくっているのだ。
その慢心が命取りとなる。
「がぁっ!」
メルは得物を前にした肉食獣のように大きく口を開き、鋭い犬歯を露わにする。
そして右手を縛り付けている髪の毛に噛みつくと、虫歯1つ無い丈夫な歯を生かして髪の毛を噛みちぎった。
自由になった右手をメルは即座に振りかぶり、市松人形目掛けて包丁を投擲する。
完全に油断していた市松人形は飛来する包丁に反応できず、胸に深々と刃が突き刺さった。
瞬間、市松人形の全身を紫色の炎が包み込む。
「あああああっ!?」
市松人形の断末魔は長くは続かなかった。程なくして黒焦げになった市松人形が仰向けに倒れ、同時にメルの手足に絡みついていた髪もはらはらと解けていく。
「危なかった~……マスク着けたままだったら負けてたかもしれませんね」
『運がよかったな』
今回はたまたまマスクが切り落とされていたために髪の毛を噛みちぎることができたが、もしマスクを着けたままだったらその方法は取れなかった。手足が拘束された後にマスクを取ることも不可能だっただろう。
コメントにもある通りメルは運がよかったと言える。
「マスクするのも善し悪しですね~」
メルは焼け焦げた市松人形に近付き、その胸から包丁を回収する。
「さてと……お人形の怪異はもういないんですかね?」
裏人形館の割れた窓に目を向けるも、そこから新たに人形の怪異が現れる気配は無い。
「もう全部倒したのかな~……?」
窓から室内を覗き込み、「桜の瞳」で部屋を窺う。少なくとも見える範囲には、怪異の存在は見当たらなかった。
「ちょっと入ってみましょうか。もしかしたら中にまだ怪異が残ってるかもしれませんし」
『おっ不法侵入か?』『まだ罪を重ねるのか』
「仕方ないじゃないですか。ここにいる怪異はメルが全部始末しないといけないんですから」
裏人形館の怪異が人を襲えば、故意ではないにせよ怪異を解き放ったメルが責任を問われることになる。それを避けるためには、メルは1体たりとも裏人形館の怪異を見逃せないのだ。
「それにもう窓割っちゃってますし、勝手に中入ったところでもう一緒ですよ」
『一緒ではないだろ』『めちゃくちゃヤバい考え方してる』『それこそ炎上するぞお前』
「よいしょっと」
窓枠を乗り越え、メルは裏人形館に侵入を果たす。
「とりあえずこの部屋にはもう怪異はいませんから、別の部屋見てみましょうか」
裏人形館は一般的な2階建て住宅と同じような広さで、1階にはリビングの他に3つの部屋があった。ただ普通の住宅とは違い、トイレと浴室が見当たらない。
「トイレもお風呂も無いってことは、ここに住むことは全く考えてないってことですよね~。ホントに曰く付きのお人形を封印するためだけのお家って感じ」
1階の部屋を一通り見て回ったメルだが、結局1階には怪異は1体も見当たらなかった。
「いないですね、お人形の怪異……最初に見た部屋にしか怪異がいなかったのか、それとも1階にいた怪異はもう全部外に出ちゃったのか……」
『1階にいたのはもう全部外出たんじゃない?』
「ですね。そっちの方があり得そうですよね」
割れた窓から飛び出した怪異の数は10を超える。1階にいた怪異があれで全てだったとしても納得のいく数だ。
「じゃあ2階行ってみましょうか」
いずれにせよ1階には怪異がいないことは確かなので、メルは続いて2階の探索へ向かう。
2階の部屋数は3つだった。1階とは違ってリビングが無く、その分1部屋1部屋が大きい。
「あれ?」
階段から最も近い部屋の扉を開き、メルは首を傾げる。
部屋には1体の人形も見当たらなかった。当然家具の類も存在せず、まるで空き物件のようにがらんどうだ。
「お人形無いですね~……?」
メルは疑問に思いつつも、何も無い部屋を探索しても仕方が無いので部屋を出る。
気を取り直して1つ隣の部屋の扉を開くも、
「……ここも空っぽですね」
2つ目の部屋もやはり人形は1体も見当たらなかった。
「2階にはお人形仕舞ってなかったんでしょうか?」
『そうなんじゃない?』『1階の部屋にもちょっと空きあったもんな』
1回の部屋は全て人形で埋まっているというほどではなかったので、2階に人形が1体も無いことも納得はできる。
「2階に1体もお人形がいないなら、メルにとってはありがたいんですけど……」
そもそも人形がいなければ、人形の中に怪異が紛れている心配は無い。夢崎氏には悪いが、メルとしては人形は無いに越したことはなかった。
「じゃあ最後の部屋も見てみましょうか」
メルは3つ目の部屋のドアノブに手をかけ、扉を開く。
「お?……おお」
その部屋はこれまでに見た部屋とは異なり、書斎のような内装を備えていた。窓の隣には立派な文机があり、壁際の本棚には本がぎっしりと詰まっている。
そして部屋の中央には、1人の男性が立っていた。立派な口髭を湛えた、70代ほどの総白髪の男性だ。
「びっくりしたぁ……」
この裏人形館に人がいることなど全く想定していなかったメルは、男性の存在にしばし言葉を失う。
男性は最初窓の外を眺めていたが、扉が開いた音に気付いてメルの方へと振り向いた。
「あ、えっと……」
男性と目が合ったメルは、まず不法侵入の言い訳を考えた。しかし中々今のメルを正当化できる論法は思いつかない。
必死に頭を巡らせるのと同時に、メルは男性を「桜の瞳」で窺う。
すると男性の体は、青色の光で縁取られて見えた。
「っ……!」
思わず息を呑むメル。
青色の光が見えたということは、この男性は幽霊ということだ。
「……初めまして。私は夢崎正蔵という者だ」
メルが驚いている間に、男性が穏やかな口調で自己紹介をした。
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