Alchemagia
一度は書いてみたかった、錬金術のお話です。
ここはトンドゥム王国。
王都から離れた街の、更に寂れた裏通り。
クラルはそこで、錬金術師として暮らしている。
「……はい、ご依頼の品」
「ありがとよ」
黒いフードを目深にかぶり、口元には常に微笑をたたえる彼女はまだ若い。
だが客はそんな事など気にも留めず、薬を受け取って代金を支払い、すぐ出て行く。
それからしばらくして、別の人間がやってきた。
「……いらっしゃい」
「頼みてえ品がある。……これだ」
紙に書かれたのは、麻薬。王国内では違法の品だが、この裏町には違法も合法も関係ないので、クラルは頷く。
「では、この契約書にサインを」
相手は文句ひとつ言わずにサインをする。字が書けない場合は血判をもらっていた。
それを確認し、すぐにクラルは契約書を引っ込める。
「必要日数は、三日。それ以上もそれ以下もありません。三日後、代金を用意してきて」
「ああ」
男はそのまますぐ出て行き、それを見送ったクラルは、引っ込めた契約書を専用の帳面に綴じる。
その時、一枚だけ黒い紙が見えて、そのページを開くと。
「……あらあら」
そこには、契約違反の文字と共に、違反者のサインが黒い紙面に青白く浮かんでいた。
気の毒だが、この人物は二度とここへは来れないし、誰も助けてくれない。
違反した方が悪いのだ。クラルに助ける義理はないので、それを外して年中燃えている大鍋の為の火にくべる。
それは一瞬だけ炎を青白くし、すぐに灰となって火に沈んだ。
誰もが知りながら、誰もがその名を口にしない。
銀の髪に緑の瞳、深紅の石がはめ込まれた杖を手にし、あらゆる錬金術関係の依頼を引き受け成功させる女性。
彼女が特別に厳しく設けた条件。それはたった一つ。
『この店に依頼したことを、誰にも口外してはいけない』
正当な料金を提示しながら、どんな正規の錬金術師よりも腕のいい彼女の条件に逆らった者は、例外なく誰もが――破滅するという。
それが、クラルという人物だった。
そんなクラルだが、最初から一人だったわけではない。
元々、母親が居た。とっくに死んでしまったが、クラルは母親の遺志を継いで、長年にわたり研究を続けている。
それはこの国では認められなかったと母親が悔しがっていたが、隠れ住むには便利だったのだろう。クラルが生まれたのはこの家だ。
ただ、他の子供と違って外で元気に遊ぶ事は無く、母親に連れられて真夜中の森へ入り、材料を一緒に集めた記憶しかない。
母親が死んだ時も、哀しみはそれほどなかった。母親の研究を続けていれば、それほど寂しくもなかったから。
店はクラルが生まれた時からあったが、システムはクラルと一緒に母親が作った。
常々、母親はクラルに「人を信用してはならない」と言い聞かせていたので、システムごと店を継いでも、全く何の問題も無かったりする。
店の主が変わっても、この店に来る客は変わらない。
正規では手に入らない物が手に入れば、それでいいから。
クラルも、相手の素性など気にしない。誓約書にサインさえすれば客だ。
だから今日も違法な薬、合法な薬を調合する。材料は金と自分の足で集められるし、何よりクラルには特別な方法があった。
「――我が媒介に触れし精霊よ。我の造りし物質に強き力を与えよ。我が名はクラル。全なる声に、応えよ」
赤い石のはまった杖を水平に構え、不思議な紋様の描かれた布の中央に作ったばかりの薬瓶を置き、呪文を唱える。
すると石は赤く輝き、キラキラとした細かい光が紋様から浮かび上がり、薬瓶の中に入った。
やがてその光は凝縮されていき、薬瓶の中で消えると、クラルは杖を下げてすぐに封をした薬瓶を紙袋に入れると、客人の訪れを待った。
きっかり十分後、客人は訪れ、金を払い、商品を受け取って出ていく。
