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クッキングクラブへようこそ② memory of allnude

 新須さんのみならず、武郷さんも日比野もこちらを見つめている。英さんはまた一瞥だけくれると、手元の本に目を戻したが。


「はい……それが……なぜか思い出せないんです」

「思い出せない?」

「はい……六限の授業が終わったぐらいから、すっぽり記憶がなくなってるようで」


 そう伝えると、彼女たちは一瞬、お互いに目配せを飛ばしあった。

 主に日比野から、何かに安堵したような雰囲気を感じる。


「本当に、何も思い出せないの? 大半の生徒はわざわざ旧校舎(こんなところ)まで来る用事なんてないと思うんだけど? 何か心当たりはない?」


 そう言われても、首を横に振るしかできない。まだ入学して日が浅いとはいえ、別に学内のあちこちを探検する趣味などない。

 自分自身を訝っている僕を、武郷さんがビシッと指差してきた。


「お前! さてはこの美人揃いの女の花園を覗いてたんじゃないだろうな!」

「い、いえ……そんなこと、まさか」


 笑いながら言っているので冗談なのかもしれないが、こちらとしては否定しないわけにはいかない。

 てか、女の花園って。しかも自分で美人揃いとか言うかね。

 確かに新須さんは異論の挟みようなくそれに該当するだろうし、武郷さんもどちらかといえば女子にモテそうなタイプではあるが凛々しく整った顔立ちをしているし、英さんはお人形のように可愛らしいし、日比野は乳がでかいのだが。


「覗きなんて卑劣なマネ、絶対にするわけ……」


 …………ん?


 何か引っかかるものがあったが、俄かには思い出せず、ともあれ僕は一生懸命に否定をし、何とか納得してもらうことができた。


「どうやら短期的な記憶障害が出ているみたいね。どこかで頭でもぶつけたってところかしら?」


 言いながら、新須さんは腕時計にちらりと目を走らせた。

 そういえば何となく側頭部あたりがジンジンするような気がすると告げると、彼女は即座にそれが原因に違いないと断じた。


「きっとボールかなにかぶつかったのね。野球部かゴルフ部か石投げ部の仕業でしょうね。ついていなかったわね。とはいえ、自分のことがわからなくなるなどの深刻な記憶喪失ではなさそうだし、あまり気にしなくても大丈夫なんじゃないかしら」

「はい……」


 気持ち早口で話し、何となく締めくくろうとする雰囲気を出してくる。

 石投げ部なる部活動が存在するのかという疑問もあったが、それよりも先ほどから気になっていることを告げてみる。


「……そういえば、さっきからやけに口の中が甘ったるいんですけど、何か関係あるんでしょうか?」


 他意のない疑問だったのだが、一瞬、皆のこちらを見る目が鋭く尖ったような気がした。

 と、武郷さんがいきなり胸ぐらを掴んできた。なすすべなく身体が持ち上げられ、両足が床から離れる。


「ああ? 何言ってんだよ!? お前が寝てる間にオレらがパンケーキか何かを口の中に入れたとでも言うのかよ!?」

「い、いや……そんなこと言ってないですけど」

「ああん!?」


 詰め寄られ、必死に首を横に振る。

 何この人、めっちゃ怖い。


「おやめなさい!」


 新須さんが、これまでの柔和な印象から打って変わった鋭い声で制止すると、武郷さんはビクッと身体を強張らせた。


「あ、ああ……すまん」


 決まりが悪そうに襟から手を離す。

 胸倉を掴まれただけであるが、この赤髪の女生徒が尋常ならざる膂力(りょりょく)を有していることは十分にわかった。

 そして、そんな怪力女を一喝してビビらせてしまうお嬢様然とした美女。

 一体このクッキングクラブなる団体は何なんだ――

 戸惑い、怯えを抱きはじめた僕に、新須さんはまたにこやかな笑みを向けてきた。


「ごめんね。怖かったでしょ? 彼女、悪い子じゃないんだけど、少し思い込みが激しいところがあって、誤解や勘違いですぐに人を半殺しにしちゃうのが玉に瑕なの」


 玉に瑕どころではないと思うが。

 速やかに矯正すべき重大な欠陥だと思うが。

 などとは言えず、僕は「はあ」と曖昧な返事をするばかり。


「そういうわけで危険だから、もう帰った方がいいわね。口の中が甘いのは、きっとその辺に生えてる花の蜜でも吸ったんじゃないかしら。君って蜜チューチュー人間に見えないこともないし」


