七夕という事で。
七月七日。
今夜の天の川は、きっと地上からよく見える事だろう。
数多の短冊には願うとも思わない、または願ったところで意味はないと考える愚かな人間どもの欲望が書いてあるのだ。
これも毎年の事、流石に慣れるものである。
さて、今年も、決戦の時が来たようだな...
***
周囲を数えきれぬ程の星に囲まれた、天の川の中流付近。
藍染のステテコに白いTシャツ、そしてそこにふわふわと身に纏うのは天の羽衣と、ミスマッチも大概な男が腕を組み、もう一人を待ち構えていた。
するとすぐに天の川の向こう岸から、朝顔の柄が施された浴衣に身を包み、長い髪を笹をモチーフに作られただろう簪でまとめた、いかにも風流な女性が現れた。
そして二人の男女は、川を挟み対峙する。
「やぁ、お勤めご苦労様ね」
「けっ、まるで他人事だな」
「だって実際そうなんですもの。それより何?その格好。センスが無いにも限度があるわ」
「いや、お前こそ何で羽衣纏ってねぇんだよ」
「だって、私には不要ですもの」
「舐めくさりやがって...」
男の纏った天の羽衣に、目映い星の瞬きが反射する。
その美しさと会話の横暴さには、まさしく天と地程の差が生じているのは明らかだった。
「さぁて彦星さん?今年は何で争いまして?」
「余裕かませるのも今のうちだ、織姫」
地上で語られる七夕の物語は後に美化されたもので、実は七夕の願いごとを叶えるのは神様ではなく、彼等の当番制である。
一年に一度、七夕の日に決戦を行い、勝者には一年間の自由、敗者には一年間の労働が待っているのだ。
因みに現在、彦星が21年連続で負け続け、織姫はその間気の赴くままに遊んでいた。決戦が近付くと、織姫はあらかじめ彦星が働いている間に訓練をし、決戦では大差をつけて織姫が勝つ。これを毎年繰り返している。
彦星は今、負のスパイラル真っ只中であった。
「今年は公正にいこうぜ、織姫さんよ」
「へぇ、今まで公正じゃなかったって言いたいのかしら?」
「当たり前だ。射的、輪投げ、金魚すくい...毎年毎年、全部お前の得意分野じゃねーか」
「得意分野とは心外ね、必死に練習した私の苦労がそこにはあるのよ」
「俺が働いてる間にな!」
「それが勝者の権利よ。あら、負け犬にも吠える権利はあったわね。ごめんなさい気が付かなくて」
「うぜぇ...」
彦星の握り締める右手に、より一層力が入る。
「仕方ないわね、あなたは何がいいの?」
「それはだな...」
ふぅ、と彦星が息を吐く。
「くじ引き、だ」
***
「へいそこの綺麗な姉ちゃん!焼きそばどうだい!」
「おっ、兄ちゃん、今年は射的、どうだい?一回百円だよ!」
「あっ、んじゃあ私やりまーす!」
「...って、やっぱり姉ちゃんが来るのか。頼むから、今年はあんまり持ってかないでよ...?」
「大丈夫大丈夫。今年は景品一個でいいから」
「そう?ならお構い無く」
百円をおじさんに渡し、銃を構える織姫。
その撃ち放った弾は正確に景品の重心を動かし、ぱたぱたと箱や人形を倒していく。
結局全弾命中し、織姫は昔ながらのキャラメルを一つもらって店の前から去る。
織姫と彦星の決戦は、田舎のとある神社の境内とその付近で開催する、町の七夕祭りで行われる。この時ばかりは彦星も羽衣を身に付けず、結果ステテコにTシャツと見た目は普通の若者になっている。
一方、織姫は浴衣姿も相まってその美しさから横を通る男達の目線を釘付けにしていた。しかし横に彦星がいるため、ナンパするような輩は近づいてこない。
「しっかし何だ、この祭りだけは変わんねぇな」
「そうね...他はどんどん変わっちゃって。夜でも随分町の方は明るくなったわ」
「あれじゃあ星もろくに見えねぇだろうによ」
「それは、ちょっと悲しいわね」
集まる人々の喧騒と、屋台の発電機の音でごった返す中、織姫は淡く光の見える夜空を見上げる。いつもの場所に今自分達がいないことに気付いている人はいるのだろうか。不意にそんな事を考えてしまう。
「おっ、ちゃんと書いてるみたいだな」
彦星が指を指す先には、たくさんの短冊に彩られた一本の大きな笹があった。
二人は近づいて、今年はどんな事が書いてあるのかを読むことにする。これもまた、毎年の習慣であった。
「『○○大学に合格!』...勉強しろ」
「『彼女が欲しい』...ここでそう願ってるうちは、女は寄ってこないって知ってるのかしら?」
「『プロ野球選手になる!』...っと、今年は二つか。年々減ってるな、この願い事書く子供も」
「子供自体減ってるし、仕事や夢だって増えたもの。なんだか寂しい気持ちもあるけど、いつだってそうでしょ?」
「そうだな...もうちょっと前はヒーローになりたいとかもたくさんあったのにな。あと立派な跡継ぎとか」
