第15回桜庭メルの心霊スポット探訪:猿山公園 中編
「119番に電話してくれました?」
アイナにそう尋ねるも返事はない。
どうやらアイナは、突如人型に斬りかかっていったメルの行動に呆気に取られているようだった。この分では救急車は呼べていないだろう。
メルは小さく溜息を吐いて、視線を地面に倒れるカズへと移す。カズの意識は戻っていなかったが、激しい痙攣は収まっていた。
怪異を殺して即復活、とはいかないようだが、それでも怪異を排除したことで多少は回復したようだ。
「彼氏さん、少しマシになったみたいですね」
「あ……」
メルが声を掛けて、アイナはようやくカズが回復していることに気付いた。
「よかったですね」
「は、はい……」
「でも一応救急車は呼んだ方がいいと思いますよ?」
ちなみに何故メルが自分で救急車を呼ばずアイナに電話を掛けさせようとしているのかというと、メルのスマホは配信のカメラに使っているからだ。勿論余程の非常事態であれば配信を中断してスマホを使うが、できるならそれはしたくない。
再三に渡るメルの催促を受け、アイナはようやくスマホを取り出した。
しかし。
「えっ!?」
気が付くと、メル達は無数の白い人型によって取り囲まれていた。人型の数は10や20ではない。
「いつの間に……!?」
「キャアアッ!?」
大量の人型にアイナはパニックになり、スマホを地面に取り落とした。
人型はただ立ち尽くすばかりで、メル達に襲い掛かってくるような素振りは見せない。
だがカズは人型を目にしただけで意識を失ったという。つまりこれらの人型は、襲って来ずとも見るだけで危険な存在なのだ。
「アイナさん、目を瞑ってください!」
メルはアイナが人型を見ないよう指示をしながら、包丁片手に人型の群れへと躍りかかった。
「ていっ!てやっ!てぁっ!」
メルが包丁を振りかざしても、人型は抵抗らしい抵抗を見せない。包丁を振り下ろせば、一太刀で人型は霞のように霧散する。
しかし如何せん数が多すぎる。1体1体が弱くても、倒しきるにはどうしても時間がかかってしまう。
そうして人型の群れ相手に立ち回っている間に、メルはふとある疑問に思い至った。
(サクラさんサクラさん。カズって男の人はこの人型を一目見ただけで意識を失ったらしいですけど、何でメルとアイナさんは大丈夫なんでしょう?)
(そうね……考えられるのは、この人型達の呪いが男性にのみ作用するということかしら)
(そういうこともあるんですね?)
(ええ。特定の条件を満たした者にのみ発現する呪いというのも存在するわ。というか、そもそも呪いというのは本来そういうものなのだけれど)
(あっ、そうなんですね)
(まあ今では、怪異が持つ力のことを『呪い』と呼んだりもするようだけれど)
サクラの言う通り、祓道師などは怪異が持つ能力を総じて「呪い」と呼称することもある。
(けれど、この人型の呪いが男性にのみ作用するというのは、あくまでも私の推測よ。女性にも同様の効果が現れる可能性はあるし、男性と女性で異なる呪いが発現することも考えられるわ)
(分かりました、気を付けます)
サクラからの忠告を受けたメルは、人型が減ってきた頃を見計らってアイナの方を振り返った。
アイナがメルの指示を守って目を瞑っているか、確認しようと思ったのだ。
「あれぇっ!?」
しかしそこにアイナの姿は無かった。
カズと地面に落ちたスマホを残して、アイナはいなくなっていたのだ。
「えっちょっ、ど、どこ行ったんですか!?」
まさかアイナがいなくなっているとは思っていなかったメルは、慌てて周囲を見渡した。
すると50mほど離れた場所で、酔っぱらいのような千鳥足で歩いているアイナを発見する。
「ちょ、ちょっとアイナさんどこ行くんですか!?」
メルが声を掛けてもアイナは振り向かない。
この距離でメルの声が聞こえていないとは思えない。にもかかわらず一切の反応を示さないのは少し妙だ。
そもそもつい先程まで白い人型に怯えていたアイナが、一体何故突然移動を始めたのか。ましてこの場には意識を失った恋人のカズが倒れているというのに。
考えれば考えるほど、今のアイナの行動は異常だ。
「ど、どうしよう……」
アイナを追うべきか否か、メルは逡巡した。
今のアイナを放置するのは拙いとメルの直感が告げている。しかしカズという傷病者を放置してアイナを追うことにも抵抗がある。
