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4話

 古渡城のとある一室では一人の若者が荒れに荒れていた。


「糞、糞糞糞ぅ! 何故、何故兄上ばかりがああも!!」


 彼こそは織田信勝、。

 信長の次男にして信秀や一部の者を除く家臣らが次期当主に相応しいと考えているのは彼だ。

 そして、臣に認められるだけの努力をしている自負は信勝にもあった。

 だからこそ赦せない。努力も何もせず遊び呆けているだけの兄が父に可愛がられ、聖剣の魔女に選ばれるなど。


 生まれや育ちで左右されるのは悪しきこと。

 真面目に努力しながら生きている者が報われぬなどおかしい、信勝はそう言う考えの持ち主だ。

 だが、時代は彼の真っ直ぐな信念を是とは認めない。

 この時代、正しいのは強く、優れている者。能力がある者をこそ求められるのだ。

 その渇いた価値観に照らし合わせてみれば信勝自身も決して劣等と言うわけではない。


 が、信秀の態度が総てを物語っている。

 弟よりも兄の方が優れている、と。

 信勝は自らの信念を語ったことはない。甘いと馬鹿にされてしまうから。

 ゆえに殆どの人間は知らない、この怒れる少年の本当の気持ちを。


 知っているのは、理解しているのは、皮肉なことに信勝が誰よりも嫌っている信長ぐらいだ。

 彼の時代では『血筋などに左右されず真面目に生きている者が報われぬなどおかしい』と言う価値観も普遍ではないが珍しいものでもなかった。

 それゆえ、そんな風に考えながら生きている人間とも出会う機会は多々あった。

 だからこそ気付けた。ああ、俺の弟は優しい子なのだ――と。


 確かにこの時代では甘いし、民百姓ならばともかく為政者がそのような思考をするのは甘さだ。

 何せ信勝の考えを認めるのならば人間に貴賎が無いことになる。

 差別が公然と存在している時代において『血筋などに左右されず真面目に生きている者が報われぬなどおかしい』などと言うのは禁忌に近い。

 その論に照らし合わせるのならばどんな底辺も頑張れば人並みになれると言うことなのだから。


 人並みの生を歩んで居た者からすればたまったものではない。

 おい、俺より、私より下に居たお前が何を隣に並んでいるのだ――と。

 信勝自身も武家の人間として生まれた以上、そこらは弁えている。

 だからこそ口にはしない。


 だが、そんな胸に想いを酌んでいるのが信長だと言うのだから何とも皮肉。

 信勝自身は気付いていないだろう。だが、怒りはある。

 信長は弟の優しい心根に気付いているからこそ、決して信勝を嫌いにはならない。

 むしろ勤勉で優しい人間なのだと好意すら抱いている。


 ゆえに嫌味を言われようがさらりと受け流せるのだが、信勝からすればたまったものではない。

 その余裕綽綽な態度が気に障る。

 信秀に気に入られているがゆえの余裕か? 嫡子ゆえの余裕か?

