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晒されるのは純白と……


 街の中心部へと歩を進めると、流石に人が多くなってきた。


 ……余談だが、ナントカ現象たる名称が付けられた事象で、ドーナツ化現象より分かりやすい現象名はないと思う。


 反対に、都心部に人が集まる事を逆ドーナツ化現象と言うほどだから、ドーナツ化現象と言う名前がいかに言い得て妙か。ただ、逆ドーナツ化現象という名称には、もっと捻りを加えてもいいと思うが、ドーナツ化現象ほどにしっくりくる名前が何かあるだろうか?


 すれ違う人々と、軽く肩が触れ合うほど混雑した雑踏を歩みながら、そんな事を考える。さしずめここは、逆ドーナツの穴だ。


「箱根っち、はぐれないでね」


 そう言ってこころは俺の手を引く。何故こんな人がごった返す街中をうろうろしているのか。それはこころが言問と瑞希の仲を取り持つ為の面談の場で、用意する菓子折りを手に入れる為であった。


「瑞希ちゃんと文夏ちゃんの分と、それと、私達の分もね。作戦会議に、甘いものは必要不可欠なんだから、なんだかんだで、脳を動かすのは糖分だし。……箱根っちは、何か食べたいものとかある?」


「何でもいいよ。お前に任せる」


「オッケー♪じゃあ、お気に入りのドーナツ屋さんで。箱根っちもきっと気に入ると思うよ」


 こころは自信満々に答える。その自信はどっから来るものかは知らないが。お前が美味しいドーナツ屋を知っていようが、そのドーナツが美味しいのはお前の手柄ではないぞ。作るパティシエの力量だ。


 ただ、俺も甘いものは嫌いじゃない。むしろ、好物だ。


 こころのお気に入りであるという逸品は、果たして俺の舌をうならせることが出来るのか?……正直、楽しみではあった。





 ※






「……オールドファッションと、フレンチクルーラー。あとチュロスを2つで」


 慣れた様子でこころは注文を口にする。こころが名店だと語るそのドーナツ屋は、行列の出来るほどの人気店、とは、お世辞にも言えず、溢れる人々の足はこの店を避けるように進んでいた。


「おやまあ、こころちゃん。いつもありがとうね。えっと、一緒にいるのは彼氏さんかい?」


 厨房から、店主らしき熟年の女性が顔を覗かせる。どうやらこころとは顔見知りの様で、砕けた態度で、受付の人がドーナツを箱に詰めるのを待つ俺達へ語りかける。


 「もう、違うよー。普通の友達。全然そんなんじゃないから」


 こころはそう言って、おばちゃんに愛らしい笑顔を見せる。と、ちらりと俺の顔を見て、なぜか少しはにかんだ。なんの表情だ。


 おばちゃんは「ふふ、こころちゃんは相変わらずだねぇ」と、楽しそうに笑った。


 そのおばちゃんの表情を見て、俺は驚いた。こころが見せる笑顔とよく似ていたから。二人の間に流れる空気感というか佇まいは、長年の付き合いを物語っていた。


「……お金には困ってない?苦しかったらまたいつでもウチに来てくれればご飯も食べさせてあげるし、バイトはいつでも募集中だからね。なんたってこころちゃんはウチの看板娘なんだから」


「“元”看板娘ね。おばちゃんと働くのは楽しかったけど、今はお兄ちゃん達の手伝いで忙しいから。……近々、凄い大きなプロジェクトがあって、私も参加させてもらうことになったんだよ」


 こころは、お兄さんの会社のことを話している。知らん話だ。……以前、こころの住む高層マンションを見せてもらった時、家の金で悠々自適に暮らしてんなと思ったが、コイツはコイツで色々苦労してんだなと、改めて知らされた。


「まあ、それはおめでとう!こころちゃん、本当に頑張り屋さんだね。前は随分と苦労していたから、おばちゃんも嬉しいよ」


「……私が苦しかった時、おばちゃんがドーナツを食べさせてくれたり、バイトさせてくれたりしたおかげだよ。あの時、おばちゃんと会わなければ、私はあのまま路地裏で餓死してたと思う。本当にありがとう」


「……え?」


 俺は思わず、二人の会話に割って入る。


「……こころ、お前、バイトって、学生バイト的な感じじゃなくて、死にかけの子供を保護するみたいに、路頭に迷ったお前をドーナツ屋のおばちゃんに拾ってもらったってそんな感じ?」


