17話
翌日、快晴に恵まれ絶好の祝言&家督相続日和となった。
清洲城では盛大な宴が開かれ、新たな夫婦の門出と新たな織田家の門出を祝った。
まあ、全員が全員、素直に喜んでいるわけではないが。
宴には心情はどうあれ信長閥に所属する人間は全員出席していたが、問題は信勝派の人間だ。
勝家以外は誰も出席していない。
信勝も、その他の者達も全員が全員、体調不良を理由に欠席しているし、名代すら寄越していない。
既に戦いは始まっていると云うことか、露骨な意思表示だ。
信秀はこのことについて特に不満は見せていない。
はっきりと色分けが出来て、何処を攻撃対象にすれば良いか明確に分かる。
今日を以って隠居するとは言え、信長のために色々動くつもりの信秀だ。
信長の敵対派閥の力を影で削いだりと、色々と今から暗躍する気満々である。
だからこそ、野暮な話題を出して場の空気を盛り下げまいと信勝達のことはガンスルー。
「(あー……み、身を固めちまったぁ……)」
信秀から注がれた酒を飲んでいる信長の胸中に去来する感情は――辛い、だった。
帰蝶とのコミュニケーション方法は昨夜、見つけ出したもののそれはそれ。
結婚と言う遊び人にとっての天敵が与えたダメージは大きい。
「(ふぅ……これからを考えると気が重いぜ。いやでも、ポジティブに考えよう。うちじゃ嫁姑問題とかは起きない)」
婚儀には出席せず、恐らくは信勝と共に居るであろう母土田御前。
彼女は信長を嫌っていて、帰蝶も信長を嫌っている。
共通の敵が居る以上、嫁姑問題には発展し難いだろう。
嫁姑問題に気を揉む旦那と言う構図は発生しない、ラッキー! と自分を慰めるノッブ。
微塵も慰めになっていないが気にしてはいけない。
「(まあ、俺自身はめでたくはないが……皆が楽しそうなのは良いよな)」
窓から城下を見渡せば、何処もかしこも浮かれ気分だ。
信秀が領内の民草にも盛大に酒を振舞ったからだ――露骨な人気取りである、信長のための。
「(ん?)」
ふと、外に見える領民達がざわめき始めた。
原因は何かとよーく見てみると、
「どうした信長?」
「……親父殿、何ぞ起きたらしいですよ」
言うが早いか、信長はこの場を抜け出して城の外へ。
突然のことに驚く信秀だったが、直ぐに彼もその後を追い城門の前まで急行。
「おい、どうした御主! しっかりしろ! 誰ぞ、医者を呼べ!!」
城門の前に集った信長、信秀、臣達の前に現れたのは血塗れの男。
織田家の家紋が入った具足を身につけているところを見るに、他所の人間と言うことはない。
政秀が即座に医者を手配するよう叫ぶが、
「待て、爺様。どうした、何を伝えたい?」
「の、信勝様……」
「信勝がどうした?」
信長の問いに、男は目を潤ませて叫んだ。
「信勝様……謀反に御座ります! 謀反を止めようとした御母堂様を殺害し清洲目掛けて進軍中に御座ります!!」
信長は、否――この叫びを聞いた者は一瞬、誰もが理解出来なかった。
謀反? 誰が? 信勝が? 土田御前を殺して?
「い、いきなり召集をかけられ……こりゃいかんと、逃げ出して参りましたが……この有様で……しかし、何とかお伝え出来て……良かった……」
男は必死で清洲を目指していたのだろう。
伝えることを伝えるとふっ、と気絶してしまった。
命からがらで逃げて来たと本人は思っているだろうが、恐らくは逃がされたのだ。
家中に混乱を呼ぶために、信長に好意を持っていない者達を揺さぶるために。
「(アイツが、謀反……だと……?)」
大人しくしていただけに信じられない。
こんなタイミングで仕掛けるなんて言うのも信じられない。
ああ、確かに丁度良いと言えば丁度良いだろう。
主要な人間が集まっていて、気がこれでもかと緩んでいるんだもの。勝機は十二分にある。
電撃作戦で清洲を制圧、信長を処刑。
邪魔になるとは言え信秀を殺すわけにもいかないから確保して監禁辺りか。
他の家臣については一部を除き、信長を好んでいるわけではないので掌握は簡単。
帰蝶については、斎藤との関係を崩さぬように自分の嫁にしてしまえば良い。
「(……おかしい、おかしいぞこれ)」
確かに一気に家を手に入れるチャンスではある。
しかし、勝利した後、どれもこれも一歩間違えれば奈落へ真っ逆さまの大博打に近い。
信長ならやるだろう、信秀ならやるだろう、リターンが大きいと判断すればやるだろう。
しかし信勝はどうだ? アレは手堅い人間だ、石橋を叩いて渡る類の。
だと言うのにやった、それほどまでに鬱屈が溜まっていたのか? それほどまでに俺が嫌いなのか?