――客人は一日に一人ずつ、買う側と注文する側が訪れたらそこで終わりだ。
外は夕方。クラルの店は今日は終了である。
錬金術と、魔法の融合。これがクラルの店の、たった一つの特別な理由だった。
「作って欲しい薬がある」
ある日、やってきた男は貴族だった。
こんな裏町をきらきらしい格好で歩き回るという愚行をしでかしているが、クラルには関係ないのでいつも通り微笑を浮かべて頷く。
「ご注文の品は、何を?」
「心臓の薬だ。とびきり強いやつを」
「分かりました。ではこちらにサインを」
「さ、サインだと!?」
「出来なければ、お引き取りを」
サインを渋る人間も、たまにだがこうして出る。というか、初めてクラルの店に来る人間は大体こんな感じだ。
もちろんサインをくれるまでは契約未完了なので、破滅したりしないが、このサインの意味を知らない為、こうした貴族は嫌がるものだった。
「…………いや、する。こうでいいんだろう」
「あら、お読みにならない?」
「……」
胡乱な目をする男は、サインした契約書に目を通し、すぐ頷く。
「この程度なら構わん。どのくらいかかる?」
「五日。それ以上でもそれ以下でもありません」
「は、はっきり言うが……そんな保証は」
「五日後に、代金をご用意していらして下さい。代金は金貨で五枚になります」
ごちゃごちゃ言われるのも慣れっこだ。きっぱり言うと、相手は引き下がる。
しかも提示した金額が正規のものだと分かれば、その効果はてきめんで。
「……分かった。五日後、必ず用意するのだぞ!」
そのままあわただしく出て行った貴族は、追いはぎに遭ったりしない。
薬を用意し、買い取り、その後の契約を守るまで、客の安全は保証されているのだ。
さて、とクラルは薬の調合に取り掛かる。
「アコの葉、リリオの花の露の結晶、カニャの根。……それと、ポメアの種……」
レシピを確認し、いくつかは採取の必要があると判断してメモを取った。
今日はもう店じまいなので、日暮れを待って早速森に向かう事にする。
森に入ると、あちこちから声が聞こえてクラルは耳を澄ました。
――ルシの花が満開よ。
――フレスの木に良い枝がついているんだ。
――ロサの実はどう?
親切な精霊たちの声だ。クラルは止めていた足を動かし、近くから順番に採取していく。
必要以上を採取しない人間は、森にとって無害であり、間引きしてくれる存在でもある。
ただ、この声を聞けない人間の方がはるかに多く、この森の精霊たちを怒らせる事もしばしばだと親が言っていた。
そして多くの依頼を受け過ぎない事も、この森から嫌われない為の決まりごとだったりする。
親は何でも知っていた。何でも教えてくれた。
だから、クラルは同じくらい何でも出来る。それが当たり前で、それ以上もそれ以下もない。
そして同時に、自分以外はそう出来ない事も知っていた。
採取を終えて家に戻り、クラルは集めた材料を処理していく。
いつも通りの、日常だった。
――そして五日後。
「お……おお、本当に出来たのか」
いつも通り魔法をかけ、いつも通り客の訪れを迎えたクラルは、薬を差し出す。
貴族の男は、何故か引きつった顔をしながらもそれを受け取った。
「代金を」
「ああ、もちろんだとも。では」
じゃら、と重い音のする袋を置いて、男は薬を手に出て行く。
「……?」
中身を確認すると、金貨が三倍量も入っていた。
過払いは客の心の表れなので、返金しない。
そしてそれから数日後――珍しく客がお喋りをしていった。
「何でも、国の王様が死にそうになってるらしい。ま、ここいらじゃ関係ない話だがな」
確かに関係ない。そう思っていたクラルは、予想外の客を迎える事となる。
トンドゥム王国の王は、それなりの高齢になっている。
