第5回桜庭メルの心霊スポット探訪:身投げ橋
「皆さんこんばんは、心霊系ストリーマーの桜庭メルで~す」
すっかり陽が落ちた山の中に可愛らしい声が響く。
ピンク色のブラウスに黒いスカート、黒いマスクという出で立ちのツインテールのストリーマー、桜庭メルの姿がそこにあった。
「桜庭メルの心霊スポット探訪、今日は第5回目で~す」
左手のスマホのインカメラに向けて手を振るメル。その映像は動画配信サイトを通じて全世界に生配信されている。
『うっそだろおい』『まさか5回目があるとは』『前回あんな目に遭ったのにまたやるのか……』
生配信のコメント欄には早速いくつかのコメントが寄せられる。現在の視聴者数は100人と少しだ。
「前回の殺人トンネルの配信、皆さんは見ていただけましたか?まだ見てないよ~って視聴者の方は、配信のアーカイブが残ってるからそっちも見てくださいね」
『そんなノリでガチホラーを勧めるな』『なんであのアーカイブまだ削除されてないんだよ』『運営仕事しろ』
「前回の配信はね、すっごくたくさんの人に見てもらえて。SNSとかでも結構バズったみたいで~」
『そりゃバズるわ』『バズらいでか』
「メル、すっごく嬉しかったな~」
『メンタル強すぎて草』『あんなことがあったのにバズを喜べる精神性は見習いたい』『メンヘラみたいな見た目しておいてメンタル強者過ぎる』
前回の生配信で、メルは本物の幽霊に遭遇した。その配信はSNSで話題となり、切り抜き動画などが多数出回った。そのおかげで桜庭メルの知名度は一気に上がり、チャンネルの登録者数も数倍に増えた。
増えたと言っても、現在の登録者数は1000人と少しだが。
「それで心霊スポット探訪のモチベーションも上がったので、新しくこんなものを買っちゃいました~」
メルが取り出したのは、頭部に装着して使用する照明器具、いわゆるヘッドランプだった。
「今までは懐中電灯を使ってたんですけど、前回の生配信の時に失くしちゃったんですよ~」
『失くしたってかぶん投げてただろ』
「このライト凄いんですよ。1番明るくすると100m先まで照らせるんです。こうやって頭に付けて……」
ヘッドライトを装着しようとするメル。しかしツインテールに引っ掛かってしまう。
「あれ、できない。ちょっと待ってくださいね……」
メルは一旦ヘッドライトを置き、結んでいた髪を解いた。
『ツインテ解いちゃうの?』『髪下ろした方が可愛い』『ツインテール解くなんて失望した』
コメント欄で俄かに議論が巻き起こる。
メルはそれらのコメントには特に反応を示さず、改めてヘッドライトを装着した。
「ほら!どうですか、似合いますか?」
『似合う』『似合う』
「わ~、よかった。前の懐中電灯も気に入ってたんですけど、撮影しながら使うと両手が塞がっちゃってちょっと不便だったんですよね。でもこのライトなら片手が自由に使えるので、これからはこの子に頑張ってもらおうと思います!」
メルは早速フリーになった右手を握り締め、カメラに向かってやる気をアピールした。
「それで、今回の心霊スポットに行く前に、もう1つだけ話したいことがあって……」
『何?』『なになに~?』
「じゃ~ん。皆さん、これ何か分かりますか?」
可愛らしい掛け声と共にメルがカメラに見せたのは、刃の部分が赤黒く染まった包丁だった。
『なんでそんなの持ってんの』『じゃ~んで出すもんじゃないだろ』『それってこの前のやつ?』
「これ、前回の配信見てくれた人はもしかしたらわかるかもなんですけど、メルが殺人トンネルで拾った包丁なんですよ~」
『拾ってないだろ奪い取ってただろ』『え、持って帰ってきたの?』
「これね、メルは持って帰ってないんです。トンネルに置いてきたはずなんですけど……」