「そうそう、懐かしいものね。ほんの少し前なのに」
「...いや、お前は仕事してねぇだろ」
「あら、この雰囲気に水をさすなんて、風流じゃないわね」
「あぁ、もう怒るのもめんどくさいわ...あまりここで時間を食いたくないからな、とっととくじ引きの屋台に行くぞ」
「そうね、ちゃっちゃと決めちゃいましょ」
二人が去る後ろで、笹の葉と短冊が風になびく。
***
道中、結局は綿飴やリンゴ飴、べっこう飴と、何故か飴尽くしな屋台を経由し、二人はくじ引きの屋台へとたどり着いた。ここのくじ引きは風で回しているくじを一つつかみ、番号の同じ景品がもらえる仕組みだ。
「へいらっしゃい!くじ引き一回三百円だよ!」
「んじゃ、二回分で」
一旦手に持っていたリンゴ飴を綿飴を持つ織姫に渡し、彦星が六百円を払う。
「それで、どうすれば勝ちなわけ?」
「景品を引けた方、二人とも引いたなら値段の高い方が勝ち」
「そう、分かったわ」
「...?」
歳のわりにやけに真剣な人達だ、と屋台のおじさんが首をかしげるのもお構い無く、リンゴ飴、綿飴をそれぞれ片手に二人は乱雑に置かれた景品たちを見渡す。
水鉄砲、おもちゃ、モデルガンなど、定番のラインナップだ。そしてまた、一番の目玉も近年の定番に従っていた。
「ほぉ、Nintendo switchか...」
「あら、知ってるの?」
「何年 地上で働いてると思ってる。この程度常識の範疇だ」
「そう...そういえば、そんな名前のもの欲しいって書いてあった短冊が無かったかしら」
「ん?...ああそういやな」
「それなら、ルール変更を求めるわ」
「...嫌な予感が」
もちろん彦星の予感は的中する。
「それを先に引いた方が勝ちよ」
「(ヾノ・∀・`)無理」
「おじさん、ちゃんとこのくじ引き、当たりは出るんでしょうね?じゃないと通報するわよ?」
「ふんっ、俺が詐欺師だとでも言うんかい、お嬢ちゃん」
おじさんと織姫の視線の間に火花が散る。
数秒互いの目をにらみ合って膠着した後、織姫の口角が上がる。
「どうやら、通報しないで済みそうね」
「気に入ったよ、嬢ちゃん。さあ、引けるもんなら引いてくれ」
「おい」
「狙うは、1番!!」
彦星の反対に耳も貸さず、織姫はくじの舞う機械に手を突っ込む。
そして迷うことなく、一枚のくじをつかみ取り出した。
「さて、どうかしら」
糊で閉じられたくじを仰々しく開き、織姫が番号を確認する。
その動作に、彦星とおじさんは思わず息を飲んだ。
「...2番」
「2番...あれか」
その番号が割り振られた景品は、某有名ロボットアニメのプラモデルだ。狙いのものではないとはいえ、くじ引きの値段に対しておじさんには随分痛手な結果だ。
「や、やるじゃねぇか嬢ちゃん...」
「続いて、もういっちょ!」
「俺の番は!?」
またもや一瞬の迷いもなくくじを引き、素早く番号を確認する。
「4番!」
「4番...って、違うプラモデルじゃねえか」
「ず、随分運が良いみたいだな、嬢ちゃん...」
「さて、こんどはそっちの番よ」
「ったく、二回連続ならそう言ってくれ」
しぶしぶ六百円を追加で払い、彦星もくじを引く。
くじを取り出すと、一枚のつもりが二枚つかんでいた。どうせ二回分だ、と彦星はどちらも開く。
「3番と...5番だな」
「ひぇっ...」
「またプラモデル...あとはモデルガンね」
どちらも買えば数千円になる代物だ。
外れが過半数を占めるくじ、さらに賞品が当たっても原価よりくじの方が高いものばかりの中から、天守閣を囲うように高額賞品達が客の手中に収められていく様に、屋台のおじさんは驚きを隠せない。
「さて、私のターン!ドロー!」
屋台の机の上に六百円を叩きつけ、織姫がくじを二枚引きする。
「...ちぇ、6番と10番ね」
「モデルガンと、ちょい大きいクマの人形か」
「は、はははは」
「8番、それと...7番だな」
「...9番。ねぇおじさん、ホントに1番入ってるんでしょうね!」
「分かった!分かったから!引いたお金も返すし1番の賞品あげるから!だから他のやつを持ってかないでくれ!頼むこの通りだ!」
机に頭を押し付ける形で、おじさんが敗北宣言をする。二人は不完全燃焼ながら、switchを抱えて屋台から去ることになった。
***
「さて、何で決めたもんだか」
運でならまだ勝ち目がある、と踏んだ彦星だったが、勝負はあいにくお流れになってしまった。
まだ人だかりのある屋台の並んだ通りを、二人は並んで歩く。
「そろそろ、花火の時間じゃないかしら」
「まあ、そろそろだな。先に場所取っとくか」
「それじゃ先に上で場所取っといて。私は焼きそばとたこ焼き買ってくる」
