第29回桜庭メルの心霊スポット探訪:万花京 四
「待雪さん!?どうしてここに……」
「桜庭様、わたくしをお使いください!」
待雪がぴょんと威勢良く跳び上がると、その小さな丸っこい体が煙に包まれ、一振りの刀へと変化した。
刀となった待雪は、そのままメルの右手の中にすっぽりと収まる。
「えっ、えっ、ま、待雪さん、これどういうことですか?」
「この刀の姿こそが、わたくしの『戦化生』です!桜庭様、どうぞわたくしを振るい、お父様を討ってくださいませ!」
「待雪!お前、裏切るつもりか!?」
自らの体をメルへと差し出した待雪に、大変正が激昂する。
「わたくしの命の恩人である桜庭様を、掟などと宣いながら理不尽に殺めようとする貴方を、最早父とは思いません!」
「何ぃ……!?」
「掟を重んじるあなた方の生き方も、わたくしは否定いたしません。ですが……わたくしは必ず、桜庭様を無事に帰して御覧に入れますわ!」
「この小娘がぁぁ!!」
冷静さを失った大変正が、何の工夫もなくメルへと突撃する。
「可愛い我が子を小娘だなんて……」
メルは刀となった待雪を振り被り、
「メルはそういうの好きじゃないです」
大変正の胴体を袈裟懸けに斬りつけた。
「ぐああああっ!?」
怪異である待雪を用いた攻撃は、大変正に対して非常に効果的だった。
大きく斜めに切り裂かれた傷口から夥しい量の血を流し、大変正がその場に昏倒する。意識を失ってしまえば、変化で怪我を消すこともできない。
「大変正!?」
「大変正がやられたぞ!」
頭領である大変正を失い、侏珠達に動揺が走る。
「慌ててる余裕があるんですか?」
その隙にメルは宴会場を駆け、次々と侏珠達を切り倒していく。
宴会場は見る見るうちに侏珠達の血で真っ赤に染まり、5分と経たずに数十人はいた侏珠は全滅していた。
「ふぅ……」
全ての侏珠を打ち倒したメルは息を吐き、血に染まった大広間を振り返る。メル自身の体も返り血で真っ赤に染まり、その姿は鬼のようだ。
「ごめんなさい、待雪さん。お父さんを斬らせてしまって……」
メルが謝罪の言葉を口にすると、メルの右手から独りでに刀がすっぽ抜け、ポンッと美しい少女の姿に変身した。
「いいえ、桜庭様が謝罪なさる必要はありません。わたくしは自らの意思で、大変正を斬ることを選びました。桜庭様を理不尽に殺めようとしたあの男を、わたくしは最早父とは思いません」
待雪はそう言って宴会場の奥に倒れ伏す大変正を、それはそれは冷たい目で見下した。
どうやら待雪は割り切りが物凄い性格をしているらしい。
「桜庭様、まだ油断はできません。屋敷の中の侏珠はほぼ全滅しましたが、外にはまだ多くの侏珠がいます」
「やっぱり外の人達も、メルを殺そうとしてきますか?」
「その可能性は高いかと。使用人に聞いたところ、万花京の侏珠はそのほとんどが掟のことを知っているそうです。桜庭様が万花京を出ようとすれば、襲い掛かってくることは充分考えられます」
「やっぱりそうですか……待雪さん、ごめんなさいですけど、また力を貸してくれますか?」
「勿論です。ですが……万花京の市街を通らずとも、この隠れ里を脱出できる方法があります」
「えっ、ホントですか!?」
「はい。こちらへ」
待雪が宴会場を出て廊下を走り出し、メルもその後に続く。
住宅の中とは思えないような距離を走りながら、待雪はメルに意図を説明する。
「桜庭様。万花京にどのように入ってきたかを覚えていらっしゃいますか?」
「は、はい。月が映ってる水に飛び込んできました」
「あの時と同じように、万花京から外に出る時も水面を利用するのです。入る時と違い、出る時には月が映っている必要はありません。ある程度の大きさの水面があれば、そこから外への道を繋ぐことができます」
待雪がとある部屋の前で足を止める。
扉の代わりに暖簾が掛かっているその入り口の上には、「大浴場」の看板が掲げられていた。
「それって……お風呂から異空間の外に出られるってことですか?」
「その通りです。この方法を使えば市街を通る必要はなく、無用な戦闘も避けられます」
旅館を思わせるような脱衣所に入った待雪は、手近にあった籠の中から黒のパンプスを取り出した。
「桜庭様、こちらを」
「これは……メルの靴ですか?」
「はい。宴会場に駆け付ける前に、予めお履物をこちらへ移動させていただきました」
「わぁ、待雪さんすっごくできる人ですね!」
メルは有難くパンプスを受け取り、待雪に続いて脱衣所を通り抜けて浴場に突入する。
浴場には数十人が同時に入れるほどの大きな湯舟が、もうもうと白い湯気を立てていた。
「わぁ、おっきいお風呂……」
家風呂としては破格の規模の湯船にメルが感嘆している側で、待雪が人間の姿から本来の小動物の姿に変化する。
「――人の朋なる侏珠なれば 道を開けたし万花京」
待雪が不思議な響きを孕んだ呪文を口にすると、湯船が淡い赤紫色の光を放った。
「参りましょう、桜庭様!」
「あっ、はい!」
メルは慌ててパンプスを履き、待雪と共に淡く光る湯舟へと飛び込む。
熱い湯に包まれてもメルの体は濡れることなく、その代わりに強い浮遊感がメルを襲う。
