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5話

 元服を迎えた翌日、信長はマーリンを伴って旅に出た。

 目指すは京――ではない。信長としては父の思惑はともかくとして、旅をすること自体には乗り気だ。

 諸国漫遊、現代においては各種交通機関によるものだったが今の時代では基本徒歩。

 徒歩で日本中を回ると言うのはそれだけでワクワクするもの。


 予定としては真っ直ぐ蝦夷を目指し、そこでしばし異文化を学びつつ観光。

 その後はのんべんだらりと南下し、あちこちに寄りながら京へと言うのがとりあえずの指針である。

 京で聖剣を回収するのかしないのか、織田家から逃げるのか逃げないのか。

 その辺りは道中で色々考えるつもりだが、今はまだ考える必要も無いので気楽なもの。


「ところで信長様、何故三河から海沿いに北上するのではなく美濃を通って北上するつもりなので?」

「海より山が好きだからだな。さしたる理由は無いさ。とりあえずは山中を行くが、気が向けば海にも出るかもな」


 漆黒の外套に腰に佩いた宗三左文字。

 派手な見た目で賊を招き易いわけだが、本人は気にしていなかった。

 マーリンが居るからと言うわけではない。信長自身にもそれなりの自負があるからだ。

 何があってもそれなりに切り抜けられるであろう、と。

 それが傲慢なのか当然の自信なのかはこれから先の道中で分かるだろう。


「それよりまり……いや、マーリン」

「はい、何でしょう?」


 虹色の光も出していないし、空色の外套も今は着ていない。

 それでもドがつく美女なので信長に負けずマーリンもよく目立つ。

 が、彼女の場合は何があっても問題は無い。伊達に魔女などと自称しているわけではないのだ。


「敬語は止めてくれ。そちらの方が年上なのだし、立ち位置的にも俺はうつけの若殿。

お前は伝説に謳われる魔女で段違い。かしこまられると俺としては少々やり難い。

俺はかしこまるべきなんだろうが、一緒に旅をするんだ。出来るなら気楽にやりたい――どうだ?」


 そう提案するがマーリンは何故かショックを受けたような顔で固まっている。


「ふ、ふふふ……」


 と、思えば急に笑い出した。

 卑屈さが滲み出る、諦観と投げやりと自虐と――ロクでもないものばかりが混ざった笑みだ。


「年上……そう、そうよね。ええ、だって私婆だもの! 腐敗とかそう言うのを通り越して白骨化してるレベルの婆!!」

「いや、十分別嬪さんだと思うぜ。見た目もそうだが、その心根もな。何で農民に化けてたのかは知らんが……」


 それでも、あの手は嘘じゃない。

 信長はそう確信していた。

 マーリンが人、ただの村娘として魔道なんてものに頼らず土と共に生きて来た証だ。

 まりの姿で居る際に、信長が惹かれたのはそう言うところだったから。

 もっとも、手を出したもう一つの理由たる何か良いものくれそうと言う目論見は失敗したが。

 他の人間にとっては垂涎の一品であろうとも信長からすれば聖剣など無用の長物だ。


「の、信長様……やだ! ちょっと私かなり面倒臭いわよ!? だって千年熟成したネンネだもの!!」

「それはそれでアリだろう。俺の守備範囲は広いからな。ところでちょっと良いか?」

「なぁに?」

「姿形を変えたり、そう言う……魔道? のようなもんを使うのは珍しくないのか?」


 言うても信長の世界は狭い。

 尾張とその近隣に足を運ぶことはあれどもそこまでだ。

 それに加えてロクに勉強もしていなかったから知識など殆ど無い。


「いいえ、珍しいわよ。普通の人間は妖術や魔道なんてものを言葉の上で知っていても実際にあるのか。

そして、何処でどう身につけるのかなんて知らないもの。とは言え、まったく居ないわけじゃないけどね?

有名どころで言えば今川の太原雪斎なんかがそうね――まあ、周知はされてないけど」

「太原雪斎……義元の懐刀か」


 これは歴史の知識で知っているだけで、実際の生きた話を聞いたことはない。


「ええ、とは言っても私からすれば未熟も未熟――って言っておくわ、だって小娘にビビってると思われたくないし!

