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いっぱいおっぱい僕元気

 

 そういえば、ここってどこの病院ですか。退院の手続を行う際、看護師さんに聞いてみたのだが、……ビックリ仰天、どうやら伊豆の山奥にある僻地病院に俺は運ばれてきたらしい。


 伊豆の山奥って言うと、箱根の辺りか。どうしてわざわざこんな遠方の病院にこころは連れてきたのだろう。


 てか、どうやって帰ればいいんだ。両親に迎えを頼むにしても、遠路はるばる運転してもらうのも気が引けるし、一つや二つじゃ済まない小言も言われるだろう。


 タクシーを拾うのも一苦労だ。今の時代、アプリでどこでもタクシーを呼べるようだが、それにしても料金がかかりすぎる。近くに公共交通機関も無いようだしな。


「さて、どうしたものか……」


 俺がこの僻地病院からの脱出方法を検討していた時だった。山道を登ってきた自動車が病院の駐車場に停まった。……なんか見たことある車だな。


 ぼんやりとした既視感から過去の記憶を呼び起こそうとしていると、プップーと、先程停まった車がクラクションを鳴らす。


 何だと思い、車の運転席の辺りを見ると、窓が空き、運転手がこちらへ手招きをした。……来いということだろうか。


 訝しみながら車へ近付き、運転席を覗く。


 ……そこには、良く見知った顔があった。


「おう、妙本。久しぶりだな。卒業式以来か?」


「……と、十川先生!?」





 ※






 どうやら十川先生は時志クリニック、先程の僻地病院に知り合いが勤務しているらしく、病院からの緊急連絡を受けて、俺を迎えに来たらしい。


「全く、久々にアイツからの連絡があったかと思ったら、妙本、お前が倒れて運ばれてきたと聞いて更に驚いたよ。体調は大丈夫なのか?」


「まあ、はい、何とか」


「あまり無理はするんじゃないぞ。勉強でもなんでも、力を入れるのは結構なことだが、それで大事な時に倒れてたんじゃ本末転倒だぞ。何事もほどほどにだ。お前はほどほどにやるくらいが丁度いいからな」


「ああ、はい」


 十川先生は、……俺はもう卒業したから教師と生徒の関係ではないが、相も変わらず十川“先生”であった。前にも思ったことがあるが、どうしてこうも面倒見がいいんだろうな。


 生粋のクズである俺に対しても変わりなく良くしてくれるんだから筋金入りだ。


「……先生は、変わらないですね」


「そうか?……本当に、そう思うか?」


 どこか嬉しそうに微笑む十川先生は、教師と言う自身の仕事を誇りに思っているのだろう。と、俺はそう思った。


「……ええ、ずっと先生って感じです」


「本当か?それは本当だな?!」


「……?ええ、まあ」


「……二言はないな?」


 必要に何度も確認してくる十川先生。一体何がそんなに引っかかるのだろう。


 気になって、十川先生を改めて注視すると、……以前と変わったと思われる点が一つ。


「…………」


 ……もしかして、少し太りました?


 もちろん、口には出すことなど決してないし、出せるはずもないが。


「おい妙本!お前、怒らないから今思ったことを素直に言ってみろ!」


 しかし、俺の目線や雰囲気から、心中を察した様子の十川先生は、怒りと羞恥で顔を真っ赤にしながら俺への尋問を始めた。


「いや、言えませんよ!そんなこと!」


「そんなこととはなんだ!言え!言わなきゃ分からないだろ!」


 先生は言わなきゃ殴り飛ばすぞと言わんばかりの形相で答えを言えと怒鳴る。どうせ言っても殴られるんだろうが。


 先生の方から「本当に変わらないと思うか?」などと誘っておいて、大きく変わった所を見つけたら見つけたで「変わったと思ったところを言え!」って罠だろ、これ。口裂け女ならぬ腹デ……おっと、いかんいかん。


