裏作業:万花京 中編
「久し振りねぇ、メルちゃんに魅影ちゃん」
口を三日月のような形に歪めて笑うヤマネコ。その声は紛れもなく憂依のものだ。
「魅影ちゃん、私もあなたと同じ方法で生き返らせてもらったわぁ。折角殺してくれたのに、ごめんなさいねぇ?」
魅影と同じ方法。つまり憂依も怪異使いとして死んだ後に、怪異として蘇ったということだ。
「御伽星、さん……どうやってここに……?」
本来万花京に現れるはずのない憂依の出現に、メルは動揺を隠せない。
「まさか、常夜見家のお屋敷で開いた扉を使って……?」
メルが最初に疑ったのは、待雪が開いた扉を憂依が利用した可能性だった。
そうならないように扉を開く場所として常夜見家の屋敷を選んだ訳だが、この作戦に関しては魅影も絶対は無いと言っていた。
そして現にこうして憂依は万花京に侵入しているのだ。メルにはそうとしか考えられなかった。
「常夜見家の屋敷……?」
だがメルの質問に、憂依は心当たりが無いというように首を傾げた。
「ああ、なるほどぉ?開いた扉を私に利用されないように、常夜見家の屋敷で扉を開いたのねぇ?」
魅影が立てた作戦を即座に看破した憂依だが、それは裏を返せば憂依が魅影の想定とは別の方法で万花京に侵入したということでもあった。
「私がどうやってここに来たかですってぇ?そんなの決まってるじゃない、私が自分で万花京への扉を開いたのよぉ」
「そんなことは不可能ですわ!」
憂依の告白に対し、声を上げたのは待雪だった。
「万花京への扉を開くことができるのはわたくし達侏珠だけです!侏珠ではないあなたに開けるはずがありませんわ!」
「それはどうかしらねぇ、おチビちゃん?」
憂依のゾッとするような笑顔を向けられ、待雪は思わず半歩後退った。
「扉を開くのが必ずしも侏珠である必要は無いわぁ。要はぁ、侏珠の力を持ってさえいれば、万花京への扉は開けるのよぉ」
「っ、あなた……まさか!?」
待雪の顔が一気に青褪める。
「えっ?どういうことですか?」
メルは待雪と違い、憂依の言わんとすることがすぐには理解できなかった。
「御伽星憂依は……侏珠の力を取り込んだのよ……」
「魅影さん!?あんまり無理しない方が……」
瀕死の重傷を負っている魅影が体を起こして説明を始めたので、メルは慌てて魅影の体を支えた。
「万花京の外にも、侏珠はいるのでしょう……?御伽星憂依は現実世界で侏珠を殺め、その力を自らに取り込んだんだわ……」
待雪がメルの血を飲んで祟火への耐性を獲得したように、怪異は他の怪異の力を取り込むことで力を増すことができる場合がある。
「侏珠だけじゃないわ……あの女は怪異として蘇ってから、きっと100を超える怪異を取り込んでいるわ……」
「でっ、でも、他の怪異を取り込むのはリスクがあるんじゃ……」
怪異は他の怪異を取り込むことで力を増すことができるが、その一方で取り込んだ怪異の力が自身の力と反発して弱体化するリスクや、強力な拒絶反応によって死に至るリスクもある。
メルと待雪は魅影からそう聞いていた。
その説明を信じるのであれば、100を超える怪異を取り込むのは、メルには自殺行為に思えた。
「確かに普通の怪異なら、他の怪異を100も取り込んだらどこかで死んでしまうでしょうねぇ」
メルの疑問に答えたのは、魅影ではなく憂依だった。魅影には説明を続ける体力が残っていなかったのだ。
「けれど私は御伽星憂依、怪異の力を扱うことに最も長けた御伽星の一族よぉ。拒絶反応を防ぎながら怪異を取り込むことなんて訳ないわぁ」
「……本当に忌々しい」
魅影が残された少ない力を振り絞り、憂依に向かって毒を吐く。
「桜庭さん、気を付けて……100の怪異を取り込んだあの女の力は、きっと以前とは比べ物にならない……」
