成吉思汗の華麗なる皇子達②ヤサ法の番人 チャガタイ
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ジュチの二歳年下の皇子こそが第2皇子チャガタイだ。勇猛苛烈。そして規律を守る事を厳にした厳しい次男である。
活躍は割と地味で、ホラズムの城塞を落とす際に息子であるモアトガンを失ったとか、微妙に戦場働きはがっかりな感じだ。
長男ジュチとの決定的な亀裂は、モンゴル因縁の都オトラール屠城作戦の時だ。ジュチはオトラールを一目で気に入り、総督イナルジュークの処分で手打にしてそっくりそのまま欲しいと言い出したのだ。
それに噛みついた。
「父上は全て焼けと言った!それを覆すとは何事か!」
二人は取っ組み合いのケンカを始めてしまう。
ここで明確に言わねばならないだろう。お互いに軍は動かさずに内乱を防止し、ただ取っ組み合いをしただけなのだ。
これはモンゴルの法律に『モンゴル族の死刑と内乱禁止』と有るからだ。
チャガタイは頭に来ても何故か法律は遵守した。
結局ジンギスカンの屠城作戦が採用され、ジュチは頭に来て西を目指して転進することにより、モンゴルによる世界最大の兄弟喧嘩は回避されたのではあるが。
チャガタイは兄ジュチをあまり尊敬していなかったようで、ジンギスカンが更に下の弟、オゴタイを後継者にした時の事だ。ジュチが殊勝にお祝いと兄として支えるとオゴタイに宣誓した後チャガタイは言った。
「お前の兄は俺とジュチだ。頼ってくれ」
自らを先に言う無骨感である。
モンゴルの法律『ヤサ法』の法務長官的なポジションに座ったチャガタイはそれを守らせる事に専心した。
その法令遵守の精神は自分にも適用された。
ある日オゴタイ・ハーンとの酒宴のおり、こことここが大ハーンに対して非礼であったと自らを縛り、罰を申し出た程だと言う。
ヤサ法にも色々有るが『家に上がる時に敷居の板を踏んだら死刑』なんて物も有る。
ちなみに『羊を食料に回す時、地面に血液を溢すの禁止』という条文もある。モンゴルでは地に血が垂れなければ成仏出来ると信じられていたからそうしていたのだが、ジンギスカン亡き後分封されたホラズム(今のイラン)辺りでは羊を絞めたら大地に地をぶちまけろと言われており、チャガタイはそれを苛烈に取り締まったという。
文化の違いすらヤサ法の前に踏みにじるチャガタイは少し融通の効かない子かもしれない。
しかし真面目一徹にして自分にも厳しいとして弟オゴタイは尊敬していたようだ。
これは兄ジュチの奔放(優柔不断と思っていたらしい)ぶりを見た次男の立ち回りなんだろう。
チャガタイはそんなジュチにこう言ってるのかも知れない。
「兄貴!死刑!」
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