第8回桜庭メルの心霊スポット探訪:人食い峠 前編
「皆さんこんばんは、心霊系ストリーマーの桜庭メルで~す。桜庭メルの心霊スポット探訪第8回、やっていきま~す」
その日の配信は珍しく、メルがバイクに跨った状態でのスタートだった。
『こんばんはー』『メルちゃーん!!』『バイクだ』『バイク珍しい』
メルがバイクに乗ることがあるというのは配信で話したことがあったが、実際にメルの愛車をお披露目するのは初めてのことだ。その物珍しさに、早速いくつものコメントが寄せられる。
「メルのチャンネル、もうすぐ登録者数が1万人に届きそうなんでね、今日も心霊スポット探訪頑張っていきたいと思うんですけど。前回のジメ子さんに続いて、今回も視聴者の方からリクエストいただいた場所に来てみました~。皆さん、ここがどこだか分かりますか?」
メルの言葉に合わせて、撮影係のサクラがメルの背後にカメラを向ける。
カメラに映るのは何の変哲もない雑木林だ。場所を特定できるような特徴は見当たらない。
『分からん』『どこだ』『当てさせる気ないだろ』
案の定、その場所を特定できた視聴者はいないようだった。
メルも本当に視聴者が場所を当てられるとは思っていないので、引っ張ることなく答えを発表する。
「ここはですね、地元では『人食い峠』なんて呼ばれてる峠道の入口なんです。昔は暴走族がよく走ってた場所らしいんですけど、もうとにかく事故が多くて有名なんですって。運転を誤って谷底に消えた車の数は10を超えるとか超えないとか……」
『どっちだよ』『ハッキリしろ』
「それくらい事故が多い場所だからなのか、夜に峠道を走ると幽霊が出てくるっていう噂もあるんですって。リクエストしてくれた視聴者さんが噂についてまとめてくれたので、皆さんにも紹介しますね。えっと……」
メルはポケットから四つ折りになったA4サイズのコピー用紙を取り出した。
「読みますね。
桜庭メルさん、いつも配信を楽しく見させていただいています。メルさんの配信の助けになれればと思い、私の地元の心霊スポットとそれにまつわる怪談を紹介させていただきます。
私の地元には人食い峠と呼ばれる峠道があり、そこは夜に車で走ると幽霊が出ると言われています。
人食い峠にまつわる怪談は以下のようなものです。
ある時、ドライブが趣味のAさんが夜に人食い峠を車で走っていると、突然道の真ん中に若い男性が現れました。男性を轢いてしまいそうになったAさんは、慌ててハンドルを切りました。男性を轢くことは避けられたAさんでしたが、Aさんの車はあと少しで人食い峠の谷底へと落ちてしまうところでした。九死に一生を得たAさんが男性に文句を言おうと車を降りると、男性は一言、落ちればよかったのに、と呟いて消えてしまいました。
……とのことですね~」
文章を読み終えたメルは、紙を仕舞って視線をカメラに戻した。
「この視聴者さんの話では、人食い峠で幽霊を見たっていう地元の人は結構多いそうなんですね。じゃあきっとメルも幽霊に会えるに決まってますよね」
『決まってはないだろ』『どういう理屈?』
「という訳で今日の配信は、人食い峠で幽霊を探そう!って企画です。人食い峠の幽霊は車で走ってる時に出てくるらしいので、今日はバイクで峠道を走ろうと思いま~す」
ここで初めてサクラがメルのバイクをじっくりとカメラに映す。
メルのバイクはピンク色の可愛らしいデザインで、メルの趣味嗜好が存分に反映されている。
「本当はバイクじゃなくて怪談と同じように車で走った方がいいと思うんですけど、メルは二輪の免許しか持ってないので……」
『普通免許も取れ』
「それじゃあ早速出発しましょう!」
メルがヘルメットを被ったところで、1つのコメントが機械音声で読み上げられた。
『撮影はどうやるの?』
その視聴者の疑問も尤もだ。メルの撮影機材はスマホのみで、バイクに乗れながらスマホで撮影が出来るような機材をメルは持っていない。
しかし実のところ、その点は全く問題なかった。
「撮影はサクラさんに任せるんで大丈夫です。サクラさんは私の背後霊みたいなものなんで、私がバイクで走ってても同じ速度でついてこれます」
『草』『草すぎる』『なんだその撮影方法』『力技すぎるだろ』『そもそも背後霊がカメラマンやってる心霊配信ってなんだよ』『そんなんだからジャンルがホラーじゃなくてアクションになるんだ』
