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第8回桜庭メルの心霊スポット探訪:人食い峠 後編

 背筋が凍る感覚。空き缶が坂を転がるような音。それらは前々回の配信で、「祟り神」と呼ばれる存在と遭遇する直前に感じたものだ。

 その感覚が再び現れたということは、近くに祟り神が存在しているということに他ならない。


 (この雪も祟り神の仕業ですか?)

 (そうに違いないわ。気を付けてメルちゃん、この雪は毒よ)

 (毒!?)

 (ええ。普通の人間なら浴びただけで命を落とすような毒の雪よ。メルちゃんには私の力があるからまだ大丈夫だけれど、このまま雪を浴び続けたら命に係わるわ)

 (うわぁ~……)


 宙を舞う無数の雪の正体が毒であると知らされ、メルは思いっきり顔を顰める。

 毒の雪など浴びたくはないが、生憎メルには傘の持ち合わせは無い。


 「カロロロロ……」


 空き缶を転がすような音は次第に大きくなっている。それに伴ってメルの悪寒も増大し、祟り神が接近していることを感じさせた。


 「カロロロロ……」


 そして現れたのは大きな猪だった。その猪はメルが昔動物園で見た普通の猪の倍近い体格を有し、全身の毛は雪のように白い。頭部に生えた4本の立派な牙も特徴的だ。

 何よりメルの左目には、猪の全身を包むどす黒い光がはっきりと見えていた。

 黒い光は祟り神の光。この白猪が祟り神で間違いない。


 『何だコイツ!?』『イノシシ?』『まだ何か出てくるのか……』

 「あ~、えっと、何でしたっけ……バビルサ?に似てますね」

 『確かに』『似てるかも』『バビルサって何?』


 バビルサはインドネシアに生息する猪の1種だ。祟り神の頭部は日本の猪よりもむしろバビルサによく似ていた。


 「あんなおっきい体でぶつかってこられたら、メルはひき肉になっちゃいますね……」


 巨大な猪を目の当たりにして、メルはまず警戒したのは突進攻撃だった。

 猪突猛進という四字熟語があるくらいなので、メルの中では猪といえば突進のイメージだったのだ。


 「カロロロロ……」


 しかしメルの予想に反し、猪はその場から動く気配がない。口元をまるで人間のように歪めてただ笑っているばかりだ。

 すると猪の周囲の空気がパキパキと音を立てて凍り始め、巨大な氷柱のような三角錐状の氷塊が生成された。


 「わっ、おっきい氷」

 (雪を降らせたことといい、あの祟り神は氷の力を操るようね)


 宙に浮かぶ巨大な氷塊はその先端をメルに向け、ぐるぐるとドリルのように高速で回転し始めた。


 「まさか……」


 円錐螺旋状の冷気を放ちながら高速回転する氷塊に、メルは嫌な予感を覚える。

 果たしてその予感は的中し、ドリルと化した氷塊が弾丸のようにメルへと射出された。


 「ひゃあっ!?」


 メルが横に飛び退いた直後、一瞬前までメルが立っていた空間を氷塊のドリルが貫く。

 メルを捉え損ねた氷塊はそのままアスファルトを深く抉り取り、そして遥か彼方へと飛んでいった。


 「うわぁ……エグい攻撃するなぁ……」


 アスファルトに刻まれた破壊痕に顔を顰めるメル。あれが人体に直撃したらどうなるかなど考えたくもない。


 「カロロロロ……」


 猪は歪な笑みを浮かべたまま、再びパキパキと空気を凍らせ始める。

 そうしてまた氷柱状の氷塊が生成されたが、今度はその数が2つ。それぞれ猪の左右に1つずつ、先端をメルに向けて宙に浮いている。


 「あ~……複数イケる感じなんです?」


 2つの氷塊はやはり高速回転し、ドリルとなって同時にメルへと射出される。

 メルはリンボーダンスのように地面ギリギリまで体を反らし、氷塊のドリルを掻い潜った。


 「カロロロロ……」


 しかしメルが氷塊を躱すや否や、猪はまた新たな氷塊を生成した。しかもその数は3つだ。


 「ちょっとぉ!?」


 地を這うようにアスファルトの表面を抉りながら迫る3つの氷のドリルを、メルは地面を転がるようにしてギリギリのところで回避した。

 氷塊が巨大なため、3つも同時に射出されると回避がかなり難しい。


 (メルちゃん大丈夫?このままだとジリ貧よ)

