灰色の子
魔王の城で、人間の女が魔王の子を孕んだ。
魔王に仕えるとある魔物が、ソレを殺そうと動いた。王の子であると同時に敵の子でもあるからだ。ナイフを手に取り、女の眠る寝室へと向かった。
けれど魔物は誰も殺せなかった。まず子を孕んでいた女は死んでいた、腹を内側から裂かれて血まみれになって死んでいた。
そして腹の中にいたはずの子は、なんと床に転がっていた。孕んでまだ数日だと言うのに成長していて、髪も伸びていて自身の体を覆い隠していた。
あまりのことに、目撃した魔物は思わずナイフを手から落とした。
床に転がる【灰色の子】を抱き上げた。顔を隠す前髪を払い除けると———
———両目に太い縦傷があり、そしてパッチリと開いた目から黄金の瞳が魔物を見つめていた。
———14年後
鏡に見開いた大きな目と黄金の瞳が映る。汚れのない透き通った瞳を見つめるのは、灰色の髪をした【灰色の子】。儚げで、幼なげで、女らしく成長をしていた。
ハサミで長く伸びた後ろ髪をあっさり切り落とすと、ゴミ箱に捨て、服を入れたタンスに向かう。肩にかかるくらいまで切った髪の毛、雑に切ったせいで毛先が跳ねている。
そして着ていた水色のワンピースを脱いでから、新しい服を取り出そうとしたところで、はたと大事なことに気づいた。
「あ、学校の制服きなきゃなんないんだっけ」
無表情で、しかし軽快な口調でそう言うと、赤色の制服を取り出した。
背中に大きなハートマークのついた赤いジャケット、白いポロシャツ、茶色い長ズボン、茶色のローファー。
背中のハートマークを恥ずかしげもなく、【灰色の子】はなんなく着ていく。少し口角が上がっているところから制服を着るのが嬉しいらしい。
最後にベルトをキツく締めて着替えが終わったところで、ちょうど1人の少年がやってきた。
「タールさん、おはようございます」
丁寧な言葉遣いでそう挨拶したのは、青い髪をした少年。黒いハット、黒いジャケット、黒いシャツ、黒いズボン、黒い靴、と全身真っ黒な格好をした物腰の柔らかい少年だった。
タール、と呼ばれた【灰色の子】は、頭を下げるその少年の方を向いた。
「おー、桜」
「いよいよ今日が入学式ですね。心の準備はいいですか。学校の中までは私も手が届かないのでそばにいる事ができません、守る事ができません……いいですか?」
桜と呼ばれた黒ずくめの少年は、ゆっくりと顔を上げてタールの着る赤色の制服を見てそう言った。
入学式。この度タールは、この街の学校に通うこととなった。
「そうだな、赤高校ってんだっけ? そこの校長の爺さんによりゃ、オレが行くとみんな暴力的になるけど、爺さんはそれが良いらしいな」
男口調で喋りながら、何もない空間をパンチするタール。話している間もずっとタールは表情のない真顔だった。
ノリの軽いタールに、桜は気が気ではない。敵が、敵ばかりの場所に行くのだ、警戒しないはずがない。けれどタールはそんなこと心配していない。
「表向きは、タールさんの“魔王の息子”というネームバリューから子供たちを刺激して成長を促すため、と言うことになっていますからね。行けばすぐにでもタールさんを敵視する能力者が現れるでしょう。けれど……本当に大丈夫ですか?」
「そりゃ死ぬかもな〜。ヒーローの強さは魔界でキラー兄ぃからよく聞いたからな、でもなら最初から行くなって話だろ。行くって決めたんならそっからはもう死んでも吉、生きても吉の領域だ。どちらにせよ悔いはねーさ」
こう答えが来ることは桜もわかっていた。けれど人間界の人間の中で、魔界にいる強力な魔物を倒してしまえる力のある能力者、いわゆる【ヒーロー】はタールにとって危険な力を持った連中。
ただでさえ人間界に充満する【神の力】と呼ばれる力のせいでタールは心身ともに弱まっている状態。見た目はそんなに弱っているようには見えないが、さっきからずっとタールが無表情なのは弱体化しているからだ。そのせいで笑えもしない。それが桜にとって一番の気がかりだ。
「学校の外ならどこへでも付き添い、守りますが、学校内だと私も自由に出入りできません。タールさんの入学に合わせて、あらかじめ予期して人間界側の協力者がすでに赤校へと配置されておりますが、そうだとしても不安が残ります」
