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第8回桜庭メルの心霊スポット探訪:人食い峠 中編

 「ひっ!?」


 その笑い声を聞いた途端に女の子は身を竦ませ、メルに背中を向けると一目散に逃げ出した。


 「あっ、ちょっと!?」


 メルが呼び止めても女の子は振り返ることなく、その背中は夜の闇の中へと消えてしまう。


 「ヒヒヒ……」


 そして女の子と入れ違いに、山の木々の間から大きな影がぬうっと姿を現した。

 それは大きな老婆だった。海老のように背中が曲がっているにもかかわらず身の丈は2mを優に超え、ぼさぼさの白髪が腰の辺りまで伸び放題になっている。

 そして最大の特徴として、その老婆の顔には下顎が無かった。

 まるで何者かに下顎を引き千切られたかのように、下顎の内側や長い舌が剥き出しになっている。


 「や、山姥……?」


 下顎の無い老婆の姿に、メルは幽霊の噂と共に視聴者から教わった、人食い峠の山姥の伝説を思い出した。

 夜な夜な人間を攫っては食らい、その所業を咎められて下顎を奪われた山姥。目の前の老婆は、その特徴と一致する。

 メルの想像を裏付けるように、桜の瞳には老婆を包む赤い光が映っている。赤い光は、老婆が怪異であることの証拠だ。


 『山姥まで出てきたのかよ』『てかグロくね?』『これ無修正で映していいやつ?』


 怪異の出現に、コメント欄も騒然としている。


 「ヒヒヒ……」


 山姥はメルを一瞥すると、下顎の無い口でニヤリと笑う。

 そして枯れ枝のような右腕を持ち上げると、掌をメルの方へと向けた。

 開かれた右手、その中央には、無数の鋭い牙が覗くもう1つの口があった。


 「ひっ……」


 掌に口があるという異様さに、メルは無意識に1歩後退る。


 「ヒヒヒ……」


 先程から聞こえた笑い声が、山姥の右手の口から発せられていることを、メルは初めて理解した。

 次の瞬間、右手の口から高速で何かが射出された。


 「っ!?」


 メルは自分の顔に向かってきた発射物を、咄嗟に右手の包丁で弾き飛ばす。そこでようやく、メルは発射物の正体を認識した。

 それは山姥の右手の口から伸びる、長い長い舌だった。その舌は鈍色で金属のような光沢を放ち、全長は10mを超え、しかもまだ伸び続けている。


 「なんて威力……」


 舌を弾き飛ばした時の衝撃で、メルの右腕は痺れていた。

 舌は光沢を放つその外見に違わず金属のような感触で、射出された際の初速は銃弾のようだった。仮にメルが舌を弾いていなかった場合、舌はその硬度と速度を以てメルの頭を容易く貫いていただろう。