 それとも自分など障害にもならぬからか? 悪循環と言えよう。


「あのような大うつけが……何故……!」


 ギリリ、と血が出るほどに唇を噛み締める。

 破綻した兄弟の関係、取り繕えるのは、歩み寄れるのは信長しか居ない。

 しかし、改まった場でもなければ信勝と会うのは難しいのだ。

 それ以外の場では傍には常に反信長の人間が居るし、信勝自身も信長と話などしたくはないとつっぱねるから。


 これまで幾度か試みたことはあるが総て失敗。

 そして信長はその失敗の裏に父信秀の厭らしい思惑を感じ取っていた。

 信秀からすれば反信長の神輿足りうる信勝はそのままで良いのだ、不穏分子を炙り出すのに丁度良いから。

 不穏分子を総て処分するわけではない、そうすれば家が立ち行かなくなる。


 が、度を超えていればそれはただの毒にしかならない。

 それを切除するための、囮として信勝はその価値を認められている。

 長男と次男で酷い落差だと思うかもしれないが、信秀にも言い分はある。

 そも、信勝とて初めから兄信長を嫌悪していたわけではないのだ。


「母上も私が良いと言ってらっしゃるのに……尾張の虎も老いたと言わざるを得ん!」


 嫌悪の元凶、それは今彼が口にした母土田御前である。

 母はうつけの信長を冷遇し、殊更に信勝を可愛がった。

 可愛がられている信勝も知らぬ間に兄への嫌悪が刷り込まれていてもしょうがない。

 子供の手本となるべきは親で、父は立場上何時でも傍に居られるわけではなく、であれば自然と母と言うことになる。


 その手本たる母が信長を嫌っていれば右に倣ってしまうのも已む無し。

 実際に信長のうつけムーブを見れば母は正しいのだと思ってしまう。

 しかし信秀に言わせればそれが駄目なのだ。

 当主と言うのは家臣の意見を酌むことはあっても決して流されてはならない。


 例えそれが肉親、腹を痛めて産んでくれた実の母であろうとも。

 でなくば何時か何処かで誤った選択をしかねない。

 余人ならばともかく人の上に立つ者にとっては一つの誤答が致命になりかねないのだから常に独立独歩でなければならぬ。

 そう考えているからこそ信秀は信勝を選ばなかった。


 何せ信秀自身、今では邪魔をしているが幾度かチャンスを与えたこともあったのだ。

 例えば食事時、忙しい中、親子三人で食事を取る際に信秀は信長と色々なことを語らった。

 聡い人間であれば何気ない会話の中に覗く信長の理知を看破していたはずだ。

 うつけムーブとは言うが、信長自身も完全に出来ているわけではない。


 本人は無自覚だが時々僅かに地金が覗いているのだ。

 父信秀はその地金を、信勝が見極められるかどうか幾度も試した。

 しかし結果は御覧の通り。私人、一人の親として子を愛していないわけではない。

 が、公人としても愛せる子ではなかったと言うだけの話。何と乾燥した絆、やるせない時代だ。


「若様、柴田様がお見えになっておられます」


 怒り尽くして疲れたのか俯いていると侍女が部屋にやって来る。


「あの、若様――」

「うるさい! 聞こえている!!」


 返事をしない信勝を心配し、侍女が近付こうとすればこれである。

 織田信勝は女が嫌いだ。理由は無論、兄が女好きだから。

 なのでこの歳で、いやこの歳だからか信勝は色ごとは男としかやっていない。

 世継ぎ的な意味で非常に心配になるが、今はさておこう。


「早く勝家を入れんか! 気の利かない」

「し、失礼しました!」


 パタパタと走り去って直ぐ、柴田勝家が入室する。

 柴田勝家と言えば織田信長の配下にして、織田家最強の男――と言う印象が強いが別に最初から信長の配下だったわけではない。

 勝家は信勝につけられた臣で、後に主を見限り信長に仕えたのだ。

 ゆえにこの段では未だ、信勝の臣のままである。


「如何なされましたか、若様」

「……」

「若様?」

「勝家、ちこうよれ」


 言われるがままに顔を近付ける勝家だが、次の瞬間血の気が完全に消え失せた。


「――――兄上を討て」


 腸に氷柱を突っ込まれても此処まで腹が冷えることはないだろう。

 勝家の額に一筋の汗が流れる。

 暗殺、それは最終手段であるが、下の下。

 根回しと工作によって引き摺り下ろすならばまだしも殺すなどとあまりにも短慮。

 いや、少し前ならば暗殺も已む無しだったかもしれない。

 だが今は聖剣の魔女に認められているのだ。勝家自身も納得は出来ていないが、それでも聖剣の魔女に選ばれることの意味を軽んずることは出来ない。

 そこら辺、勝家は真面目だった。


「わ、若……な、何を……」

「何をではあるまい。分からぬのか? このまま行けば織田家はあの大おおうつけの手中に収まるのだぞ?