「それってお前とふたりでウチに来てたヤツだっけ。大丈夫だって、なるべく死なねーようにはするし」
「……恨んでは、いませんか?」
「………………、???」
しばらく考えていたが、桜の言っている事が分からずタールは首を傾げる。
初めて表情が明確にわかるくらい動いて、キョトンとした顔でタールは聞いた。
「恨むって………誰を? 昨日服買いたいって言っても買わせてくれなかったお前にか?」
「正直服をアレ以上買う必要もないでしょうではなく……分かりませんか?」
「なに、クイズ?」
「その……両親や、こんな危険な場所に来るよう仕向けた人間界と魔界のトップ、それと……タールさんの人生を蝕むこの世界に」
「恨んでないよ何言ってんだ」
「しかし」
「ここでみんな恨んだらお前とこうして話してることも、オレは嫌だってことになるじゃんか。嫌じゃないし、お前は好きだし、魔界で会った友達もみーんな好きだ。んなら恨むのはオカドチガイってやつだ」
「………そ、そうですか」
真面目にタールの身の上を案じて聞いたつもりだったが、不意に好きと言われてそれ以上何も言えなくなった桜。恥も外聞もなくタールがこう言う事をズバッと言う性格なのは知っているが、想い人に真正面から好きと言われて動揺しないわけもなく……、
「あ、あの、そろそろ時間です。タールさんは他の生徒とは違い、彼らよりも早い時間に行かなくてはなりません。局長からの指示です。なので」
「おう、わかった。あと言っとくが昨日の事は恨んでるからなオレ、あれ店に置いてある数が少ないって言ってたから欲しかったのに買わせてくれなかったからな」
「……もう何百もの服を持っているのですから買う必要もないでしょうに」
そう言った瞬間に、桜の動体視力を超えた速さで、タールが桜の顔を両手で挟み込んで、タールの顔の前に無理やり引っ張り込んだ。
予測できないスピードの中、無理やりタールの顔を真正面から至近距離で見せられてドキッとした桜だったが、それも一瞬で、すぐに自分の言った事を後悔した。
「ばかやろ、10個の服があって10通りの着合わせで済むわけないだろ。ファッションは無限なんだよ。10個だけでも10通り以上できるし、10以外の服を組み合わせればいくらでも着合わせの種類ができるし、服の種類がいっぱい手元にあれば着合わせの仕方もいっぱい色々できるし、もっと言えば同じ服でも色が違えばさらに増えるし、アクセサリーも加えればさらに増えるし、あとは香水とか立ち方とか歩き方とか仕草とか、服だけじゃなくあらゆる部分から研究していけば毎日たくさん違う自分が楽しめ———」
「判りました! 判りましたから! もう時間ですよ!」
真正面から無表情の真顔でジーっと見つめてきて、つらつらとファッションについて語るタールに怯みつつ、それを止めてから桜は学校へと向かわせる。
それを聞くと、タールはあっさり桜を解放して、寝床にしている車庫から出て行く。周りにもたくさん車庫が立ち並んでいる車庫群の中の一角に位置するタールの車庫だが、周りのものより一際大きかった。
外に出ると目の前には巨大な湖が広がっていて、波打つ音がよく聞こえる。
湖に背を向け、後から出てきた桜の方を向いてタールは言う。
「んじゃ、行ってくる。帰ってきたら無事で何よりって出迎えてくれ」
「無事であるつもりなんですか?」
「生きてりゃ無事だよ」
それだけ言うと、それ以上何も言うつもりはなく、タールは学校に向かって歩いて行った。
最後何も言えなかった桜は、タールのいなくなった車庫の前で1人立ち、ポツリとつぶやいた。
「…………『大敵』と、『四度目の絶滅』ですか。人間も魔物も魔王も神も含めた全てが滅びる年が、今年。……本当にこの街にそんなものが降りかかるのでしょうか」
タールの背負うものを反芻して、桜もまた自分の学校に向かうことにした。
車庫の扉を閉めてから、一度大きな湖の方を見つめて、そして学校に向かった。その時桜の着ている黒い服の、背中の大きなクローバーマークが湖の水面に映った。