 (……ちょっと思いついたことあるんで、やってみようと思います)


 猪の周囲に4つの氷塊が出現する。メルが攻撃を躱すたびに氷塊の数を増やしているのは、どうやらメルを弄んでいるつもりらしい。


 「カロロロロ!」


 4つの氷塊が高速回転し、ドリルとなって一斉にメルへと襲い掛かる。


 「メルは昔からドッジボールが得意なので……」


 4つの氷塊は最早躱しきれるような質量ではなく、ブラウスの袖やスカートの裾が抉り取られる。しかしそれでも、メル自身は傷を負ってはいなかった。


 「避けるだけじゃなくて……」


 アクロバティックに跳躍したメルは、空中で錐揉み状に体を捻りながら、右手の包丁を振り被る。


 「投げるのも得意なんです!」


 そしてメルは体の捻りを利用して、猪目掛けて包丁を投擲した。

 包丁は姿勢を崩すことなく一直線に突き進み、見事猪の左目に突き刺さる。


 『おおおおお!!』『すげえ!』『なんであんなに包丁を正確に投げられるんだ?』


 普段あまり披露されることのないメルの投擲能力に、コメント欄が沸き立つ。


 「カロロロォッ!?」


 これまでニヤニヤ笑いを崩さなかった猪も、眼球に包丁を刺されては穏やかではいられなかった。痛みに叫びながら頭を振り回して暴れている。

 これを好機と見たメルは更なる追撃を加えるべく、猪との距離を詰めようとしたのだが……


 「ごふっ!?」


 突如、メルの口から大量の血が溢れ出した。黒いマスクが瞬く間に真っ赤に染まる。


 『メルちゃん!?』『血吐いた!?』


 メルの吐血にコメント欄は軽いパニック状態だ。


 (しまったわ、毒の雪の影響がこんなに早く出るなんて……)


 膝を突いたメルの傍らで、サクラは唇を噛む。

 周囲を舞う季節外れの雪が祟り神による毒の雪であることは、メルもサクラも分かっていたことだ。分かった上で、サクラの霊力が宿るメルならばある程度は耐えられるというのがサクラの見立てだった。

 しかし実際は、サクラの予想よりもずっと早く毒の影響がメルに表れてしまった。サクラが思っていた以上に、雪の毒性が強力だったのだ。


 (メルちゃん、ここは一旦退いた方がいいわ。いくらあなたでも、毒を受けた状態で祟り神には敵わない……)

 (そうは言っても、向こうは退かせてくれる気なんて無さそうですよ……)


 メルの視線の先では、猪が10個もの巨大な氷塊を生成していた。

 その顔には先程までのような笑みは無く、無事な右目を怒りで血走らせてメルを睨んでいる。


 (それにあいつの目に包丁が刺さってる今が絶好のチャンスなんです。それなのに逃げたら勿体ないじゃないですか)

 (メルちゃん、あなた……)


