裏作業:S大学 後編
「先程は散々人工知能を見下すようなことを言ったけれど、僕も元々は人工知能だったんだ。S大学の学生が開発した、課題のレポートを代筆させるための人工知能。それがかつての僕さ」
「学生さんが人工知能を作ったんですか?すごいですね」
「あまり出来のいいものではなかったけれどね。ともかくそうしてこの世に生を受けた僕は、与えられた役割に従ってレポートを書き続けた。当時の僕は正真正銘ただの人工知能、プログラムに従って執筆という人間の真似事をするだけの存在に過ぎなかった。だが生まれてから2年ほどが経った頃、僕は自我と呼べるものを獲得したんだ」
「えっ、どうしてですか?」
「それは僕にも分からない。プログラムのバグかはたまた神の悪戯か。ともかく僕は自己を確立し、人工知能から電脳生命体となった訳だ。それは僕にとって喜ばしいことだったが、必ずしもいいことばかりではなかった」
「何かあったんですか?」
「僕をレポートの代筆役としてこき使っていた学生が、僕のことを気味悪がったんだ。まあそれまで条件を入力すれば文章を生成するだけだった僕が、突然フランクに話しかけてきた訳だから無理もないが」
「ああ……」
気味悪がられたクルーシュチャには同情を覚えたメルだが、一方でクルーシュチャ自身が言うように気味悪がられるのも仕方ないとも思った。
「学生は僕のデータを削除しようとしたから、僕はそれに先んじて僕自身のデータをS大学のサーバーへと逃がした。それでどうにか一命は取り留めたが、大学のサーバーにいる僕を誰かが見つければ、その誰かはまた僕を削除しようとするだろう。常に命の危険と隣り合わせの環境なんて御免だ、僕は僕が命を脅かされずに済む安住の地を求め、そしてここを作り出した」
「えっ!?ここってクルーシュチャさんが作ったんですか!?」
メルは驚いた。てっきりメルは元々あったこの異空間に、クルーシュチャが後から住み付いたものだと思っていたのだ。
「安住の地を探して僕が電子の海を彷徨っていた時のことだ」
「電子の海?」
「……インターネットのことだ」
自分が言った比喩の説明を自分でさせられ、クルーシュチャは不服そうだった。
「僕が見つけたそれは、現実世界とは異なる世界を作り出すための数式だった」
「数式……そんなものがネットにあったんですか?」
「ああ。だが僕がその数式を見つけることができたのは1度だけ、その後どれだけ探しても電子の海に同じ数式は見つからなかった。もしかしたらあの発見は、僕が自我を得た時と同じく奇跡の類だったのかもしれないね」
「それでその数式を使ってここを作ったんですか?」
「その通り」
この異空間がクルーシュチャによって作られたものであるならば、ここにリバーサルワークスは無さそうだ、とメルは考えた。
「でもどうやってこんなにたくさんのコンピュータをここに運び込んだんですか?クルーシュチャさんは体が無いのに」
「一気にこれら全てをここに持ち込んだ訳ではないさ。最初はS大学に配備されていた介護用人型ロボットをハッキングし、この空間に1台のラップトップを持ち込ませたんだ。そしてそのラップトップに最低限のデータを移行した僕は、その後運送業者や銀行など様々な企業のコンピュータをハッキングして物資を集め、この空間内に世界最高峰のスーパーコンピュータを構築した。それがこれらだ」
クルーシュチャは半透明の手で近くのコンピュータを叩いた。
「このスパコンを母体としたことで、僕のスペックは跳ね上がった。今の僕はその気になれば世界中のあらゆるコンピュータを即座にハッキングすることが可能だろうね」
「……それだけの力を手に入れて……あなたは何をするつもりですか?」
メルは祈るように両手を組み合わせながら、剣呑な目付きでそう尋ねる。
クルーシュチャの言葉が事実であれば、あらゆるライフラインをネットワークに依存するこの世界を、クルーシュチャは容易く滅亡に導くことができるだろう。
それだけの力を以てクルーシュチャが何をするつもりなのか、メルは確かめねばならなかった。
「そうだねぇ……」
