チープ・チープ・チープ
ふとこんなことを考えた。
考えた切っ掛けはなんなのかよく分からない。電車に揺られ、ぼうとしていた時に、ふと、考えたことだ。
芸術とはなにか。(こう書くと無駄に大事だが)
文学、音楽、書、仏像、陶芸、まぁ色々。
何にしても、起源は一般市民では無い。と思う。調べていない、今考えていることだから。まぁ、そこはあまり重要じゃない。
王様殿様何様を楽しませる娯楽としての一面がある、権力を見せつける意味でも有効である。
要は、金がかかる。
地上絵がある。宇宙人が作ったとか、宗教目的だとか、未来へのメッセだとか・・・
あれは、芸術であるとは思う。
古いものだとミロのヴィーナスだとかも。
芸術ではあるけど、同じものを今作ったとしても芸術では無い。
たとえば、学校の校庭に白線で絵を描こうが、それは、ほほえましいかもしれないけども、芸術ではない。地上に絵を描く、空から見なけりゃわからない。だけど、明確に同類のものではない。
ヴィーナスであれば、方を取って金属を流し込んで全く同じ形のものを作ったとしても、芸術ではない。
断じて芸術ではない。と言っていい。
芸術は、術とつくからには術なのだろう。
そして、それの作品は片手間でできるものではない。
すべ、とは何のすべなのか。
王のすべで、やらせるすべでもあるかもしれない。
神というものに対する、何らかのすべかもしれない。
何が言いたいのか。金がかかるということ。(見も蓋もない)
金がかからなけりゃ、命がかかるかもしれない。
その時代において、何かをかける必要がある。
かかっていなければ、それは、なんだろうか。ただのモノでしかない。
剣道をやっているものが、体育の剣道を見て、「あれはちゃんばらで、剣道ではない」と言っていた。剣道とは剣術の道であっているかな?解釈として。
そろそろ結論に向かう。
俺が今、ほろ酔い状態、帰る途中、スマホを片手にこの文章を書いているが、このような状態で書いたモノを人様に見せて、「文学」として見せて、恥ずかしくはないのか。という命題に、恥ずかしくないと答えれるのがなろうサイトであり、最近の芸術である。
たとえば音楽は町中に溢れ動画サイトで気軽に見れ、出すも入れるも金銭が動かない。金を払って見るわけではないということ。だから、責任がない。日記だろうがいい。
お土産屋のレジ横に、大量の竹細工がゴミのようにあったが、あれはつまりゴミなのだろう。
飢餓と飽食、そこにあるパンの価値。ある面から見た、芸術性という一点においての。
いやいや、一般に安くなることはいいことだろう。硬いパン一つ1000円する国より、柔らかいパン一つ50円の国、素晴らしい。
俺は、1000円の硬いパンを創る者の方が芸術かとして優れていると、主張する。
なぜなら、50円のパンに芸術性はあり得ないからである。
なので、今の日本の芸術は退化していく。
なぜなら、俺がこれを今から投稿できるからである。