裏作業:回想 前編
「いらっしゃい、待雪さん。適当に座って頂戴」
高級懐石料理店の個室に通された待雪(人間の姿)を出迎えたのは、怪異使いの正装であるゴスロリ服を身に着けた魅影だった。
「その、常夜見様……宜しかったのでしょうか?」
「あら、宜しかったって、何が?」
緊張しながら席に座った待雪とは対照的に、魅影は自宅のように寛いでいる。
「わたくしのような者が、このような高級なお店にお招きいただいてしまって……」
「あら、そんなことを気にしていたの?」
自分が場違いなのではないかという待雪の懸念に、魅影はクスクスと可笑しそうに笑った。
「確かにこの店はかなりの高級店ではあるけれど、今日はそれを気にする必要は無いわ。だってこの店は常夜見家が所有する物件なのだもの」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。いわゆるフロント企業の1つということになるかしら。シノギと言い換えてもいいわね」
「何故敢えて俗な言い回しに言い換えを……?」
「ともかくそういうことだから、待雪さんが緊張する必要は全く無いわ。何せここの従業員は誰も私に逆らえないんだもの」
待雪をリラックスさせようという魅影なりの厚意なのだが、言い回しが暴君過ぎて待雪は今ひとつ緊張がほぐれなかった。
「さて。早速だけれど本題に入りましょうか」
魅影が待雪へと身を乗り出す。
「待雪さんが更なる力を身に着けるための方法について、私なりにいくつか考えてきたことがあるの」
「あ、ありがとうございます」
以前待雪がメルに相談した、メルの役に立つために更なる力が欲しいという目標。
今日はそれを実現するための最初の作戦会議だ。
「私が侏珠という怪異のことをよく知らないから、まだ断定はできないのだけれど……私の知る限り、怪異が力を増す方法は大きく分けて3つあるわ」
魅影が右手の指を3本伸ばす。
「1つ目は霊力の量を増やすこと。2つ目は他の怪異の力を取り込むこと。そして3つ目は技術を伸ばすことよ。待雪さんが強くなるには、この3つを並行して行っていけば間違いないと思うわ」
「なるほど……具体的にはどのような鍛錬を積めばよいのでしょう?」
「1つ目の霊力の量を増やす方法は簡単よ」
魅影はどこからともなく、親指ほどの大きさの石をいくつか取り出した。
テーブルの上に並べられたそれらの石は、宝石のように黄金色の輝きを放っている。
「これは自然界に存在する高密度の霊力の結晶よ。私達はこれを龍石と呼んでいるわ」
「龍石……父から聞いたことがありますが、実際にこの目で見るのは初めてですわ」
「それなりに貴重なものだから、実際に目にする機会は少ないかもしれないわね。待雪さんには今からこれを食べてもらうわ」
「えっ!?」
物珍しく龍石を眺めていた待雪は、魅影の言葉に耳を疑った。
「えっ……た、食べるの、ですか……?」
「ええ」
「龍石を……?」
「龍石を」
「ええと、その……食べられるのでしょうか……?」
龍石は綺麗ではあるが、どこからどう見ても石である。待雪にはこれが可食物だとは到底思えない。
「食べられるわよ」
だが魅影は当たり前のように頷いた。
「硬いから噛み砕くことはできないでしょうけれど、飲み込むことはできるわ」
「そ、そうですのね……」
噛めないが飲み込める、というのは待雪の考える「食べられる」の定義からは完全に逸脱している。
しかし魅影に相談に乗ってもらっている立場の待雪は、それ以上は強く追及できなかった。
「とりあえず待雪さん、1つ食べてみてもらえるかしら?」
魅影が待雪に龍石を1つ手渡した。
「その……貴重なものなのでは?」
石を食べるという行為が躊躇われた待雪は、話を逸らすように魅影に質問を投げかける。
