ドーナツテイル
『では、本日のニュースです』
……こころが姿をくらましてから一夜が明け、俺は朝のニュースを血眼になって見ていた。昨日の事件を報道している番組を探すためだ。
『このあとは、山本井守文学賞の発表と、デビューから連勝が止まらない女性プロ棋士、小又地操四段のニュースをお送りします』
だが、報じられるのはそんなニュースばかり。チャンネルを変えてみても、どこでも似たような情報を時間違いで流しているだけ。事件の事なんて、どこも報じていなかった。
「……平和な時代だと思ってたんだが、実際はただのまやかしなのかもな」
事実、毎年日本では、約1000件の殺人事件が起こっているという。だが、その全てが報道されるかといえば、そんなことはない。
よほどセンセーショナルな事件でもなければ、メディアは報じない。……街中で起こった小競り合いなんか特に。
「何か手掛かりが見つかるかもしれないと思ったのに……くそっ」
「お兄ちゃんおはよ〜。……やーねぇ、朝からカリカリして」
「……ああ、瑞希。おはよう」
寝ぼけ瞼のままで歯を磨く、パジャマ姿の瑞希がリビングに降りてきた。おどけながら、オカンみたいな事を言いやがる。
瑞希は視線をチラとテレビに向ける。山本井守文学賞の受賞者がインタビューを受けている所だ。……ギョッとした表情を浮かべた瑞希は、そそくさと逃げるように洗面所へ向かう。
……戻った瑞希は、濯いだ口を袖で拭いながら、恨めしそうな目をしていた。
「……そういえば山本井守文学賞って、昔、瑞希も獲ってたよな」
「……何、今は落ち目の“元”天才作家に対するあてつけのつもり?」
「ちげーよ!ただ聞いただけだろ!」
キリッと、鋭い目つきの瑞希に睨まれる。……カリカリして、やーねぇ。
と、キツイ眼差しから逃げるようにテレビに視線を向けると、インタビューを受ける文学賞受賞作家は、瑞希より年も若く「期待の高校生作家」なんて紹介のされ方をしていた。
「……結局、誰しも若い方が好きってことね」
「いや、そうとも限らないだろ。あと現役女子高生が若さとかどうとか語るんじゃねぇ。色んな方面に怒られろ」
……史上最年少書店大賞作家という肩書を持つ瑞希。だけど中々花咲かず、新たな若い芽が出てくることに、焦る気持ちもよく分かる。
確かに瑞希の情報をメディアで見ることは以前と比べ少なくなった。サインをせがまれたり、写真を撮られたりなんて……今じゃほとんどないな。
記憶に新しいのは、清本湖の大ファンを名乗っていたこころくらいか。
そのこころも今現在、絶賛行方不明中な訳なんだが。
「……こころさん、どこ行っちゃったんだろうね」
曇った表情を浮かべて瑞希は呟く。瑞希にとっても、恩人であるこころの失踪は心苦しいに違いない。……早いところ、何かしら手掛かりを掴みたいところであるが。
そもそもとして、こころの目的がさっぱり分からない。掴みどころのない奴ではあるが、特に昨日に至っては、意味ありげな事語っていきなり消えるわ、『真実を解き明かせ!』だの、無理ゲーのメイドインワリオみたいな事を言い出すわ、意味不明が過ぎる。
だから真実ってなんだよ!!わけわかんねーこと言いやがって、この妄想厨がっ!!
……こころは何を隠しているのだろうか……そういえば以前、言問が気になることを行っていたような気がする。
『貴方もですよ、妙本くん!あんな女に良いように利用されて!いつか痛い目見ますからね!』
なんて、まるでこころが俺らを操っているような言い草だ。『いや、アイツは、箱根や瑞希ちゃんを騙してる!絶対そうだよ!』とも言ってたな。……真実とは、こころが俺達を騙して利用しようとしているってことか?