聖剣、確かに私も伝説は知っているし、実在していることも知っている。

だがな、一度も抜かれたことがないのだぞ? 誰も証明したことがないのだぞ?」


 聖剣エクスカリバーは王の剣。

 手に入れた者こそが日ノ本の正当な支配者。

 これまでの為政者達は聖剣を抜けなかったからこそ政情不安に襲われ、滅んだ。

 だが抜いた者がそうならぬと言う保証が何処にある? 聖剣の主が確固たる支配体制を築ける保証は?

 一度も抜かれたことがないのに分かるはずがない。


「そのような曖昧なものよりも、見えているものを見ろ勝家。

兄上が、信長と言う大うつけが家を継承すればどうなる? お先真っ暗ではないか。

それを止めるのならば今しかないのだ。聖剣を手にし戻って来る前に、でなくば父上の暴挙を、織田家の破滅を止められん!!」


 この辺り、ある意味で信勝も信長に似ていると言えよう。

 勝家も勿論、聖剣に対する疑心はある。だがそれ以上に畏れがある。

 神仏に対するそれとも似た畏れが。だからこそ暗殺などと言う手段に踏み切れない。

 しかし一方の信勝に畏れは無く、そうすべきと思ったから決断が出来た。

 信長も同じ立場ならそうしていただろう。だが、彼の場合は現代人の価値観ゆえに畏れを抱けぬだけ。

 そう言う意味で信勝も型に嵌まりながらも、ある部分では先進的な価値観の持ち主と言うべきか。


「それは……」

「私の言は間違っているか? いないだろう!!」


 しかし此処に来て逆に勝家の頭は冷えた。

 道理を説き、暗殺を唆す信勝だがそこには私情が紛れていることも確かだ。

 そんな主を見ているからこそ、臣は冷静になれた。


「……一々御尤も。ならば、某が直接出向きましょう」

「勝家が直接?」

「ええ。そも、下手な忍程度では不安が残り申す。憚りながら、某の武技は並ではありませぬ」

「うむ、お前の武は織田家最強であろうよ」

「確実を期すためには某が行くことが肝要かと」


 無論、その場合問題も出て来る。

 勝家は主信勝を置いて何処に行ったのか、などと色々。

 諸々のフォローには信勝の協力が必要不可欠であると勝家は説く。

 言われるまでもなく信勝もそこは分かっていて、上手くフォロー出来るだけの能力はある。


「相分かった。任せろ勝家、私が万事上手くやっておこう。さしあたっては……そうだな、私の癇癪と言うことにするか」

「と、言いますと?」

「私の筆頭家臣たるお前が、あの儀を見て信長支持に変わり、激怒した私が暇を出した。

いや、そうだなぁ……私の怒りようは半端でなく、殺されそうになったから一目散に逃げたと言うのもありか?」


 そうすれば勿論、信勝の評価は下がる。

 さりとて将来的なものを見据えた上で今、多少評価が下がることは已む無しと判断したのだ。


「……よろしいので?」

「失点にはなる。が、兄上よりはマシだ。兄上に家を継がせるよりは大分大分マシだ」

「そうですか」

「うむ、ことが終われば反省した私が頭を下げてお前が戻って来ると言う形にしようか」


 信勝の勝家に対する信頼は厚い。

 それゆえ、今、彼が腹に一物を抱えていることに気付くことが出来ない。


「行け、勝家。些事は総て私がやっておく。お前は本懐を果たすのだ」

「ハッ!」


 一礼し、部屋を後にした勝家は厠へと向かう。

 別に用を足すためではない、秘密裏の相談をするために必要な相手と待ち合わせているだけ。

 厠の付近は用が無ければ人も来ないので丁度良いから。

 ヤンキーが授業中にトイレでたむろするのと同じアレだ。


「すまぬ、待たせたか平手殿」


 厠の裏で待っていたのは信長の次席家老、平手政秀だった。

 見た目は厳しくも優しい、いわば何処の家庭にも居るような普通の祖父と言う感じだが、この老人中々に侮れない。