「っ、ぷはっ……!」
数秒後、メルは万花京に入る前にいた公園に戻ってきていた。
「無事に万花京を脱出できましたね」
メルの隣には、再び人間の姿に変化した待雪の姿がある。
「待雪さん、ありがとうございます。メルを助けてくれて」
「いえ。わたくしは身内の不始末の責任を取ったまでです」
そう答える待雪の表情は暗い。
「……待雪さんは、これからどうするんですか?」
待雪は侏珠の掟に背いてメルを助け、大変正を含む数十人もの侏珠に重傷を負わせた。それだけの裏切りを働いた以上、万花京には戻れないだろう。
「ご心配はご無用です。わたくしは何にでも姿を変えられる千変万化の侏珠。どこでも暮らしていくことはできます。侏珠は雑食ですから、山に入れば食べるものにも困りません」
待雪のその返答は、やはり待雪に行く当てが無いことを言外に物語っている。
「……待雪さん。もしよかったら、メルの所に来ませんか?」
「……え?」
「そうすれば住むところには困りませんし、ご飯も用意できると思います」
「ですが……宜しいのですか?」
「勿論です!待雪さんが助けてくれなかったら、メルはあのまま万花京で殺されてたかもですから。その恩返しをさせてください」
メルが力強く頷くと、待雪は逡巡する素振りを見せる。
「……では」
しばらく考え込んだ後、待雪は遠慮がちに頷いた。
「よろしくお願いいたします」
「はい!これからよろしくお願いしますね、待雪さん!」
こうしてメルは、新たな協力者を獲得した。
「……ぐっ、がはっ!」
メルと待雪が万花京を去ってからしばらくして、宴会場で大変正が血を吐きながら体を起こした。
「これは……一体何が……」
数十人もの侏珠が倒れ伏し、血で真っ赤に染まった凄惨な宴会場を見渡し、呆気に取られる大変正。
「そうか、あの人間が……それに待雪まで……くそっ!」
徐々にこの宴会場で起こったことを思い出し、大変正は怒りに任せて拳を畳に叩きつける。
「馬鹿なことをしたな、お前も」
その時宴会場に、嗄れた声が響いた。
大変正が顔を上げると、そこにはいつの間にか腰の曲がった老婆が立っていた。
「長老……」
その老婆は大変正の曽祖父母世代に当たる、この万花京において最も長い時を生きている、「長老」と呼ばれる侏珠だった。
万花京の侏珠全員から一目置かれており、実質的には大変正よりも上の立場の存在だ。
「お前は昔から重大事があると、焦りから短絡的な行動に走る節があった。しかしよもやここまで軽率な行動に出るとはな……」
「軽率って……俺は万花京の存在を知った人間を、掟に従い始末しようとしただけだ!」
「その行動こそが軽率だと言っておる!」
大変正の弁明を、長老はぴしゃりと一蹴した。
「そもそもあの小娘、桜庭メルと言ったか。あやつが待雪の本来の姿を認識し、侏珠の存在を知ることができたその理由を、お前はそれを考えたか?」
「理由って……それはあの人間が、たまたまそういう体質だっただけだろう?」
大変正の回答に、長老はゆっくり首を横に振る。
「あの小娘の体の内には、恐ろしい怪物が潜んでおった。その怪物の力があるからこそ、あの小娘には侏珠の欺きが通用しなかったのだ」
「怪物だと……?それは一体どういう……」
「それにも気付けんというのに、大変正が務まるものか!」
長老の一喝に、大変正がビクッと肩を竦ませる。
「小娘に潜む怪物の正体は、儂にも見当がつかなんだ。ただ1つ分かるのは、その怪物が途方もないほどの力を秘めているということだ。それこそ万花京どころか、この世界そのものを滅ぼしてしまいかねんほどのな」
「世界を滅ぼす……バカな、あんな小娘がか?」
「だからただの小娘では無かったのだ!それに気付きもせずに掟だからと安易に殺そうとしたお前のその行動を、儂は軽率だと言っておる!」
大変正に対する長老の怒りは止まるところを知らない。
「あの小娘がお前の企みに気付いたのは、儂らにとってはむしろ大いなる幸運だった!たかが侏珠が数十斬り殺されかける程度で済んだのだからな!」
「殺されかける程度、だと……!?」
「ああ程度だ!もし万一にもお前の軽率な企みが成功し、あの小娘が毒で死んでみろ!小娘の中の怪物が姿を現し、侏珠は絶滅していただろうよ!」
「そんな……」
絶句する大変正。
彼は長老の見る目の正しさをよく知っている。長い時を生きてきたからこその豊富な知識と、生まれつきの少し特殊な瞳によって、長老はあらゆる事象の真実を見抜くことができる。
長老の言葉を信じないという選択肢を、大変正は持ち合わせていなかった。
「……間違ってもあの小娘に追っ手を差し向けようなどと考えるなよ、大変正」
長老は底冷えするような冷たい視線を大変正に向ける。
「今後一切、あの小娘には関わるな。小娘についていった待雪もだ。待雪が小娘の下を離れて自分から万花京に戻らぬ限り、待雪を連れ戻すことは許さん」
最後にそう言い残し、長老は姿を消す。
残されたのは未だ意識を取り戻さない数十の侏珠達と、呆然と座り込む大変正だけだった。
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