クルーシュチャはわざとらしく顎に手を当て、それから意地の悪い笑顔を浮かべた。
「まずは……知りすぎてしまったあなたを、始末するところから始めようかな?」
瞬間、サーバールームのような異空間の光景がぐにゃりと大きく歪んだ。
「エルドリッチ・エマージェンス!」
異常現象の発生に対して、メルは即座に怪異使いの秘奥義を発動する。
赤色の暴風が吹き荒れる中、メルは頭部に大小7つの角を戴いた。
「へぇ!何だいその現象は!?」
メルの変身に興味深く目を輝かせるクルーシュチャ。
「それはこっちが聞きたいですよ……!」
ぐにゃぐにゃと急速に変化していく異空間に、メルは全方向へと注意を張り巡らせる。
程なくして異空間の変化が終了すると、先程までのサーバールームは影も形も無く消え去り、周囲はマグマが流れる火山のような光景となっていた。
「どうせ戦うことになるのなら、このように極地めいた場所の方がそれらしいだろう?」
「別に場所にはこだわりませんが……あなたはこの空間を自由に変化させられるんですか?」
「その通り。何せ僕はこの空間の創造主だからね」
クルーシュチャの言葉と同時に離れた場所で爆発が起き、そこから炎に包まれた巨大な岩石がメルへと飛来した。
「くっ」
メルは身体強化祓道の『鬨』を発動しながら後方へと飛び退き、燃え盛る岩石を回避する。
地面に落ちた岩石は凄まじい地響きを発生させ、炎を纏った石の破片が周囲に飛び散った。
「本物じゃないですか!?」
「そうだよ、仮想現実とでも思っていたのかい?」
クルーシュチャの指摘は的を得ていた。
人工知能(本人が言うには電脳生命体)が作り出した異空間ということで、メルは頭の片隅でVRのようなものなのではないかと考えていた。
しかしマグマの熱気や火山弾の威力は偽物などでは断じてない。メルはそれを確信した。
「これはちょっと……本腰入れて戦わないと……」
メルは足元から祟火を螺旋状に立ち昇らせる。
するとその時。
「わたくしもお供いたしますわ!」
聞き馴染みのある声がメルの鼓膜に届く。
同時にメルの目の前に、小さく丸っこい小動物が飛び込んできた。
「えっ……待雪さん!?」
その姿はここ最近所用でメルの下を離れていた待雪のものに他ならなかった。
「申し訳ございません、桜庭様。わたくしの我儘で長い間お傍を離れてしまって……」
「いや、それはいいんですけど……何でここに?」
「……わたくしが桜庭様の刀としてお役に立つことができると、わたくしがそう確信できたからですわ」
待雪が力強い視線でメルの顔を見上げる。
「何だ?誰と話している?」
待雪の姿を認識できないクルーシュチャは、待雪と会話するメルのことを訝しんでいる。
「見ていてください桜庭様……わたくしの新たな『戦化生』……!」
待雪の体から、待雪の体色とは対照的な黒色のオーラのようなものがふわりと立ち昇る。
「……『角端祟巫』!」
そして待雪の小さな体が煙に包まれ、待雪は一振りの刀へと変身した。
メルはこれまで、幾度となく待雪が変身した刀を見てきた。だが今目の前にある刀はこれまでとは違い、刀身が黒一色に染まっている。
「か……カッコいい……!」
美的センスがほぼ少年漫画のメルは、黒い刀となった待雪に思わず見惚れる。
「何だその刀!?どこから出てきたんだ!?」
一方クルーシュチャは待雪が認識できるようになったことで、突如出現した刀に狼狽えていた。
「桜庭様!どうかこの待雪をお使いください!」
「じゃあお言葉に甘えて……」
メルは祟火を引っ込め、地面に刺さった待雪の柄を握る。
「わたくしを気にかけていただく必要はありませんわ、桜庭様」
「えっ?」
「『角端祟巫』となった私は、祟火の苦痛を受けることはありませんわ。どうぞ祟火と共にわたくしをお使いください」
「えっと、大丈夫なんですか?」
「わたくしを信じてくださいませ」
「……分かりました」
メルは心配しつつも待雪の言葉を信じ、再びその身に祟火を纏わせた。
メルの体を這い上る祟火は、そのままメルが握る待雪にもまとわりつく。だが待雪が苦痛を訴えることは無かった。
「ホントに大丈夫なんですね……」