だが、その分危険に晒された時期が長かったせいか、茶の味に気付いてほとんど毒を飲まなかったのが、一命を取り留めた最大の理由だと医者は言った。
「いやはや、恐ろしい薬を作ったものです。……この薬は、心臓の病を一時的に良くする薬でして、健康な陛下が飲まれた場合、量によってはすぐに死に至るところでした」
「ち、父上は! 父上はどうなってしまわれるのか!!」
「落ち着いて下さい、殿下。……これ以上の処置は、施せません。あまりに強い薬が故、対抗し得る薬もまた、相当に効果が高く、作成が困難なのです」
「一体、誰がこんな毒を作ったんだ!!」
取り乱す王子は、まだ若い。母親が出産で命を落とした事もあってか、随分と甘やかされて育ったところもあった。
だからこそ、王はまだ死ねないと気力を震わせ、口を開く。
「…………おう、じ」
「父上っ!!」
「ああ、いけません、殿下!」
「……だい、じん……が、どく、を」
体に力が入らず、声もろくに出せないが、犯人はもう分かっていた。
数日前、珍しい茶を取り寄せたと言って目の前で淹れた大臣。
以前から王子は腑抜けだと陰口を叩いていたのを、知らないとでも思っていたのか。
疑念があったからこそ、毒だと知ったらその場で糾弾するつもりだったのに、予想以上に強い毒を使ってきた為、それが出来なかった。
否、そこまでの毒を作れる錬金術師が、城に居なかったのだ。
そもそもそれを作れるのなら、今頃自分は動けているだろうから。
ともかく、伝えたい事は伝えた。
「大臣ですか! すぐに捕らえます! どうか、どうかお待ちを!!」
王子がすっ飛んで行ったと同時に、意識が薄れていく。
それから王は、しばらく目覚める事はなかった。
――どうやら、自分の作った薬が王を殺しかけたらしい。
事実を知ってなお、クラルは平然としていた。
少し前に、黒くなった契約書とサインを確認しているので、納得はしている。
ただし、それとは別に、契約そのものまで話すつもりはない。
「全ての情報は守秘しておりますので、お教え出来ません」
「この国の王の命を脅かしておいて、何を言う!!」
「ともかく一刻も早く、解毒剤を作るのだ!!」
「……依頼ですか?」
「ふざけるな!! 作った責任を果たせと言っている!!」
作ったのはクラルでも、それを依頼し受け取った人間がどう使うかまでは知らない。
なので、命令に従う義理も、もちろん無かった。
「依頼でない場合の調合は受けておりません。依頼にはサインが、そして日数と金額が必要です」
「貴様ぁっ!!」
「おい、よせ!」
胸倉を掴まれ、ぱさり、とフードが外れてしまう。
いつもより少し明るくなった視界の中、怒りで顔を真っ赤にした男が、みるみるうちに目を丸くさせていくのが見えた。
「…………な、何者だ、貴様」
「この店の主です。御用が無ければ、お引き取りを」
「……くっ、では依頼だ! 解毒、あるいは王が元気になれば何でもよい! 薬を作るのだ! それも、一刻も早く!」
手を離した兵士が、乱暴に依頼を告げる。
それを聞いて、クラルは誓約書を出した。
「こちらにサインを。支払いも引き取りも全て、このサインをした方のみ有効となります」
「分かった」
「最短で即効性のある、生命力を復活させる薬ですね。一週間。それ以上でもそれ以下でもありません」
「何っ!?」
「一週間後に、代金……金貨十枚をご用意して下さい」
契約書を下げてクラルは告げる。
「それと、ここでの依頼は他言無用となっております。対象は依頼した方のみとなっておりますので、ご注意を」
いつもの微笑でいつもの事を告げると、兵士は苦々し気に踵を返した。
「一週間後。出来ていなければ貴様も共犯者として処刑だ。いいな」
クラルは言葉を返さない。返す必要が無いから。
