-夏の訪れ- 引退後、ミニ勉強会
高校三年生の夏が始まろうとしていた。
七月に入り、益々外の気温は上がり、学校へ行く気力が削がれていた。
引退後、桐ヶ丘高校バスケ部の面々に待っていたのは
「受験勉強」
その四文字だった。そして、その四文字が表す意味とは。
「やべーって、一之瀬。俺、馬鹿だから何も分かんねえよ!」
そんな事を、堂々と言われても困る。まぁ、大方予想通りの直井から発せられていた。
「残念だったな、俺も馬鹿だ。」
そして、僕も開き直る。
三年生は引退し、受験勉強へと切り替えていた。僕らもそう。
だが、勉強は一向に捗ってはいなかった。進捗ゼロです。
「そもそもさ、俺ら全員バスケ馬鹿じゃん?誰か、頭良いの呼ばないとダメなんじゃないか?」
永田が珍しく名案を思い付く。
「誰がいるんだよ。」
「え?」
「だって、俺ら誰も女と仲良くないだろ?」
遠藤が、そう事実なのだが悲しいことをサラッと告げる。そもそも呼ぶのが女前提なのはなぜなのか。
「え、でも主将なら一人二人いるでしょー?」
「元、主将な?残念ながら、俺にもいないな。彼女以外はな。」
「サラッと自慢してくれちゃってさ。どうすんだよー。」
直井は、目の前の課題よりも女の子をどうしてもここに呼びたいらしい。
「あ、じゃあ山下さんとか呼んでみる?」
僕がさり気無くそう言い放つと
「あー、一之瀬。星香ちゃんと仲良くなったからってこれ見よがしに自慢かー?」
「おいおい、慎也こそ。いつの間に、山下のこと下の名前で呼んでんだよ。しかも、ちゃん付けで。」
絶賛彼女募集中の永田は、少し声を荒げた。慎也とは直井の下の名前だ。
「うっ、いや・・。勝手に呼んでるだけだよ・・!」
えええ・・と、その場の四人、つまり直井以外が引いた。
「山下なら、可愛いしもしかしたら頭良いかも知れないし良いんじゃないか?」
なんか、遠藤が偉そうに言ってくるのが釈然としなかったが、僕としても何か理由を付けて山下さんと話したかったから良しとする。
じゃあ、電話してみるわ。そう言って、席を外す。
旧校舎の空き教室を出て、僕は携帯を取り出す。
連絡帳を下からスクロールさせ、彼女の名前を探す。
探すと言っても、一番下にあるのが彼女の名前だったが。
そして、少し一呼吸置いて彼女の電話番号へとかける。
山下さんからは、あの日の夜以来電話をしてはいなかったが、気軽にかけて良いと言われている。
何コール経っただろうか。すると、声が聞こえてくる。
「もしもし、一之瀬君?どうかした?」
その声にどこか安心する僕がいた。
「いやさ、バスケ部の奴らと勉強してるんだけど良かったら一緒にどうかなって。俺ら、馬鹿過ぎて全然進まなくて。」
「馬鹿過ぎてって、一之瀬君も頭悪いの・・?」
待ってくれ、そんな幻滅したような声を出さないでくれよっと内心思ったのだが。
「いやいや、俺は普通なんだけど直井が特にね!」
(すまない、直井・・)
「そうなんだ。どうしようかな・・。」
「えー、行けば良いじゃん!私も行くからさ。」
横から、今井さんの声が聞こえてくる。僕の声も聞こえていたようだ。
そうして、今井さんのやや強引さも合わさり、七人で勉強をすることとなった。
「あれ、今井は呼んでないんだけどな?」
「あれー、遠藤。そんな問題も解けないのー?」
二人の目線が怖い。二人は、バスケしてる時もお互いをライバルとして見ていた。
隣の相澤が、冷静に二人を落ち着かせる。これが、彼女持ちの力なのか。
そんな筈も無いが、あまりの難問に頭が回っていなかった。
幸いだったのは、どの教室にもエアコンが完備されていたことだろうか。
「奈美って、実は遠藤君のこと好きだったりしてね?」
そんな可愛らしいことを、僕の耳元で山下さんは囁くからもう色々とまずい。
「そうなのかもね・・。」
僕は、そう答えるので精一杯だった。
僕と山下さんとの距離はあの日の試合の後にグッと縮まっていた。
そう、あの試合の後・・
「一之瀬君、ぼっーとしてないで!問題解く!」
「は、はい!」
「なーんか、一之瀬。お前、山下には弱いよな?」
「一之瀬、女の尻に敷かれると碌なことにならないぞ。」
彼女持ちの説得力。確かに、僕は山下さんに弱いところもある・・が。
勉強を始めて、もう二時間くらい経った頃だろうか。時刻は、十八時を過ぎていた。
課題に集中していた僕は、隣の山下さんを不意に見てみると。
「すっー・・。」
珍しいこともあるものだ。僕は、彼女の寝顔を見るのは初めてだった。
その姿に、しばし見惚れていたが
遠藤や相澤の言葉を思い出し、少し意地悪をすることに。
しかし、そういう時に限って何も思い付かない。
横っ腹を突こうかと思ったが、セクハラになりそうだし。それに、後が怖い。
僕は、携帯を取り出し、彼女にメールをした。
すると、彼女のスカートのポケットから携帯のバイブ音が鳴る。
文脈はこうだ。
「山下さん、口元が涎でべとべとだよ。」と。
彼女は、目をこすりながら顔を上げる。
そして、目線を携帯のディスプレイへと移した。
メールを開いた頃だろうか、ガタッと勢いよく立ち上がりどこかに行ってしまった。
恐らく、トイレだろう。
僕は、笑いながら謝罪のメールを送った。当然、涎なんて嘘だ。
彼女が少しムッとしたような顔で教室に戻って来て、僕の背中を叩く。
「おおう。」
周りが怪訝な顔をこちらに向けるが、僕は隣の顔を見た。
口パクで、(お か え し)。そう彼女が言った。
その時、僕は山下さんに弱いんじゃなくて
甘いんだなと、そう理解した。