『追いかけなよ』『とりあえず救急車呼んだら?』『救急車呼んでる間にあの女の人どっか行っちゃうんじゃない?』『倒れてる人ほっとくのはダメでしょ』
コメント欄の意見も真っ二つに割れている。
「ど~しよ~……!?」
悩んだ末に、メルは地面に落ちているアイナのスマホを手に取った。
「えっと、救急をお願いします。場所は猿山公園のアスレチックの近くです。はい、男の人が倒れてて、怪我か病気かは分からないですけど」
メルは救急車を呼んでから、アイナを追って走り出した。
通報者がその場を離れるのは宜しくないが、この状況では止むを得ない。
「アイナさん、ちょっと!?」
すぐにアイナに追いついたメルが、アイナの肩に手を掛ける。
しかしアイナはメルに顔を向けることなく、メルの手を振り払ってまた歩き出した。
「え、力強っ……」
アイナがメルの手を振り払う力は、屈強な男性かと思うほどに強かった。
「アイナさんちょっと待ってくださいって……」
アイナの力強さに一瞬呆気に取られたメルだが、すぐに我に返るとアイナの左腕をがっしりと両手で掴んだ。
しかしアイナは腕に縋りつくメルを意に介さず、足を止めずに強引に歩き続ける。
「ちょっと……本当に力強いんですけど!?」
アイナを引き留めようとメルは両脚に力を込めるが、メルがどれだけ踏ん張ろうとアイナの歩みは止まらない。ずるずるとメルを引き摺りながら歩みを進めるそのパワーは、アイナの華奢な外見からは想像もつかない。
「こんなに体細いのに、どこにこんな力があるんですか!?」
『それはお前も人のこと言えないだろ』『アイナさんもメルにだけは言われたくないと思う』
「今メルのことはどうでもいいんですよ!」
メルが視聴者と漫才のようなやり取りをしている間にも、アイナはずんずんと足を進めている。
「ふんにゅにゅにゅにゅにゅ……!!」
変な掛け声と共に、あらん限りの力を込めて(アイナが怪我をしない範囲で)アイナの手を引くメル。
アイナの進もうとする力と、メルの引き留めようとする力は拮抗していた。頑なに進もうとするアイナと引き留めようとするメルによって完全な膠着状態に陥り、その結果としてアイナの左肩がミシミシと悲鳴を上げ始めた。
「あっこれダメです、アイナさん壊れちゃう」
アイナの肩が外れることを怖れたメルは、一旦アイナの腕を離し、アイナの前に回り込んだ。
「わっ」
アイナの顔を見たメルは、驚いて思わず肩を小さく跳ねさせた。
アイナの顔には何の感情も浮かんでおらず、まるで死人のような印象を受けた。スーパーの生鮮食品売り場に並ぶ魚じみた虚ろな目は、生きている人間とは思えない。
しかしいつまでも驚いてはいられない。メルはアイナの両肩に手を押し当て、真正面からアイナを食い止めようと試みた。
「むぅ~にゅにゅにゅにゅにゅ……!!」
『なんだその掛け声』『むにゅむにゅって言ってる?』『それで本当に力入るんか?』
掛け声こそ力が抜けそうだが、メルはアイナをその場に留めることに成功した。
ただそれでもアイナが前進を止めないため、メルの両手はどんどんアイナの肩にめり込んでいく。
「あっこれもダメです。ホントにアイナさん壊れる」
骨が砕ける直前のような嫌な感触を両手に感じ、メルはアイナの肩から手を離した。
「もうダメです、止められないです。もうしばらくアイナさんの好きに歩かせてみましょう。危なくなったらその時にまた引き留めればいいですし」
『どうでもいいけどずっと「怪我させる」とかじゃなくて「壊れる」って言ってるのちょっと怖くね?』
これ以上アイナを引き留めようとすれば、どうやってもアイナを傷付けてしまうことは避けられない。
メルはアイナを制止することを一旦諦め、メルの後を付いて歩くことにした。
アイナはどうやら、公園内にあるハイキングコースに向かっている様子だった。
(サクラさん。アイナさんの様子がおかしいのって、やっぱりあの人型を見たせいですかね?)
メルは脳内でサクラに問い掛ける。
(恐らくそうね。男性があの人型を見た場合は意識を失い、女性が見た場合はどこかに連れて行かれる、といったところかしら)
(アイナさんがやけに力が強くなってるのも、怪異のせいですかね?)
(そうね。けれど力が強くなっている訳ではないと思うわ。推測だけれど、今のアイナさんは自分の意志で歩いているのではなく、操り人形のように怪異に動かされているのよ。だから肉体の強度を無視して力を出せているのね)
(……えっ、それってマズくないですか?)
