吸って~、吐いて~。
「チュ、チュウトリアルモードってなんだ? なんか始まりそうなんだけど……気のせい?」
驚きと困惑で舌がうまく回らず、チュートリアルモードが思わず片言に……。
(き、基本操作を覚えて頂くだけですよ……ゲームと同じなのですよ……)
「基本操作って……何の操作だよ……ん?」
突如として目の前に現れたその個体は、とても大きくて、和也の五倍ぐらいある高さ、面積はそれ以上だろう。プルンと体が動く。まさしくプルンプルンという言葉をここで使うのにピッタリ。緑色の体。
そう、それは簡単に例えると、でっかいスライムだった。
「なんだよ……これ………」
和也の顔が青ざめている。現実の世界では見たことがない、巨大なスライムが今ここにいる。驚きを隠せない。それと同時にあることが頭を過った。
「おい………、さっきチュートリアルって言わなかったか?」
(言っていたのです)
「俺の知ってるゲームのチュートリアルって、一通りのことをするんだが……」
いろんなゲームでもチュートリアルはあると思うが、基本操作確認、パズルゲームやRPG、カードゲームなど いろんな操作説明があって、最後には最終確認で敵と戦う場合が多い。つまりは………。
「あれと戦闘開始は……しない……よな?」
実際にはセラミーに質問しているが、ほぼほぼ願望が混じっている。その質問の仕方に、セラミーは返答の言い方に迷いがあったが、嘘を言っても仕方がないので、
(………え~と、私が知っている限りでは、あれと戦闘を開始するのですよ……)
「無理無理無理! 無理に決まってるだろ! あんなでっかいの!」
巨体なスライムを指を指して、全力の拒否反応。
どこかで何となく察していた部分が、あったのかもしれないが、改めて言われると、絶望しか産み出さない。
そんなやり取りをセラミーとやっていたら、でっかいスライムが現れたと同時に、先程までいた電脳空間の空間がなくなった。先程いた場所、つまり初めてセラミーと会った場所に戻っていた。
「おいおいおい! まさか街中でやるつもりか?」
流石にそれは躊躇いが出てしまう。被害が相当出てしまうこともあるのだから。そもそもなぜ戦闘をしなければならないのか、という疑問が、和也の頭の中を占めていた。
(そ、それは大丈夫なのですよ。チュートリアルモードって言っていたのですから、今回は特別に結界が貼られているのです。物体に当たっても無害なのです。って教科書に確か書いてあったのです)
「どんな教科書だ! そんなこと書いてある教科書は! つかなんで少し、おぼろげなんだよ! ってこっちに来たー!!!」
セラミーの記憶の隅に残っていた記憶。教科書にはチュートリアルモードの時は、結界というものが張られるということを書いてあったような、ないような……。
そんな曖昧な記憶に和也がツッコミを入れた瞬間、スライムズルズルとゆっくりながら、和也を目掛けて動き始めた。
(ちょ、ちょっと何逃げてるんですか!)
スライムが動くやいなや、和也は背を向け走り出す。スライムの動きが遅いことが不幸中の幸い。余裕で和也の方が速い。
「いやいや、普通逃げるだろ! ってなんだよこれ?壁? 進めないじゃん!」
(壁じゃないです、結界です! これより先は行けないのです!)
「なんだ結界って!」
(後で説明するのですよ!)
和也が必死に逃げるも、透明の色の薄い壁が張られている。叩いてみるもびくともしない。それが結界というものらしい。
「結界小さ過ぎるだろ! 普通はもっと大きいだろうが! ……ってどうすんだ前から来るし、行き止まりじゃねーか!」
たった数秒走っただけの距離。それほどスライムとの距離を離せていない。道は一本道なため、他の逃げ道はなかった。
道路いっぱいに巨大なスライムはジリジリと和也目掛けてやってくる。少しずつ少しずつ距離を詰めていく。何か言葉を発する訳でもなく、攻撃をしかけてくる訳でもなく、ただグチュグチュと音をたてながら。少しずつ距離を詰めていくことに、焦りを覚える。額から汗が流れてくる。だが現状では解決策がない。
半ば結界とスライムで潰されることを視野にも入れていたが、なぜだか急に動きを止めた。その距離は約十メートルくらいだった。
助かった、という言葉が和也の脳内を駆け巡った。
だがそれはこう捉えることもできないだろうか
別の何が始まる前兆だと!
ズォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!
