8話
「私はですね、そのイネ御婆さんに手習いをさせて頂いてて、大そう御世話になったんですよ。
私もイネ御婆さんが大好きで、性に目覚めた当初は恥ずかしい相談もよくしていました。
その時に、男女の在り方。女の幸せ、良い男とは……色々教えていただき、その時に信長様のお話もしてくれたんです」
性交とはただの子作りではない。
快楽を得ると同時に、深く魂を触れ合わせて相手の心を満たし幸せにすることも出来る魔法の行為なのだと藤乃は確信した。
「それで私はこの道を往くことを決めました。
とは言え、私は心ごと抱いてあげられるほどに他人の内面に踏み込むことが出来ません。
この眼は未熟で、初見で何をも見通せるわけではないから。ならばせめて、肉体的な快楽だけでも。
そう思って誠心誠意まぐわって、刹那の浄土へと旅立ってもらっているわけです」
「(やだ……どう反応して良いか分からないわ……)」
戸惑うマーリン、立派な志にうんうんと頷く信長。
常識人とそうでないものの差が如実に表れていると言えよう。
「とは言え、何も善意ばかりと言うわけではありません。私は別に仏でも何でもありませんから」
「そりゃそうだ」
だからこそ、二度は抱かないのだろう。
一度抱くことで藤乃は善意ばかりではない何かを満たしている。
聖女のように身体を開く女、打算で身体を開く女、信長はどちらも否定しない。
何にせよ、誰にでもその身を委ねると言うのは並大抵の覚悟ではないからだ。
男ならばともかく、女ならば尚更。
善であれ悪であれその重い覚悟を以って生きている人間をどうして否定出来ようか。
「一睡の夢を見せる代わりに、私は私で御代を貰ってるんです。と、言ってもお金じゃありませんよ?」
「だろうな。そう言うのに興味はなさそうだ」
とは言え金勘定をさせれば中々な感じもする。
信長はかつて所属していたホストクラブのオーナーと同じ匂いを藤乃から嗅ぎ取っていた。
「女子として生まれたからには、良い殿方の女になって幸せになりたい。それが私の生きる意味、大前提」
良い男の条件とは何だろうか?
単に顔が良い、単に金を持っている、それだけで一生分の時間をかけられはしない。
少なくとも藤乃は無理だと思っている。
目先のそれに飛びついてつがったところで決して幸福にはなれないから。
「人間の本質を見られる瞬間は大きく分けて二つ、私はそう考えています」
人差し指立てて、教師がそうするように語り始める。
どうやら藤乃は御喋りな人間らしい。
だが信長も自分が御喋りな人間だと自覚しているので迂遠な会話すらもが楽しく思えてしまう。
「一つはその命が危機に晒された時。死が最も近付いた瞬間にこそ、総ての虚飾は剥がれ地金が顔を見せる」
勝家が信長相手に実践しようしたことだ。
失敗したものの、結果的には思惑を達成出来た。
「とは言え、正直私はそう言うの好きじゃありません」
確かに見ることは出来るが、そこから先に関係が続かない。
普通に考えて自分を殺そうとした相手と仲良くなれるわけがないのだ。
そう言う理由と、単純に後味が悪いので藤乃はそう言う手段を好んでいない。
別の目的のためならば躊躇いなく、その手のやり方も出来るが至上目的のためにはあまりにもそぐわない。
「二つ、欲に溺れ快楽に溶けている瞬間」
人の根源的な業たる欲望。
普段は理性により堰き止められているそれが、快楽の中ではそれが止め処なく溢れ出す。
その者の欲がどんなものであるかを見極めることで、本質を探り出すのだ。
言わば、
「私的に言わせて貰いますと抱かせれば分かるってとこですかね」
それは信長の抱けば分かると言う持論とまったく同じだった。
「気が合うな、俺もその口だよ。俺も眼で見極め、抱いて最終確認をやってる」
「その域には達していませんよ。眼で見たものと、抱かせた後で分かるものが違うこともありますから」
「俺もまだまださね。予想以上のものを引っ掛けたこともあったしな」
それはマーリンのことを言っているのだろう。
とは言え、それは単純に知識と見聞が足らぬゆえのもの。
「しかし、成るほど……だから二度は抱かせないのか」
「はい。一度目に、快楽と引き換えに確かめさせてもらうんですよ。私の望む良き殿方なのかどうかを」
こだわりのあるビッチと言うべきか。
それとも、決して二度を赦さず二度目を赦すのは好いた男のみなのだから一途と言うべきか。
何にしろ、中々面白い女であることは確かだ。
「でもまあ、それはそれとして私自身も気持ち良いのが好きなので趣味と実益を兼ねてるんですがね」
テヘヘ、と笑う藤乃。