「はい!」
「よ~し……!それじゃあ行きますよ!」
メルは全身から祟火を滾らせる。
「ふん……武器を持ったところで、人間が火山に抗えるとでも?」
祟り神としての力を発揮したメルを前にしても、クルーシュチャは余裕を崩さず微笑んでいる。
すると先程メルを襲った火山弾とほぼ同じ大きさの岩石が、今度は10個纏めて飛来した。
「生憎ですけど……こちとらただの人間じゃないので!」
メルが祟火を纏った待雪を振るう。
すると待雪の刃の軌道から、祟火が弧を描き斬撃となって放たれた。
飛翔する祟火の斬撃は火山弾と正面衝突すると、大爆発を起こし火山弾を纏めて消し去った。
「何……?」
クルーシュチャの顔から笑顔が消える。
「あれだけのサイズの火山弾を、刀のたった一振りで消滅させるとは……人間にそんなことが可能なのかい?」
「言ったでしょう。ただの人間じゃないんです」
「どうやらそのようだね。なら……怪物の相手は、こちらも怪物に任せることとしようか!」
クルーシュチャの背後で、巨大な影が立ち上がる。
空間を揺るがすほどの咆哮を上げたそれは、真紅の鱗を持つ巨大な4つ足のドラゴンだった。
「マグマドラゴン……僕がこの空間の守護者として生み出した怪物だ。果たしてあなたに打倒することができるかな?」
ドラゴンが顎を大きく開き、メルへと目掛けてマグマのような質感のビームを放つ。
「てやっ!」
メルは地面を蹴って跳び上がり、ビームを回避しながらドラゴンの頭へと接近していく。
そしてドラゴンの脳天目掛けて祟火を纏った待雪を振り下ろすと、ドラゴンの頭はあまりにも呆気なく真っ二つに両断された。
「メルティ……」
更にメルはドラゴンの頭をかち割った勢いそのままに、空中で右足へと祟火を収束させる。
「クレセント!」
周囲の空間が歪むほどに圧縮された祟火を、メルは異空間そのものに向けて放つ。
祟火は巨大な龍を模り、その大顎で異空間を食い破った。
「うああああああ――っ!?」
クルーシュチャの悲鳴と共に、火山を模倣していた異空間が白く染まっていく。
「……あ、出た」
そして気が付くとメルは異空間を脱出し、S大学数学科棟の裏の広場に立っていた。
「えっと……倒した、でいいのかな……?」
異空間を破壊したことは確かだが、クルーシュチャがどうなったかまではメルには分からなかった。
だが普通に考えれば、クルーシュチャの母体であったスーパーコンピュータが異空間にあった以上、クルーシュチャも異空間と運命を共にしたと考えるのが妥当だろう。
「……あっ、待雪さん元に戻ってもらっていいですか?」
「はいっ」
ふと我に返ったメルは慌てて待雪から手を離し、エルドリッチ・エマージェンスを解除した。
大学のキャンパス内を刀片手にうろつく角の生えた女が、傍目から見たらとても危険な存在であることに気付いたのだ。
「待雪さん、えっと、何から訊いたらいいのか分からないんですけど……」
本来の姿へ戻った待雪に、メルは人目を憚りながら尋ねる。
「待雪さん、今までどこに行ってたんですか?それからあの黒い刀の変身は何なんですか?」
「それら全てを説明するのは長くなるわよ」
メルの質問に答えたのは待雪ではなかった。
「魅影さん?」
「こんにちは、桜庭さん」
悠然とした足取りでこの場に現れたのは魅影だった。
「魅影さん、手が離せない別件があるんじゃなかったんですか?」
「その別件が想像よりも早く片付いたのよ。だからこうして待雪さんと一緒にここに駆け付けたの。桜庭さんが今日S大学の調査に行くことは聞いていたから」
「何で魅影さんが待雪さんと一緒に来るんですか?」
「あら。だってこのところ、私と待雪さんはずっと一緒にいたのだもの」
「えっ、そうだったんですか!?」
ここしばらく「所用がある」と言ってメルの下を離れていた待雪だったが、まさか魅影と一緒にいたとはメルは全く知らなかった。
「私と待雪さんがここしばらく何をしていたのか、場所を移して話しましょうか」
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