「頼んだ」
この神社の七夕祭りでは、花火が打ち上げられる。決して大きな規模ではないが、周りを邪魔するもののない夜空に咲く大輪の花は、どんな年でも素晴らしいものであった。さらに今年は例年以上の快晴で、雲一つない夜空が広がっている。綺麗な花火になりそうだ。
「...不思議なもんだ」
いつもは憎い憎いと恨みながら働いている織姫が相手でも、こうして祭りの熱気にあてられてしまうとどうも気を許してしまう自分がいることを、彦星は思い返す。
結局は、祭りとはそういう空間なのかもしれない。由来がまともであれ欲であれ、人々の笑顔があるのならそれは素晴らしいことではないか。
そんなことを考えながら、彦星は神社の境内から上に登ったところにある空き地に出る。考えることは皆同じく、そこそこ人が集まりだして場所を確保していた。
それとなく座る位置を確保してから、彦星は地面に横たわる。
こうして草や地面の感触を感じることも、今の人々は滅多に無いのだろう。涼しくなってきた夜風が頬をなぞり、草木の緑の香りが鼻腔を刺激した。
「あの...」
「はい?」
ふとした声に彦星が顔を起こすと、小さな女の子を連れた女性が立っていた。
「うちの分は余ってるので、どうぞ使ってください」
はい、と女性が彦星に手渡したのは、ブルーシートである。たしかに周りを見渡すと、ほとんどの人がブルーシートの上に座っていた。確かに、陣地取りとしても効果は高い。と彦星は考える。
「ありがとうございます。わざわざ気にかけていただいて」
「いえいえ、ただのお節介ですから」
軽い会釈をして、女性は子供を連れ自分達のブルーシートへと戻っていく。二人の他に、一回り大きな男の子と、女性の夫らしき男性が座っていた。暗くてよく見えはしないが、二人とも温厚そうな顔付きで、優しい家庭であることは彦星も察しがついた。
「お待たせ...ってあら、ブルーシート持ってくる程気の効いた男だったかしら?」
「お前の分なら持ってこねぇよ。あそこの優しい女性からだ」
「それはそれは。ありがたく座らせてもらいましょうか。はい、たこ焼き」
「どうも」
二人座ってちょうどくらいのブルーシートに、並んで座る。織姫は焼きそばを、彦星はたこ焼きをそれぞれ食べる事にした。
「不思議なものね」
「何がだ?」
「短冊に願い事を書いてる人達を来る時に見たんだけどね、みんな楽しそうだった」
「そりゃあ、嬉しい事考えてんだ。そんなふうにもなる」
「叶わなくても?」
「...別に、叶わなくてもいいんだろ」
「ほぅ...そりゃなんで」
「ずーっと見てて分かるだろ?短冊に書かれた願い事を、その後も短冊に書いたからきっと、なんて思ってるやついたか?」
「そうそういないわね」
「だろ?つまりはだな、人っていうのはああやって、皆と共に夢を見たいんだよ。自分の未来に希望を持って、願いを語るその瞬間を楽しんでるんだ。
そしてきっと、俺達はその程度でしか見られてないんだろうよ」
「...」
「ま、それもこれも俺達が頑張って働いても目に見えた結果に繋がらないからだな。もっと頑張んなきゃだ。...ああいや、お前の頑張る番だ」
「...」
焼きそばを食べる箸を止め、下を向く織姫。何か変なことを言ったか、恥ずかしいことなら言ったと彦星が考えていると、突如手元が明るくなり、バァンと身体に響く音が聞こえてきた。
「おっと、始まった」
織姫も顔を上げる。
空には、光輝く鮮やかな大輪が乱れ咲いていた。
「ねぇ」
「ん?花火で聞こえない!」
「来年から!二人でやらないかしら!」
「そりゃ、なんでまた!」
「気が変わったの!」
へへっ、と笑った織姫の顔に、いつの日か恋をした瞬間を思い出す彦星であった。
***
「いやー、綺麗だった」
「ええ、そうね」
花火が終わり、屋台も少しずつ灯りを落としていく中、人も大分減っているようだった。
「...というか、いつまでブルーシート持ってるの?」
「....あ」
「今『あ』って言ったわよね」
「まさかそんなわけ、って...あら偶然」
ブルーシートを貸してくれた女性の家族が、目の前の屋台に集まっていた。しかしどうも様子がおかしい。
「え~僕もswitch欲しかったのに~!」
「ごめんな坊っちゃん、もう他の人が当てちゃったんだ」
「ほら、帰るわよ」
「だから最初に引きたいって言ったの!!」
「ほらタケル、落ち着きなさい」
「もうやだ!お父さんもお母さんも嫌い!」
「「...」」
織姫と彦星は顔を合わせ、一度彦星の手元に視線を落とす。
そしてもう一度視線が合った時、二人とも自然と笑みがこぼれていた。
願うことに税金はかかりません。じゃんじゃん願いましょう。