 勝家が信勝からの呼び出しがかる前に接触し、


『御舎弟様の御話が終わられたら厠に来られよ。待っていますぞ』


 そう言い含めていた。

 勝家は何のことか分からなかったがその直ぐ後に信勝から呼び出しがかかった。

 この事実から導き出せるのは、政秀が信勝の暗殺指令を読んでいたと言うこと。

 その上で、政秀には勝家が冷静になり腹に一物を抱えるて相談に乗って欲しいと誘いに乗って来ると言う確信があった。


「いえいえ、待つのは嫌いではありませんから」

「……某は腹の探り合いが不得手で御座る」


 だからこそ、派閥同士の対立などを無視して素直な気持ちを吐き出す。

 今はそうするべきだと勝家は判断した。


「ゆえ、某が感じたことそのままを話させて頂く。その上で、お聞きしたいことがあるが構わぬか?」

「無論」

「では……某は信長様ではなく弟君こそが当主になるべきだと思っておった」


 だが、今は違う。


「先ほど信長様の暗殺を命じられた際、某はふと頭が冷えたので御座る。

道理はあれども、それ以上に憎悪を隠さず感情的な若様を見てな――――本当に信長様はうつけなのか? と」

「ふむ……続けてくだされ」

「大殿だけならば親の贔屓目とも言えるかもしれませぬが、聖剣の魔女までもが信長様を御選びになった」


 それは事実だ、決して曲げようのない。


「そう思うと、大殿の贔屓目と言うのも怪しくなる。そも、尾張の虎が情に絆され道を誤るのか?」


 家中の者は父となったことで見えなかった本質が見えて来たのだと思った。

 虎も子は可愛いのだ、そのせいで目を曇らせていると。


「ゆえ、信長様の教育係でもある平手殿に御聞きしたい。信長様はうつけか否か。答えられよ」

「柴田殿が腹を割ったのだから私も正直に言いましょう」


 真っ直ぐ勝家の目を見つめ政秀は答えた。


「――――手前にも分かりませぬ」

「……平手殿でも、か」

「ええ。正確に言うならばうつけではない、だが当主の器かどうかが分からないのですよ」


 だからこそ、単純に見えている部分だけで判断するのならば信勝が適任。

 とは言え見えぬ部分を捨て置くことも出来ない。


「奇矯な振る舞いを敢えてやっているのは確か。時折覗く理知の光は決してうつけのそれではない。

表向きのそれに目を眩ませられて多くの者が見落としてはいますが、それは確かです。

信秀様は父親だからか、或いは虎としての眼力ゆえか私が見えていない部分も見えているのでしょう。

しかしそれを口にはしない、少なくとも今は。測っておられるのでしょう、我らを」


 政秀の見立てでは信秀と信長は良く似ている。

 快活で、感情を隠さず、さりとて芯の部分は深く静かに誰にも見せずに秘めたまま。

 そう言う意味で一番尾張の虎と気質が近いのは数居る子息の中でも信長一人。


「信長様が何を考えているのか、情けないことに教育係の私にも分かりませぬ」

「成るほど。して、平手殿は某に何を望む?」

「確かめて頂きたい、荒っぽい、一つ間違えれば信長様を死なせてしまうようなやり方であろうとも」


 ようは今、柴田が腹に秘めている通りのことをして欲しいのだ。


「とは言え、無理にとは言いませぬ。見返り少なく、あまりにも危険なことゆえ。

その場合、お互いにこの場での話は忘れてしまうのが良いでしょう」

「フン……某に選択肢などあるまい。どの道、若様にも命じられているのだから」


 政秀に背を向け歩き出す。

 去り際、勝家はポツリと、それでも意思の強さが窺える呟きを口にした。


「信長様の真を暴いて見せよう、某なりのやり方でな」

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