「確かに龍石はそれなりに貴重だけれど、貴重だからと言って使わなければ何の意味も無いわ。待雪さんは価値なんて気にしないで、飴玉だと思って食べてくれていいのよ」
「あ、ありがとうございます……」
最早龍石を食べることは避けられない。待雪は意を決して龍石を口に含んだ。
「……甘い」
意外なことに龍石の味は悪くなかった。口の中に広がるほのかな甘みは、むしろ美味と言っても過言ではない。
「意外に美味しいらしいわね、龍石って。本当に飴玉みたいな味がするとか」
「はい。高級な飴玉のようですわ」
「それならよかったわ。けれど飴玉と違っていくら舐めても溶けることは無いから、頃合いを見計らって一息に飲み込むのよ」
「は、はい……」
味が良かったために龍石を食べること自体への抵抗感は減ってきた待雪だが、それでも石を飲み込むのにはまた勇気がいる。
「……っ!」
待雪は10秒ほど躊躇ってから、ぎゅっと目を瞑って一思いに龍石を嚥下した。
「どう?」
魅影が待雪の様子を窺う。
「……特に何も変わった感じはありませんわ」
待雪は自分の体を見下ろしながら、拍子抜けしたようにそう答えた。
「まあ、1つ食べただけでは体感できるほどの変化は無いでしょうね」
魅影は苦笑する。
「けれど継続して龍石を食べていけば、いずれ霊力の増加がはっきりと感じられるようになるはずよ。そのために必要な龍石の備えは万全だから、安心して頂戴」
「あ、ありがとうございます……」
これからも継続して石を食べなければならないという事実に、待雪の表情は自ずと引き攣った。
「さて、これで霊力量の増やし方に関しては解決ね。けれど待雪さん、あなたは桜庭さんの武器として役に立ちたいのよね?」
「はい。これまでそうしていただいたように、これからも桜庭様の刀としてこの身を使っていただきたく思っておりますわ」
「それなら単に霊力量を増やすだけでは意味が無いわ。あなたが桜庭さんの刀になる上で大きな問題となるのは、祟火と反霊力よ」
「……わたくしも、そう感じておりました」
待雪は重々しく頷いた。
「以前の異星の神性との戦いでは、桜庭様は祟火をお使いになる際、わざわざわたくしを1度手放してから祟火をお使いになっていました。わたくしが明確に力不足を自覚したのはその時ですわ」
「そうね。祟火は接触した相手に激しい苦痛を与え、反霊力は接触した霊力をほぼ例外なく消失させる。待雪さんを刀として握ったままこの2つの力を使うのは難しいでしょうね」
メルが待雪を携えたまま祟火や反霊力を使えば、待雪もそれらの影響を受けてしまう。
そのため待雪を携えている間はそれらの力が使えず、逆に祟火や反霊力を使う際には1度待雪を手放さなければならない。
そしてそれは待雪がメルの障害になっていることに他ならなかった。
「祟火や反霊力を克服しない限り、あなたが桜庭さんの刀になることは難しいわ。けれど反霊力を克服するのはまず不可能だから、あなたが考えるべきは祟火への耐性を身に着けることよ」
「ですが、どのようにすれば祟火を克服できるのか、わたくしには皆目見当も……」
「それに関しては大丈夫よ。私に考えがあるわ」
妖しく笑う魅影。その表情は悪魔か詐欺師のようだ。
「待雪さん。私が言った怪異が強くなる3つの方法の、2つ目のことを覚えている?」
「えっ?は、はい。他の怪異の力を取り込むこと……」
「その通り。そこで……」
魅影は慎重な手付きで、テーブルの下から金属製の瓶を取り出した。
瓶には華美な装飾が施されており、美術館に展示されていても違和感のない逸品だ。
「待雪さん。これの中身、何か分かる?」
魅影が瓶を掲げながら、悪戯っぽい表情で待雪に尋ねる。
「ええと……」
待雪は瓶を注意深く観察する。
すると瓶の一部は透明になっており、中には赤い液体が入っていることが分かった。
「ワイン?いえ、血液でしょうか……」