『え待って怖い話?』『どういうこと?』
メルはここで怪談らしく声を低くした。
「捨てても捨てても戻ってくる呪いの人形みたいな怖い話ってよくあるじゃないですか。あんな感じで、この包丁、捨てても捨てても戻ってきちゃうんですよ……」
『怖い怖い怖い』『呪いの包丁ってこと?』『まあ元々幽霊が持ってたもんだしな……』
「殺人トンネルから帰ってきた次の日、朝起きたらキッチンにこの包丁があって。次の日がちょうど不燃ゴミの日だったからこの包丁捨てたんですけど、大学から帰って来たらまたキッチンにこの包丁があって……」
『ガチのやつじゃん』『神社とかに持ってったら?』『お焚き上げとかしてもらうべきじゃないの』
「ここ何日かは、お家に置いて出たはずなのに気が付くと鞄の中に包丁が入ってたりするんですよ……」
『危なっ』『手とか切っちゃいそう』『家に置いていくのも許されないのか……』『メンヘラ包丁』
「怖いですよね……銃刀法違反になっちゃいますから」
『そっち!?』『怖がるとこおかしくない?』『心霊現象よりも銃刀法を恐れる女』
「包丁だと多分、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金ですからね……怖いです」
『なんでそんなにすらすら銃刀法の罰則が出てくるんですか?』『やけに法律に詳しいのが逆に怖い』『道徳0点のくせに』
メルの的外れな懸念を、視聴者達は概ね面白がっていた。一方で包丁の呪いに関してメルを心配するようなコメントも見受けられた。
「もしメルが気付かない内にこの包丁が鞄の中に入ってて、その時に職務質問されたら多分メル捕まっちゃいます。そこでメル考えました。包丁をお家に置いてきてもついてきちゃうなら、もういっそ普段から持ち歩いちゃおうって」
『なんでそうなる』『結局銃刀法違反じゃん』
「そう、包丁が見つかったら銃刀法違反になっちゃいます。だから見つからないような場所に入れて持ち歩くことにしました」
『どこ?』『鞄じゃなくてってこと?』
「ここです、ここ」
メルはスカートの上から、自分の右脚をポンポンと叩く。
「ちょっと見せられないんですけど、今太ももにナイフとか仕舞えるやつ……ナイフホルダー?みたいなの付けてるんです」
『マジかよ』『スパイか何か?』『エロくね?』『見せて』
「見せられないです。それでここに……」
メルが包丁を持った右手をスカートの中に忍ばせ、ゴソゴソと作業をする。
『今何を見せられてるんだ』『シンプルに危なくない?』『ナイフホルダーって包丁も仕舞えるの?』『これはこれでなんかエロいな』
「ほら、こんな感じで太もものところに仕舞えば、職務質問されても大丈夫だと思うんです」
太もものホルダーに包丁を無事収納したメルは、カメラに向かってしたり顔を見せた。
包丁はスカートで完全に覆い隠され、余程下から覗き込まない限りは見えない。メルの言う通り、仮に警察に声を掛けられても包丁の存在が露見する可能性は低い。
『さっきから包丁の収納のことばっかり気にしてるけどさ、呪いの包丁があること自体は気にならないの?』
視聴者の中から、至極当然の疑問がコメント欄に寄せられる。
「あ、メルそういうのは気にならないです」
『なんでだよ』『気にしろ』『気にしてくれ』
「メルは心霊系ストリーマーですから、そういうの気にならないんです」
『むしろ気にしろ』『だからこそ気にしろ』『他の心霊系ストリーマーに謝れ』
「そんな訳で今後のメルはこのヘッドライトと、この包丁が標準装備になります。新装開店したメルを、よろしくお願いします!」
おどけるようにカメラに向かって敬礼するメル。