「……うん。まあ、そんな感じ、かな?」


 こころは俯くように頷いた。


 ……高層マンションに住む、東大首席合格者。本人は努力でのし上がったとは言うが、根底には家庭の財力というアドバンテージがあると思ってた。


 が、それはブルジュ・ハリファ並みに大きな勘違いで、むしろひもじさで斃りかけるくらいに貧乏というディスアドバンテージをこころは抱えていたのだった。


「でも、お兄ちゃんが、社会人になって、その手伝いをするようになってからは、お金には困ってないよ。住む場所も、お兄ちゃん達と一緒のマンションに住まわせてもらってるし」


 こころは、苦労を微塵も感じさせないくらい明るく、少し照れたように笑う。てか、前に紹介して貰ったマンション、あれってこころのお兄さんのだったのかよ。俺が上がってたらどうなってたんだ。


「……そう、だったんだな……」


 俺は、こころの知られざる一面を知り、なんだか胸が締め付けられるような気持ちになった。


 ……俺自身、自分の事を不幸であると思い込んでる節があった。両親は仕事で海外に赴任しており家におらず、生活費は毎月一定振り込まれるものの、家事は俺と瑞希の二人でこなす。そのウエイトも俺の方が圧倒的に多い。それに関しては可愛い瑞希の為を思えば何ともないが。


 そんな生活の中で、勉強もしてとなると、かなりの重労働。……他の奴らは何でも親にしてもらっておいて、やれ母親が煩いだの、父親が臭いだの、親に生活を享受してもらっておいて、ふざけるのも大概にしろよ!と、俺は言いたい。……俺はこんなにも頑張っているんだぞ!と。


 ……だが、こころの境遇を知った今、俺自身も傲慢であったことに気付かされた。


「箱根っち、どうしたの?」


 俺の顔を心配そうに覗き込むこころ。


「いや、なんでもない。……おばちゃん、ドーナツありがとうございます」


「はいよ。……次来る時は、こころちゃんの彼氏さんとして来てくれたら、おばちゃんサービスしちゃうよ」


 おばちゃんは、茶目っ気たっぷりに笑うと、箱に詰め終わったドーナツを渡してくれた。


 その箱を受け取ったこころは「もう、おばちゃん!」と恥ずかしそうにしつつも、どこか嬉しそうだった。


 まるで親子みたいな二人のやりとり。そして、それが終わると、こころは俺の顔を見て言った。


「さ、作戦会議を始めようか」


 その表情は、何かを決心したみたいな、必ずや目的を達成してみせるという決意に満ちていた。……そんな風に、俺には見えた。





 ※







 ……ドーナツ屋を後にした俺達は、作戦会議とは名ばかりの談笑をしながら、菓子折りを持って瑞希を説得すべく家への帰路を辿るのであった。


「……でね、私が思うに……」


「……お前か。こころって奴は」


 と、街を歩みながらの談笑中、突然、見慣れない男が俺たちの行く手を阻んだ。いかにもカタギではなさそうな、厳つい見てくれの男共。小柄ながらに筋肉質な取り巻き2人と、堂々と立ち塞がるリーダーらしき長身の男。


 取り巻き2人がヘラヘラ笑う中、リーダーは落ち着きはらっている。その目は、まるで冷酷な殺人鬼の様であった。


「……お、俺らに一体何の用だ?」


「……どうせ、あのエルセンの女子生徒の差し金でしょ。……ホントくだらない。『あの生意気女を懲らしめて〜』なんて、ヘコヘコお願いされて、鼻の下伸ばして快諾したんでしょ。ホーント、気持ち悪い」


 こころは男達の覇気に怯えることなく、飄々として応じる。リーダーの男は無表情を装っているが、面食らったのか、眉を僅かに吊り上げた。ちなみに取り巻きは分かりやすく動揺している。