 ただ、どうしよう。恐らく先生は俺が何を思ったか分かった上で聞いてるだろうから、適当に誤魔化すのも愚策だ。だから、正直に答えるのが吉ではあるが、バカ正直に答えてはいけない。上手くオブラートに包みつつウィットに富んだ受け答えをしなくては。


「どうした、早く答えろ。答えなければお前を車から引きずり下ろして、藪に捨てて帰るというのもやぶさかではないぞ?」


 やぶれかぶれな俺を追い詰める様に十川先生は睨みを効かせて言う。タイムリミットはもうない。くそう、前に本屋でインテリ悪口本なんてのが売っていたが、読んでおけば良かった。


 もう後がない俺は、咄嗟に口から出任せで答えを述べる。


「……何というか、わがままボディに更に磨きがかかったんじゃないですか?」


 刹那、静寂と、張り詰めた空気が流れた。


「……は?なんだお前。このスケベ野郎が……と、言いたいところだが、オブラートに包もうと努力したところに免じて目を瞑ってやろう」


 十川先生にガチで凄まれた俺は、改めて教師と生徒の関係で無くなったことを実感する。全力でキレられたのなんて初めてだし、普通に暴言も吐かれた。これが教育の場であれば大問題だろう。


 俺は恐怖した。普段温厚な人ほどキレると怖いというが、今まさにその恐怖を十川先生に対して感じていた。


 ……下手をすれば殺られるんじゃないか。峠道でのドライブで、十川先生はいつだって俺を車から下ろし崖下に捨てる事が出来るのだ。生殺与奪の権は先生に握られている。どうにか先生のご機嫌を取らなければ。


 追い詰められた俺はそう画策し、先生の機嫌を取る一言を何とか捻り出す。


「まあ、おっぱい大きくなって良かったじゃないですか」


 しかし更なる墓穴を掘った。


「くっ、大学生になって遊びなれたみたいだな、妙本。こちとら大学時代は目立たずに過ごしてたっていうのに……」


 ただ意外にも十川先生の逆鱗には触れることはなく、恨めしそうにはしたものの、軽口を叩かれただけで怒られることはなかった。また、十川先生が大学時代に目立たず過ごしていたというのも、意外だった。


「そうなんですか?意外ですね。てっきり何度告白をされても断ってきた高嶺の花タイプだと思ってましたよ」


「確かに、私もその気になれば、な?モテモテだったろうさ!そうとも!……だけど、私は、あまり目立ってはいけない理由があったから、ね?」


「何すかその理由って」


 あたかも自分がモテない訳ではないと主張する十川先生。だが実際、男子生徒からの人気はあったし、モテないことはないと思うが、先生が語る目立ってはいけない理由とは何なのか……