いや、何の為だ。一体何の利益があってそうする。……それが分からなければ、真実を解き明かしたとは言えないよな。
とかく、言問は何かを知っている筈だ。今日、大学で話を聞いてみよう。
「……何?あの人になんか用があるの?こころさんに好き勝手悪口言うような人に……」
「ああ、いや、なんでもないよ……うん、何でもない」
「……ふーん」
……ただ、言問と喧嘩した一件から、瑞希に言問の話をするのはタブーだから、くれぐれも内密に、な。
※
……大学へ来て、すぐさま俺は後悔した。周りの不審なものを見る目がグサリグサリと突き刺さる。
まず、ほとんど毎日、こころと一緒に通学している俺が一人でいる事を訝しむ人が現れた。
次に、会話の輪が広がり、こころが消えたあの日、街での騒ぎを実際に見た人が現れた。
そして、警察沙汰になったという噂が一人歩きし、一人歩き続けた末、フルマラソン程の距離を歩き抜き、俺が犯罪者であるという根も葉もない噂が広まった。
……いや、なんでやねん!事件に巻き込まれて大変でしたねと慰められこそすれ、犯罪者だと責め立てられる筋合いはないだろ!
だが、こうなってしまった以上仕方がない。俺は恐る恐る、恐れられ恐れられ、言問と同じ学部の女子に、言問の居場所を尋ねる。彼女曰く、
「……言問さんなら今日は大学来てないですよ。それと暫く来てないので、明日も来るかどうか分からないです」
「…………」
……今日は授業もないし、言問が居ないならば大学に来た意味無かったじゃねえか。むしろこんな目に合うなら来ない方が良かったよ。
……仕方がない。言問の家に直接行ってみるか。
※
「……てか、言問の家の場所を俺は知らないはずなんだが……何で来れたんだ?」
俺はすっかり慣れた足取りで、言問の家の門の前までやって来た。
一体、どうなっている?いや、それよりも本当に言問の家はここで合っているのか?
だが表札にはきちんと『言問』とあるし、言問なんてそう多くない苗字だ。恐らくここで間違いないのだろう。
……スラスラと迷わず来れたのは、きっと前の世界線で、言問の家を訪れたことがあったからだろう。……羨ましい、そして、妬ましい。前の世界線の俺が言問と何処までいったかは知らんが、少なくとも家デートは遂行してるということだ。チクショー!羨ましいぞ、俺!
……否、俺だって、言問の家の前まで来たんだ。家デートの一つや二つ、で、出来らあっ!
「と、勢いで来たはいいが、普通に門前払いくらう可能性もあるんだよなぁ」
「……あれ、君は、文夏の友達かな?」
……俺が同額のステーキを作れるくらいの気合いで自身を鼓舞した時だった。言問の家の戸が開き、英国紳士然としたみてくれの男が現れた。
「ええと、言問のお兄さんですか?」
「うん。まあ、僕も言問だけどね。言問文夏の兄だよ、僕は。言問理春って言うんだ、よろしく」
シルクハットのブリム部分を摘んでお辞儀をする、和洋折衷ジャパブリティッシュスタイル。言問兄はおどけた調子で言葉を続ける。
「……君は、妙本箱根くんだね?」
「え?そ、そうですけど、何で……」
「文夏から聞いたよ。『恐らく多分、近い内に目つきの悪い大学の同級生が家に来る。名前は妙本箱根。彼が来たら絶対家に入れないで、込み入った話もしないで、でも門前払いは可哀想だから、軽く世間話をしたら帰ってもらって』って」
「…………」
言問に先手を打たれていたか。それでもすぐに突っ撥ねないあたり、言問の人の良さが出てるな。
「君には申し訳ないけど、僕も文夏に同意なんだ。……君を、“この件”に巻き込みたくない。だから僕から話すことも特にはない。想像以上に、厄介なことになってるんだよね。……何も知らない方がいい。自由ってとっても素晴らしい!て、本気でそう思うんだよね。……自由を奪われて、僕はとっても辛かったからさ」
「…………」
言問兄はまるで自身が監禁生活でも送ったことがあるかの様に語る。……が、その割には健康そうで、何不自由無く快適に暮らしている様に見えるけどな。
ただ、このままでは引き返せない。俺は情報を引き出すべく、言問兄に提言する。