その言葉を最後に、魅影はガクッと頭を垂れて動かなくなった。
「魅影さん?魅影さん!?」
メルの呼び掛けにも魅影は応じない。
「魅影ちゃんの言う通りよぉ。今の私は、魅影ちゃんに殺された頃の私とは次元が違うわぁ」
憂依が勝ち誇るように告げる。
「祟り神じゃなくなって、弱くなったメルちゃんじゃ相手にならないかもしれないわよぉ?」
「……メルが、弱くなった?」
ギロリ、とメルは憂依に剣呑な眼差しを向ける。
「魅影さんに1回殺されて目が曇りましたか、御伽星さん?ああ、それとも……老眼ですか?」
「……はぁ?」
憂依の声が1オクターブ低くなった。
「老眼なら仕方ありませんね?だって御伽星さん……米寿ですもん」
「米寿って言ったわねぇっ!?」
瞬間、それまでの薄ら笑いが嘘のように激昂する憂依。
「今の私を怒らせたら、どうなるか教えてあげましょうかぁ!?」
「怒るならご自由にどうぞ」
メルは魅影の体を優しく地面に横たえ、祈るように両手を組み合わせる。
「メルもお友達をこんな風にされて、怒らずにはいられませんから」
「だったらそうさせてもらうわぁ!」
憂依もまた2本の前脚を拝むように合わせた。
「エルドリッチ・エマージェンス!!」
メルと憂依の声がシンクロする。
辺りに吹き荒れる暴風の中、メルは頭部に大小7つの角を戴く。
憂依の方も金色のツインテールにゴスロリ服という人間の姿を取り戻し、その側頭部に1対の捻じ曲がった角が出現した。
「待雪さん!」
「はいっ!『角端祟巫』!」
メルの呼び掛けに応じて待雪はその身を黒い刀へと変化させ、メルの右手の中に飛び込んだ。
「リバーサルワークスを手に入れる前にこの手で殺してあげるわぁ、メルちゃん!!」
「今度は魅影さんじゃなくてメルが殺してあげますよ、御伽星さん」
メルが軽く地面を蹴ると、それだけでメルの体は宝物庫の屋根を遥かに超える。
「てやああっ!」
メルは憂依目掛けて落下しながら、祟火を纏わせた待雪の刃を振り下ろす。
「素手の私に刀を使うのぉ?酷いじゃなぁい!」
ジャキッ!と憂依の左右の前腕から長い鉤爪のようなものが出現する。
「『赫雷無縫』!」
更に天女が羽衣を身に纏うように、憂依は自らの体を反霊力で覆う。
そして反霊力を帯びた憂依の鉤爪によって、待雪の刃は受け止められてしまった。
「くっ!」
攻撃を防がれたメルは屋根の上で後方へ飛び退き、一旦憂依から距離を取る。
「待雪さん、大丈夫ですか?」
反霊力に触れた待雪の身を案じるメルだが、
「はいっ、わたくしは大丈夫ですわ。祟火で守っていただきましたもの」
祟火を纏わせていた待雪は、反霊力の影響を受けていなかった。
「それにしても、正気とは思えませんね……」
全身に反霊力を纏った憂依の姿に、メルは1筋の冷や汗を流す。
あらゆる霊力を消失させる反霊力を肉体に纏う行為は、1歩間違えれば自らの肉体を瞬く間に消失させてしまう自殺行為だ。
「やっぱり御伽星さん、穢術に関しては化け物ですね……」
憂依が反霊力を全身に纏って尚肉体を保つことができるのは、憂依が卓越した穢術の使い手であるからに他ならない。
穢術に関しては魅影をも凌ぐ技量を持つ憂依でなければ、『赫雷無縫』は使えないのだ。
「今の私はぁ、穢術以外も化け物よぉ!」
憂依が高らかに叫ぶと同時に、憂依の右腕がばらりと解けるように裂けた。
そして解けた腕の筋繊維が複数の黒い触手に変化したかと思うと、それらの触手が一斉にメルへと襲い掛かってきた。
「ひゃあっ!?」
憂依の腕が変化した触手は、その全てが反霊力を纏っている。少しでも掠ればそれだけで致命傷になりかねない。
メルは襲い来る触手を慎重に待雪で弾き返す。