 「ヒヒヒ……」


 攻撃を防がれた山姥は、しかし相も変わらずニタニタと嫌らしく笑っている。

 すると長く伸びた鈍色の舌が突如鞭のようにしなり、再びメルへと襲い掛かってきた。

 メルがそれを包丁で受け流すと、甲高い金属音が夜の峠に響く。そしてメルの右腕はまたしても衝撃で痺れた。


 「なるほど……右手の口から伸びるベロを武器にして戦う山姥、ってことですか」

 『右手の口から伸びるベロを武器にして戦う山姥って何だよ』『なるほどって思える要素1個もなくない?』


 メルは痺れる右腕を庇い、山姥は鈍色の舌を右手の口に格納する。


 「あの山姥は幽霊じゃなくて、ジメ子さんと同じ怪異です。ジメ子さんって何?っていう視聴者の方は、前回の心霊スポット探訪のアーカイブを是非ご覧ください」

 『この状況で宣伝するな』『肝が据わりすぎてる』『恐怖が欠落してるのか?』

 「幽霊と違ってちゃんと体があるんで、包丁で斬れば血が出ると思います。まあ血が出ようが出まいがこの包丁なら斬り殺せるんですけど」

 『物騒すぎる』『普通に殺すの前提なの草』『逃げようとか思わないの?』

 「ただあのベロはちょっと硬すぎますね。威力も強いのであんまり触りたくないです。だからベロは避けながら本体を斬り殺す感じで行こうと思います」

 『なんでそんな冷静なの?』『殺しに慣れすぎている』


 山姥が再び右手の口から舌を射出する。

 メルが横に跳んでそれを躱すと、先程と同じように舌が鞭のようにしなってメルを襲った。


 「ふっ!」


 だがメルは華麗な跳躍で舌を回避。鈍色の舌は虚しく地面を叩いた。


 「自慢じゃないですけどメル、生まれてから1度も大縄跳びで引っかかったこと無いんですよ」

 『だから何だよ』


 しかし山姥の攻撃はそれで終わりでは無かった。10m以上に伸びた鈍色の舌の先端が、急激に方向転換してメルを狙う。


 「おおっと!?」


 不意を突かれたメルは、必要以上に地面を強く蹴って跳躍する。

 鈍色の舌がピンク色のブラウスを掠めたが、辛うじて不意討ちを回避することはできた。


 「あっぶな~……このスリル、やっぱり大縄跳びに通じるものがありますね」

 『大縄跳びそんな危なくねぇよ』『てか今しれっとバク宙してなかった?』『メルならするだろバク宙くらい』

 「にしても、あの舌は結構自由に動かせるんですね」

 『触手みたいだな』


 コメントで言われたように、山姥の右手の口から伸びる鈍色の舌は、舌というよりも触手に近い。


 「ヒヒヒ……」


 山姥が舌を鞭として振るう。10mを超える舌を高速でしならせることで、その先端速度は音速を超えている。

 だが鞭というのは、先端に行くにつれて速度が増す武器だ。逆に言えば、根本は先端ほど速くない。


 「それはもう見切りましたっ!」


 メルもそれを理解しており、鈍色の舌がしなり始めると同時に一気に山姥との距離を詰めた。

 鈍色の舌が空を切る頃には、メルの姿は既に山姥の至近距離にある。

 山姥の懐に潜り込んだメルは、さながら居合のように包丁を構える。


 「ヒェアアッ!!」


 山姥は激昂し、空いている左腕を大きく振り上げた。

 メルが包丁を抜き放ち、山姥が左腕を振り下ろし、そして局地的に地面が震動するほどの激しい衝撃が発生する。

 衝撃の余波によって一帯の微細な土砂が舞い上がり、土煙が辺りを覆い隠した。


 「きゃああっ!!」


 そして土煙の中から、メルが悲鳴と共に飛び出してくる。

 メルの華奢な体は水切りのように地面を2度3度と跳ね、それからゴロゴロと転がって停止した。


 「いっ……たぁ~……」

 『メルちゃん大丈夫!?』『怪我してない?』


 メルを心配する視聴者の声が、配信のコメント欄に次々と寄せられる。


 「大丈夫です。えへへ、ちょっと油断しちゃいました」


 地面を転がったことで着ている服は薄汚れていたが、幸いにもメル自身には大した怪我はなかった。


 「それにしても、腕力まで強いとは……ベロだけじゃないんですね~」


 腕を振り下ろしただけで地面を揺らすほどの圧倒的な膂力。それが山姥の枯れ枝のような腕に秘められているとは、全くもって想定外のことだった。


 「でも皆さん、安心してください。この勝負……」


 土煙が風に吹かれて徐々に薄まり、山姥の姿が次第に見えてくる。


 「メルの勝ちです」


 土煙の中から現れた山姥は右肩を深く斬り付けられていた。傷口から流れる血で真っ赤に染まった右腕は、ほとんど肩から千切れかかっている。

 山姥の右腕が最早動かすことができないのは、誰の目にも明らかだった。


 「ヒュー……ヒュー……」


 荒い息遣いの山姥は、左手で右肩の傷を押さえながら、血走った両目でメルを睨みつけている。先程までのニタニタ笑いが嘘のようだ。


 「ヒィアアアアッ!!」


 山姥が痛みを掻き消すように咆哮し、メルへと飛び掛かった。

 右腕を封じたとはいえ、地面を揺らすほどの膂力を持つ左腕はまだ健在だ。左腕の一撃が直撃すれば、メルの頭はザクロのように弾けてしまうだろう。

 しかしそれは、山姥がメルを捉えられたらの話だ。


 「遅いです」


 右腕の重篤なダメージによって動きの鈍った山姥は、メルの目には止まっているのも同然だった。

 振り下ろされた山姥の左腕を容易く掻い潜り、メルは山姥の背後を取る。

 そして地面を蹴って跳び上がると、空中で錐揉み回転しながら、山姥の首に3度包丁の刃を叩き込んだ。


 「ヒュ……」


 胴体から切り離された山姥の頭部が、放物線を描いて落下する。

 メルが着地するのと同時に山姥の体が灰のように崩れ始め、やがて風に吹かれて消滅した。


 「ふぅ~……殺したぁ」

 『おめでとう』『おめでとう』『つよい』


 山姥の死亡を確認したメルは、緊張を解すように大きく体を伸ばす。

 すると近くの木陰から、見覚えのある顔がひょっこりと現れた。


 「あっ、さっきの子」


 それは山姥が現れる前、メルにここから逃げるよう忠告した女の子の幽霊だった。


 「ありがとう、あいつを殺してくれて」


 女の子はにっこり笑ってそう言うと、無数の粒子となって消えていった。


 「……なんか、幽霊に感謝されるのは久し振りですね」


 メルは出会った幽霊の大半を自らの手で葬っているので、幽霊から感謝されることは稀だった。


 「あの子、もしかして山姥に食べられちゃった子の幽霊なんですかね」

 『そうじゃね?』『そんな感じする』


 女の子が消えてしまった今、その正体についてはもう分からない。しかし女の子が最後に安心して消えることができたのは確かだった。


 「さて。幽霊は殺しましたし、山姥も殺しましたし、流石にもう何も出てこないですよね。一旦麓に戻りましょうか」


 山姥と戦っている内に、メルはバイクを止めた場所から少し離れてしまっていた。

 バイクを取りに戻ろうとメルが歩き出したところで、何やら空からチロチロと白いものが落ちてきた。


 「ん?」


 立ち止まって空を見上げたメルは、驚きのあまり目を見開いた。


 「え、嘘。雪……?」


 空から落ちてきた白いものの正体。それは春から初夏へと移り変わる今の季節にはあまりにも不似合いな雪だった。


 『雪!?』『嘘だろ!?』『メルって今外国にいるの?』『んな訳ないだろ』


 季節外れの降雪に、視聴者達も大盛り上がりだ。


 「カロロロロ……」


 雪に戸惑うメルの耳に、空き缶が坂を転がるような音が聞こえてきた。

 同時にメルは、ゾクリと背筋が凍るような感覚を覚える。寒さのせいではない。そもそも今は何故か雪が降っているが全く寒くはない。

 この背筋が凍る感覚を、メルは以前にも味わったことがあった。それは記憶にも新しい、前々回の配信のことだ。

 メルの頭に1つの予想が浮かび上がり、それを確かめるためサクラに話しかける。


 (サクラさん、この感じって……)

 (ええ、間違いないわ。祟り神よ)


 サクラの回答によって、メルの予想は確信に変わった。

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