最終話
絶句し、誰もが声を発せぬ中、響き渡る嗚咽。
それはやがて憎悪に変わり――――
「信長……信長信長信長ぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
髑髏の盃を胸に抱いたまま顔を上げた雪斎の顔は悪鬼の如き形相。
この場で殺してやる、行動に移そうとするも……。
「!?」
身体が動かない、眼前には聖剣を抜き放ち迫り来る信長。
「――――死ね、無念と憎悪を抱いたまま死ね」
躊躇い無く首を刎ね飛ばす。
宗三左文字を使わなかったのも、復讐の一環だ。
義元の首を刎ねた宗三左文字なんぞ使ってやるか。信勝の首を刎ねた刃を薄汚い血で穢すものか。
「マーリン」
「ハッ!」
宙に舞う首、残された肉体。
マーリンがそれらに向けて手をかざすと――捩れ始めた。
血を噴出し、無残に捩れ捩れ捩れ捩れ――――跡形も無く消え去る。
最後に軽く手を振るうと、鮮血の痕跡すらもが消えてしまう。
それを見て大きく頷いた信長は、
「此処に禊は成った!!」
大声で復讐の終わりを宣言した。
「藤乃」
「はい」
名を呼ばれた藤乃は桐の箱を抱えて氏真の前に歩み出る。
そして中を開け、
「御確認を。義元公の御首級で間違いはありませんね?」
綺麗に洗浄され、魔道による防腐措置を施された義元の首を外気に晒す。
「え……あ、あれ……? 父上……? え、え……さ、さっきの……ど、髑髏の盃は……?」
氏真を始めとして誰もが目を白黒させている。
一体さっきの盃は何だったのかと。そんな皆を見て信長はクスリと笑い種を明かす。
「ん? ああ、ありゃ雪斎への嫌がらせだ。無縁仏のしゃれこうべを拝借して作ったんだよ。
無論、その盃も後でちゃんと供養するがね。存分に役立ってくれたわけだし」
無念と憎悪を抱いたまま死ね――それが総てだ。
無念と憎悪を植え付けるがために用意した小道具、それが髑髏の盃だった。
「あーあ、終わった終わったぁ……あー……スッキリした」
自分の中に存在していた総ての憎悪は祓い清めた。
ゴキゴキと首を鳴らす信長の顔は何処までも晴れやかだ。
「さて、氏真殿。そして、今川方の諸君。しかりと言葉にせねば安心出来んだろうからハッキリと口にしよう」
最後の後始末だ。
ちゃんと自分のスタンスを明らかにせねば後に響く。
「先も申した通り、禊は成った。以降、臣従した今川に不当な扱いはせん。
いやまあ、反逆でも企てるのならば別だがね。俺は天下を目指さにゃーならんから。
しかし、従属し、勤めをしかりと果たすのならば俺もまたしっかりと報いるつもりだ」
それは嘘偽りない素直な気持ちである。
最初から最後まで復讐の対象は雪斎だったのだから。
「雪斎にも言ったが、俺の事情はお前達には関係がない。だから怨んでくれても構わん。
義元公を殺し、名門今川家を潰したのは俺なわけだからな。怨むのは当然よ。
陰口を叩いて、それが俺の耳に入ったとしても構わない。
やるべきことをキッチリやって、わざと俺に不利益を齎さん限り罰しはせん。
家の連中もだ、肝に銘じとけ。傘下に加わったからとて威張り散らすなよ?
そりゃ立場上は上だが節度ある振る舞いをしろ。じゃなきゃ容赦なく罰するぜ、俺はな」
織田家の人間が居丈高に振る舞い変に拗れても面倒だから、言うべきことは総て此処で言っておかねばならない。
やはり勝利した側だからと調子に乗らせても良いことなんて一つも無い。
「今川方が差し出した人質にも妙なことはさせん。
人質が敵意を以って何か行動を起こしたわけでもないのにする奴が居たら即罰を与える。
不自由な暮らしもさせん。人質の扱いに関しては元人質の松平殿も保証してくれるぜ?」
「ええ、織田の皆さん"は"皆、親切にしてくれました。散歩も普通に出来るし鷹狩などにも連れて行ってくれましたからね」
澄まし顔で告げた織田の皆さん"は"と云う言葉に一部の今川家臣がびくりと身体を震わせる。
竹千代も今川に行ってからは苦労したようだ。
「だとさ。信賞必罰、俺は誰に対しても公平にそれを適用する。この場に居る全員、それを肝に銘じておけ」
働きには厚く報いるし、罪を犯せば容赦なく罰する。
そうしなければ上手く回らなくなる、ゆえに信長はそこを徹底させるのだ。
「それらを理解した上で、俺に対して歯向かうことを選んだのならば仕方ない。
ただまあ、その時は覚悟をしておけ。
怒らせねば雪斎にやったような仕打ちはせんが、それでも敵となった者に容赦をするほど俺は優しくないからな」
畳に突き刺していた聖剣を鞘に納め、上座へと戻る。
さりげなく聖剣の存在をアピールしたのだ。
苛烈な性を持ちながらも辛抱強く、深謀遠慮にも長け、敵対者には何処までも冷酷になれる。
その上に聖剣の担い手でもある信長――これに逆らうとしたら生半な根性では無理だろう。
雪斎への復讐は後に繋げるためのパフォーマンスでもあったのだ。
実際、氏真を始めとして誰もが思ってしまった。格が違う、渡り合えるとすれば義元ぐらいであったと。
「とは言え、だからと妙に縮こまることもないぞ?
