成吉思汗の華麗なる皇子達⑤ 遺産相続された庶子。コルゲン
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モンゴルでは一夫多妻が認められている。仕方ないのだ。やれ部族間の小競り合いだ、やれ金朝の減丁だ。やれ捕まったやれ殺された。こんな調子で男の人が常に少な目なのだ。
ジンギスカンもご多分に漏れず大量の妻を抱えていた。
第2婦人は最愛の気丈なる姫君クラン
第4婦人、第5婦人は投降したタタール族の姉妹イェスイとイェスケン。
普通正妻ボルテの子のみがジンギスカンの子供であり、他の子供は知らなくても良い。
しかし第2婦人の子供に限っては婦人の寵愛余って大切にされた。
名前はコルゲン。ジンギスカンの遺産の分け前に唯一預かれた庶子というクランとの間の子供である。
流石に庶子という事もあり、歴史書は一切彼にコメントを遺していない。
遺産の分け前表に偶然名前を見かけたから書いている。
ただし分け前とは言ってもその女房子供が不自由しない程度。更に四駿四狗と呼ばれた重臣の一人、ジェルメという人物を副官に送られたが、勿論此れで勃興が叶う筈もなく、やがて歴史書の片隅に、コルゲン本人もジェルメの子々孫々も消えて行く事になる。
さておそらくなのだが、クランという第2婦人は長生きはしていそうに無い。
ジンギスカンがホラズムに戦いに出た時も、最後に戦に出た第4次西夏攻略時においても、横に添えられた妻はイェスイという第4婦人だった。
その頃までには正妻ボルテもクランも居なかったのだろう。
ジンギスカンとしては二人が遺した子供達こそ宝物だったのかも知れない。あまり無茶な戦わせ方をしていないのだ。
ホラズムの王子がなかなか見事な戦いぶりで、モンゴル帝国も一度退却している。この時も軍団を率いていたのは歴戦の名将スブタイであって皇子達ではない。
さてさて通常遺産など当たらない庶子の子コルゲン。彼に遺産の一部が相続されると聞いて、ボルテの子達は何と思ったのだろう?そして渡されるコルゲンの心境はいかほどだっただろう?
歴史書は何も語らない。しかしボルテの子達は案外平気な顔していたのだろう。
反面コルゲンは驚いたに違いない。
良いから貰ってしまえよと肩を叩くジュチ達。それに手を出しかねるコルゲンが容易に見えてしまう。
「えー?ではあの。いただきますね」
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