 流れるように心外なことを言う新須さんに呼応してか、英さんも本に目を向けたまま呟いた。


「レンゲツツジの花や葉には有毒な物質が含まれている……」

「あらそうなの。じゃあきっとその蜜を吸ったせいで気絶して、記憶も飛んでしまったのでしょうね。原因が判明して良かったわね」


 パッと聞く分には優しげな声だが、花の蜜なんて吸ったりしませんと抗弁させないだけの圧が確実にあった。

 そしてこの人、よく見たら目が笑っていない――思い返せば最初から。


「ところで、そろそろクラブ活動が始まる時間なの」


 帰りのホームルームが終わり次第、すぐに課外活動の開始時間になるので、その言い分はおかしいのだが、まあ翻訳すればさっさと帰れと言うことなのだろう。

 僕としても、少なからずおっかなさと薄気味悪さを感じているところだったので長居する理由はない。


「じゃあ……どうもお世話になりました」


 殊勝に、そして無難に頭を下げ、教室の扉へと向かおうとする。

 すれ違う前に、日比野が相変わらずの笑顔で声をかけてきた。


「じゃあ、また教室でね。もう覗きなんてしちゃダメだよ」

「だから覗きなんて…………!?」


 異変。

 あまりのことに、言いかけた言葉も、動いていた脚も止まった。

 あろうことか目の前にいるクラスメイトが、いきなり何も身につけていないあられもない姿へと変わったのだ。


「? どうかした?」


 急に絶句した僕に、軽く首を傾げ聞いてくる日比野。

 改めて見やると、いつものごとく一切着崩すことなく制服を着用している。


「い、今……は……」

「は?」

「い……いや、なんでも」


 何とか言葉を止める。

 一瞬、日比野の裸の幻覚が見えたなどと正直に申告しても何もいいことは無いことぐらい、誰にだってわかる。

 わけのわからない事態に見舞われ、きっと疲れているのだろう。そう己を納得させる。


「なんでもないんだ……それじゃ、僕はこれで………ええええっ!?」


 今度は思わず叫び声を上げてしまう。


「えっ? なになになに???」


 心配そうに距離を詰めてくる日比野は、いつもの日比野乃々美だった。

 しかし、確かに一瞬、この女子生徒は三角の耳を立て、目を赤く光らせ、大きな口から牙をのぞかせ、腕や脚など身体中が体毛に覆われている、獣の姿に変貌したのだ。


「どしたのどしたの? 目を大きく見開いて、口をパクパクさせてるけど。お腹空いちゃった?」


 腹が減ってこんな反応する人間がいるか。

 ここに至り、僕は理解していた。

 これは記憶のフラッシュバックだ。それもごく近い記憶の――

 そう自覚するや、次から次へと奔流のように記憶が甦ってくる。


「そ、そうだ……校舎裏で、日比野がいきなりはは裸になって……と思ったら、獣に変身して、武郷アイナとどえらいバトルおっぱじめて…………」


 一瞬で、四名の女生徒たちの顔つきが変わった。

 日比野は愕然とした、そして他の三名は固く、険しい表情へと。


「水原くん……もしかして記憶が消えてな……むごごっ」


 何かを言いかけた日比野の口を、新須茉茶華が後ろから塞いだ。

 例のごとく、目は笑っていない笑顔を向けてくる。


「随分と面白い白昼夢を見ていたようね。夢は願望の現れともいうし、きっとそういう趣味嗜好を持っているのでしょうね。ケモナーって言うのかしら?」


 立て板に水を流すように言葉を紡ぎ、反駁(はんばく)の余地を与えてくれない。


「世間は偏見に満ちているわ。私たちは黙っててあげるから、君もおかしな夢については口を閉ざして生活することを強く推奨するわ」


 気がついたら目だけではなく、どこも笑っていなかった。

 僕は腰が引けてしまい、何も言葉を返せない。


「ちなみに獣姦は動物虐待とみなされる可能性もあるから気をつけなさいね」


 そう言って、ビシッとこちらを指差してくる。

 残念なことに、ここで獣姦なんてしませんと言い返せる胆力と勇気は持ち合わせていなかった。

「ひいっ」などと情けない声を出し、反射的に両腕で身を守るような態勢になる。


「あら? 何それ?」


 日比野の身体を離し、右手の人差し指はこちらに向けたまま、軽く首を傾げてみせる。


「まるで私の指先から、何かの攻撃が飛び出してくるみたいなリアクションに見えるんだけど?」


 一歩。彼女は前に出て、僕は後ずさる。


「一体この白魚のような美しい指から何が出てくるのかしら? 破壊光線? それとも爪が伸びてきて眉間を貫かれるとか?」


 更に一歩。平然と前へ、慄然と後ろへ。

 静かな威圧に目を逸らすことさえできなかった。例えるなら蛇に睨まれた蛙、(イタチ)に睨まれた鼠、強ゴリラに睨まれた弱ゴリラ。


「それとも……見えない弾丸が飛んでくるとか?」


 もちろんもう思い出している。信じがたいあの光景。

 最後の一歩。上靴で床をカツっと鳴らす。僕の後ろには調理台があり、これ以上下がれない。


「知っているなら答えなさい!」

「ひゃ、百葉箱を粉々にしてました!」


 思わず背筋を伸ばし、答えてしまう。

 しばし沈黙。新須茉茶華は目を逸らしてくれない。僕は目を逸らせない。


「そう……どうやらこのまま帰すわけにはいかないみたいね」


 軽く嘆息し、さして気にも止めていないような口調で剣呑な台詞。


「ひっ捕らえなさい」


 言い終わるか終わらないかのうちに、その傍らにいた武郷アイナの脚は床を蹴っていた。

 抵抗どころか、悲鳴を上げる間すら与えられず、僕はあっさりと捕縛された。

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