意見があるならハッキリと言うべきだし、俺が間違っていると思うのならば諫言もするべきだ。
鬱陶しいだとかアイツ嫌いだーとかで立場を悪くするほど俺は真性の阿呆じゃない。
さっき掲げた信賞必罰の理念にも反するしな。今川の者達も陳情などがあれば遠慮なく申せ。
意見諫言と同じように妥当であるのならば俺も最大限酌むと確約する。
直接俺にってのが怖いんならば御近所さんにもなる松平の元康殿に頼めば良い。俺と彼女は旧知の仲だからな」
今まで人質にしていた人間に頼めと言うのも中々に酷だ。
これはどちらかと云うと竹千代に対する配慮だった。
人質にされていたとは云え、最終的に裏切り独立したわけだから評判や今川からの感情も良いものではない。
特に今川の人間からは人質時代のことを思い出し、仕返しをされるのでは? と不安になってしまうだろう。
だがそこで竹千代が寛大な姿勢を見せればどうだ? 関係改善評判回復、恩まで売れるではないか。
「元康殿、よろしいかな?」
「無論。今川の皆さんには御世話になりましたし。
特に氏真殿には歌や蹴鞠なども教えてもらって楽しい思い出も頂きましたので喜んで受け入れますよ」
氏真は普通に気の良い兄ちゃんだった。
彼も竹千代を妹――と言うよりは弟のように可愛がっていた。
女だが女らしくなかったので、弟と云う認識なのである。
竹千代自身もそんな氏真に対しては良い人ですね、と素直に認めている。
だからこそ彼女も"特に氏真殿には"などと口にしたのだ。氏真通せば安心だよーと云う意味で。
「とのことだ。氏真殿、臣が怖じているようならば代わりに御身が元康殿に話を持って行くと良い」
「御配慮、感謝します」
氏真としても竹千代に後ろめたさは無いので普通に受け入れられる提案だった。
大名としては頼りないが一個人としては氏真は教養に長け性格も悪くない良い奴なのである。
「それと帰りしな、義元公の首から下もお返し致す。
そちらも魔道による防腐処理は施してあるので腐ることはないだろう。
金は織田が出すから盛大な葬儀を催してやって欲しい」
「それは……よろしいので?」
「無論。相対したのは戦場で、交わした言葉も数少ない。しかし、義元公は尊敬すべき男だ。
僅かな時間だったが東海一の弓取り、その名に恥じぬ立派な振る舞いだった。
出来ればもっと色んな話をしてみたかったと思うほどにな……そんな男の葬儀がしょぼくれたものではいかんだろう」
打算半分、本心半分からの言葉だった。
今川方の好感度稼ぎと云う狙いもあるが、実際一個人として義元は好ましいと思えるタイプの人間だったのだ。
首を刎ねる際に見せた不敵な笑顔。
第六天魔王、やれるものならばやってみせい、天下を獲ってみせいと言われているような気がして何とも気持ちが良かった。
「赦されるのならば葬儀には俺も参列したいが……直ぐには俺も受け入れられまい。名代を送らせてもらうよ」
「重ね重ね御配慮を頂き何と御礼を申せば良いのやら……」
「これからは織田の一員になるのだ、礼は要らぬよ」
と、そこで隠居の身ではあるがこの場に参加していた信秀が口を開く。
「ならば名代は儂が務めよう」
「おや、よろしいので親父殿?」
「もう儂がやることも無いしのう。ならば、同じ時代を駆け抜けた愛すべき敵手であり友のような男に別れを告げさせてくれい」
などと云う信秀だがコイツもコイツで下心はある。
「ついでに、その後は今川の御家で余生を過ごさせて貰えると嬉しい。
何時でも友と昔語りが出来る場所ならば、爺にとっては幸いよ」
「しかし、そりゃ迷惑じゃないのか?」
「どうかのう、氏真殿」
その言葉に目の色を変えたのは氏真を除く今川方の人間だ。
家臣の一人が彼に耳打ちし、是非にその話を受けるよう進言している。
有体に言って人質だ。身内への甘さは信勝の一件でも知れ渡った。
信秀を今川に置くことで安心感を得ようと言うのだ、彼らは。
「構いませぬ」
そんな意図は露知らず、額面通り言葉を受け取った氏真は信秀の提案を快諾。
何ともまあ、人の良い男である。
「すまぬ。屋敷の建立にかかる費用などは織田が負担するゆえ、親父殿を頼む」
信秀は今川との関係を磐石にするため、そして謀反防止のために今川へ往くことを提案したのだ。
信長の身内に手を出せばどうなるか、その恐ろしさはありありと見せ付けられたのだから下手なことは出来ない。
「御任せあれ」
「では次は……松平殿との会談だが……」