「で、何?私を殴るの?蹴るの?犯すの?……どれにしたって、簡単にやられるつもりは無いし、アンタも痛い目見たくなければ、さっさと尻尾巻いて逃げたほうが身のためよ」


「……ずいぶんと口が回るヤローだ。俺等をコケにして、どうなるか分かってんだろうな?」


「あら?分からないわ。一体どうなっちゃうのかしら?」


「…………」


 こころは調子を崩さず、分かりやすく男を煽るが、男は答えることなく、無言でこころのスカートに手をかけた。


「チョーシこいてんじゃねぇぞ!女ぁ!」


「きゃっ!」


 あっという間に、こころのスカートが破かれ、真っ白いパンツが露わになる。周囲にいた人々の視線が、一斉に俺たちに突き刺さった。


 スカートを奪われたこころは、衆人にパンツを晒され、恥ずかしさにうずくまる。


「てめえ!」


 俺は怒りに任せて男に掴みかかった。だが、取り巻きがすぐに俺の腕を掴み、地面にねじ伏せた。


「ぐっ……!」


「箱根っち……!」


 容赦ない拳が、俺の腹にめり込む。男たちの暴力に、俺は身動きが取れなくなった。


「首突っ込むんじゃねぇよ!男ぉ!お前に用はねぇ!すっこんでろ!」


 男は吐き捨てるように言った。……しかし、その言葉がこころの逆鱗に触れた。うずくまるこころは立ち上がり、冷たい視線を男に向けた。


「………用がねぇなら、箱根っちに手ぇ出してんじゃねぇ!」


 その言葉を合図に、こころの態度が変わった。先程までの恥じらいは消え失せ、まるで舞うかのように男共を翻弄し、刺していく。


「くっ、いきなり何なんだよぉ……コイツ……!」


「……先に手を出したのはお前らだろ。くたばれ、カス共!」 


 的確な一撃で相手の急所を突き、あっという間に男たちは地面に転がされた。


「な、何が起きたでヤンスか!?」


「く、クソ女がぁ……!」


 取り巻きは何が起こったのか分からぬまま、天を見上げる。ただ、リーダーの男は一筋縄ではいかず、膝をついて立ち上がろうとする。しかし、あっけなく足をはらわれひっくり返る。


「クソッ……!覚えてろよ、女ぁ!」


 地面に倒れた男は、悔しそうに顔を歪ませながら叫んだ。


 対するこころは冷静に、脱いだ上着を腰に巻きながら、フッと鼻で笑う。


「笑ってんじゃねぇ!……俺に手を出して、ただで済むと思うな!俺はマフィアの息子だぞ!お前を……ボコボコにしてやるからな!」


 男の言葉に、こころの表情が凍り付いた。が、すぐに平静さを保ち、男に問うた。


「マフィアの息子?……それで?貴方が一家の恥さらしだってことを言いたいわけ?……に、しても厄介な奴に目をつけられちゃったわね。今が一番大事な時期だっていうのに……くそっ」


 こころは悔しそうに下唇を噛む。そして、意を決したかの様な表情を浮かべたと思ったら、戦闘の流れ弾が当たらないよう地に置いておいたドーナツの箱を手に取り、俺に突きつけて言った。


「……ごめん、箱根っち。助けてあげるつもりが、結局、迷惑かけちゃったね。……いや、いつもそうだったね。私が関わると、碌なことにならない……役に立ちたいと、思ってたのになあ……」


 涙を流さないよう、こころは立ち上がり、天を仰ぐ。そして、曇り空から太陽の光が漏れる、薄明光線のような笑顔を浮かべ、言った。


「だから私は、もう……消えるから。瑞希ちゃんには、『ごめんなさい』って、伝えておいて。文夏ちゃん……いや、アイツには、何も言うことはないかな。私が消えて、清々するだろうね。……あーあ、やっぱり私は、碌でもない人間だったよ」


「……は?消えるって、一体どういう……」


「さよなら、箱根っち。いや……天才くん。真実は君が解き明かすんだよ?」


「おい!ちょっと待て!!」


 ……しかし、一瞬の躊躇もなく、こころは俺の目の前から姿を消した。……文字通り、“消えた”。まるで、最初からそこにいなかったかのように。


「な、何が起こったんだ……?」


 俺は呆然と立ち尽くしていた。こころの過去、そして正体。目の前で繰り広げられた出来事は、俺の知るこころとはかけ離れていた。否、もはや現実からもかけ離れており、実際に起きた出来事なのかすら、疑わしかった。


 しかし、すっかり伸びて倒れるチンピラ。一連の出来事を見て騒ぎ立てる群衆。誰が呼んだかやってきた警察。……眼前に広がる光景は、これが夢ではないという動かぬ証拠だ。


 その後、俺は警察の事情聴取を受け、すべての出来事を正直に伝えた。……警察もにわかには信じがたいと語る。そりゃそうだ。俺だって信じがたい。


 ……本当の話が一番嘘くさい。これが、現実なんだ。






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