「結構いっぱいお喋りしちゃったので、そろそろ今日の心霊スポットを紹介したいと思います。今日の心霊スポットは~……こちら!」
メルがスマホのカメラを前方に向ける。
そこにあったのは、長さ100メートルほどの吊り橋だった。吊り橋と言っても木の板と縄だけでできた足場が不安定なものではなく、鉄骨で造られた安心感のある吊り橋だ。
吊り橋の下にはV字型の深い渓谷が広がり、渓谷の底には大きな川が流れている。
「この吊り橋、実は……ちょっとした自殺の名所なんです。この吊り橋から飛び降りる人が、毎年後を絶たないんだとか」
『へー』『俺ここ知ってるかも』
「それだけじゃないんです。夜になるとこの橋には、ここから飛び降りて自殺した人の霊が出るそうなんです!自殺者の霊は夜な夜な橋の上に現れて、通りかかった人を橋から突き落として道連れにするんだとか……」
『傍迷惑だなぁ』『ウソくさ』『その橋って普通に使われてるやつ?』
「この身投げ橋は普通に使われてるやつです。公道ですから不法侵入にはなりません!」
『身投げ橋っていうの?』『公道ならよかった』『心霊スポットだからって私有地に入っていくような心霊系ストリーマーも中にはい
るからな』
「それでは第5回桜庭メルの心霊スポット探訪、身投げ橋に自殺者の霊は本当に現れるのか!早速やっていきましょ~!」
メルは張り切って橋を渡り始めた。
『揺れる?』『風とかどう?』
「今のところ揺れは感じないですね~。風が吹いてないからかな?」
機械音声で読み上げられる視聴者からの質問に答えながら、メルは軽い足取りで橋をずんずん進んでいく。
『ヘッドライトめっちゃ明るい』『こんなに明るいんだ』
「凄いでしょこのヘッドライト~!結構いいやつなんですよ」
新装備を褒められたメルは上機嫌になりながら、5分ほどかけて橋を渡り切った。残念ながら、幽霊はおろか人の影すら見当たらなかった。
「う~ん、幽霊出ませんでしたね……」
『残念』『幽霊とかマジで信じてるの?』『なんだ前回のアーカイブ見てない奴がいるな』
「もう何往復かしてみましょうか」
その後メルが吊り橋を2往復する間、特に変わったことは起こらなかった。
強いて言えば強い風が吹いて橋が大きく揺れた時に、メルが怖がるどころか大はしゃぎして視聴者を少し引かせたくらいだ。
異変が起きたのは、3回目の往路の途中だった。丁度メルが吊り橋の中間に差し掛かった頃、それまでは聞こえなかった音が聞こえ始めた。
ぴちゃっ、ぴちゃっ……。
「ん、何だろこの音……水の音ですかね?」
『川の音じゃなくて?』
「多分川とは別です、川の音はずっと聞こえてるし……」
ぴちゃっ、ぴちゃっ……。
「少し近付いて来てる……?濡れてる人が歩いてるみたいな感じの音です……」
『これ出たんじゃない?』『マジ?』『嘘つけ』
「どこだろう……」
メルが辺りを見回すと、それに連動してヘッドライトの光もあちらこちらへと移動する。
するとその光の中に、唐突に人影が映り込んだ。
「わっ」
突然現れた人影に、メルは驚いて半歩後退る。
その人影は髪が長く、白っぽい服を着ていた。長い髪で顔が覆われてしまっているが、体格からして女性だと思われた。
そしてどういう訳か全身がびしょ濡れで、体のあちこちから水滴が滴っている。
メルに聞こえていた水音の正体は、びしょ濡れになった女性の足音だった。
「あの……どうかしました?」
メルはカメラを女性に向けながら、恐る恐る声を掛ける。
すると長い髪の隙間から、血走った片方の目がギロリとメルを睨み付けた。
「……てよ」
「な、何ですか?」
女性は何かを呟いたが、メルははっきりと聞き取れなかった。
次はしっかり聞き取ろうと、女性との距離を少し詰める。
その途端。
「早く落ちてよっ!!」