「視聴者さんの質問にも答えたところで、今度こそしゅっぱ~つ!」
メルは意気込みを示すように拳を軽く掲げてから、バイクを発進させた。
「ふんふんふ~ん、ふふふふふふ~ん」
暢気に鼻歌を歌いながら峠道を走るメル。
山の斜面に沿って作られた峠道は急カーブも多く、加えて道のすぐ横は真っ暗な谷底だ。人によっては恐怖を感じるような道路だが、生憎メルは恐怖とは無縁だった。
「……ちょっと雑談でもしましょうか」
5分ほど鼻歌交じりに走行していたメルだが、ここで鼻歌だけでは配信の絵面が持たないことに気が付いた。
「視聴者の皆さん、そもそもここがどうして人食い峠なんて呼ばれてるのか、気になりませんか?」
『気になる』『気になる』
「メルもリクエストくれた方に教えてもらったんですけど、この峠には昔、山姥が住んでたんですって。その山姥は人間が大好物で、夜な夜な麓の村から人間を攫っては食べてたそうで、人を食べる山姥が住んでるから人食い峠って呼ばれるようになったとか」
『幽霊だけじゃなくて山姥まで出るのか』
「歴史としては幽霊の噂よりも山姥の伝説の方がずっと古いらしいですよ。幽霊の噂が出始めたのは20年くらい前で、山姥の伝説はリクエストくれた方のおばあちゃんがそのまたおばあちゃんから聞い話だそうなんで」
幽霊といい山姥といい、この峠が地域住民から碌な場所ではないと思われ続けているのは確かだ。
「その山姥はあまりにも人を食べすぎたせいで、偉い道師様が退治にやってきて、もう人を食べられないようにって下顎をもぎ取られたそうです」
『えっっっぐ』『退治の仕方がグロすぎるだろ』
「ですよね、ちょっとエグいですよね~」
『道師様って何?』
「それはメルにも分かんないです」
雑談をしながら安全運転を続け、出発からおよそ15分が経過したところで、メルの運転するバイクは大きなカーブに差し掛かった。
「うわ、すごい急カーブ……」
メルの体感では、カーブというよりほとんどUターンだ。曲がり切れずに道の外へ飛び出すことが無いよう、慎重にハンドルを操作する。
バイクがカーブの半ばに差し掛かったところで、メルは進行方向に青色の光を見た。
「ん?」
気が付くと、道の上に若い男の姿があった。つい先程まで、そこには誰もいなかったはずだ。
男はまるでバイクの進路を塞ぐように、道路の中央にぽつねんと佇んでいる。このままではメルのバイクは確実に男を轢いてしまう。
事故を予見したメルは一瞬動揺したが、すぐにハンドルをしっかりと握り締める。そして男との衝突を避けるべく、ハンドルを切って方向転換を……
「どーん!」
……するようなことは一切なく、男に正面から突っ込んでいった。
『ええええええ!?』『何してんの!?』『おいいいいいいい』
気が狂ったかのようなメルの行動に、コメント欄は阿鼻叫喚の様相を呈する。
凄惨な事故の瞬間を衝撃映像が全世界へと配信される……かと思いきや、意外にもメルのバイクは男の体をそのまますり抜けた。
まるで本当は男など存在していないかのように。
『え?』『え?』『何が起きた?』『どういうこと?』
視聴者達が混乱する一方で、メルはブレーキをかけてドリフト気味にバイクを停車させる。
「ふぅ……」
ヘルメットを外して桜色交じりの黒髪を風に靡かせたメルは、カメラに向かってにっこりと笑顔を向けた。
「皆さん、心配しなくて大丈夫です。あの人、幽霊ですから。バイクで突っ込んでもぶつかりません」
メルは男性が生身の人間ではなく幽霊であるということを、一目見た瞬間に看破していた。
何故ならメルの左目、桜の瞳には最初から、男が幽霊であることを示す青色の光が見えていたからだ。
幽霊との接触事故など起こり得ないと分かっていたからこそ、メルはバイクの速度を緩めることなく男に突っ込むことができた。
『いや、だからってさあ……』『万が一幽霊じゃなくて本物の人間だったらとか考えないの?』
メルの強気な行動に、視聴者からは呆れたような反応が返ってくる。
「とりあえず目的の幽霊が見つかったみたいなので、話しかけてみますね」
メルはバイクを降りて、未だに道路中央に佇む男へと近付いていく。
レザーのライダースに身を包んだその男は目の下に大きな隈があり、幽霊らしくいかにも生気の感じられない顔をしている。
「あの、こんなところで何してるんですか?」
メルが声を掛けても男は表情を全く動かさず、唇だけを僅かに開いてぽつりと呟く。