「この触手もしかして……!?」
「はい……侏珠の変化能力に違いありませんわ!」
侏珠を取り込んだ憂依は、その変化能力を使うことができる。この触手もその変化能力を応用して作り出したに違いなかった。
「使えるのは侏珠の力だけじゃないわよぉ!」
触手に変化していた憂依の右腕が、元の鉤爪を備えた腕へと戻る。
かと思うと次の瞬間、メルの視界から憂依の姿が消えた。
「っ!?」
メルは咄嗟に背後に向けて待雪を振るう。
「あらぁ?よく気が付いたわねぇ!」
いつの間にかメルの背後に移動していた憂依が、待雪の刃を鉤爪で防いだ。
憂依が背後に回り込む動きを、メルの動体視力は全く捉えることができなかった。
「高速移動……いえ、もしかして瞬間移動……?」
「正解は2つ目よぉ!」
再び憂依の姿が消える。
メルが直感的に待雪を頭上で構えると、直後にガキンッと金属音が響いた。
見上げると振り下ろされた憂依の鉤爪が、待雪の刀身で食い止められていた。
「2回目も防げるなんて、メルちゃんは運がいいのねぇ?」
「運じゃないです。メルが御伽星さんより強いんですよ」
「その憎まれ口がいつまで続くかしらぁ!?」
憂依が鉤爪と瞬間移動を駆使しながらメルへと猛攻を仕掛ける。
憂依の瞬間移動には予備動作が無く、移動先を察知することもできない。
完全に予測不可能であるはずの憂依の攻撃を、しかしメルは的確に弾き返し続けた。
「……流石ねぇ?メルちゃん?」
打ち合いの回数が100回を超えた辺りで、憂依が苛立ちを見せ始める。
「どうして私の攻撃の位置が分かるのかしらぁ?これでも死角から攻撃しているつもりなのだけれどぉ?」
「別に。見えなくても分かることもあるってだけです」
いくら憂依がメルの死角から攻撃を仕掛けようとも、その動きには必ず空気の流れが生じる。
そしてその空気の変化を、メルは肌で敏感に感じ取ることができるため、メルは視界の外からの攻撃も手に取るように察知することができるのだ。
「なるほどぉ……瞬間移動だけじゃ通用しないってワケねぇ……?」
「降参するなら命までは取らないであげてもいいですけど?」
「冗談じゃないわぁ!瞬間移動が通用しないならぁ、他の力を使うだけよぉ!」
憂依が両腕を広げると、背中から巨大な黒いマントのようなものが出現した。
「あっ、カッコいい」
マントの意匠に思わず心奪われかけるメル。
「瞬間移動が通じないならぁ……次は物量で攻めてあげるわぁ!」
憂依がペロリと舌を出し、その表面に紫色の幾何学的な紋様が浮かび上がる。
「いらっしゃぁい!『スカルブリゲート』!」
憂依の声に合わせてマントの裏地に舌のものと同じ紋様が出現し、そこから影が飛び出してくる。
「ひゃっ!?」
メルがバックステップで退避しながら目を凝らすと、影の正体は無数の黒い髑髏だった。
「さあ行きなさい!私の可愛い可愛いしもべちゃん達ぃ!」
憂依の合図と共に、髑髏の軍勢が一斉にメルへと殺到する。
「怪異の召喚!?でも万花京では召喚術は使えないはずじゃ……」
「それは万花京の外から召喚する場合の話でしょぉ?この子達は私の体の中に仕舞っておいたのを取り出しただけだものぉ」
体内に使役している怪異を格納する。それもまた憂依が取り込んだ怪異から獲得した能力なのだろう。
「てやっ!」
10体ほどの徒党を組んで襲ってきた髑髏の集団に向けて、メルは祟火を纏わせた待雪を振るう。
「……えっ!?」
メルは10体の髑髏全てを消し飛ばすつもりだったが、実際にその一撃で消し飛んだ髑髏は2体だけだった。残りの8体も体が半壊するほどの重篤なダメージを受けてはいるが、それでも活動停止には至っていない。
「あっははは!その子達頑丈でしょぉ?幽霊に私の力を混ぜ込んで作った特別製だものぉ!」