女性は突然激昂すると、猛然とメルに掴みかかってきた。
「きゃああっ!!」
左手で右肩を、右手で喉元を押さえつけられ、メルは欄干に叩きつけられる。
女性はそのままメルの体をぐいぐいと欄干の外側へ押し出そうとする。
「落ちてよ!!早く落ちてよっ!!」
叫んでいる通り、女性はメルを橋から落とそうとしていた。
『え、ヤバ』『なんだこの女』『危なくね?』『これ大丈夫なやつ?』
騒然とし始める配信のコメント欄。突然現れてメルに危害を加える女性に、視聴者達は困惑していた。
「くっ、離し、て……」
メルは女性の手を振り解こうとするが、女性の力は見た目からは想像できない程に強かった。
このままでは遠からず、メルは女性の手によって橋から落とされてしまう。
直感的に命の危機を感じ取ったメルは、咄嗟にスカートの中へと右手を滑り込ませた。
「離してっ!」
そうして振り抜かれたメルの右手には、刃が赤黒く染まった包丁が握られている。スカートの下、太もものホルダーに収納されたその武器を、メルは素早く取り出し反撃に用いたのだ。
包丁の刃は女性の首元を引き裂いた。
「ギャアアアアアッ!!」
女性は悲鳴を上げながら身悶えし、メルを押さえつけていた両手を離して首元を押さえた。
奇妙なことに、女性の首からは1滴の血液も零れていない。
血を流さずに苦しむ女性の姿は、女性が人間でないことをメルに理解させるには十分だった。
「やぁっ!」
裂帛の気合、と称するには些か可愛らしすぎる掛け声と共に、メルは女性に向けて包丁を突き出す。
包丁の先端は女性の無防備な左胸、普通の人間であれば心臓が収まっている位置を深く貫いた。
再び獣のような絶叫を上げる女性。するとその体がボロボロと崩れ落ち、光の粒となって消滅し始めた。
『え、殺した?』『殺人?』『いや、あの女明らかに人間じゃないだろ』『なんだあの消え方』『ガチで幽霊?』『殺人トンネルの幽霊もあんな消え方してたよな』『どうなってんの?』
盛大に混乱するコメント欄。
一方でメルは、女性の正体について確信していた。
「今の女の人……多分幽霊です。殺人トンネルで幽霊を切った時とおんなじ手応えでした」
『いや草』『幽霊の切り応え知ってる心霊ストリーマーって何だよ』『てか包丁取り出す時の動き洗練されすぎてて笑ったんだけど』『分かる。アサシンかと思った』
「今の女の人、ここで自殺した人なのかな……少なくとも、この吊り橋に幽霊が出るのは間違いないみたいです」
ぴちゃっ、ぴちゃっ……。
「……それも、何人も」
メルの周囲から、再び水が滴るような足音が聞こえ始めた。
それも1人や2人ではない。幾つもの足音が、メルが背にしている欄干以外の全ての方向から聞こえてくる。
そしてメルは、10人を超える幽霊によって包囲された。
幽霊は皆一様に白装束を身に纏い、全身がずぶ濡れの状態だった。外見年齢は20代から30代の者が最も多いが、中には中年や高齢者も混じっている。
「落ちろ……」「早く落ちろよ……」「落ちてよ……」「何やってるの……?」「ねぇ、早く落ちてよ……」「あなたも落ちなさいよ……」「落ちろ……」「落ちろよ……」「落ちろ……」「落ちろ……」
幽霊達は「落ちろ」という旨の発言を繰り返しながら、徐々に包囲網を狭めていく。
「っ、来ないで!」
メルは包丁を前に突き出し、幽霊達を牽制する。
「それ以上近付いたら、さっきの女の人みたいにするから!」
メルの脅迫の言葉に、幽霊達は足を止めてその場に立ち止まった。
しかし幽霊達がメルの隙をついて掴みかかろうと目論んでいるのは一目瞭然だ。メルはいつ幽霊達が動き出しても対応できるよう、油断なく包丁を構え続ける。