「……教えて下さい。僕だって、出来るなら無視して平穏に暮らしたい。だけどこの件は、見て見ぬ振りは出来ない。……僕は、妙本理子の弟なんです」
俺はとっておきの情報を提示した。つもりだった。
「……知ってるよ。だから、話したくないんだ」
が、知っていて当たり前かの様な態度で断られた。続けて言問兄は語る。
「何故、理子ちゃんが姿を消したのか。何故、姿を消す際、君たちの記憶を消したのか。……その答えが、君たちを巻き込みたくなかったからなんだよ。普段の理子ちゃんは、冷徹というか、無感情な子だから少し驚きだけど、きっと君の事が大好きだったんだと思う。僕にはそんな素振り見せてくれたことないんだけどな……」
「…………」
「……悪いけど、僕から言えるのはこれくらいかな。別に、意地悪で教えない訳じゃない。君のことを思って、ひいては理子ちゃんの意思を尊重してのことだよ。ごめんね。これからも文夏とは仲良くしてやってね」
……そう言われてしまっては、俺にはもう、返す言葉がなかった。
「……はい、ありがとうございました」
絞り出すようにそう言って、俺は言問の家を後にした。
※
「……ふぅ、上手くやれた方かな」
僕、言問理春の妹の友人で、ガールフレンドの弟でもある、妙本箱根くん。彼が去って行ったのを見て、一言そっと呟いた。
妹に会いに来た彼であったが、今家に妹はいない。それを言ってしまえば彼は妹を探しに出かけるだろう。
元々、彼が来たら門前払いをする手筈ではあったが、更に、現在の妹の居場所についても決して言ってはいけないと強く釘を刺されている。
「……僕のバッドコミュニケーションで、怪しまれて探られることもあり得ただろうからね」
そう思うと、僕は上手くやれたのだろう。安心感にほっと胸を撫で下ろし、彼が去った路地を背にし、家に帰ろうとする、まさにその時だった。
「動くな……動けば命は無いと思え」
……誰もいなかった筈の路地から現れた、謎の人物が僕の首筋に刃物を当てて、脅し文句を口にする。
……痛みなぞ、怖くはない。僕は振り返ってその人物の顔を覗き見ようとする。が、それすら許さない物凄い力で頭を押さえつけられる。
「妙な真似をするな。命が惜しくないのか?」
「くそっ、惜しかった。物凄い力だ。君は只者じゃないね。一体誰なんだい?こんな真似をするのは」
「……あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」
背後の人物はそう言い、僕は訪れるだろう痛みを覚悟する。……しかし、想像よりもはるかに軽い、細い針が脇腹に刺さっただけだった。
「な、なんだい?気功でも突いたのかな?『お前はもう死んでいる』みたいな?」
「……やはりお前は死について深く考えた事はないな?今打ったのは自白剤だ。本来はここで使うべきものではなかったが、まあいい。死ぬのはお前ではない。お前の友人、家族……妹とかな」
「……ッ!!」
僕はようやく、事の重大さを理解した。……自分が死ぬ覚悟は出来ていた。だけど、他の人が傷つけられることは想像していなかった。
……やられた。最初から僕を脅して情報を得ようとしていた訳ではなく、あくまで情報さえ手に入れればやり方はどうでも良かったって訳だ。
「そうか、だから理子ちゃんは……僕たちを守ってくれてたんだね」
……力が抜けていく。立つことすらままならなくなった僕を、背後の人物をゴミを扱うように投げ捨てる。
「……聞きたいのは、その妙本理子の事だ。洗いざらい、話してもらうぞ」
意識が遠のく中、最後の力を振り絞り、振り返って見た、背後の人物の顔は…………
僕の、良く知る人物だった。
※
……言問家を門前払いてか、門前接待の後に帰らされた訳だが、こうなると真実を解き明かす為の捜査は一旦手詰まりだ。
何かを知っていそうな言問から話を聞けないとなると、もう誰に頼れば良いのか分からん。
……そう考えると、言問との対話の機会は釈迦から与えられた一本の蜘蛛の糸だったのかもしれない。
手を取らなかったことを後悔すると、言問が言った意味がようやく分かった気がする。
「期待するとしたら、言問が気を許せる友人とかに、何か伝えている可能性なんだが……」