突然スライムの上部が煙突みたいな形が形成された。そしてその煙突に、急速に、それでいて物凄い音をたてながら空気を取り込んで行く。
掃除機が空気を吸い込む量とは比べものにならない。
人間と比べたら尚更だ。
「うるせぇぇぇ!!! なんか吸い込み始めたけど、大丈夫なんだよな? 後で光線とか出てこないだろうな?」
(たぶん‥‥‥大丈夫だったはずなのです)
「たぶん!? つかさっきから何でそんなに不確定なんだよ!」
(だだだ大丈夫なのです。ね、念のため調べてみるです)
セラミーの「調べる」と言う単語が引っ掛かったが、今はそれどころではない。少なからず、このままではいけない。そんな思いが和也の頭を過る。
しかしそんな和也の思いを、知るよしもしないスライムは次のステップに進み始めた。
フスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーー
先程まで空気を取り込んでいたが、同じ場所から、今度は逆に空気を出してきた。それが空気なのかすら、わからないが。
ただ明らかに吸い込んでいた量に比べると、吐き出している量が少ない。それもなにかに関係があるのか。
「今度はなんか出してきたぞ! 毒とかねーよな?」
(たぶん、無いって教科書に書いてあった気がするのです!)
どの教科書にそんなことが書いてあるんだ! と和也は思いっきりツッコミたかったが、そんな余裕はなかった
もしこれがまだ何かの準備の段階だったらまだ平気かもしれない。ただ、これが既にスライムの攻撃なのであれば、和也はもろにスライムの攻撃を喰らっている。何かを吐き出しているため、直接的な痛みは無いと考えられる。だとすれば、何かしらの状態異常になる可能性が高い。
(えーとえーと‥‥あっ! 発見なのです! 今のやつのことが書いてあるのです!)
「おおぉ! そいつは出来した。それでさっきのはいったいなんなんだった? できる限り簡潔に詳しく頼む。あと出来ればチュートリアルモードの終了方法も書いてあれば」
(えーとさっきのは………最初の吸い込んでいたのはCO2という物を吸い込んでいたらしいのです)
「え? 今CO2って言った? いったよね?」
(はい。そう書いてあるのです)
「そ、そうか。それで続きにはなんて書いてある?」
思いがけない単語が出てきた。まさかCO2、二酸化炭素が出てくるなんて思ってもいなかった。流石に驚きを隠せない。いや、驚きというよりは呆気に取られる。
だが、この次が大事。無くなってきている物よりも、現在進行形で生産されている物だ。場合によっては大事になる可能性だってあるのだから。
(えーっと、O2と言うもの出しているらしいですよ。よくわかりませんが危険そうなのです)
「………え、それは見間違いじゃないよね?」
セラミーの言葉を再び確認するかのように尋ねる。何故ファンタジーの代名詞のスライムが、そんなもの吐いているのか。
(そんな間違いはしないのです!)
きっぱりと否定した。先程も確認されたため、信頼感がないと捉えたのか、怒っているのが伝わる。
O2 つまりは酸素。スライムは酸素を出していることがわかった。聞いたことがある単語が連続で出てきたので、もはや疑うほど。
スライムは吸ったり吐いたりを繰り返している。まさに異様な光景だ。
(ちなみに結界はもう少しで消滅するっぽいのです。スライムを倒せば終わるみたいですよ)
「そうか……ってなんだその付け加えたような設定は!」
落ち着ける状況でもないが、少し頭の中を整理することにした。こういうのは考えた方が良い案が浮かぶと和也は勝手に思っている。
CO2を吸い込み、O2を吐き出し、結界はまもなく無くなるが、倒さないと終了しない。
(ちなみにこのスライムは、これ以外の攻撃はしないみたいなんですよ)
「………そうか」
少し考えていたら高まっていた危機感、緊張感が一気に消えた。セラミーからの情報を一つ一つ解釈したのだ。冷静になれたというか、呆れたと言うのか……どちらにせよ和也は一つの決断を下す。
「こいつは、たぶん無害だ。場合によっては、地球の環境問題の解決の糸口になるかもしれん」
(な、なるほど、名探偵の推理なのです。それでどうなさるおつもりで?)
「そのままにする、ほっとくぞ」
和也の考えは、ほっとくことだった。それが最善の策だと、強く思っている。いや、むしろそれ以外に答えはない、考えるのを止めた。
(ふむふむ、……ってそんなことが許されるわけないのですよ!)
和也の作戦に、真っ向から反対する。その返事を聞いて和也に不満が募る。
「いや、だって、こいつのしてることは環境に良いことだ。それに結界ってやつが消滅するんだろ?そうしたら無事に俺もスライムも外に出れるから、オーケーだろ」
なにやら理屈っぽい返答で、セラミーの言葉を聞こうとしない。ぶっちゃけ間違ってはいないが……。
(そんなんじゃ、いつまでもチュートリアルモードをクリア出来ないのですよ!)
「いや、良いだろクリアしなくても」
(いやいや、チュートリアルモードをクリア出来ないっていうレッテルを貼られるのは嫌なんですよ!)
是が非でもクリアしたいセラミーと、面倒くさいことが嫌いな和也。お互いの考えが真っ向から対立。それが二人の性格の根本にあるものだろうか。
そんな話をしている時もスライムは、吸ったり吐いたりを繰り返している。
(お、お願いなのです! お願いなのです!! 一生に一度のお願いなのです!!! チュ、 チュートリアルごときで失敗したら、私の評価が駄々下がりなのでーす!!!!!)