『肝試しの光景か?これが……』『こないだサスペンスドラマで同じようなシーン見たぞ』『ビルの屋上に逃げてきた犯人が追ってきた警察に取り囲まれてるみたい』『もうどっちが悪役なのか分かんねぇな』
メルと幽霊達との緊迫した睨み合いは、そのまま数分間続いた。
焦れた幽霊の内の1人が、メルに飛び掛かるような素振りを見せたその瞬間。
ザパァン!という激しい水音が、橋の下の川から聞こえてきた。
まるでクジラが海面で跳ねたような、日常生活ではまず耳にすることのない水音。その轟音にメルは思わず、川の方へと意識を向けてしまう。
「ひっ!?」
メルの喉から引き攣るような声が漏れる。
橋の真下には、巨大な怪物の姿があった。深緑色の鱗がぬらぬらと輝き、出目金のように飛び出た両目がぎょろぎょろとしきりに回転している。大きく開かれた口の中には、鋭い牙がびっしりと並んでいた。
水面に出ているのは怪物の顔だけだが、それでもその大きさは10mは下らないようにメルには思えた。
『何あれ!?』『クジラ?』『クジラにしてもデカすぎるだろ』『そもそもここ川だろ?クジラなんている訳なくね?』『じゃあなんだよあれ』『CGじゃないの?』『メルがこんなCG作れるわけない』
コメント欄では怪物の正体に関する議論が展開されるが、当然明確な解答は現れない。
「何、あれ……」
この世のものとは思えないような怪物を目にして、メルの足はガクガクと震え始める。
しかしただ怯えて震え続けることは、今のメルには許されなかった。
「さっさと落ちろよ!!」
メルを取り囲む幽霊の内、20代に見える大柄な男性がメルに飛び掛かった。
「きゃあっ!?」
男はメルの首を両手で絞め、そのままメルを欄干の外へ突き落そうとする。
メルは反射的に、男の側頭部へと包丁を突き立てた。
「ギャアアアアアッ!?」
男は聞くに堪えない断末魔を上げながら、無数の粒子となって消えていく。
だが男の幽霊の消滅を切っ掛けに、全ての幽霊が一斉にメルへと押し寄せてきた。
「来ないでっ!!」
最初に飛び掛かってきた女の幽霊の腕を、メルは身を屈めて掻い潜る。
しかしそこに老人男性の霊の腕が伸びてきて、メルは左腕を掴まれてしまった。
「触らないで!」
メルは右手の包丁を老人男性の喉元に突き立てる。
老人男性は不協和音めいた悲鳴を上げながら、ボロボロと崩壊し始める。
左腕が解放されたのも束の間、今度は中年女性の霊がメルの右腕を掴んだ。
右腕を押さえられては包丁が振るえない。万事休す……かに思われたが、メルは咄嗟に手の中で包丁を回転させて逆手に持ち替え、手首の動きだけで切っ先を中年女性の腕に突き刺した。
「落ちろ!」「落ちろよ!」「早く!」「イサナサマのところに!」「イサナサマの中に!」「落ちてよ!」「早く!」「落ちろよ!」「落ちろ!」
幽霊達は口々に怒声を上げながら、メルを押さえつけようと腕を伸ばす。
掴みかかってきた壮年男性を、メルは懐を通り抜けて回避する。そこに若い女性の霊が腕を伸ばすが、これは手首を切り付けることで退ける。大柄な男性の突進をフェイントを交えてあしらい、擦れ違い様に首元を深く切り裂いた。
10人を超える幽霊達による包囲網を、メルは紙一重で掻い潜り続けていた。
『なんだその動き』『なんでその服装でそんなに動けるの』『どんな運動神経してんだ』『神回避が過ぎる』『これもうホラーじゃなくてクライムアクションだろ』
左手のスマホで撮影される配信映像は、メルの激しい動きのためにかなり乱れている。だがそれでもメルが並々ならぬ動きで大立ち回りを演じていることは、視聴者には十分に伝わっていた。
「メル……ドッジボールは、得意だから……っ」
『理由になってない』『ドッジボールすご』『ドッジボールは命を救うんやなって』『マジかよ明日からドッジボールやります』