混乱の中で凄まじい速度で思考を回していくが、どうにもこうにも違うような気がしてならない。
「(信勝に付き従ってる家臣もそう。大博打に乗るような性質の奴らは居なくて……人質?)」
信長はそこで思考を打ち切った。
一秒にも満たない時間だったが、これ以上は時をかけられぬと判断したからだ。
自室に置いてある聖剣を召喚し、ゆっくりと口を開く。
「爺様! 兵をかき集めろ! 野戦に持ち込んで撃滅する!!」
酔った者達を動員しても、直ぐには気を引き締められない。
篭城など以ての外。野戦、命の危機が直ぐそこにある野戦と言う名の冷や水にぶち込むしかない。
そこで酔いから無理矢理醒まして、ついでに士気を上げる算段を頭の中で組み立てた信長は即座に指示を飛ばす。
「は……ハッ!!」
「俺、藤吉郎、勝家、長秀、平手の爺様――この五人を将として出撃する、手早く準備を済ませろ!!」
「了解です、信長様」
藤乃は信長のほんの一瞬後に、復帰し、即座に主ならばどうするかと思考を回転させた。
ゆえにもう、頭の切り替えは終わっている。
「親父殿は他の連中と城を頼む」
「隠居し立ての親父を遠慮なく使ってくれるのう……が、まあ良い。任せろ」
信秀も胸中は複雑だった、妻を殺され、子に謀反を起こされたのだから。
それでも表には出さない。決して、決して、出してはならないことを知っているから。
「マーリン、お前は竹千代と帰蝶の傍に着いていてやれ」
「御任せあれ」
うつけの殿様とはとても思えない迅速な指示に周囲が戸惑っているが、本人の心中は実に暗澹としていた。
どうしてこんなことになったのか、先を読め過ぎるがゆえに結末が分かってしまう。
自分が家を継がねばならない? 違う、今はそんなことどうでも良いのだ。
それよりも何よりも、
「(……俺は、弟を殺さねばならんのか……?)
家族を手にかけざるを得ない現実が心を苛む。
現状でも、そして、戦に勝利した後で調査し、予想通りであるならば信勝の死は避けられない。
今にも泣き出してしまいそうな信長、それでも表面上は冷静なまま。
その胸中を慮れる者は少ない。
そうこうしているうちに仕度が終わり、信長を先頭に出陣。
信勝軍が通るであろう平野に布陣。一刻ほどで、信勝軍が平野にやって来た。
直ぐに戦端は開かれず、距離を開けて睨み合う両陣営。
互いに、戸惑いがあるのだ。しかし、戦端を開かねば何一つ終わらない。
信長は周りの制止を振り切り、自分が指示するまでは決して動くな命令し単身進み出る。
両陣営の真ん中、どちらにもよく声が通る地点で馬を止め、小さく息を吸い込む。
酷く頭が痛い。先に待ち受ける現実が辛い。
見れば青々しかった空は、今にも泣き出しそうではないか。
「信勝、今直ぐ阿呆なことは止めて降伏しろ。めでたい場だ、今ならばまだ間に合う」
いいや、間に合うわけがないのだ。
これは詭弁、戦端を開くための。弟の言葉を利用して、戦に勝つための。
「弓兵隊――――射てい!!!!」
信長の言葉を無視し、攻撃命令をくだす信勝。
既に矢は番えられており、言葉と同時に矢雨が降り注ぐも……。
「な!?」
そう、聖剣には矢避けの加護があって、そして、その機能を知っている者は藤乃とマーリンだけ。
悉く矢が逸れてゆく様はこの世の光景ではない、紛うことない奇跡。
両陣営に驚愕が走る中、信長は良く通る声で叫んだ。
「正しき光の加護は此処に在り! 皆の衆、斬獲せよ!!!!」
指示が飛び、将達は怒号を上げて兵を鼓舞し動揺する信勝陣営に吶喊する。
一方の信勝陣営は最悪だ。
聖剣の奇跡、王の剣が信長を護った。敵対して良いのか? とんでもないことをしでかしたのでは?
不安、戸惑い、恐れ、感情の鎖が動きを鈍らせてしまう。
そんな中、一気に士気が最高潮となった軍団の突撃をかまされればどうなるか。
混乱し、将が必死で声を張り上げても統率は成らず。ただただ蹂躙されゆくのみ。
蹂躙が更なる混乱を誘発し悪循環。これを立て直せる者はよっぽどの将、それこそ謙信や信玄クラスでなくば不可能だろう。
「鬼柴田様、信長様の御命令は覚えていますね?」
雑兵達の先頭に立ち、敵兵を切り刻む藤乃は併走している勝家に語りかける。
身分は語るまでもなく勝家が上だが、彼はそもそも信勝の家臣。
形としては自らよりも先に信長に臣従していた藤乃も多少の無礼は赦される。
とは言え、それは藤乃自身の優秀さもあってのことだが。
「フン! 分かっておるわ!!」
槍を振るい敵兵の首を二、三刎ね飛ばしたところで勝家はそれを見つける。
「林ィ! 勝敗は明らかじゃ、疾く降られよ!!」
林秀貞、勝家とは同じ信勝派の人間で同僚の間柄だ。
林は情けない顔で勝家の声に答える。
「う、うるさいうるさい! わ、我らにも事情があるのじゃ!!」
「分かっておる! 人質を取られておるのだろう!? 信長様は……殿は承知の上よ!!」
後々の利益プラス戦場での優位性を加算するため、信長はある命令を下していた。
「降るであれば不問! 信勝様の身柄を確保してしまえば人質にも危害は加えられん!!