そしていつものように、誰も居なくなった店を閉めて、調合にとりかかった。
一週間後、王は再び元気を取り戻した。
その間に大臣も貴族も捕まり、大分混乱も落ち着いている。
だが、そこで聞いたのは何とも奇妙な話だった。
「……例の貴族は全ての財産と土地を没収、貴族籍を剥奪の上、日を待って処刑。大臣も同様。……しかし、我が命を脅かしたのも、救ったのも、一人の錬金術師によるものというのが……なんとも」
「依頼したという兵士から話を聞こうとしたのですが、何故か絶対に口を割らないそうでして。同行した兵士によると、そういう契約をさせられたとか」
宰相の言葉に首をひねりつつも、王は命令を出す。
「奇妙な者だな。ともかく、薬を作れと言われて作っただけならば、知らずとも仕方あるまい。何より依頼とはいえ命を救ってもらった以上、礼はせねばなるまいな。近日中に城に連れてくるのだ」
「はい、仰せのままに」
王子はあの一件で随分と変わったらしい。
しっかりするようになってきたとか、真面目に稽古をするようになったとかで、評判が上がっている。
そうだ、いっそのこと、その錬金術師を召し上げられないだろうか。
ふと思いついた王は、とにかくその若く美しい女性という錬金術師に会いたくて仕方なかった。
「……城に、私が?」
「国王陛下のご命令だ。直接、貴様に礼を言いたいと仰られている」
いつぞや依頼をした兵士が、嫌そうに尋ねてきた。
ちなみに彼は契約違反をしていない。少しだけ予想外だが、クラルにはどうでも良かったりする。
ともかく、店を出る事は出来ればしたくないのだが、都合の悪い事に仕事は来ていなかった。
「すぐにお暇しますが、それでも良ければ」
「……つくづく無礼な奴め。これで腕が確かでなければ、処刑されていたところだ」
「今すぐですか」
「今だ」
仕方ない、とクラルは承諾して店を閉める。
手には杖を持ち、いつもの黒いフードを目深にかぶり、馬車に乗せられた。
近辺には野次馬が居るが、遠巻きに見ているだけで何も言われない。
そのまま静かに馬車に揺られながら、クラルは目を閉じたまま、母親との記憶を何となく思い返していた。
『この国は嫌いなんだ。王が特にね』
『可能性を否定するくせに、有能な術師が欲しいと言う』
『馬鹿な男だと思っているよ、今も』
母親は、国で一番の錬金術師だった。
そして、馬鹿が一番嫌いだった。
では、馬鹿の定義とは何か。
『自分の目で確かめもしないうちから、無理だと決めつけるような思考の持ち主は、大抵馬鹿だ』
では、これから会いに行く王は馬鹿なのだろう。
クラルは何一つ、母親の言葉を疑ったりしていなかった。
そして、それは正しかったと知る。
「よくぞ参った! 我が命を救ったというのはそなただな!」
「……そのようですね」
「謙遜せずとも良い! 褒美を取らせよう。して、ものは相談なのだが――そなた、城に来ぬか?」
のっけから無駄な褒美の言葉に、クラルは首を横に振る。
「そのようなお気遣いは無用です」
「なんと! では、我が息子の妻とならぬか?」
「お断りします」
やっぱり来るんじゃなかった、とクラルにとっては珍しい、不快という感情が沸き上がった。
何故、それが褒美だと思うのか。喜ぶと思うのか。
「し、しかし、そなたは随分と辺鄙な場所で暮らしているという。生活に不自由しておるであろう」
「いいえ。全く何一つ、不便などありません」
表情一つ変えずに拒否の姿勢を取るクラルを、不敬だと取ったのか。
王は立ち上がり、怒鳴った。
「我が命に従うのだ!!」
――かちり。頭の中で、音がして、クラルの「意思」が暗転する。
そして同時に、声が勝手に紡がれた。
「我が媒介に触れし精霊よ。我が体を地上の呪縛から放て。我が名は――アルキミア。声に応えよ」