勝ち誇るように高笑いを上げる憂依。
「へぇ、そうなんですか?」
だが憂依の言葉を聞いて、メルはむしろニヤリと口角を上げた。
「いいこと聞きました」
メルが最も近くにいた髑髏を、左手でガシッと鷲掴みにする。
「この髑髏は幽霊からできてるんですよね?だったら……」
左手の中で、黒い髑髏が徐々に青白い球体のようなものへと変化していく。
メルはその青白い球体を、自らへと殺到する髑髏の軍勢へと突き出した。
「マレフィックブラスター!」
そして青白い球体から、網膜を焼くような眩い光線が放たれた。
光線は髑髏の軍勢の一角を貫き、光線に飲み込まれた髑髏達は跡形も無く消滅する。
「なっ!?」
憂依が驚きで目を見開く。
「何よその技はぁ……!?」
「あれ、分かりませんか?怪異使いの技に同じようなのがあったと思いますけど」
マレフィックブラスター。それは幽霊の魂を消費して攻撃力へと転化する技で、元々はメルティーズの一員である桜庭メル・クローラの能力である。
だがメルティーズが持つ能力の大半が個人に由来する言わば「才能」であるのに対して、マレフィックブラスターはメルティーズの中では珍しく純然たる「技術」によって為される技だ。
故に修練を積むことで、クローラでなくともマレフィックブラスターを習得することができるのだ。
「まさか『可惜御霊』……?いえ、でもあれは自爆技のはずよぉ……」
憂依が混乱している間に、メルはまた別の骸骨を鷲掴みにする。
「マレフィックブラスター!」
そして今度は髑髏の軍勢ではなく憂依を狙って眩い光線を放った。
「っ、きゃああっ!?」
不意を突かれた憂依は回避が間に合わず、マレフィックブラスターが直撃する。
「いっ……たぁい!」
頭部を狙った光線を憂依は咄嗟に右腕で防ぎ、結果憂依の右腕には重度の熱傷のような傷が刻まれていた。
「直撃してもその程度ですか……」
憂依が受けたダメージを見て、メルは顔を顰める。
本来マレフィックブラスターは、人体が原形を保てない程の威力を秘めている。にもかかわらず憂依の傷が重度の熱傷程度で済んでいるのは、ひとえに憂依が纏う『赫雷無縫』のせいだ。
反霊力と接触したマレフィックブラスターは著しく減衰し、本来の威力の10分の1も発揮することができなかった。
「よくもやってくれたわねぇ……!?」
怒りを込めた瞳でメルを睨む憂依。すると右腕の傷口から、ボコボコと黒い泡のようなものが立ち始めた。
「けどざぁんねん。これくらいの傷、今の私なら簡単に治っちゃうのよねぇ」
まるで食器の汚れをスポンジで洗い落とすように、熱傷に似た傷が呆気なく消えてなくなる。
「……マレフィックブラスターはダメですね」
『赫雷無縫』で威力が減衰され、ダメージを与えても瞬時に回復される。
マレフィックブラスターは憂依には有効とは言えなかった。
「けど……」
だがそれはあくまでも憂依に対しての話。憂依の取り巻きである髑髏の軍勢に対しては話は別だ。
メルは近くの髑髏を掴み、3回目のマレフィックブラスターを放つ。
その一撃によって、髑髏の軍勢はほぼ全滅した。
「あ~あ、あっさりお片付けしてくれちゃってぇ……折角沢山用意したのに、嫌になっちゃうわ」
「嫌になるのはこっちの方です。体の形を好きに変えられて、瞬間移動ができて、体の中に怪異を仕舞えて、怪我を一瞬で治せて……もう何でもアリじゃないですか」
「あっははは!まだまだあるわよぉ!」
ヒュオオオ……と。
憂依の体を中心として風が吹き始めた。
最初は微風のようだった風力は次第に強さを増し、やがて台風のような強風となった。
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