雪斎の他にもちらほら居るけど、基本的に魔道を修めた人間は俗世に干渉しないから気にしなくて良いわ。

俗世に干渉してる雪斎なんかも魔道の力を使って何かをしてるわけじゃないし……まったくってわけじゃないと思うけどね。

それでもドデカイことを仕出かしてはいないわ。そう言う暗黙の了解があるもの」


 つまり、義元の右腕として内政、軍事、外交にまで辣腕を振るっているのは魔道なんて関係ない人間としての実力と言うわけだ。


「ほう……(いよいよファンタジー極まったな。これ、ドラゴンとか居るんじゃねえのか?)」


 男の子ならワクワクしそうなものだが、信長はそっち方面にはさして興味が無かった。

 彼が執着を見せるのは人間が持つ俗な欲求のみ。

 浅ましさを自覚し、しかしそれこそが人間だと嫌な具合に開き直っているのが織田信長と言う人間だった。


「ね、ねえ他に聞きたいことはない? 私のこととか! 私のこととか!」

「ふむ……ま、そこらは閨で聞かせてもらうとするさ。

聞きたいことは多々あるが、夢中になり過ぎてコケちまえばあまりにもみっともないからな」


 軽くマーリンの尻を撫でる。

 実に素晴らしい肉付きで、信長は直ぐにでも宿に駆け込みたくなった。

 とは言え此処は山中、宿なんてものは見えない。


「(まあ、しょうがないか……野宿のが旅って感じがするしな)」


 それに、我慢出来なければ野外でおっ始めれば良いだけだとほくそ笑む。


「(それより、そろそろ仕掛けるか……)マーリン」


 微かな流し目、しかしそれでマーリンも察した。

 基本的に振り掛かる障害は自分が何とかしようと思っていたが、それでも信長が望まないならするつもりはない。

 だからこそ、任せろと言う意思表示に片目を瞑ることで応えた。


「どうしたの?」

「城に忘れ物した。取りに行ってくれないか? 鳥獣に化けられるんだし大丈夫だろ?」

「仰せのままに。それで、忘れ物って?」

「――――お気に入りの赤褌」

「――――今直ぐに取って来るわ!!」


 言うやマーリンは鳥に変化し、飛び立った。

 信長は近くの倒木に腰掛け、深い深い溜息を吐く。


「ふぅ……面倒だな。魔女だか何だか知らんが逃げちまいたいぜ。何だって旅になんぞ出なきゃならんのだ」


 言いながら火を熾し、野宿の準備を始める。

 街灯も何も無い時代だ、辺りが薄暗くなり始めたらそこで留まるべきだ。

 宿などがあればそこに駆け込めば良いが近場に無いなら無理は禁物。

 もう少しだけ、と探してみてすっかり夜になってしまえば危険だ。


「いやいや、楽しいことだけを考えようか。

気軽に抱ける女が居て、親父殿がくれた路銀もかなりあるしあちこちで遊べると思えば良いやな」


 外套を脱ぎ、右手で掴んで傍らに置こうとした瞬間――背後より影が迫る。


「(おうおう、見事に引っ掛かった……初日でってせっかち過ぎだろ)」


 が、分かっていたことだから焦らず騒がず。

 そのまま右手を後ろに放り外套をぶつけることで襲撃者の視界を塞ぐ。


「ぬ!?」


 黒い衣服と頭巾に身を包んだ襲撃者は一瞬面喰らうもののすぐさまフリーの左手で外套を振り払う。

 視界は開けたがそこに信長は居らず。


「右ッ!」


 気配を察知し即座に身体を向けるが、既に信長は投擲体勢に入っていた。

 その手に握られているのは焚き火の中から取り出した燃えている焚き木。

 当然熱いし火傷も負うが、その程度は無視出来る。

 信長は襲撃者が身体を向けるタイミングに合わせて焚き木を投擲。


 人間は火が身体に触れそうになれば大抵一瞬後の熱に意思とは裏腹に身体を硬直させるか咄嗟に離れるかの二択。

 襲撃者は武に秀でていた、ゆえに咄嗟に離れてしまった。離れることが出来てしまった。

 ようは動きを誘導されたわけだ、この時点で最早詰み。

 投擲と同時に駆け出していた信長は襲撃者の股間に体重を乗せた前蹴りを玉を潰さぬギリギリの力加減で叩き付ける。


「~~~~!?」


 男ならば誰もが知っている、あの想像を絶する痛み。

 いや、痛みとは違う。痛みは痛みなのだがあの形容し難い眩暈と吐き気を催す不快感は痛みだけでは括り切れない。


「……さ、誘われたのか……!」

「っおらぁ!!」


 呻きながら股間を押さえて蹲る襲撃者。その背に回り思いっ切り踏みつけて仰向けに押し倒す。

 そして背中を踏んで地面に押し付けつつ左手で宗三左文字を握り、その刃を首筋に突きつける。

 刃の位置を動かさず、身体を屈めてフリーの右手で頭巾を剥がせば――――。


「お前かよ、勝家……」


 頭痛が堪え切れない。

 まんまと信秀の思惑に乗っかっているではないか。

 しかし、その相手がマズイ。信勝派の人間ならまだしも、勝家が襲撃者ならば差し向けたのは信勝だ。

 直接彼が勝家に命じたとしか考えられない。


「殺すぞテメェ!?」


 信長になる前から、なった後も怒りを露にするなど皆無。

 しかしここに来て、彼は本気でキレていた。


「……言い訳はしませぬ」


 未だ苦しいのか、その声には苦悶が滲んでいる。

 しかし勝家としては、総てを見抜けずとも、真意が分からずとも信長がうつけではないことが分かった。

 平手の言葉、そして自分の目で確かめた一連の鮮やかな手並み。