広い謁見の間は、天井も高い。
杖の赤い石が輝き、クラルの体が浮き上がる。
フードが外れ、銀色の髪がさらりと空気に煽られて、澄んだ緑の目をさらけ出した。
強い怒りの感情がクラルを支配しているが、もうその体を動かしているのはクラルではない。
「い、今、何と言った? そなたは……」
王が狼狽えるのを見下ろしたまま、クラルだった彼女はにこりともせずに名乗った。
「我が名はアルキミア。自由と永遠の探究者」
――アルキミア。国始まって以来の天才錬金術師と謳われた存在。
王がもちろん、その存在を知らないはずがなかった。
「あ、アルキミア、だと? そんな馬鹿な!!」
「馬鹿な男は嫌いだ。そう言ったはずだろう」
「!!」
間違いなく彼女はあのアルキミア。即位して間もない頃、王をこっぴどく振った女性。
何が何でも妻にしてやる、と追いかけ回したのだが、姿を見る者も居なくなり、国外に逃げてしまったのだろうと思っていたのに。
「ど、どうやって姿を変えたのだ!? クラルというのは偽名なのか!」
「クラルは娘だ。まあ、ホムンクルスだから正確には生みの親であって、母親とは違うがね」
どう見ても人間だ。否、人間だと思えるからこそ、信憑性など無い。
「しょ、証拠があるものか!!」
「馬鹿は決まってそう言うものだ。賢者の石も目の前にしておきながら、気付かないという」
「何だとっ!?」
だが、彼女は杖を示し、振り上げると言った。
「魔法と錬金術の融合の話を覚えているか? お前は無理だと言ったな。錬金術とは、あらゆる元素をもとにあらゆる可能性を生み出す技術。魔法とは、あらゆるものに宿る魔力という元素を凝縮し、あらゆる方向性で操る技術だと、私は解き明かしたよ」
アルキミアの周辺が、妙に歪んだ。
徐々にそれらは形を帯びて、透明な水の姿になる。
「賢者の石によって錬金術における多くの工程を省略し、賢者の石を介して魔力を扱う! それが私の編み出した新しい錬金術――いや、錬金魔術だ!!」
杖を掲げたアルキミアは、冷徹な表情でまた何か呟き始める。
「我が媒介に触れし精霊よ。我が生み出せし元素の姿を変えよ。其の熱は限りなく低く、其の鋭さはあらゆる盾を貫く! 我が名はアルキミア。声に応えよ!」
パキン、と高い音が響いて、水は氷になっていた。
しかもその先端は鋭く、自分に向けられていて。
「だ、誰ぞ! あやつを捕らえろ!!」
王はただ必死にアルキミアを指さして怒鳴るが、誰もが見知らぬ現象にただ驚き、腰を抜かしたままだ。
「せっかく我が娘が救ってやったというのに、どこまでも恩知らずめ。己の否定した技術に滅ぼされるがいい」
ひゅっ、とアルキミアが軽く杖を振ると、氷は次々と王の体に突き刺さった。
――心臓だけは狙わずに。
「ぐっ、が、ぁ……!!」
目の前が真っ赤に染まる。全身が熱さと痛みに支配される。
このまま前のめりに倒れたら、確実に死んでしまうだろう。
「へ、陛下!!!」
悲鳴が聞こえる中、アルキミアの高笑いが響いた。
「お前の無知を呪うがいい。お前の無恥を知るがいい! 愚かな年老いた王よ!」
消えた、とざわめく部下達の声も遠くなる中、王はぽつりと呟く。
「捕らえよ……あの娘を……未来、永劫まで……追いかけて、でも……」
そしてそれが、王の最期の言葉となったのである。
時は経ち、国は変わった。
歴史は塗り替えられ、アルキミアとクラルという存在は、国に叡智をもたらした人物として祀り上げられている。
錬金魔術という新しい分野を構築し、普及させた第一人者として。
本当の歴史を知る人間は、今はほとんどいないと言っていいだろう。
何故なら、当時の王族は皆滅んだし、アルキミア或いはクラルもその後一切見つからなかったままだ。