「書状は既にしたためてあります。松平は同盟の御提案、ありがたく御受け致します」
「うむ受け取ろう。ふむ……花押もバッチリだな。よし、松平との同盟は此処に成ったぞ皆の衆!!」
これが後に云うところの清洲同盟である。
表面上は対等な同盟ではあるが、ある程度頭の良いものはちゃんと理解している。
力関係は織田が上であると、そして格下なのに表面上は対等な同盟が成った理由も。
今川への牽制兼クッションだ。
今川の事情に精通し、尚且つ信長とも親交のある竹千代だからこその役目である。
「改めて皆の親睦を深めるため宴の準備をさせている、直ぐに諍いを捨てろとは言わん。
が、今日を切っ掛けにして徐々に壁が無くなることを俺は祈っている」
織田や松平にとっては良いことだが、今川にこのタイミングで宴と言うのも酷な話だ。
が、このタイミングだからこそと云う意図もある。
最早名門今川は存在せず、織田家傘下の今川として再出発せねばならない。
踏ん切りをつけさせる、或いは諦めさせる、そのための儀式として宴を催すのだ。
「皆、盛大に楽しんでくれ!!!!」
【エピローグ:夢の始まり】
宴は夜遅くまで続いたが、信長にとってはそこからが本番だった。
そう、久しぶりに竹千代とあれこれ――って云うかエロいことをするためだ。
『信康――否、竹千代。この後、付き合ってくれるか?』
宴もたけなわなタイミングでそう耳打ちすれば、
『……の、信長様がどうしてもと言うのならば仕方ありませぬ。竹千代はお付き合いしないこともなかりけり!』
モジモジしながらそんな返事をする竹千代。若干言い回しが怪しいのは照れからだろう。
何と云うべきか、彼女は姿形は大きくなったものの中身はあの頃の可愛いままらしい。
記憶が一部削除されていても、好意自体は微塵も揺らいでいないようだ。
そんなこんなでマーリンや藤乃、帰蝶も交えた乱――夜の清洲同盟(意味深)は大盛り上がりで明け方頃に締結した。
そして女達が眠りにつき、空が白み始めた頃、信長はそっと寝所を抜け出した。
そのまま誰にも気取られぬように城を出て馬を調達し、ある場所を目指して懸け始める。
目的地の名は小牧山に建立した政秀寺。
その名の通り、信長が政秀の菩提を弔うために建てた寺である。
そこには政秀ともう一人、信長にとって掛け替えの無い者の墓が存在していた。
「坊さんに挨拶は……良いか。朝も早いし」
寺の前に辿り着くと近くの木に馬を繋げ、墓地へと。
政秀の墓に軽く手を合わせた後、墓地の片隅へと移動する。
そこには銘も刻まれていない小さな墓石が一つ――織田信勝の墓だ。
寺を建てた後、信長が勝家に命じて密かに政秀寺に移動させたのだ。
「よう信勝、全部終わったぜ」
道中で摘んだ野の花を供え、笑顔で語りかける。
心の闇を増幅されたとは言え、母を殺めた挙句謀反を起こしたことに変わりはない。
被害者ではあるが、信勝が信長を見抜いていればと云う想いも家中の者達の中には存在している。
何にせよ巻き込まれた人間も多々居る以上、信長の一存では大々的に弔うことが出来ない。
「お前の葬儀と、新たな墓を建てるのはもう少し先になるだろうから……まあ、それまでは平手の爺様と仲良くやってくれ」
天下を獲ってしまえば誰にも文句を言われることはない。
その時は自分が喪主を務めて葬儀を行い、立派な墓を建ててその霊を慰めてやろう。
信長は復讐が終わってから、ずっとそう考えていた。
「これから色々と大変だろうが、俺は大丈夫だ。俺ならば大丈夫だ。頼りになる奴らも居るしな」
湿っぽい話はしない、そんなことは信勝も望んでいないだろうから。
自分の思い込みかもしれないが、そう思わせて欲しい。
「一区切り、そして再出発」
空が赤らみ始める。
朝焼けの中、信長はめいっぱいの想いを込めて誓いの言の葉を紡ぐ。
「天下取りの――――俺達の夢の始まりだ」
それは未だ夢のまま、実像を描けてすらいない。
しかし、いずれ彼は必ず成し遂げる。それは確定事項だ。
「始めたら必ず終わらせなきゃいけない。そして夢の終わりはその成就と相場は決まってる」
近い未来の天下人、そして遠き未来にも語り継がれるだろう英傑。
「必ず叶える、安心しろ。大丈夫さ、何せ俺は」
第六天魔王、坊主絶対殺すマン、聖剣王、先見の賢者、多くの二つ名と共に色褪せぬ伝説となるその男の名は――――。
「――――織田信長だからな」
 