「うるせぇぇぇ!!! 叫ぶんじゃねー!!」
セラミーの一声一声が和也の頭に響く。元々慣れていない和也にとって、セラミーの叫び声は相当なものだった。それは耳元でメガホンで叫ばれる以上にうるさいものだった。
涙目で土下座しながら、言っている気がした。やはり心の中にいると、気持ちがわかるというのか。
「だいたいクリアするっつったって、どうすんだよ? 攻撃手段がねーよ。無力の高校生だぞ。素手で挑んだところで何も出来ねーよ。俺がパンチ一つで倒せるスーパーヒーローに見えるか?」
うだうだと言っているが和也の言っていることは正論だった。クリアするにはスライムを倒すしか方法がない。しかし大前提にダメージを与えることが出来てない。ダメージを与えることができる物がない。
特に喧嘩が強い訳でもない、運動神経が良い訳でもない。手や口から光線が出るはずもない、普通の高校生にはスライムを倒す手段は無い。ましてやなにか特殊な能力なんかはあるはずもない。
(そ、その点は問題無いのです。先程のステッキのボタンを見るのです。)
「ん? ステッキのボタン?」
気にしていなかったが、チュートリアルモードに入っても、和也の右手にはステッキを持っていた。このステッキのボタンが全ての元凶なのだが……
そのボタンが赤色ではなく、今度はピンク色に光っている。点滅はしていない。
「……なぁこれ」
(押せばわかるのです)
「いや、押さねーよ。なんだその雑な振り方は。さっき押して今こうなってんだろ。つか、それと攻撃の問題が繋がってねーよ」
(押せば、魔法が使えるようになるのです)
「……え? 今なんて言った? 魔法って言った?」
(言ったのです)
「マジで?」
それは悪魔の囁きだろうか。一切押す気持ちがなかった和也の気持ちが揺れ動いた。むしろ押したい衝動に揺れ動いている。
「魔法」その言葉だけで威力は十分だった。
一度は人生で使用してみたいと思ったことはあるだろう。アニメや映画の影響で、言葉を発したことがあるはず。無論、和也もその一人だった。ハリーとポッター的な映画を見たときなんかはそうだった。
けれども和也が直ぐにボタンを押さなかったのには訳がある。うまい話には裏があるからだ。
「押しても……何にもないよな?」
(何もって……魔法を使うにはそれなりの格好になるのですけど‥‥)
「それなりのって……後は何にもねーんだな?」
(はい、確か大丈夫なはずなのです)
「なんで煮え切らない答えなんだよ……」
それでも指がボタンに近づく。
セラミーの大丈夫と言う言葉を全て信用しているわけではないが、それでも「魔法」という非現実的なことができる、と言う欲望には勝てない。
スライムがリズミカルに吸ったり吐いたりを繰り返しているのを他所に、ぷるぷると震える指は無意識に動き和也はボタンを押した。
和也は深く考えていなかった。それほどの格好の意味を。想像していたのは、黒い服に黒い帽子をかぶっている姿で、箒を片手に持っているイメージだった。
和也がボタンを押すと、ステッキ全体が光始めた。
「なっ!?」
それも相当強烈なもので、目を閉ざさるえないほどだった。そしてその光が和也を包み込んで―――――。
「う、うん? 一体何が起こったんだ?」
恐る恐る和也は目を開ける。突如の出来事だったため、何が起こったのかが理解できていない。
(…………………………クスッ)
「おい、なんか今笑わなかったか?」
(い、いえいえ………プッ)
セラミーが必死に笑いを堪えているのが伝わる。何がそんなに面白いのか、むしろ笑う要素がどこにあるかもわからなかった。
もしかして騙されたのか! と和也は強く思った。簡単に引っ掛かったから笑っているのか。と思いセラミーに問い詰めようとしたとき、ある異変に気づく。
「ん? ……体が軽いっていうか……下の方が寒いっていうか……」
風通しが良いと言うか、風が直接入ってくる。もともと今日は寒い日なのに、もっと寒く感じている。スースーする感覚だった。
「!?!?!?!!!!!!!!!」
下を向いたら驚きを隠せなかった。
むしろ驚きしかない。驚きの衝撃が体を走る。まるで稲妻の速さの如く。
「………なっ……なっ」
声を震わせながら、続けて体(服)、腕、足と見ていく。見ていく度に衝撃が走る。
「ななななな、な、なんで………………」
(………似合って……るのです)
笑いを堪えているセラミーに今は相手をしていられない。
なぜこうなったのか、どうしてこうなったのか、原因はなんなのか。いや、今の和也にとっては、それを考える余裕も無い。
なぜならその格好は、黒い服もなければ、黒い帽子も無い。ましてや箒なんか尚更だ。
それはそれは見事な、かわいらしい
「なんで女子物なんだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
魔法少女だったからだ。