普通に考えて当然である。同じ姿を晒し続ける間抜けなら、こんなけったいな分野を生み出せたりしない。
「彼女の姿は今も、元は王城だった都広場の中央に飾られていますね。昼と夜で別々の姿になりますが、昼間がクラル、夜がアルキミアとされています」
まさか、捕まえる為に錬金魔術を研究開発し始めるとは、さすがに思ってなかったらしい。否、あんな王の遺言に真摯になる人間が居るとは思っていなかった、と言うのが正しいか。
錬金魔術によって、太陽の光でクラルに、月の光でアルキミアになる魔法の像は、この姿を見付けたら報告せよ、と当時の触れ書きで知れ渡ったものである。
今やすっかりただの飾りになり、国の観光名所でしかない。
「また、彼女が当時創り出したというホムンクルス及び賢者の石の正しいレシピは、今も解明されていません。いかなる知識を結集してもなお、彼女の叡智には及ばないままです」
「はーい先生ー、もしそれがうちらで出来たらどうなるんですかー?」
生徒が何気なく手を挙げて問いかけると、教師は目を丸くしてから笑った。
「間違いなく、この国を担うべき存在となるでしょう。錬金術も魔術も、限界があるように見えてないものです。禁忌に触れない限り自由とされていますので、どんどん独自研究も重ねて下さい」
――禁忌など作るから、辿り着けないのだ。
賢者の石もホムンクルスも、正しいレシピなどない。あえて言うなら、倫理からは多少外れていると言うべきか。
というより、倫理を説いたら万能なものなど作れなくなるに決まっている。
教師の言葉に期待を寄せる子供達には気の毒だが、賢者の石もホムンクルスも、彼らには理論すら及ぶまい。
少年は胸に下げた赤い石のペンダントに触れた。
錬金魔術を扱う人間なら、誰もが持っている触媒となる石。
宝石が主だが、少年のそれは宝石に見える賢者の石だった。
誰も、それに気づかない。
――誰も、少年の正体を知らないから。
チャイムが響き渡り、教師は軽く手を叩いた。
「はい、では今日はここまで。明日から本格的な錬金魔術の理論に入ります。各自、予習をしっかりしてくるように」
そう告げて、教材を手に教室を出て行く。
途端に周囲は弛緩した空気とざわめきに包まれた。
「いよいよかー」
「オレ、楽しみにしてるんだよなー。理論を突き詰めれば賢者の石に近付けるかもしれないだろ」
「そう思って何百年も頭のいい研究者が挫折してるし、無理だって」
「無難にちょっといい開発して、認められるくらいが限度だろうなー」
――呑気な会話を耳にしながら、少年は立ち上がる。
無言で出て行く少年を、誰も気にしない。
口笛を吹いて帰路につき、家に入るとすぐに着替えた。
真っ黒なローブ、真っ黒なフードのその少年は、家の扉の前にかかっていた看板をくるりと裏返す。
『開店』
数年前、死んだ父から受け継いだ店だ。
この店にやってくるのは、ありとあらゆる人間達。
それらを管理するシステムも、もちろんそのままで。
日暮れ間近の薄暗い店の中、来店した人物に、セクレトは口元だけで笑いかけた。
「いらっしゃいませ」
――マギアゴ国にある、都にほど近い寂れた街の一角に、その店は存在している。
しかし、この店が公になる事は無い。
何故なら、店の事を口外すれば、破滅が待ち受けているからだ。
もちろん、聞いた者もこの店に来れなくなる。
だから、誰も知らない。誰も気づかない。それでも、誰かがやってくる。
――錬金魔術の源となったこの店へ。店の主が、場所が変わっても。
-End-
錬金魔術って、意外とありそうで無さそうなので書いてみました。どっちも突き詰めると根本は一緒だと思うんです。もっと派手な展開もしたかったけど、主役たちが大人しかったので仕方ないですかね。
お読み頂き、ありがとうございました。