 阿呆ならば気付かれて誘われることもなかったしこうしてやられることもなかった。

 最低限とは言え信長を確かめられたのだから収穫だ。信長と信勝、どちらが当主になったとしても、一先ずは安心出来る。


「そうじゃねえ! お前、俺が殺されかけて怒ってると思ってんじゃねえだろうな!?」

「え」


 その強面に似合わぬ気の抜けた声。


 信長からかけられた言葉はそれだけ意外性を突いたものだった。


「俺の弟を殺す気か!?」


 宗三左文字を投げ捨て、勝家を引っ繰り返し馬乗りになって胸倉を引っ掴む。

 信長の顔には怒りだけでなく、焦りも滲んでいた。


「暗殺なんて手段は下の下だ。主君がやって良いこっちゃねえ」


 家臣が勝手にやるのならばそれで良い。

 その者は処断されるだろうが、信長からすれば命を狙われたのだし止める気も無い。

 だが、身内となれば話は別だ。弟で、しかもその人柄を好ましく思っている信勝には生きていて欲しい。

 史実におけるその末路を辿らせるなど以ての外だ。


「そんな主君の軽挙を止めるのが、筆頭家臣たるお前の役目じゃねえのかよ勝家!?」


 暗殺者が勝家以外の人間ならばまだ良かった。

 その場合、どうとでも白を切ることが出来て信勝も首の皮一枚で繋がったはずだ。

 だが勝家が動くとなればそれはもう信勝の指示以外ではあり得ない。


「の、信長様……? い、一体何を……」

「お前らどんだけおめでたい頭してんだ? 親父殿が真に馬鹿親になったとでも? 阿呆、そう見せ掛けているだけだろうが」


 信秀は過剰とも言える甘さで信長に接することで、彼を護ると同時に己を欺いても居る。

 『尾張の虎も老いたと言わざるを得ん』――そう言ったのは信勝だったが、思惑通りと言えよう。

 権謀を巡らせるために自身を小さく見せているのだ、信秀は。


「――――虎の尾を踏んじまったんだよ、アイツもお前も」


 織田信秀は虎だ、身体は老いたがその頭脳は猛禽の如くに獰猛なまま。

 政秀にもそう示唆されていた勝家だったが、ハッキリと信秀が健在だと信長に言われることで顔が青褪める。

 虎が未だに鋭い牙を持っているのならばと考え答えに辿り着いてしまったから。


「……不穏分子の、炙り出し?」

「ああ……俺もそれぐらい気付いてる奴がお前も含めてアイツの傍には何人か居ると思ってたんだが……」


 自分が信秀の態度が不自然だ露骨だと気付き、ならばその理由は? と答えに辿り着いても他人も同じように出来るとは限らないのだ。

 信長は自己をあまり評価していない――いや、ベッドテクや女を篭絡する手管に関しては誇っているがそれ以外の頭のキレや観察眼などは普通だと考えている。

 だからこそ、全員が全員とは言わないが他の者も気付いているだろうと思い込んでしまう。

 戦国時代の人間で、それも勝家のような有名どころの人間は当然気付いているはずだ――と。


 実際、聡い者らが居なかったわけではないのだろう。

 しかし、その者達が気付いて進言するよりも早くに信勝が動き出してしまった。

 この状況はそんな間の悪さと、信長の他者に対するある種の過大評価が生み出したものと言える。

 何のかんの言ってもまだまだ子供と言わざるを得ない。


「(糞……どうする?)」


 少数の聡い者らが信勝が軽挙に走らぬよう上手く諌めてくれる。

 そう思っていただけに、この状況はあまりにも予想外。

 暗殺者自体は来るだろうと思っていた。

 しかしそれは信勝派の人間が差し向けるもので信勝本人の手で送り込まれるとは思っていなかった。

 そう決め付けていただけに、予想が覆され、信長は焦りに焦っていた。

 それこそ、普段通りにうつけの仮面を被ることも忘れて。


「(勝家の場合は殺気を零してたから気付けたが……親父殿が送り込んだ監視役の密偵も、どっかに居るはずだ。

いや、勝家の正体が露見した時点でもう尾張に戻ったか? なら、俺も尾張に……いや、駄目だ)」


 尾張に戻ってしまえば信勝が殺されてしまう。

 信長が次期当主確定とは言え、もしも信長に何かあれば次点に上がるのは信勝だ。


「(俺が戻らないことで意思表示をするべきだ。このまま逃げても良いんだぜ? と。そうなりゃ、弟は殺せない)」


 もし信長に逃げ仰せられてしまえば?

 そんな可能性が零ではない以上、他の兄弟と大きく水をあけている信勝を万が一のために生かしておくはずだ。

 ならば尾張に戻るわけにはいかない。


「……爺様だ。勝家、平手の爺様に全部を話してお前の主君を救ってもらえ! 渋るなら俺の名を使っても良い!!」


 父信秀とも付き合いが長く、聡明で穏やかな政秀。

 上手に丁寧に齢を重ねた者だけが備えることが出来る風格と知性を持つ政秀ならば何とかしてくれる。

 普段言うことを聞いていないのに、困った時だけ頼るのも心苦しい。

 だが今は緊急事態だと信長は自分を納得させ、勝家に指示を飛ばすが……。


「あの……平手殿も、このことは御存知なのですが……」

「――――は?」


 ようやく股間の痛みが引いて来た勝家の言葉は、またしても信長にとって予想外のものだった。

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