相手を気持ち良くして自分も気持ち良くなれるよう努力する。
何とも明るい性豪っぷりだ。
「で、俺のことは試してくれるのかね?」
「ええ……それはもう、総てをかけて。先達は信長様ですが、さりとて私にも自負があります」
眼力では負けても、性技では負けぬ。
アヒンアヒン言わせて骨抜きにしてやるぜメーン? と言う闘志がこれでもかと燃え滾っている。
「上等、俺だってこれで飯喰ってたんだ。負けねえ、負けねえよ俺ぁ」
ホストなんて軽薄な商売だ。
しかし、信長はその軽薄さを誇りに思っている。
世の中誰も彼もが重厚過ぎてはあまりにも息が苦しくなってしまう。
だからこそ、自分達のような軽重浮薄な人間が必要で、お気楽に生きねばならない。
煌びやかで、栄光に満ちた夜の世界。
一皮剥けば惨めな闇に真っ逆さま、それでもそんな不安を見せずに笑えてしまうのが本当のホスト。
そんなホストとしての誇りは織田信長になったからとて変わることはない。
とは言え、肉体関係はホストの業務のではないわけだが。
本業に影響が無いわけではないものの、ぶっちゃけ趣味の範疇である。
「楽しみです! でも、その前に二つ訂正をさせてください」
「訂正?」
「はい。私のことを藤乃と仰いましたが今は別の名を使っています。名前がちょっと軽いので」
「ふぅん、じゃあ今は何て名前なんだ?」
「――――木下藤吉郎」
目を大きく見開き、ぽかーんと大口を開けて固まってしまう。
史実において木下藤吉郎と言えば後の豊臣秀吉。
織田信長亡き後、天下を平定した戦国ドリームの体現者だ。
「(女、かぁ……秀吉女かぁ……成りあがれるのか? ああいやでも……)」
ファンタジー世界観だし、何とかなると思い直す。
戦国時代と言う先入観が今も抜けていないので、女が男達に混じって活躍すると言うのは少し想像がし難い。
とは言え、有名な女武将も存在していなかったわけではないのだ。
「(能力がありゃ風当たりはキツクても、やってける……のかな? まあどうでも良いや)」
それよりも何よりも今は優先すべきことがあるから。
「じゃあ藤吉郎と?」
「いえ、どちらでも御自由に。一応、今使っている名前もお伝えしておこうかと思っただけですから」
「分かった。じゃあ、藤乃で通させてもらう。それで、もう一つは何なんだ?」
その問いを投げられると藤乃は片目を瞑り楽しげに口角を吊り上げ、
「私、千人食べてません。九百九十九人――――つまり、栄えある千人目の御相手が信長様なんですよ♪」
悪戯な笑みを浮かべた。
「ハ……成るほど、光栄極まるな。俺も更に気合を入れなきゃならんようだ。マーリン」
「え? ああはいはい」
何かが間違ってる少年漫画のライバル同士のやり取りに呆れていたマーリンだが信長の声で意識を戻す。
「――――俺が負けた時は頼むぜ」
「……ああ、あれホントの御願いだったのね」
「当たり前だ。じゃ、行こうぜ藤乃――と言いたいが、仕事は大丈夫なのか?」
何処かへ行く途中だったのは明白。
主命の真っ最中ならば流石に申し訳ないので信長も日を改めようと思っていた。
「はい。お休みを貰ったので中村に顔を出しておこうかと思っていただけですので。さ、着いて来てください」
「分かった。マーリン、お前はまあゆっくり観光でもしててくれ」
去り往く二人の背中は望んで死地に赴く兵士の如くに凛々しかった。
マーリンは半目でそれを見送り深く深く溜息を一つ。
「……観光って言われてもねえ」
特に見たいものがあるわけではないのだ。
そもそもマーリンは長い時間、あちこちを転々として暮らして来たので何処もかしこもホームのようなもの。
かつて暮らして居た時との差異を楽しめるような性質ならば話は別だが、そうでもない。
蝦夷は色々と新鮮ではあったが、他の場所では真新しさもなかった。
それでも楽しめたのは横でキラキラと瞳を輝かせる信長が居たから。
ならばさてどうしようかと思った矢先のこと。
「あら、この気配は」
魔道の気配を感じ取った。
今川領内で魔道の気を放つ者など一人しか居ない。
マーリンは即座に鳥へと姿を変えて飛び立ち、松下嘉兵衛の屋敷を目指す。
すると、門の前にはマーリンともタメを張る肉付きの良い尼僧が立って居た。
そう、太原雪斎である。
何か用があって屋敷を訪れたのだろうが、マーリンの気配に勘付き即座に視線を上空へと。
「(ま、隠してるわけじゃないんだしこの距離で気付かないのは流石にね)」
雪斎は一度だけ意味深な目をしてから視線を外し、何処かへと歩き出す。
着いて来い、と言う意味だろう。
