コラム 成吉思汗が世界を席巻した時代
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モンゴルは世界に出て驚いた。
おかしい位に自分たちが強かった。
足の速さとかも有るのだろうが、それならジンギスカンでなくとも時の権力者なら誰でも世界を席巻出来た筈だ。
ジンギスカンという人物だけが何故世界をあそこまで領有したのか。それはモンゴルが強かった以上に、世界が恐ろしい程弱まっていた事も原因の一つだ。
中華帝国を見てみれば、本来そこに有る筈の統一王朝が存在していない。
北側を女真族の金が、南は南宋の支配下だった。
宋王朝は建国時に、前回の唐が何故反乱まみれだったかを分析し、それを小皇帝と呼ばれた地方軍閥の強大さと見抜いた。
その為軍も文官が率いる、世界初のシビリアン・コントロール国家になった。
内部の反乱は少なかったが、外圧には脆く、宋はやがて当初は契丹の遼が。更にその遼の領土を女真族の金が蹂躙した。この中華の未統一はジンギスカンが飛躍する一助になった。
その塞外民族の遼や金に散々蝕まれたが、金にもおかしな不協和音が有った。
長時間にぶち壊された時の皇帝の名は衛招王。彼は帝号を贈り名されていない。普通年長者から年少者に受け継がれる皇位なのだが、彼は甥から帝位をむしりとったとして嫌われていたのだ。
アラビア等のイスラム世界はキリスト教圏とやりあわされていた。
聖地エルサレム奪還の為に何度もキリスト教の奴らがやって来ていたのだ。だいたい同じ時期に居たイスラム国家アイユーブ朝のサラディンは、英国プランタジネット朝のリチャード一世と泥試合を展開していた。
エルサレム奪還に来た第3回十字軍である。
このリチャードさんは真面目にイスラムと戦ったのだからまだ良い。
その後の1202年とその2年後の第4回十字軍なんかに至ってはイスラムを攻撃するよりも当時キリスト教圏で豊かだったコンスタンチノープルを攻撃した。
要するにイスラム国家とキリスト教圏は互いに血みどろのケンカをしては国力を使い果たしていたわけだ。
キエフ公国とポーランドも何故か当時いがみ合っており、ある戦いで勝って凱旋したキエフ市の門に『ポーランド門』という名前を付けてはしゃいでいた。
リチャードさんは帰還の途中誘拐され、仕方なく国家予算の4分の1にも及ぶ身代金を払わされ、その後を継がされたジョン君はマグナ・カルタを承認させられた。
一方のアイユーブ朝のサラディンさん。
第3回十字軍が帰還した翌年にポックリ亡くなったそうだ。
あちこちが疲弊し、あちこちが軋んでいた世界情勢の中、珍しくジンギスカンという傑物が現れ、瞬く間に元々強かったモンゴルをまとめ上げ、弱者を見極めた結果があの大帝国になったのである。
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