(拙いわ。少なくとも酷い筋肉痛は確実でしょうね)
(うわ~……尚更アイナさん止めるのは止めた方がよさそうですね。無理矢理止めたらホントに壊しちゃう)
メルがサクラと話している間に、アイナはハイキングコースに到着した。
そのままコースを登り始めたアイナに、メルも追従する。
このハイキングコースは猿山公園の山頂に向かうものだ。猿山は標高600m程度の非常に低い山で、ハイキングコースは子供でも簡単に踏破できる。
「そう言えばリクエストをくれた視聴者さん、お子さんが遠足で猿山公園に行くって言ってましたね。このハイキングコースを登るんでしょうか……」
場を持たせるために特に意味の無いことを呟くメル。
ふらふら歩くアイナの後をただただ付いていく現状は、正直配信の絵面としては欠片も面白くない。
どうしたものかと思いながら5分ほどハイキングコースを歩いていると、不意にアイナが進路を変えた。
「ん?」
ハイキングコースから外れ、整備されていない山の中へと入っていくアイナ。ジャージに木の葉が付くのも構わず、茂みを掻き分けて進んでいる。
「どこいくんでしょう……」
メルも当然アイナを追って山へと分け入っていく。先んじるアイナが草木を押しのけているおかげで、メルはアイナよりは苦労せずに山を歩くことができた。
「これ本当にどこに向かってるんでしょう……この先に何かあるとは思えないんですけど……」
アイナが進んでいるのは獣道ですらない、正真正銘の道なき道だ。人どころか獣すら通った形跡の無いこの場所の先に、何かがあるとはメルには思えなかった。
だが不幸中の幸いというべきか、山を掻き分けて進む今の絵面は、ただハイキングコースを歩くだけよりは配信として面白かった。
そうして山の中を進むこと15分。
「っ!?」
不意にメルは、背筋にゾクリと寒さを感じた。
「この感覚、もしかして……」
その感覚を、メルはこれまでに何度か感じたことがあった。
「カロロロ……」
メルの予感を肯定するように、アスファルトの坂を空き缶が転がるような音が聞こえ始めた。
「うわぁ……」
その音を聞いた途端、メルは思わず顔を顰めた。
メルの目の前で、アイナがようやく立ち止まる。そこは草や木が生えていない、校庭ほどの広さの荒地だった。荒地のそこかしこには人骨が散乱している。
メルはアイナの隣に並び、荒地の入口で立ち止まった。
「カロロロ……」
その荒地の中央に、大きな石を椅子代わりにして、身の丈2mほどの大きな猿が鎮座していた。その猿は全身の毛が赤く、全体の姿形はゲラダヒヒに似ている。
『猿?』『ニホンザルじゃないよな?』『デカいな』『てかめちゃくちゃ人いるじゃん』
猿の周りには、20人ほどの人間の女性の姿があった。女性達は皆死体のように虚ろな表情で、力なく猿の足元にしなだれかかっている。
メルが「桜の瞳」で猿を見ると、猿は祟り神であることを示す黒い光に包まれていた。
「2連続祟り神か……ツイてないですね~……」
メルは口の中で小さく呟く。前回の配信で祟り神と戦ったばかりだというのに、また祟り神に遭遇してしまった。
猿は荒地に現れたアイナとメルを一目見ると、ニヤリと口元を大きく歪ませて笑った。その笑顔にメルは何故か、生理的な嫌悪感を覚えた。
「カロロロ……2人も来たのか」
「っ!?」
『喋った!?』『猿が喋った!』
猿が人語を発したことにメルは目を瞠った。
メルはこれまで3体の祟り神に遭遇したが、人語を発する祟り神はいなかった。メルが戦った祟り神はいずれも、ただ周囲に破壊を振りまくだけの理性を持たない存在だったのだ。
驚いているメルの隣で、アイナがふらふらとまた歩き出した。
「あっ、ちょっと……」
メルの制止を振り解き、アイナは猿へと向かっていく。
近付いてくるアイナを、猿はニヤニヤと眺めている。
猿の下へ辿り着いたアイナは、他の女性達と同じように虚ろな表情で猿の側に跪いた。
「ちょっとアイナさん何を!?」
メルの問い掛けにアイナは答えない。
「ん?」
視線をメルに移した猿は、訝しむように首を傾げた。
「何をしている、お前もさっさと来い」
「はぁ?どうしてメルが」
「……何だと?」
