第36回桜庭メルの心霊スポット探訪:旧姫守家私有地 後編
「虚魄さん、止まってください」
不意にメルが虚魄の前に腕を差し出し、進もうとする虚魄を制止する。
「メル様?どうかなさいましたか?」
「先手必勝、ですっ!」
首を傾げる虚魄の質問に、答えになっていない答えを口にしながら、メルは待雪を構える。
「……てやぁっ!」
待雪を横薙ぎに振るうと同時に血飛沫が上がり、上下真っ二つになった虎人間が地面に倒れ込んだ。
「怪異!?いつの間に……」
「不意打ちを仕掛けようとしてる気配がしたので、先に斬っておきました」
「先に斬っておきました、って……」
『無茶苦茶なこと言ってる』
戦闘職種でない虚魄には、虎人間の速度を認識することができない。一方のメルはというと、1度戦闘を行ったことで虎人間の速度に完全に適応していた。
「この怪異、1体だけじゃなかったんですね」
「この異空間に、守護者として配置されているのかもしれません」
「警備員ってことですか?だったら何体もいてもおかしくないですね」
虎人間がこの異空間における守護者の役割を務めているのなら、数は多いに越したことは無い。
今しがたメルが殺した2体目で打ち止め、ということは恐らく無いだろう。
「虚魄さん。また怪異が不意打ちしてくるかもしれないですから、なるべくメルから離れないでくださいね」
「ひゃ、ひゃいっ!」
声を裏返らせ、顔を真っ赤にしながら、虚魄はメルにピッタリと寄り添った。
少し歩きづらいが、これだけ密着していれば確実に虚魄を守ることができる。
「あっ、また来てますね~」
「グァッ……」
『敵が画面に映った時にはもう死んでるんだけど』『刀振る速度が速すぎて見えない』『さっきコマ送りしてみたけどそれでも刀振ってる手見えなかったぞ』
その後も何度かメル達は虎人間の襲撃を受けたが、全てメルが容易く迎撃して見せた。
虚魄や視聴者達の目に虎人間が映る頃には、虎人間は既にメルに真っ二つにされている。
「コツは怪異の気配を感じたら、タイミングを合わせて刀を振ることですね~。ちょっとリズムゲームに近いかも」
『近くねぇだろ絶対』『ゲーム感覚でやってんなよ』
そんなこんなで時折襲い来る虎人間を返り討ちにしつつ進み、異空間に侵入してからおよそ30分が経過した頃。
それまで代り映えのしない石造りの通路が続いていた異空間内の景色に、ようやく変化が訪れた。
「あれは……穴でしょうか?」
「すっごくおっきいですね~!」
メル達の目の前に現れたのは、直径が50mを超える巨大な穴だった。
「深~い……」
試しに穴を覗き込んでみると、暗さと深さが相まって、メルの視力でも底は見えない。
そして穴の壁面には、足場になりそうな石の突起が階段のように螺旋状に設置されていた。
「あの足場を渡って降りろ、ということでしょうか……」
「ん~、でもちょっと面倒ですよね~……虚魄さん、ちょっとお姫様抱っこしてもいいですか?」
「はい!?」
驚いて張り上げた虚魄の声が、深い穴に木霊した。
「ダメですか!?」
「あ、や、ダメだなんてことはなくて、むしろこちらからお願いしたいくらいで、ああでもいきなりだと心の準備が……」
「ありがとうございます、じゃやりますね~」
「ひゃあああっ!?」
まるでぬいぐるみでも持ち上げるかのように、メルが虚魄をお姫様抱っこに抱え上げる。
「それじゃあ行きますよ~」
「ひゃっ、え、行くってどこへ……」
「ぴょ~ん!」
「いやああああっ!?」
そしてメルは何の躊躇いも無く、大穴へと飛び込んでいった。
『跳んだああああああ!?』『正気か!?』『正気な訳ないだろふざけんな!』
「よっ、と、とっ」
メルはお誂え向きに用意された石の足場を使うことなく、穴の壁面にある僅かな突起を足掛かりに、まるで壁面を駆け降りるようにして底を目指す。
「到着~、っと」
