大学生・黒鐘智慧理の私生活 2
「しかも桜庭さんが失ったのは失ったのは記憶だけではないわ」
泣いている2人を完全に放置し、魅影は話を進める。
「待雪さん、話してもらえるかしら」
「畏まりましたわ」
魅影に水を向けられ、今度は待雪が口を開いた。
「桜庭様が祟り神となられた後、わたくしは桜庭様のお家でずっと桜庭様のお帰りをお待ちしておりましたわ。例え祟り神になられたとしても、桜庭様はきっとお帰りになると信じておりましたもの」
再び祟り神となったメルが人間に戻る保証はなく、また転生術式を用いなければメルが人間に戻るまでには100年以上の時間が必要となる。
にもかかわらずメルの帰還を信じて待ち続けることを選んだ待雪。その忠誠心は称賛に値する。
「ですがお家に帰られた桜庭様は、部屋の中でお待ちしていたわたくしに気が付かれませんでしたわ。……いえ、気が付かれなかったのではなく、桜庭様はわたくしのことが見えていらっしゃらないご様子でしたの」
「それは……待雪さんが本来の姿だったから、ではないのですか?」
燎火がそう尋ねると、待雪は小さく頷いた。
「試しにわたくしが刀の姿に変化すると、桜庭様はわたくしの存在に気付かれましたわ。何故部屋の中に刀があるのかと訝しんでいらっしゃいましたが……」
侏珠の本来の姿は、侏珠以外の何物にも認識することはできない。故に本来の姿の待雪が気付かれないのも当然のことだ。
……相手がメルでなければ、の話だが。
「以前の桜庭様は、本来の姿の侏珠も認識なさっていましたわ。ですが記憶を失われた桜庭様には、本来の姿のわたくしのことがお見えにならなかった……」
「つまり桜庭さんは記憶と共に、幽霊や怪異を認識する能力まで失ってしまったのよ」
それは一般的には「霊感」と呼ばれるような能力だ。
メルは「桜庭メル」としての記憶と共に、霊感までをも失ってしまっていた。
「常夜見家が使役している怪異を使って色々試してみたところ、一応全ての怪異が認識できないという訳ではないようだったわ」
「刀に変化した待雪さんのことは見えていたとのことですものね」
「ええ。それから私のことも認識できるようだったわ」
魅影は人間の姿こそしているものの、その実態は怪異である。
「常夜見魅影、桜庭さんに接触したのですか!?」
「ええ、街中で道を尋ねてみたの。桜庭さんは不審に思う様子も無く私に道を教えてくれたわ。ただ幽霊みたいな物質的な肉体を持たない存在はまるで認識できていないわね」
そこまで言ったところで魅影は一旦口を閉じ、それから躊躇いがちに言葉を続ける。
「……それから、試しに私が本来の姿で接触してみたら、犬だと思われて死ぬほど撫で回されたわ」
「犬……?」
燎火が首を傾げる。
「あなたの本来の姿は、あまり犬には似ていないと思うのですが……」
「私もそう思うのだけれど、どうも桜庭さんには犬に見えるらしいわ。まあそんなことはどうでもいいのだけれど」
メルに死ぬほど撫で回された時のことを、魅影はあまり思い出したくはなかった。
「そう言えば待雪さんは、桜庭さんのお宅で暮らしていたんですよね?今はどうしているんですか?」
燎火がふと気になったことを待雪に尋ねる。
「今はサクラ様と一緒に、常夜見様のお屋敷にお世話になっています」
「えっ、サクラさんも常夜見家に?」
「ええ。今の私が迂闊にメルちゃんに近付く訳にはいかないもの」
自分と瓜二つの存在が目の前に現れれば、記憶を失った今のメルは激しく混乱するだろう。
もしくは今のサクラは分類するならば怪異に近いため、メルには認識されないかもしれない。
「纏めると、今の桜庭さんは『桜庭メル』としての記憶と霊感を失っているわ。そして私達が話し合うべきことは、どのようにして桜庭さんの失われた記憶を呼び起こすかよ」
「そのことなのですが……」
燎火が躊躇いがちに魅影への反論を口にする。
「無理に桜庭さんの記憶を戻そうとしなくてもよいのではありませんか?」
燎火のその言葉に、それまで突っ伏していた煌羅がピクリと肩を動かした。
「……それ、どういう意味?」
顔を上げた煌羅が、泣き腫らした目で燎火を睨み付ける。
「燎火ちゃん、メルちゃんの記憶が戻らなくてもいいって思ってるの!?」
「勿論桜庭さんの記憶が戻るのであれば、その方が喜ばしいとは思います。ですが桜庭さんの記憶が戻れば、桜庭さんは心霊系ストリーマーとしての活動を再開するはずです」
「それの何がいけないの!?」
「煌羅さん。私達祓道師の使命は、怪異から人々を守ること。そして桜庭さんは私達よりも遥かに強いのでつい失念してしまいますが、本来は桜庭さんも我々祓道師が守るべき対象です」
「っ……!」
息を呑む煌羅。
「桜庭さんの記憶を戻すということは、桜庭さんを再び怪異の危険に晒すということでもあります。そしてそれは祓道師の矜持に反する行いのように私には思えてしまいます。……まあ、最初に桜庭さんを殺害しようとした私に、祓道師の矜持を語る資格は無いでしょうけど」
「それは、っ……」
燎火に反論しようとする煌羅だが、続く言葉が出てこない。
煌羅には燎火の言い分にも理があるように思えてしまったのだ。
「祓道師の矜持には悪いけれど、桜庭さんの記憶を戻さないという選択肢は無いわ」