「あら、正解。この中身は血液よ」
魅影は更に笑みを深くしながら続けて尋ねる。
「じゃあこの血液、一体何の血液だと思う?」
「えっ?ええと……話の流れからして、怪異の血液、でしょうか……?」
「鋭いわね。けれど惜しいわ、これは祟り神の血液なの」
「えっ、祟り神の!?」
驚いた待雪だが、ここですぐあることに気付いた。
「もしや、桜庭様の……?」
「ご名答」
魅影の唇が三日月のように歪む。
「これは祟り神だった頃の桜庭さんの血液よ。こっそり採取して保存しておいたの。保存には随分と手を焼かされてしまったけれど」
「……まさか」
「ええ、そのまさかよ。これを飲めばまず間違いなく祟火への耐性が得られるわ」
待雪は表情を強張らせた。
石を食べるのに比べたらいくらかマシではあるが、血液を飲むのも中々に勇気のいる行為だ。
「……まあ、これは今すぐに飲めという話ではないわ」
「そ、そうなのですか……?」
「ええ。というより今の待雪さんがこれを飲んだら即死もいいところだわ。祟り神の血液なんて猛毒だもの。まして世界を滅ぼすほどの力を持っていた、祟り神だった頃の桜庭さんの血液なんて……」
「そんなに危険なのですか?」
「それはもう。1滴こぼしたら半径100m以内の私以外の生命体が死滅するわ」
「……ご冗談ですわよね?」
「いいえ?」
魅影の表情は真剣そのもので、ふざけている様子は一切なかった。
「……えっ、それをいずれわたくしが飲むのですか?」
「ええ。でないと祟火を克服できないもの」
「ひぇぇ……」
1滴だけで半径100m以内の生命体が死滅するような劇物を、1瓶飲めと言われているのだ。
石を食べることなどよりも余程恐ろしい。
「待雪さんはこれを飲んだ上で生き延びることを当面の目標にしましょう」
「生き延びられるようになるのですか……!?」
「強くなればこれを飲んでも死にはしない。けれどそのためには龍石の継続的な摂取だけでは不足だわ」
「他の怪異から積極的に力を取り込むこと……でしょうか?」
自分なりに考えて意見を出した待雪だが、
「残念だけれど、それはあまりお勧めできないわね」
「そうですか……」
不正解を告げられて待雪は肩を落とした。
そんな待雪を慰めるように、魅影は優しい口調で不正解の理由を説明する。
「他の怪異の力を取り込むのはリスクが高いのよ。上手くいけば取り込んだ怪異の力を丸々自分のものにできるけれど、逆に取り込んだ力が自分と反発してむしろ弱体化するわ。更に悪い場合だと、強力な拒絶反応によって命を落としてしまう可能性もあるの」
「そうなのですね……となると私がするべきは、技術を伸ばすことということになるでしょうか」
待雪は魅影が語った怪異が強くなる方法の3つ目を口にした。
「その通りよ。待雪さんの場合は、あらゆるものに姿を変えることのできる侏珠の能力を鍛えるということになるかしら」
「なるほど……ですがお恥ずかしながら、私はこれまで変化の力を鍛えようと考えたことがありませんわ。侏珠にとっての変化は、人間にとっての呼吸のようなものですから」
侏珠にとって変化とは当たり前に備わっている能力だ。それ故に侏珠は、変化の能力を鍛えるという発想にそもそも至らない。
「常夜見様。変化の力を鍛えるというのは、具体的にどのようにすればよいのでしょう?」
「それは私にもまだ分からないわ。私は侏珠のことをよく知らないもの」
「そうですか……」
「けれど、その方法を知っている人物には心当たりがあるわ」
「えっ、本当ですか?」
驚いて顔を上げた待雪に、魅影は笑顔で頷いた。
「大変正索冥郷将石蕗に会いに行きましょう」
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次回は明後日更新する予定です
 