ほぼ自由落下と変わらないその移動方法は流石に速く、数秒もかからずに穴の底へと到達した。
「…………」
腕の中で呆然としている虚魄を、メルは優しく地面に立たせる。
「……あれ、そう言えば虚魄さんって飛べるんでしたっけ?」
「飛べます……」
「なら虚魄さんには飛んでもらえばよかったですね」
『コハクさん可哀想すぎるだろ』『なんで降りる前にコハクさんが飛べること思い出せなかったんだよ』
怪異使いの虚魄は飛行能力を有しているため、本来であればゆっくりと安全な速度で穴を降下することも可能だった。
しかしそれをすっかり忘れていたメルによって、自由落下に付き合わされてしまった。実に気の毒なことだ。
「それで……あれは何なんでしょう?」
穴の底でメルの目を引いたのは、巨大な紫色の水晶のような物体だった。
厳密に言えばメルの興味を引いたのは水晶そのものではなく、水晶の中に閉じ込められていたものだ。
「罅……でしょうか」
「罅……ですね」
『ヒビだなぁ』『どうなってんのあれ?』『水晶が割れてるんじゃないよな?』
水晶の中には、「罅」が閉じ込められていた。罅の入ったものが水晶に閉じ込められているだとか、水晶自体に罅が入っているだとかではない。
罅そのものが水晶に閉じ込められている、としか表現のしようがない光景がそこにあった。
罅は2mほどの大きさで、横幅もそれなりに広い。メルや虚魄であれば潜り抜けられそうだった。
「どういうことなんでしょう、あれ……?」
「……少し調べてみます」
虚魄がおっかなびっくり水晶へと近付いていく。
「だ、大丈夫ですか?虚魄さん……」
「お……お任せください……」
虚魄が怯えていることは、その足取りから明白だった。
しかしそれでも足を止めようとしないのは、メルにいいところを見せようとしているのだろうか。
「気を付けてくださいね……!」
「は、はい……」
水晶の目の前で立ち止まった虚魄は、恐る恐る右手を伸ばして水晶へと触れる。
少なくとも触れただけでは悪影響は発生しないようで、そのことにメルと虚魄はひとまず胸を撫で下ろした。
「ふぅ……っ」
虚魄は緊張を解すように深呼吸をして、瞑想をするように目を閉じる。
「……何してるんでしょう、虚魄さん」
『メルに分からなきゃ俺達にも分かんねぇよ』
虚魄は探査術式を用いて水晶とその内部の罅を調べているのだが、素人のメルにはちんぷんかんぷんだった。
「……駄目ですね。私では何も……」
数分間頑張っていた虚魄だが、やがて首を横に振りながらメルの下へ戻ってきた。
「申し訳ありませんメル様。私の探査術式の腕では、何の情報を得ることもできませんでした」
「そうですか……まあ仕方ないですよ」
「1度帰還し、探査術式に長けた怪異使いを再度派遣すべきかもしれません。道中の敵対的存在はメル様が全て排除してくださいましたから、再びここへやって来ることもそう難しくは……」
メルと虚魄が今後の行動について話し合っていたその時。
何かが壊れるような、ピキッ!という不穏な音が聞こえてきた。
「えっ?」
メルが水晶に視線を向けると、中に閉じ込められている罅とはまた別に、いつの間にか水晶自体にも大きな罅が入っていた。
「虚魄さん虚魄さん」
「何でしょうメル様」
「なんか水晶壊れそうなんですけど」
メルの報告で虚魄も水晶の罅割れに気付き、一気に顔が青褪めた。
直後、バキンッ!と更に大きな音が響く。
「ひゃあっ!?」
音に驚いたメルが飛び上がっている間にも、バキンバキンと罅割れが急速に広がっていく。
誰がどう見ても、水晶は壊れ始めていた。
「虚魄さんこれマズくないですか!?これマズくないですか!?」
「マズいと思います……とてもマズいと思います……!」
「これってメル達のせいですか!?メル達が来たせいで水晶が割れ始めたんですか!?」