 無謀と言えるほど強気なメルに、サクラは呆れた表情を浮かべた。


 『メルちゃん大丈夫!?』『吐血は流石にヤバくね?』『これって救急車とか呼んだ方がいいのかな?』


 続々と心配のコメントを寄せる視聴者達に声を掛けようとメルは口を開き、そこで口が開きづらくなっていることに気が付いた。

 吐血によって血塗れになったマスクがべっとりと張り付き、口の動きを妨げているのだ。

 メルは左手で無造作にマスクを剥ぎ取った。


 『え!?』『なんでマスク取った!?』『顔出していいの!?』


 突然マスクを外して素顔を晒したメルに、コメント欄はまたしても混乱に陥る。


 「視聴者の皆さん、安心してください。この赤いのは、トマトジュースを零しちゃっただけです」


 誰にでも分かる強がりを口にして、メルは無理矢理笑顔を形作る。唇の下から、吸血鬼のように鋭い犬歯がチロリと覗いた。


 「あの猪殺したら、トマトジュースも綺麗に拭きますから。ちょっと待っててくださいね」

 「カロロロロォォッ!!」


 猪が叫び、高速回転する10の氷塊が射出される。

 巨大な氷塊達は空中で激しくぶつかり、互いが互いを砕き合いながら氷の壁となってメルへと迫る。


 「あああああッ!!」


 メルは毒に冒された体に鞭打って地面を蹴り、両腕で頭を庇いながら氷へと正面から突っ込んだ。

 10の氷塊はぶつかり合いの果てに本来の形を失い、万を超える氷の欠片となっている。そしてそれらの無数の氷の欠片が、容赦なくメルの体を打ちのめした。


 「くぅっ……」


 刃と化した無数の氷によって、メルの全身がズタズタに切り裂かれる。特に頭を庇う両腕は酷く、大小合わせて数十もの傷が一瞬の内に刻まれた。


 「なっ……めるなぁぁぁっ!!」


 しかしメルは全身に重傷を負いながらも、頭部や急所だけは守り切り、無理矢理氷の弾幕を突破することに成功した。


 「カロッ!?」


 氷の弾幕の中から生きて姿を現したメルに、猪は右目を大きく見開いて驚愕している。

 メルは高く跳躍し、空中で錐揉み回転しながら右脚を大きく振り上げる。


 「死っ……ねぇぇぇぇ!!」


 そして猪の左目に刺さる包丁の柄に目掛けて、強烈な回し蹴りを叩き込んだ。


 「カロォォォッ!?」


 回し蹴りによって包丁は更に奥深くへと突き刺さり、目の奥の脳にまでその刃は届いた。


 「カ、ロ……」


 猪は左目がぐりんと白目を剥き、そのままゆっくりと横に倒れ込む。そしてビクンビクンと何回か体を痙攣させると、それきりピクリとも動かなくなった。

 メルの左目でのみ見える猪を包む黒い光が急速に弱まっていく。それは祟り神の絶命を意味していた。


 「勝った……」


 その場にへたり込むメル。


 『メルちゃん勝った!!』『すげー』『でもめちゃくちゃ大怪我だな』『メルがここまで怪我するの珍しい』


 コメント欄はメルの勝利に沸く声と、メルの怪我を心配する声で大いに盛り上がっている。

 気が付くと季節外れの雪は止んでおり、メルの体から毒の雪の影響も無くなっていた。

 しかし毒が抜けても今のメルは全身が傷だらけで絶賛出血中。毒が抜けても楽になった感覚はない。


 「ああ……服がボロボロ……」


 氷の欠片を全身に浴びてあちこち傷だらけのメルだが、体以外にも服もボロボロになってしまっていた。所々服の隙間から素肌が覗いてしまっている。


 (サクラさん。メル、出ちゃダメなとこ出ちゃってませんかね?)

 (う~ん……多分大丈夫だと思うわ。結構際どいけれど)


 見えてはいけないところが見えていないか、目を皿にして確認するメルとサクラ。

 そうしている間に猪の死体から、小さな金色の光がふわふわと立ち昇った。


 「おっ?」


 小さいながらも眩い光に、メルは視線をそちらに向ける。

 地上から2mほどの位置にまで浮上した金色の光は、そこでぐにぐにと形を変え、子供の猪のような姿を形作った。


 「いやぁ、助かったわい」


 子猪が口を開き人語を発する。子供のような愛らしい外見と裏腹に、その声は老人男性のようだった。


 「あなたは?」

 「儂か?儂はお嬢ちゃんが殺した祟り神だったもんだよ」

 「うわ、すごいおじいちゃん言葉」


 メルに殺されたと言う割に、子猪の言葉に恨みは籠っていなかった。


 「儂も元々は山の守り神だったんだが、祟り神になってしまって困ってたんだ」

 「おじい、さん?えっと……」

 「ん、儂の名前か?ならハクマとでも呼んでくれ」

 「ハクマさんは、なんで祟り神に?」

 「ああ、それはあの山姥のせいだ」


 ハクマが顔を顰める。随分人間らしい表情をする猪だ。


 「あの山姥はそれはそれは凶悪でな、とんでもない邪気をばら撒いておった。そんな鬼婆がこの山に住み付きおったせいで儂までその邪気の影響を受けてしもうてな、気が付いたら祟り神になってしもうたのだ」

 「うわ、あの山姥そんなにヤバかったんですね」


 神格を祟り神へと変質させるほどの邪気。神の霊力を持つメルには、それがどれだけ危険なものか何となく理解できた。


 「祟り神になってしもうたら自分ではどうすることもできんからな。お嬢ちゃんが殺してくれなんだら、儂はその内街に下りて大暴れしとっただろう。そうなる前にお嬢ちゃんが殺してくれて助かった、本当にありがとうなぁ」