そもそも言問の交友関係を俺はよく知らない。言問本人の事も、よく知らない。アイツがどこにいて、何をしていて、どうなっているのかも、俺は知らない。
高校時代まで振り返れば、誰とよくつるんでいたか、分かるような気もするのだが……
「……待てよ、もしかして“アイツ”なら……」
……俺は一人、心当たりがありそうな人物を思い出した。
※
「……あれ、早いね。お兄ちゃん、大学は?」
家に帰ると瑞希がそんな事を聞いてくるので、俺はぶっきらぼうに「無くなった」なんて答えると、瑞希は「跡形もなく?」なんてふざけた事をぬかしやがる。悪いが構っている暇はない。
「……なあ、瑞希。アイツの、常磐真宵の電話番号分かるか?あるだろ、連絡網とか、中学の頃の」
「え、まあ、あるとは思うけど。大体実家の番号でしょ?LINEとか交換してないの?メルアドとか」
突然の質問に、困惑した様子で瑞希は答える。成程、何も連絡手段は電話だけではないか。LINE、メルアド、盲点だった。
「……メルアドか。そういえば、中学の卒業アルバムのアイツの寄せ書きに……」
俺は自室へ向かい、本棚にある卒業アルバムに手を伸ばす。
最後のページ、別れの言葉やこれまでの感謝が綴られる寄せ書きの欄に、常磐真宵からのメッセージもあった。
『妙本くんへ。卒業おめでとう、て、卒業するのは私もなんだけどね(笑)昔はよく一緒に遊んだけど、最近は疎遠になってしまって、私は寂しいです。よかったらまた一緒に遊びませんか?迷惑だったら、全然いいんだけど。私は妙本くんと、また仲良くなりたいです。連絡してくれると、嬉しいな。アドレスは……』
「…………」
なんて、段々と小さくなっていく文字が、震えていたであろう手で書かれていた。……それだけで、彼女の心情が痛い程分かるはずなのに。
「……俺は馬鹿か。いや、馬鹿だ俺は」
すぐさま携帯を手に取り、書かれているアドレスにメールを送った。
元々は、言問の事を聞くために真宵に連絡をとろうと思っていたが、今はただ、真宵の話を聞いてやりたかった。
「……でも、3年前のアドレスだしアイツに繋がるか分からないよな」
返事は来るか分からなかった。ただ、俺は思うがまま勢いのまま、送信のボタンを押した。
※
「……あー、いいな、この服。かわいい……」
……休日、特に用事もない全休の日。することのない私、常磐真宵はスマホをポチポチ、春服なんかをネットでウィンドウショッピングしていた。
と、その時……
『件名:無題』
「……ん、なんか来た……」
突如スマホの画面に現れた着信アリの通知。知らないアドレスからの件名なしのメールで、怪しいことこの上ない。しかし私は無視出来ず、恐れながらも画面を開く。
そこには、予想外に簡潔な文面が並んでいた。
『久しぶり、妙本箱根です。3年ぶりだな。元気してたか?もし空いてたら、今週どっか遊びにでもいかないか?返事待ってる』
「……ッ!」
思わず、私は携帯を握りしめた。
三年間、ずっと待ち続けていた連絡だったはずなのに。
期待に胸を膨らませていたはずなのに。
……よりによって今?
「箱根くん?本当に?……ていうか、なんで今更?」
……返事なんて来るはずがないと思っていた。それが裏切られた驚きが、悲しみが、怒りが、そして喜びが、一気に押し寄せてくる。
「……なんで、今なんだよ……」
三年間だ。だが、想いはそれ以上。ずっと来なかった連絡で、忘れかけていたけど、私が好きだった人。
「今まで、ずっと待ってたんだからね……」
……たった三行の短い言葉が、何よりも重く、私の胸に突き刺さった。
彼の記憶には、私という存在はもう無いのかと思っていた。
それでも、アドレスを変えず、新しくアカウントも作らず、過去を引きずって生きてきた私の未練が、ようやく報われたのだ。
私はすぐに返信する。
『よ、元気?……いいよ、どこ行く?』
送信ボタンを押した指が震えている。
……あまりに簡潔な文章。だけど、その文面には、言葉にならない気持ちが詰まってるんだ。
私はずいぶん待たされたけれど、この一瞬で、すべてが報われたのだった。