「そ、それは!人に話してはいけない理由だ!」


「…………」


 誤魔化すように、十川先生は俺とは目を合わせずに答えた。まあ、運転中だし余所見されても困るんだけども。


「ほ、ホントだぞ!?」


 先生が顔を真っ赤にするほど必死にそう言うので、俺は異を唱えることはせず、そうなんですねと適当に相槌を打って会話を終わらせた。これ以上ツッコむのも野暮だしな。


 以降話題は180度変わり、他愛もない雑談を交わしながら峠道のドライブは続くのだった。





 ※






「ところで、妹の瑞希ちゃんの調子はどうだ?」


 ドライブ中の他愛もない雑談の最中、十川先生はいきなりそんな事を聞いてきた。峠道を抜けて景色はすっかり変わり、今は市街地を走っている。


「瑞希ですか?まあ、元気ですよ。……相変わらずお家大好きっ子ですが」


「……そうか」


 十川先生はハッと溜息を吐く。


 瑞希は俺や言問が通っていた東高とは別の、もっとレベルの高い私立高校に進学した。だから東高の教師である十川先生とは接点がない。しかし……


「高校説明会の時にも話したが、私は瑞希ちゃんは東高に来るべきだと思ってたんだが……まあ、一番大事なのは本人の意思だからな」


 十川先生が語るように、先生は熱心に瑞希を勧誘していた。だが、当の瑞希は……


『別に、お兄ちゃんのいない東高に通う意味ないし……』


 と、素っ気なかった。


「確かに瑞希ちゃんの通う聖エルセン学園と比べればウチはレベルは低い。が、聖エルセン学園は瑞希ちゃんの様な優秀な生徒を学費免除で迎え入れる代わりに、金持ちから入学金をふんだくりボンボンを裏口から入学させて財源を得ている。だから学園のネームバリューを維持するために、学費免除の特待生には優秀なハウツーで結果を出させ、一方のボンボンの生徒にはテキトーなもんさ。金さえ払ってくれればいいからな。……その格差のせいか、いじめも多いと聞く。それを教師も咎めない。金を払う奴らがいなくなると困るからな。特待生は、結局金づるを集めるための“駒”でしかない。教師は基本的には金を払う奴の味方だ。それを覆すには、相当に優秀な“駒”でなければならない。……そんな環境は瑞希ちゃんには向かないと私は思う」


「それを瑞希には話したんですか?」


「ああ、話したさ」


「そしたら、なんて?」


「『私はもう既に相当に優秀な駒ですよ』ってな」


 ……あまりにも自信家な瑞希が言いそうな台詞だ。


「……だが私はそれが強がりで、彼女なりに自分を追い込もうとしていたんだと思うんだ」


「と、言いますと?」


「……瑞希ちゃん、清本湖先生の代表作と言えばなんだ?」


 清本湖先生と、丁寧な呼び方で言い直した十川先生。その名を聞くと、真っ先に思い浮かぶのが、史上最年少書店大賞受賞作家という肩書きと、受賞した作品名だ。


「書店大賞を受賞した『黒鳥』ですかね」


「……他には?」


「ほ、他の作品ですか?」


 ……言葉を返されてハッとする。確かに瑞希の代表作に、黒鳥以外の作品は思い浮かばない。


「でも、そもそも瑞希はまだ黒鳥以外の長編小説は出してないですよ。短編集を一度出しただけです」


「それでもだ。短編集でも、大ヒット作家の最新作なんて、多少なりとも話題になるものだろ。……それに、黒鳥が出てからもう4、5年になるか?それだけの期間、新作がなければ忘れ去られるには充分だろう」


「…………」


 十川先生は冷酷に、もうやめてくれと叫びたくなるほど、残酷な真実を述べる。


 瑞希だって、頑張ってるのだ。確かに結果は出ていないかもしれない。でもそんなこと瑞希だって分かっている。俺も、アイツが努力しているのを知っているから。……アイツも苦しんでる。これ以上、瑞希を苦しめることを言うのはやめてくれ。なんて、それが身内贔屓の戯れ言だとも分かっている。十川先生は、客観的事実を述べただけだ。


「……十川先生、確かにそれが世間一般から見た清本湖に対しての率直な意見でしょう。だけど、俺は清本湖の身内で……瑞希のお兄ちゃんなんです。だから、俺の前で瑞希の言うのはやめてください」


