序章 魔術大国“極東”【前半】
A.M.03:00 青森沖合
黒い鉄の塊が浮上する。
形は軍の保有する潜水艦そのものだったが、国旗も番号も書かれてはいない。
見る者が見れば一瞬で侵入者だと分かる。そんなお粗末な艦であった。
「こんな所で浮上して大丈夫なんですか?」
船内では若手の副艦長が浮上を指示した艦長に問う。
当然だ。緊急で用意した艦であるが故に、この艦が必要最低限の見た目しかしていないことを船員たちも理解していたのだから。
必要最低限さえ整えれば誤魔化しは幾らでも効くと分かっていても一抹の不安はそう簡単に拭えないものだ。
艦長は副艦長の言うことも理解できたために、ため息をついた後、ぽつりと愚痴をこぼす。
「本来であればもう少し海中から攻めたかったのだが……極東の連中は色々と対策を取っているらしい」
眼前に広がる大陸は今回の目的地。この艦の向かう先は極東――旧名・大日本帝国。
かつて、僅か三カ国で無謀にも世界に喧嘩を売り、破滅の一歩手前までいった愚かな国と言うのが第二次世界大戦終結後の各国の印象だ。
恐らく世界から見ればかつての大日本帝国は狂人染みた化け物に映ったのではなかろうかと副艦長は思う。
果たして世界を見渡して「国民全員が玉砕覚悟で臨め」と言われて実行する国がどれほどあるのだろうか?
結局、ナチスとサロが降伏した為、最後の一カ国になったにも関わらず、この国は勝ちはしなかったが、負けもしなかった。
それを可能にしたのが東洋魔術だと言われている。
東洋魔術は古の倭国によって生み出され、裏社会にて発展した極東の秘奥魔術だ。
当時は大変驚かれたが、英国もまた西洋魔術を保有していたために今では魔術の存在は一般的なものになっている。
動揺もかなり早い段階で沈下したそうだ。
だが、問題は別にあった。
彼等は東洋魔術を使い、原爆攻撃を二度に渡って防いだ。
降伏しろと警告の意を込めた一撃を止められた世界は日本との終戦協定を結び、引き分けという形で第二次世界大戦は幕を閉じたのだ。
「この国は海で囲われただけあって攻める方法が少ない。
特に特殊工作員を紛れ込ませようと思うにも、正面から堂々と入国させることも叶わない」
「それ、私も不思議に思っていたのですが、何故なんです?」
「この国は国民や旅行者に限らず全員に管理タグの装着が義務付けられている。
全員が意図せず武器を持った状態だからな。魔術とはそういうものだ」
入国自体は何も問題がない。
しかし、管理タグによって常に居場所を管理されている以上は、怪しげな行動をすれば、たちまち監視対象に認定され、場合によっては極東に捕まることになる。
なんて面倒なとは思うが、管理タグによる監視は仕方のないこと。
国土が広いソ連や米国も、やはり管理タグによる監視は行われている。
艦長の言う通り、今の世の中の人は多くの者が意図せず武器を持った状態なのだから。
実は魔術師の家に生まれなくても才能と努力さえすれば、一世代目の魔術師にはなれる。
それはつまり、魔術とは誰にでも扱えるものであるということ。
しかし同時に、遺伝するものでもある。
魔術を持たずに生まれた人間は魔術師になるか、ならないかを選択することが出来るが、魔術師の子に生まれた人間は生まれたその瞬間から魔術師だということだ。
そして、現在。世界の魔術師人口は七割を超えているという。
十人とすれ違えば七人が魔術師なのだ。
全員武装していると言っても過言ではないだろう。
「ここで上がるのも攻撃を回避するためだ。
何せ、海路か空路で攻めるしかないこの国は、水中にも防衛システムを行き渡らせているらしいからな」
「噂の魔導と言うやつですか……」
極東の歴史ある都・京都やその周辺で生まれた東洋魔術だが、戦後は更なる発展を遂げているのだ。
媒体に式を織り込んだ発動体を用い、様々な魔術を扱う魔術師。
媒体に術式を用い、無詠唱で魔術を連続発動させる魔導師。
そして、中京エリアを中心に魔力を原動力に動く機械技術・魔導を研究開発する魔工師。
魔術師や魔導師と違い、魔導兵器の厄介なところは圧倒的な火力にこそある。
残念ながら旧世代の戦車など、ただのゴミでしかない。
人型の魔導アーマーと呼ばれる空を飛び、地面を二本足で走り、戦車以上の火力を持つ化け物が生み出されたのだから。
「だからと言って、絶対に他国へ侵攻しないと宣言し、それを有言実行している極東に対して、産業スパイを送れないという理由だけで、我々が出張ってしまって国際問題にならないのですか?」
副艦長の言うことは最もである。
各国が魔術の研究をする中、秘密保護法とも言うべき研究成果の秘匿が推奨され、それを侵すことを厳しく国連が取り締まっているのだ。
産業スパイが送れないことは至極当然のことであり、それを理由に侵攻することは宣戦布告と取られても仕方がない。
戦後、極東は軍隊の名称を国防軍と呼称するようになった。
これは国を守るためにだけ動く《《軍隊》》ということ。
この行動が侵攻と判断されれば、間違いなく迎撃の為に国防軍が動くことになる。
そうなれば、例え引いたとしても糾弾は免れず、攻めたとすればかつての大日本帝国の様に世界を相手にすることになる。
どう見てもデメリットばかりのように副艦長には見えた。
「そこが暗黙の了解というやつだよ」
「暗黙の了解ですか?」
しかし、艦長は問題ないとばかりに行動を肯定する。
確かに、軍事先進国と呼ばれた彼らの祖国も今となっては魔術発展途上国であり、逆に極東は魔術先進国である。
情報が得られればそれだけで国益になり、事情を知る者からは英雄視されることになるだろう。
「まぁ、ハッキリ言ってしまって、研究成果を完全秘匿など無理なのだ。
極東の諺とやらを借りるなら『壁に耳あり障子に目あり』というやつだな」
「よく知ってますね」
「あの国の諺は理にかなっているからな。
学んでおいて損はないだろうよ」
「それで、何処からでも漏れるから逆に取りに行ってもいいと?」
「そういう訳じゃない」
この襲撃は正体不明の《《盗賊たち》》が襲ってきたという事で処理される。
そういう決まりなのだ。
「我々はソ連の軍人です。身元を調べられてすぐバレてしまうのでは?」
「言っただろ。暗黙の了解だって。
つまり、俺達が誰だか分かっても、向こうは国際問題にはしない――条件付きでな」
「条件?」
その条件は何かと艦長に聞こうとした副艦長だったが、その質問をする前に答えは得られた。
いつの間にか後ろにいた少女によって。