それに、殿が事前に救出部隊を派遣しておる。安心して降って来い!!
それでも不安ならばそれでも良い、なるべく殺すなと仰せ付かっておるからのう!!!!」
大声で叫ぶ勝家、それは戦場の喧騒に掻き消されぬためではない。
相手側のただでさえだだ下がりしてしまった士気を更に下げるためだ。
信長の意図を正確に察知し、その通りに動いている。
やはり戦上手だ、ただの突撃馬鹿ではない。しかし、それでこそ鬼柴田と言うもの。
「某が参陣しておるのは殿の御配慮じゃ! 信勝様閥の人間を使うことで隔意は無いと言うておるのじゃ!
御主らが安心して降れるようにと言う殿の御慈悲じゃ! 何一つ心配することはない!!」
その言葉は林以外の家臣達にも聞こえていて、安堵が広がっていく。
直ぐに降伏へ移れるほど腰が軽くはないものの、構わない。
藤乃は良い仕事をしている勝家を見て口笛を一つ。
自身の仕事を果たすべく腹に力を込める。
「雑兵のみなさーん! 不問と言うのは将の方々だけではありませんよー!!
皆さんは平時は民百姓で、信勝様に逆らえるわけがないんですから。
皆さんが罰せられることもありません、武器を捨て、素直に降伏するのならば総て不問!
何なら今直ぐ逃げてくれても構いませんよ? 後で探し出して罰するとかはありませんから!
戦況は明らかで……ほら、皆さんを指揮するそちらの将の方々も降ろうとしてますよー?」
勝家が将に、藤乃が兵に。役割分担だ。
恐慌状態において、威があり過ぎる勝家では民草に更なる恐怖を与えかねない。
しかし、藤乃は女で、しかも柔和だ。だからこそ、民草も安心出来る。
他の場所では政秀と丹羽長秀も同じことをやっているだろう。
これより先は克明に記すまでもない。
士気は最低、降伏、寝返り、脱走、そんな状態が乱発する軍を制するなど赤子の手を捻るようなもの。
信長が戦端を開いてから、一時間と経たずに勝敗は決した。
が、彼はまだ戦場を去らず。撤退した信勝の捕縛に向かわせた兵の帰還を待っている。
近寄り難い空気に誰もが声をかけるのも躊躇われていた。
勝家も、長秀も、政秀も、藤乃ですらもが能面のように平坦な表情をしている信長には近付けない。
そうこうしていると、伝令がやって来る。信勝を捕らえたのだ。
信長は静かに連れて来いと告げ、拘束された信勝が引き立てられる。
「……」
何も言わず、憎悪に満ちた瞳で信長を睨み付ける信勝。
そんな弟を感情の篭らない瞳で見下ろす兄。
いや、努めて表情に出さないようにしているだけで信長は今、呆然としていた。
目の前に現れた信勝から"ある匂い"を感じ取ったからだ。
信勝はイマイチ何を考えているか分からない兄の態度に更に腹を立て、
「ペッ!」
信長の顔に唾を吐きかける。
避けることも、拭うこともせず、信長は未だ微動だにせず。
動いたのは藤乃だった。
殺意を秘めた瞳で無表情のまま殴りかかろうとするも寸前でピタリと拳が止まってしまう。
信長の無言の念が藤乃を縛ったのだ。
「……信勝を連れて行け、沙汰は親父殿と相談した上で決める。それまでは牢にでも繋いでおけ」
ポツポツと、遂に空が泣き始めた。
「……ハッ!」
信長はこれまで初陣を終えていなかった。
元服と同時に旅立ち、戻って来た後も適当な戦がなかったせいだ。
つまり、この戦いが信長にとっての初陣。
見事な指揮で完全勝利と言っても良い結果――しかし、そんなものが何の慰めになる。
「と、殿……」
雨はざあざあ降りとなった、それでも信長は動かない。
濡れることも厭わず空を見上げたまま立ち尽くしている。
何を言えば良いか分からない。それでも放って置けぬと近くに居た兵が口を開くも、
「……止めろ、今は何も言うでない」
勝家がそれを止める。
「……糞、総て俺の責だ…………俺は……俺は、真のうつけだ……!」
降り止まぬ雨は誰の心模様か――こうして、生涯忘れられぬ最悪の初陣は終わりを告げた。