「……ああ、すまなかったな」


 結局、俺は耳をふさいだだけだった。……何も、言い返す言葉が思い付かなかったから。


 俺には、どうすることも出来ない。瑞希に何もしてやれなかった俺には……


「……お前は、妹思いなんだな。まあ少し、シスコンの気はあるが」


「ええ、俺はシスコンですよ。……片思いですけど」


「……なんかキモいな。その言いぐさ」


「…………」





 ※






「よし、着いたぞ。もう伊豆の山奥の病院なんかに運ばれたりするなよ」


 今回はレアケースですよ。なんて軽口を叩きつつ助手席のドアから外へ出て、運転席に向かってお辞儀をすると、十川先生は手を降り返しながら再度車を走らせた。


 お誂え向きに、先生は家の近くの公園まで送ってくれたので、家はもう目と鼻の先だ。俺は昨日倒れてから約一日ぶりの自宅に思い馳せながら向かう。


 家の外観が見えてきた辺り、長旅からようやく帰ってきたなという感慨が胸に溢れるより前に、……家の前に人が屯しているのを見つけて俺はギョッとする。


 ……一体何をしているんだ?良く良く動向を観察してみると、その人物は瑞希と同じ聖エルセン学園の制服を着ている事が分かった。瑞希に何か用があるのだろうか。


 見ず知らずの、それもイケイケのJKに声を掛けるとなると、多少なりとも緊張するものだが、意を決して俺は女子生徒に声をかける。


「どうしたの?この家に何か用?」


「え!いや、えぇーっと……もしかしてこの家の人ですか?」


 案外、物腰低く女子高生は応じる。イケイケJKは実はイケイケJKではなく、真面目なイケイケJKだったのか。


「うん、そうだけど。その制服ってエルセン学園の制服だよね?もしかして瑞希に何か用事かな」


「あ、はい!そうです。でも瑞希ちゃん留守みたいで」


 どうしようと、真イケJ(真面目なイケイケJKの略称)があたふたするので、優しい真イケJ(真心イケメンジェントルマン)を気取って俺は答える。ちなみにジェントルメンの頭文字はGだ。頭文字G。


「瑞希なら多分家にいると思うけど……良ければ呼んでこようか?」


「い、いえ!大丈夫です。大した用事じゃないので、私もう帰りますね」


 そう言うと、軽く会釈をして真イケJは走り去る。どうやら少し離れた所で友達を待たせていた様だ。


 玄関前の戸を開けながら、去り行く真イケJの姿を横目で見る。


 ……真イケJが友達と合流する。すると、こちらを見て真イケJ他友人A、Bがケタケタと小馬鹿にするような笑い声を上げた。


 なんだ、俺コミュニケーションミスったか?最近のJKの流行なんて一切合切分からんし、もしかするとふてほどな発言をしていたかもしれない。


 にしたって、それだけであんなゲラゲラと笑うか?なんかムカついてきたな。最も、俺を見て笑った訳ではなく、ただの自意識過剰である可能性も多いにあるが。


 俺は文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、大学生の男が女子高生をチラチラみつつ、話を盗み聞いた挙げ句、会話に割って入ってクレームを入れるというのはあまりに事案的すぎるので自重する。


 だから俺は気付かないふりをしつつ、ドアのカギを開けて家に入る。


「…………」


 ……ドアの目の前に、瑞希がいた。


「びっ……くりしたぁ!」


 あまりの驚きに舌を噛みそうになるくらい、息をイッキに飲んだ。瑞希が目の前にいたことも驚きだが、眉をひそめて怖い顔をしているからより恐ろしい。


「ど、どうしたんだよ。瑞希」


 瑞希は黙りこくって返事を返そうともしない。その幽霊じみた様子に更に恐怖を感じた俺が後退ると、瑞希は兄の情けない様子に呆れ溜め息を吐いて、ようやく口を開いた。


「……さっきまで、エルセンの制服着た生徒が外にいたでしょ。そいつらはもう帰った?」


「ああ、帰ったけど」


 声を潜めて、真イケJ達の所在を確認する瑞希。そして、いないことが分かると必死に飲み込んでいた息を大きく吐き出した。


「良かった……帰ってくれたんだ」


 へなへなと、瑞希は安堵からかその場に腰を下ろした。その様子に、俺は違和感を覚え、そして、十川先生の言っていた事を思い出す。


「……瑞希、アイツらにいじめられたりしてないか?」


「…………」


 瑞希は誤魔化す為にか、作ったような笑顔を一瞬浮かべたが、俺に隠す必要もないと判断したのか、逡巡したような表情をした後、語り始めた。


「……うん、まあ、いじめられてるっていうより、嫌がらせを受けてるっていうか、でも、そうだね。お兄ちゃんが想像しているようなことで間違いないと思うよ」


 ……そう語る瑞希に、俺は……何もしてやることが出来なかった。





 

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