驚いた様子で目を見開いた猿は、そのままジロジロとメルの全身を不躾に観察し始めた。
「……お前は一体何者だ?霊力は神のものに近いが、同時に強力な呪いの力も感じる……」
「他人に名前を聞きたいなら、まず自分から名乗ったらどうですか?」
女性を侍らせているようにしか見えない猿に対するメルの第一印象は最悪だった。自然と態度にも敵意が現れてしまう。
「この俺を前にその態度とは……お前ほど強気な女は初めてだ。いいだろう、答えてやる」
立膝で臆面もなくそう言い放つ猿は、絵に描いたように尊大だった。
「俺は緋狒神。この地域の神だ」
「……桜庭メルです」
猿が名乗ったので、メルも渋々名前を口にした。「他人に名前を聞くならまず自分から」と啖呵を切った以上、名乗られたら名乗り返さない訳にはいかない。
「桜庭メル。お前は猿霊を見ずにここまで来たのか?」
「えんれい?何ですかそれ」
「白い猿の霊だ。この辺りにはいくらでもいたはずだが?」
「あ~……」
緋狒神はあの白い人型のことを言っているのだと、メルは何となく察した。
「見ましたけど?」
「猿霊を見たのに俺の嫁になっていないのか……その神のような霊力のせいか?」
「嫁になる?どういうことですか?」
メルがそう尋ねると、緋狒神は意外にも素直にメルの質問に答えた。
「猿霊は俺が人間の嫁を見つけるために生み出した怪異だ。人間の女は猿霊を見ると俺の下まで導かれ、俺の『花嫁』になる」
「花嫁になった女の人はどうなるんですか?」
「見ればわかるだろう?俺に奉仕する存在となる」
緋狒神は両手を広げ、周囲の女性達をメルに示した。
死人のような表情で緋狒神にもたれる女性達は、花嫁というよりも奴隷のように見える。
「ちなみに、猿霊を見た男性はどうなるんですか?」
「死ぬ。まあすぐに猿霊を殺せば助かるかもしれんがな。俺は男には興味が無いからな、死のうが死ぬまいがどっちでもいい」
「どうしてあなたは人間の女の人を花嫁にするんですか?あなたは人間じゃないのに」
「決まっているだろう、俺は人間の女が好きなんだ」
緋狒神は気味の悪い笑顔を更に深くした。
「人間の女は良い。柔らかいし毛むくじゃらじゃないからな。眺めても楽しめるし触っても楽しめる。それに肉が柔らかいから、食っても旨いと来たもんだ」
「食べる……!?」
メルは荒地のそこかしこに転がる、無数の人骨に目を向けた。
「この骨は、まさか……」
「ああ、俺が食った花嫁の骨だ。人間の女は好きだが、同じのばかりだと飽きるからな。飽きたら食って、また里から新しい女を連れて来るんだ」
その言葉を聞いた途端、メルの額に青筋が浮かんだ。
「ああ、心配するな。俺の花嫁となった女は、里の全ての人間の記憶から消える。女がいなくなることで悲しむ人間は1人もいないという訳だ」
『めちゃくちゃクソ野郎だな』
視聴者のコメント欄がメルの心情を代弁した。
「しかし……」
緋狒神がアイナに顔を向ける。
「今度の女は今ひとつだな」
新たな花嫁として導かれたアイナを一瞥し、緋狒神は不服そうに顔を顰めた。
「顔も大して良くないし、体も貧相で触り心地が悪そうだ。この分だと食うにしても不味くて食えたもんじゃないかもしれんな」
そう言って膝にすり寄るアイナを押し退けてから、緋狒神は改めてメルに視線を向けた。
「俺としてはお前の方が好みだ、桜庭メル」
「……残念です」
深く深く溜息を吐くメル。
「初めて話の通じた祟り神が、あなたのような最低な神様で」
「……ほう?」
「あなたみたいな祟り神を、メルは許せません」
メルは太もものホルダーから包丁を取り出し、その切っ先を緋狒神に突き付けた。
包丁の刃が紫色の炎を纏い、メルの瞳孔が赤く光る。
「メルが今日、あなたを殺します」
メルのその言葉を聞き、緋狒神は愉快そうに笑う。
「俺を殺すだと?脆弱な人間の、その中でも特に非力な女如きが、この俺を殺せると思うか?」
「考え方が前時代的ですね……仕方が無いから、メルがあなたの価値観をアップデートさせてあげます。命を対価に」
「カロロロ……面白いな。お前は本当に面白い女だ」
いいねやブックマーク、励みになっております
ありがとうございます
次回は明後日更新します




