プロローグ 時計の針は巻き戻され、
『アアアアアアアッ!!』
月夜の王都に響き渡る魔獣の咆哮。
周囲の建物、その外壁が衝撃波で崩れて下敷きになった者の断末魔が聴こえる。外壁を構成していた煉瓦は真紅に染まり、その下には血だまりができる。
辺りには砂埃が立ち込め視界が霞む。相対する神の使いたる獣は、そのシルエットも凶悪そのものだった。
魔獣の咆哮は反響し、遠方へと広がっていった。「声」は広がるにつれて「音」となり意味を成さなくなる。遂には王都の中心に聳え立つ王城にまで届く。城内に響くのはただの奇怪な音。
だが、それでも。不思議と、それが魔獣の勝利の雄叫びだということは容易に解った。同時にそれは、『英雄』が敗北したのを理解したということでもあった。
ある母は床に崩れ、ある子供は恐怖に震え。
ある兄妹は抱き合い、ある使用人は泣いた。
ある姫君は最期を悟り、ある騎士は焦燥に駆られた。
そして、皆が諦めた。ただ、一人を除いて。
勝利を信じて立ち上がる『愚者』
「……絶対に諦めねェ。何度だって立ってやるッ!!」
満身創痍の身体を生ぬるい地面から引き剝がす。全身の感覚は遠く、痛覚、触覚は皆無に等しい。自分の身体ではない様な、石像をあるいは銅像を無理くり動かしている様な、動きの鈍さ。そして、全身が鉛にすり替わってしまったのかと錯覚してしまう程の、重さ。言ってしまえば、最早戦える身体ではなかった。
では、何が愚者をそこまで立たせるのか。その答は。
「もう俺には、みんなを助ける為とか…そんな大層な理由は、無い。」
傍から見れば自暴自棄だ。だが彼は、確固たる意志を持ってそこに、その場所に、立っていた。
その狂気じみた意志を宿すその双眸で、竜の容姿をした魔獣を睨みつける。
「ただ俺は今、あいつ殺したお前を殺すために居る」
地面に突き刺さる剣を、気合で引き抜き、瞬間―爆発的なスタートダッシュ。
魔力を放出し、バネとして脚力を上昇させる。地面を蹴った刹那のスパークで地面が抉れる。
「はあああああッ!!」
裂帛と共に放たれた渾身の一撃。自らの体内から全ての魔力を絞り出し、纏わせ、放つ。
魔獣の弱点である首を狙った一撃は見事に命中する。が、魔獣の強靭な肉は断ち切れず、刃は止まる。やがて束を握る手は離され、勢いは無くなり、だらしなく赤く染まった傷だらけの腕が垂れる。
力を使い果たした身体は直立状態も維持出来なくなり、再び地面に倒れ伏す。
そして、その上には大きな影。
「もう…駄目なの――」
ぐしゃりっ。
そんな音と共に鮮血が飛び散る。
『愚者』死す。
そして、そんな光景をただ唖然と見つめる者が居た。遅過ぎる、騎士長の到着。
「くそッ……僕が絶対、君たちを死なせない!」
その日、王都は壊滅した。