奮闘の甲斐あって、メルを取り囲む幽霊は少しずつ数を減らしていた。
「ちょっと、コツが分かって来たかも……」
『コツって?』『よくそんだけ動きながらしゃべる余裕あるな』
「腕とか足とか攻撃するよりも、首とか頭とか心臓とか狙った方が、殺しやすい気がする……」
『草』『めちゃくちゃ物騒で草』『幽霊に心臓あるの?』『生身の人間だったら心臓がある位置ってことでしょ』『当り前みたいに言ってるけどもう死んでる幽霊をなんで更に殺せるんだよ』『それは誰にも分からん』
生身の人間にとって急所となる場所は、幽霊にとっても弱点であるらしい。そのことに気付いたメルは、それらの致命的な部位を重点的に狙い始める。
『的確に急所狙ってるの怖いんだけど』『いよいよマジもんのアサシンじゃん』『無双ゲー始まってる?』
コメント欄の反応は、感心が半分、畏怖が半分、といった様子だった。
「なんで落ちないの!?」「早く落ちてよ!」「イサナサマに!」「イサナサマの中に!」
当初の半分以下にまで数を減らしても、幽霊達はメルを突き落とすことに固執し続ける。
しかし幽霊達の数的有利は薄れつつあり、一方のメルはより効率的な幽霊の殺し方を身に付けつつある。この時点で既に趨勢は決しつつあった。
「ふぅ~……何とかなった……」
5分後。橋の上に立っていたのは、メルただ1人だった。
『なんで何とかなってるんだよ』『強すぎて草』『これ何の配信だっけ?』『強すぎて逆に心霊系ストリーマー向いてねーよ』
「小学生の頃、いっぱいドッジボールやってたおかげかな?」
『んなわけあるか』『ドッジボール過信しすぎ』『ドッジボールには荷が重いだろ』
「もう幽霊はいなくなったし、残ってるのは……」
メルはスマホのカメラを橋の下の川に向け、自らも欄干から川を覗き込んだ。
「あのおっきいのだけかな?」
川には依然として巨大な怪物の姿があった。
「あれ、魚かな?ちょっとアンコウに似てるね」
『確かに』『そうかな?』『似てるかも』
「最初見た時はびっくりしちゃったけど、よく見ると結構キモカワかも」
『嘘だろ』『カワ要素どこ?』『キモキモだろ』
「え~、可愛いですよ~」
メルと視聴者とで分かれる見解。
「もしかして幽霊達が言ってたイサナサマって、あの魚のことかな?」
『そうかも』『そうなんじゃね?』
「イサナサマの中に落ちろ、って言ってたよね……中に落ちるって、多分食べられるってことだよね。幽霊は私をあの魚に食べさせようとしてたのかな?」
『有り得る』『でもなんでそんなことするの?』『あの魚が幽霊操ってたんじゃね?』
メルが視聴者と話している間に、怪物に動きがあった。
怪物はずっと大きく開いていた口を閉じると、激しい水飛沫を上げながら川の中へと消えていく。
「あ、いなくなっちゃった」
メルが最後に見た怪物の目は、どこか残念そうな印象を受けた。メルを食べ損ねたことを口惜しんでいるのだろうか。
「幽霊もいなくなったし、魚も帰っちゃったし。そろそろ配信も終わりにしようかな」
『えー』『もう終わり?』『寂しい』『幽霊はいなくなったんじゃなくてお前が殺し尽くしたんだろ』
メルは前髪を軽く整えてから、スマホのカメラを自分へと向ける。
「いかがだったでしょうか、第5回桜庭メルの心霊スポット探訪。今回も無事、生き残ることができました~」
『10分前に殺されかけてた奴のテンションか?これが……』
「第6回はね、近い内にまたやろうと思ってます」
『まだやるのか』『もう2回も幽霊に殺されかけてるのに』
「それでは皆さん、また次回の心霊スポット探訪でお会いしましょう!またね~」
最後にメルは可愛らしく手を振り、生配信は終了した。