-夏の訪れ- 彼の後ろ姿
いつもの習慣がまだ抜けて無くて、私は五時三十分に目が覚めた。
引退してから、一週間とちょっと経つのだけれど朝練の時間に起きてしまう。
階段を下り、コップに牛乳を入れソファに座る。
慣れとはある意味怖いもので、すっかり眠気は飛んでいる。
朝早いので、テレビの電源は入れず、真っ黒な画面を見ていた。
私の姿が映っていた。牛乳を飲む私の姿が。
ぼっーと見ていたが、ふとあることに気付く。
(髪の毛、伸びてきたなあ・・)
今まで、肩に髪が触れたら直ぐに切りに行っていた。バスケをする上で、長い髪は邪魔になるし相手にも危ないからだ。
(でも、その理由も無くなったし。伸ばしてみようかな・・)
彼女の髪が長かったのが、小学生の頃以来。たかが、髪の長さだが女にとってそれは一つの重要なポイントなのだ。
学校行くまでの時間は、あっという間に過ぎて行く。朝は時間の流れが違うのではないかと錯覚してしまう。
「じゃあ、行ってくるねお母さん。」
「行ってらっしゃい、暑くなって来たから気をつけてね。」
いつもの様に、自転車で学校に向かう。
部活をやっていた時と変わらない道を走っているのに、どこか景色が違う気がする。
それとも、今までゆっくり周りを見ていなかったのだろうか。
(なんだか、清々しい気分だなー)
昨日の勉強会もパーティーも楽しかったし、これからも楽しいことが沢山待っている、そんな気がする。
私の家から、学校までは自転車で三十五分ほどの場所にあって
八時に家を出ても、ギリギリ学校に間に合うので近い方だと思う。
学校が見えてきたところで、見慣れた自転車が見えて来た。
「奈美ー、おはよう。」
「星香、おはよー!今日も暑いねー・・。」
「七月だもんね、仕方ないけど汗ばむから困っちゃう。」
「おっと、男子へのサービスですか星香さんや。」
「何言ってるの、私より奈美の方が男子から人気あるでしょ?」
「んー、あれは違うと思うけど・・。」
夏になったら、同じやり取りをしている気がする。それだけ、私たちはいつも一緒にいるってことかも。
「男子と言えばさ、この季節になると視線が更にやばいよね。」
「そうだねー。なんだか、怖いものがあるよね。」
「せめて、ポロシャツの許可が出ればなー。」
「確か、生徒会が先生達に掛けあっているらしいよ。ポロシャツなら透けないかな?」
「あー、Yシャツよりはマシだろうけど意味無いでしょー。」
「そっかー・・。」
「自分の身は自分で守らないとね。バスケとは違ってルールなんて無いしね。」
「奈美も気をつけてね!」
「どっちかと言うと、私より星香がアブナイと思うけどー。」
「そうかな?」
「ま、そんな話より!そろそろ夏休みだし、何するか考えよ!」
「え、でもその前に期末試験あるよ?」
「星香ー、空気読んでよお・・。」
「ご、ごめん。でも、また皆で勉強会出来るかもって思って!」
「確かにねー。あ、前にいるの一之瀬じゃない?噂をすれば・・。」
奈美がそう言いかけて、私も奈美の方を見ていた視線を前に向ける。
確かに、前に一之瀬君がいた。
そして、奈美が言葉を途中で止めた理由が分かった。
一之瀬君は、隣の生徒と話しながら登校していて、それが女の子だったから。
「あれ、誰だろ?星香は、見たことある?」
「知らないと思う。」
そもそも、私は一之瀬君の交友関係を殆ど知らない。体育館でしか会わないことが殆どだったからだ。
私たちは、自転車だからあっという間に一之瀬君達を追い抜いて行く。
追い抜く瞬間、隣の女の子の顔を見た。
でも、それよりも一之瀬君の顔が笑顔だったことに目を奪われた。
そのまま、お互い言葉も無く正門へ入っていく。
自転車を停め、鍵をしっかり閉めてから籠の鞄を取る。
ふいに奈美の顔を見ると、何やら今まで見たことの無い様な顔をしている気がした。
気がしたのは、彼女が直ぐに顔をいつもの笑顔に変えたからだった。
「まったくー、一之瀬の奴。私たちがいながら他の女に手を出すなんて・・!」
「な、何言ってるの奈美・・。ただの友達かも知れないし。」
そう咄嗟に答えた私だったが、どこかいつもの私じゃないと思った。
奈美も感じたのか、クスッと笑って
「今度、二人で問い詰めちゃおうか?」
二人は、顔を見合わせた。
「うん!」
笑顔で答えた私だったけど、どこか心の中でモヤっとする感情が沸いていた。
すれ違った時の、一之瀬君の笑顔。
昨日の夜、声をかけた時には近かった彼の背中が
一夜明ければ、どこか遠い背中に感じられた。
それが、彼と彼女の距離だ。仲は良い。友人かそれ以上だろう。
だが、それだけ。残酷言えば、ただ仲が良いだけだ。
第三者から見ればその一言で終わるかもしれない。
しかし、彼と彼女の実際の距離はもっと近いのかも知れない。
初めての一話丸々、山下星香視点となります。
今後は、こういった手法も試して行きつつ物語進めて行きます。
読んで頂きありがとうございました。