言葉に詰まる煌羅に代わり、燎火に異を唱えたのは魅影だった。
「それは何故ですか?」
「例え記憶を失っていようと、桜庭さんは死ねばまた祟り神になるからよ」
燎火の疑問に対する魅影の答えは明快だった。
「そもそも私達が祓道や怪異使いの技を桜庭さんに教えていたのは、桜庭さんの中の祟り神の力を制御できるようにするためよね?実際桜庭さんは祟り神の力を少しずつ制御できるようになっていたけれど、記憶喪失でそれらの技術も吹き飛んだわ。そんな今の桜庭さんがまた祟り神になろうものなら、もう今度こそ本当に終わるわよ、世界」
一難去ってまた一難。御伽星憂依を始末したところで、桜庭メルという特大の爆弾が存在している以上、この世界は常に滅亡と隣り合わせなのだ。
「だから本当に桜庭さんの記憶は一刻も早く蘇らせなければならないの。この世界を守るためにも。というかなんで禍津神殺してリバーサルワークス守って御伽星憂依も2度も殺したのになんでまだ世界滅亡の芽が残ってる訳!?私は後何回世界を守ればいいの!?私は世界のお母さんなの!?」
「お、落ち着いてください常夜見魅影……少なくともあなたは世界のお母さんではありませんから……」
度重なる世界の危機への心労で、魅影はおかしくなりつつあった。
「ふぅ、ふぅ……ごめんなさい、取り乱したわ。それで桜庭さんの記憶を蘇らせる方法についてだけれど……」
「何か当てはあるのですか?」
「な~んにも無いわ。記憶喪失が外傷によるものか心因性かも分からないし、そもそも私医学には詳しくないし。だから今日はブレインストーミングよ。何か思いついたことがあれば何でも言って頂戴」
「はいっ!」
「はい幾世守煌羅!」
「リバーサルワークス使うのはどう?」
「いきなり最終手段ね……けれど確実ではあるわ」
魅影は会議室に備え付けのホワイトボードに「リバーサルワークス」と走り書きをする。
「はいお姉ちゃん!」
「はい虚魄!」
「私達全員でメル様に1回ずつキスしてみるっていうのは?」
「全然意味が分からないけれど、そこまで意味が分からないと逆に効果がありそうね」
「はい」
「はい幾世守燎火!」
「祟り神の力を制御する技術を、もう1度1から教え直すというのはどうでしょう?」
「世界の滅亡を避けるための方法としてはそれもアリね」
「はい!」
「はい幾世守煌羅ぁ!」
メルの記憶を取り戻すためのブレインストーミングは、(主に精神的な疲労から平時よりハイテンションな魅影によって)殊の外盛り上がりを見せた。
「はい」
サクラがお淑やかな動作で右手を挙げる。
「はいサクラさん!」
「確か怪異使いは、自らが望む能力を持つ怪異を作り出すことができたわよね?記憶を回復させる能力を持つ怪異を作り出すことはできないかしら?」
「それは……」
魅影はブレインストーミングが始まってから初めて、真剣な表情で考え込んだ。
「……私を含めた常夜見家の怪異使いは、怪異を作り出すことは得意ではないわ。怪異の創造を得意としているのは御伽星家よ」
「では私の案は難しいかしら?」
「いいえ。私が把握している御伽星憂依の拠点から資料を浚えば、御伽星家の技術を盗むことができるかもしれないわ。少なくとも今日挙がった案の中では、1番現実的と言えるかしら」
確実性で言えば煌羅が提案した「リバーサルワークスの使用」の方が上だ。だがメル1人の記憶を元に戻すためだけに、世界の時間を丸ごと逆行させるのは、流石にやり過ぎの感が否めない。
確実性だけでなく周囲への影響なども考慮すると、「記憶を回復させる怪異の創造」が最も現実的と言えた。
「ではサクラさんの怪異創造案を採用させてもらうわ。早速家の者に御伽星憂依の拠点の調査を始めさせましょう」
「あら、他人に任せるのですか?」
燎火が意外そうに魅影に尋ねる。
「何よ、悪い?」
「いえ、勿論悪くはありませんが……あなたは何事も自ら行う性格だと思っていたので」
「まあ、本音を言えば自分でやりたいところなのだけれど……今回は他にやらないとならないことがあるのよ」
「何?メルちゃんよりも優先することがあるっていうの!?」
「桜庭さんに忘れられたことへの八つ当たりを私にするのはやめて頂戴」
「うわぁぁん!!」
狂犬の如く噛み付いてきた煌羅を、魅影はギリギリライン越えの発言によって返り討ちにした。
「それに私がやるべきことも桜庭さんに関係のあることよ。桜庭さんの警護をしないと」
「警護、ですか?」
「ええ。さっきも言ったけれど、今の桜庭さんが命を落としたら世界滅亡まっしぐらだもの。万が一にもそのようなことが起こらないように、桜庭さんの身の安全はしっかり守らないと」
「なるほど……そういうことでしたら、私と煌羅さんもお手伝いできるかと思いますが」
「そうね、基本は私が担当するつもりでいるけれど、シフトを組んであなた達にも手伝ってもらおうかしら」
その後、メルの警護のシフトを決め、この日の会議は解散となった。
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ありがとうございます
次回は金曜日辺りに更新できたらいいなぁと思っています