「私の探査術式が下手だったせいかも……ああもうどうしようお姉ちゃぁん……」
崩壊していく水晶を前に、慌てふためくことしかできない2人。
やがて一際大きなバキンッ!!という音と共に、紫色の水晶は完全に砕け散った。
「これ……どうなるんですか……?」
水晶が壊れ、そこに残ったのは中に閉じ込められていた罅だけだ。水晶が無くなったことで分かったことだが、罅はどうやら空間に刻まれているらしい。
メルと虚魄はほとんど抱き合うような体勢で、固唾を飲んで罅を観察する。
すると空間の罅から凄まじい引力が発生し、メル達を引き寄せ始めた。
「ひゃあっ!?な、何ですかこれぇっ!?」
「ふえぇ助けておねえちゃぁん……!」
メルと虚魄はどうにかその場に留まろうと必死で足に力を込めるが、それでも罅の吸引力には敵わず無慈悲に吸い寄せられていく。
「ひゃああああっ!!」
遂にメルと虚魄の足は地面を離れ、罅の中へと完全に吸い込まれてしまった。
「あ~グルグルする!すっごくグルグルしますよこれ!」
「おねえちゃぁぁぁん……」
罅に吸い込まれたメルと虚魄は、玉虫色の謎の空間の中を、洗濯機の中の衣類のように激しく撹拌されながら突き進んでいく。
上下も左右も分からなくなる無軌道な挙動は、メルの体感時間で5分ほど続いた。
かと思うと玉虫色の空間では行方不明になっていた重力が突如として復活し、メルと虚魄は地面に叩きつけられた。
「いっ、たぁ……!」
「ひゃっ!も、申し訳ありませんメル様!」
メルは咄嗟に虚魄の下敷きになり、虚魄を地面との激突から守った。代償としてメルの全身は強い衝撃によって激しく痛んだが、数秒もすれば痛みは引いた。
「ここ……どこですか?」
立ち上がったメルは周囲を一望し、そして困惑して眉尻を下げた。
そこは滅亡した大都会のような場所だった。外装が剥がれ骨組みだけになった高層ビルが点在し、地面には夥しい量の瓦礫が山積している。
上を見上げると、空は真っ黒だ。その黒は夜空とは全く別の、墨汁や黒の絵の具で塗り潰したかのような黒だ。
空に太陽が無い代わりに、至る所で激しく燃え上がっている紫色の炎が光源の役割を果たしている。
「メル達、また別の異世界に来ちゃったんですか?」
荒廃しきった街に、不自然なほど黒い空。メルがこの場所を新たな異空間と判断するだけの要素は揃っている。
(メルちゃん、配信が途切れてしまっているわ)
(またですか!?最近ホント多いなぁ……)
配信が途切れたというサクラの報告に、メルは思わず天を仰いだ。
「さっきまでは配信できてたのに……ここは配信がダメなタイプの異空間なんですね~」
「いいえメル様、そうではありません」
しゃがみ込んで地面に手を当て、瞑想するように目を瞑っていた虚魄が、震える声でメルに告げる。
「虚魄さん?違うっていうのは……」
「……探査術式で空間の端を捉えることができません。異空間と呼ぶには、この場所はあまりにも広大過ぎます。それに少なくとも私の探査術式では、この空間に異常は発見できません」
「えっ、それって……どういうことですか?」
明らかに異常なように見える空間であるのに、探査術式では異常を発見できない。
その事実が何を意味するのかが、メルには分からなかった。
「……以前、常夜見家の文献で読んだことがあります。恐らくここは、私達の住む世界とは別の可能性を辿ったもう1つの世界、平行世界と呼ばれる場所なのではないでしょうか」
「それって……メル達、別の世界に来ちゃった、ってこと……ですか?」
表情を引き攣らせながらメルが尋ねると、虚魄は微かに首を縦に振った。
幾度となく異空間に迷い込んだ経験のあるメルだが、今回はとうとう世界すら違えてしまったらしかった。
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