「……なんで落ちねぇんだよ」
「え?」
男の声が聞き取れず、メルは更に1歩男に近付く。
「なんで落ちねぇんだよっ!!」
「きゃっ!?」
すると男は突然激昂し、メルの首に両手を掛けた。
男はメルの首をギリギリと締め上げながら、メルの体をカードレールへと押し付ける。
ガードレールの向こうは谷底だ。男がメルを突き落とそうとしているのだと、メルは直感的に理解した。
「離し……てっ!」
理解してからのメルの行動は迅速だった。慣れた手付きで太もものホルダーから呪いの包丁を取り出し、男のこめかみに刃先を突き刺す。
「がぁっ!?」
男の顔が苦痛に歪み、メルの首を絞める手の力が緩む。
その隙にメルは男の手の中から抜け出すと、包丁を横に一閃して男の首を刎ね飛ばした。
「がっ……」
男の体が無数の粒子となって消滅していく。
「……あっ、やっちゃった」
男を完全に殺し終えたところで、メルは「やらかした」といわんばかりに冷や汗をかいた。
今回の配信の主目的は、人食い峠の怪談で語られる幽霊を見つけ出すこと。夜に峠道を車で走行中に遭遇するという幽霊の特徴を踏まえると、先程の男がその幽霊であった可能性は高い。
そんな幽霊を、メルは今しがた手に掛けてしまったのだ。しかもほぼ手癖で。
「どうしよう、今日の配信のメイン殺しちゃった……」
『草』『まあ向こうから襲ってきたししゃーない』『正当防衛だろ』
「ダメだな、メル殺し癖ついちゃってる……」
『殺し癖って何だよ』『癖が物騒すぎる』『法治国家の国民にあるまじき癖』
「他のネタ用意してないなぁ……」
仮に幽霊はもう殺してしまったからとここで配信を終えた場合、今回の配信は9割5分が雑談とドライブで構成されていたことになる。
心霊スポット探訪のタイトルを掲げておきながら心霊要素が5%では、優良誤認で訴えられても文句は言えない。
「今からまた別の幽霊を探しに行くしかないですかね……」
『そうポンポン見つかってたまるかよ』『見つけたら見つけたでどうせまたすぐ殺すだろ』
「それともメルが今から1時間半くらい即興でオリジナルソングライブやってみるっていうのはどうですか?」
『やれるもんならやってみろよ』
この配信をどうするべきか、メルは視聴者と雑談しながら必死で頭を巡らせる。
すると。
「……逃げて」
若い女性の声がメルの耳に届いた。
「ん?皆さん今の声聞こえました?」
『声?』『何の話?』『何も聞こえなかったけど』『女の人の声?』『逃げてって言ってた』
メルが聞いた声は視聴者の大半には届いていなかったようだが、それでも聞こえたというコメントがいくつかあった。
つまりメルの幻聴の可能性は低いということだ。
「逃げて……」
耳を澄ますと、もう1度同じ声が、1回目よりもはっきりと聞こえてきた。
『なんか聞こえた』『え怖っ』『今のメルの声じゃないよね?』
2度目の声はより多くの視聴者の耳にも届いている。
メルは声の出処を探し、辺りを見回す。
すると道路脇に生えている木の陰に、青い光に包まれた女の子が立っているのが見えた。
「あっ、幽霊いましたね」
『嘘だろ』『マジで別の幽霊見つかってて草』『ほんとに幽霊か?』
「こんな夜遅くに1人で山の中にいる女の子が幽霊じゃなかったら何だって言うんですか」
『確かに』『それはそう』
メルは包丁を握ったまま、ゆっくりと女の子に近付いていく。小さな子供のように見えても相手は幽霊、いつメルに襲い掛かってくるとも分からない。それを考えると、包丁は手放せなかった。
「逃げて……」
しかしメルが距離を詰めても、女の子は同じ言葉を繰り返すばかり。敵対的ではなさそうだとメルは判断した。
「逃げてって、何からですか?」
メルは包丁を下ろし、代わりに女の子との対話を試みる。
「早く逃げないと、あいつが来ちゃう……」
「あいつ?あいつって何のことですか?」
「逃げないと食べられちゃう……」
「食べられちゃう?メルがですか?」
「だから早く逃げて……」
女の子との会話は今ひとつ要領を得ない。しかし「あいつ」と呼ぶ何かを女の子が恐れていること、「あいつ」というのがメルを捕食するような危険な存在であることは辛うじて理解できた。
「それで、その『あいつ』っていうのは……」
メルが改めて「あいつ」の正体を女の子に問い質そうとしたその時。
「ヒヒ……ヒヒヒ……」
掠れたような笑い声が聞こえてきた。