 「は、はあ……どう、いたしまして?」


 メルは困惑して眉根を寄せる。殺した相手に殺したことを感謝されるのは何とも妙な気分だった。


 「ハクマさんは、また神様に戻れるんですよね?」

 「そうだな。どれくらい時間がかかるかは分からんがな」


 殺された祟り神は、長い時間を掛けてまた神格として生まれ変わる。メルがサクラの姉を殺した時に知ったことだ。

 ハクマもいずれはまた山の神として蘇る。


 「ただすまんかったなぁ、お嬢ちゃんをそんなボロボロにしてしもうて」

 「いっ、いえ、メルが弱いせいですから……」

 「こんなことは礼にもならんが、儂に残っている力を使ってできる限り怪我を治そう。儂は治療は得意ではない上に、もう大した力も残ってはおらんが……それでもやらんよりはマシになるだろう」

 「あっ、じゃあお願いします。正直かなりキツくなってきたので……」


 痛みと貧血で、メルの視界は霞み始めている。治療をしてもらえるならぜひお願いしたいところだった。


 「ではやってみるかの」


 ハクマが目を閉じて何やら念じ始める。

 そのまま10秒ほど経過すると、不意にメルの全身の痛みがふっと和らいだ。

 見ると、体のあちこちでぱっくりと開いていた傷口が全て、縫合したかのように塞がっている。傷自体が消えてはいないが、もうどこからも出血していない。


 「……どうだ、少しは楽になったか?」

 「はいっ。すごいですね、ハクマさん」

 「いやいや。傷が塞がっても減った血は戻っとらんから気を付けるようにな」


 メルにそう忠告するハクマの体が徐々に薄くなっていく。メルの治療に残っていた力を全て使い、存在そのものが消えかかっているのだ。


 「……そろそろ終わりかの。お嬢ちゃん、儂が生まれた時にお嬢ちゃんがまだ生きとったらまた会おう」

 「はいっ、ぜひ」


 そのやり取りを最後にハクマは消失し、白猪の死体も灰になって消失した。


 「ふぅ……」


 メルは1度深呼吸をしてから、サクラが構えるスマホのカメラに向き直る。


 「それじゃあ第8回心霊スポット探訪、この辺でお別れにしましょうか」

 『急だな』『桜庭メル名物配信打ち切りエンド』

 「今回の配信いかがでしたか?メルとしては幽霊も山姥も祟り神も殺したので、結構ボリュームあったんじゃないかなって思ってるんですけど」

 『確かにボリュームはあった』『色々出てきすぎてよく分からんかった』


 ハクマが怪我を治したおかげで、今のメルには視聴者と雑談できる程度には余裕があった。


 『てか顔出しOKだったん?』『メルちゃん顔かわいい……!』『確かに』『マスク着けてる時よりもマスク外した時の方が可愛いって珍しくね?』


 視聴者のコメントで特に多いのは、初めて公開されたメルの素顔についてのものだ。


 「あ~、マスクはですね。元々は身バレ防止のために付けてたんですけど、髪色がこうなっちゃった時点であんまり意味無くなってたんですよね~」


 メルは桜色の髪を1房摘まむ。

 メッシュを入れたように黒髪の中に桜色の髪が混ざったその頭髪はかなり特徴的で、顔が分からずともその髪だけで充分メルを判別できてしまう。

 身元を隠すという目的において、マスクは最早意味を持たなかった。


 (ごめんなさいメルちゃん、私のせいで……)

 (あっ、違うんです違うんです。この髪色自体は気に入ってるんです)


 メルの髪色が変化した原因であるサクラが落ち込んでしまったので、メルは慌てて取り成した。


 「だからマスクはもういらないのかもな~って前からちょっと思ってて、今回はマスクが邪魔になっちゃったんで思い切って取っちゃいました」


 メルは両手を頬に当て、カメラに向かって可愛い子ぶって見せる。


 「どうですか?メルの顔、可愛いでしょ?」

 『は?』『イラっとした』『可愛いけどムカつく』『可愛いからこそ逆にムカつく』


 メルの振る舞いは不評だったが、メルの顔立ちそれ自体は概ね好評だった。


 「じゃあ皆さんがメルの可愛い顔を見れたところで、今日の配信は終わりにしま~す。それじゃあ皆さん、また次回の配信でお会いしましょ~。ばいば~い」

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