やることもないマーリンにとっては渡りに船。
バッサバッサと翼を羽ばたかせその後へと着いて行く。
誘導されてやって来たのは、何処にでもあるような古ぼけた民家。
ただ、
「……何かあちこち血だらけなんだけど?」
「それはしょうがありませんわ。乱心した夫により家庭が崩壊したその名残ですもの」
「殺人現場!?」
だからこそ、人も近寄らないので丁度良いと言えば丁度良いのだが。
若手芸人のようなリアクションをするマーリンをスルーし、雪斎は居住まいを正し一礼。
「お初にお目にかかります、わたくしは太原雪斎。魔道の先達、聖剣の魔女殿に御会い出来て光栄ですわ」
「あらあら、これは御丁寧に。用事は良かったのかしら?」
「魔女殿と語らう機会の方に秤が傾いたもので」
雪斎は魔道の世界においては若輩も若輩。
そんな彼女にとってマーリンとは雲の上の存在で、一生を費やしても見つけられるかどうか怪しいほど。
それがわざわざ向こうから会いに来てくれたのだから他の用事など後に回せば良い。
「それはどうも」
尊敬の念が向けられているもののマーリンは至ってフラットだった。
好いた相手以外に尊敬されたり褒められたりしたところでどうとも思わないのだろう。
割とドライな性質だが、雪斎に気にした様子は無い。
「少し前に、尾張のうつけの前に現れたと聞いた時は驚きましたよ。本当に、その若者が聖剣の担い手なので?」
聖剣を創ったのがマーリンであることは誰も知らない。
イコール、ぶっちゃけ奴のさじ加減であることも知らないと言うわけだ。
それゆえ、雪斎は疑っている。織田信長と言う者が聖剣の正統なる担い手なのかと。
「少なくとも私はそう考えているわ」
マーリンを除けば、聖剣の由来を知っている者は魔道の世界にも居ない。
気付けば京にあり、誰もが抜けぬが力を秘めたものであることぐらいしか知らない。
一体誰が想像出来るだろう、伝説を創作して日本を統一し易くするための舞台装置であるなどと。
特に魔道を修める者達は分からないだろう。
何せたかだか舞台装置にしては、あまりにも力が秘められているのだから。
見る者が見れば分かる、至高の一品。魔道を操る者達ですらあのようなものは造れやしない。
マーリンにも魔道における得手不得手があるものの、不得手ですら一流の水準。
得手となればそれはもう、及びもつかぬ至高であることは語るまでもない。
「……」
「フフフ、私が此処に居ると言うことは信長様も御近くに居られると言うこと。探して、排除してみる?」
雪斎自身が、ではなく人間を使って人間の力でと言うのならばマーリン自身も干渉する気は無い。
雪斎が魔道を使ってと言うのならば勿論、マーリンも喜んで相手をするだろう。
「いいえ、止めておきますわ。今から人を用意していれば、その隙にあなたが危機を伝えに行って逃げられるでしょうし」
「でもあなたにはそれ以外の力でもあるのではなくって? 私が怖い?」
「あなたに挑むのも、些か以上に恐ろしいですが……それ以上に、殿が好まないので」
「殿――と言うと義元公?」
「ええ。あの御方は魔道の力を以って成果を出すことを嫌っております。私に赦されているのは人の力のみ」
バレないところでちょくちょく使っては居るのだろうが、流石に信長捕縛のために動けば言い訳が聞かない。
義元に対して隠しごとはしても虚偽だけは使いたくない、それが雪斎のささやかな矜持だった。
「骨があるのね。私は見たことがないけれど巷じゃ公家趣味にかぶれた軟弱者って感じなのに」
そう言うと雪斎は苦笑を漏らした。
「先々のことを考えて歌や蹴鞠も嗜んで欲しいと私が言上しただけで、好んではいませんもの」
上洛を見据え、朝廷との付き合いも増えると見越してのことだろう。
とは言え義元自身は噂で聞くように、公家趣味を好んでいるわけではない。
「武人然とした御方ですからね。蹴鞠をやれと言った時はそのまま顔面にぶつけられましたわ」
「ねえ、それ楽しそうに笑うところかしら?」
「そう言うところが好きなんです」
ぷくぅ、と頬を膨らませる雪斎。
妖艶な尼僧には似合わぬ振る舞いだがこれはこれでアリだった。
「ところで、興味本位で聞きますが信長殿は魔女殿から離れられて何をしておられるので?」
うつけではないと言うのなら何かしら策謀を巡らせているのかもしれない。
素直に答えてはくれないと思いつつも、雪斎は一応、聞ければ儲けもの程度の気持ちで所在を問う。
「フフフ、今頃絶好調で腰を振ってるはずよ! 信長様ってば夜の武芸は達人級の色男だもの!!」
「ねえ、それ楽しそうに笑うところですの?」