16話
色々な意味でしてやられた信長。
再起動し、調子を取り戻す前にあれこれと細々とした話し合いが進められ、明日、正式に婚儀を行うことに。
とは言え今日のうちからもう清洲に住まうと言うことで帰蝶の家財なども城に運び入れられていた。
頭痛を堪えながら流されるまま夜になり、夫婦となった若者達は初めての夜を迎えることに。
「……」
当然のことながら初夜に乱入するほどマーリンも藤乃も馬鹿ではない。
今日は藤乃は家臣専用の長屋に、マーリンは別に部屋が用意されているのだが藤乃の部屋で飲むと言う。
結果、信長からすれば何とも言えない初夜が始まってしまった。
「もう一献、如何ですか?」
「貰おう」
少しだけ着崩した寝間着姿で信長の徳利に酒を注ぐ帰蝶。
まだ肉体的コミュニケーションは取っておらずその前段階だ。
合わせから除くマーリンほどではないが、それでも豊かに実った乳房が実に扇情的である。
とは言え、今の信長はそれを楽しめる気分ではなかった。
信秀の考えが分かるからだ。
明日の婚儀と共に自分は家督を継がされる、そして信秀は隠居。
これからは信長が家を切り盛りしていかねばならない。
信秀が死ぬまでは信勝にバトンタッチも出来ず。
放蕩三昧――と言うことも出来ない。
譲り渡す段になって家がガタガタになっていたなど信長的には赦せないから。
つまるところ、悠々自適なザ・ニート生活が終わったのだ。
心の準備も出来ぬままに。まあ、時間を与えていれば邪魔をしていただろうから信秀達の決断は見事と言うしかない。
「……(つか、コイツ絶対俺に良い感情持ってねえよ)」
はっきり言って帰蝶は愛想が無い。
と言うか信長を嫌っている。
周りには聡い者にしか悟られておらず、無愛想なだけのように見えるが分かる者には分かる。
特に、女を飯の種にしていた信長には明白だ。
政略結婚で、それもうつけの嫁にされたのだから気持ちは分かる。
信長もそこは申し訳ないと思っているのだ。
だが、それ以上に根本的な問題が存在していた。
帰蝶にどう接するか、である。
マーリンや藤乃は信長の身分にこだわらず。
裸一貫で家を捨てて放浪に出ても着いて来る――いわば、家ではなく信長個人を愛している女達だ。
信長としても願ってもないことだから気兼ねはしない。
しかし帰蝶は違う。織田家と斎藤家の橋渡しとして嫁いで来たのだ。
だから、諸々溶かしてぞっこんにしていざと言う時も着いて来させようと言うわけにはいかない。
かと言って、仲良くならないのも駄目だ。
いや、世間体がどうとかではなく――勿論、世間体と言う理由が無いでもないが普通に気不味い。
自分を敵視している人間と二人で部屋の中とか信長だって普通に居心地が悪いのだ。
「信長様」
「ん?」
「私は生娘で御座います」
「……ああ(喋り方に抑揚つけて、せめて)」
美しい琴の音を聞いているような声だが抑揚が無いので魅力は半減だ。
私は生娘と言う言葉も藤乃辺りならばさぞやあざとく言ってくれたのだろうが……。
「閨の作法も、母や侍女から教わっておりませぬ」
「……うん」
「ゆえ、無作法があるかと思いますがどうか御容赦のほどを」
ペコリと畳に手をついて頭を下げる帰蝶。
正直もう信長は逃げ出して藤乃やマーリンと一発しけこみたい気分だった。
「構わんよ」
「ありがとうございます。致す時は、経験豊富な信長様に総てを委ねとう御座います、どうぞよしなに」
「(良い具合に皮肉飛ばすねえ……)」
お前は放漫な下半身であっちこっち遊び歩いてるからネンネの私と違って作法も心得てるだろ?
そいつらにするように、好きにすれば良いじゃないか……ペッ! つまりはそう言うことである。
「(メンドくせえ……俺を嫌うのは良いがそれならそれで真っ直ぐ嫌悪をぶつけてくれた方が楽さね)」
針の筵に耐えられなくなった信長は帰蝶の皮を剥ぐ決意をする。
「そうだな。じゃあ、教え込んでやろう。服を脱げ」
「……はい。しかし、一つだけ」
「何だ?」
「恥ずかしいので、最初は後ろを向いていて貰ってもよろしいですか?」
「分かった」
そう言って素直に、信長は無防備な背を向けた。
背後で帯が落ちる、着物が落ちる、そして――――。
「!?」
全裸で、短刀を握り締め信長を刺し殺そうとしていた帰蝶。
しかし、まるで予期していたように信長はグルン、と身体を半身にして刺突を回避する。
「おーやおや、怖い怖い」
目標を失ったことで、前のめりになった身体は不安定で、ちょっと足をかけてやれば直ぐに転んでしまう。
転んだ帰蝶の両腕を後ろに回し、近くにあった帯で縛り付けた後でその背中にドカっと腰を下ろす。
こうしてやればもう彼女は何も出来やしない。
ぷかぷかと勝ち誇った顔で煙管を吹かす信長を帰蝶は忌々しげに睨みつけていた。
「……気付いていたの?」
「まあ、お前さんが言うところの経験豊富な男だからな、俺は」
女の顔色を窺うことぐらい朝飯前。
嫌っている、殺したいぐらいに、そこまで読み切れるのは信長と母である道三ぐらいのものだろう。
それほどまでに、偽装は完璧だった。
分かる者に分かるのも、所詮は表面的な嫌悪のみ。
この雌蛇の腹の中で渦巻くドス黒い殺意には気付けない。
「ひゃ、ひゃ、ひゃ……良いねえ、その顔良いぜ。生の感情剥き出しにされた方がこっちとしてもやり易いや」
嫌われるのは構わないけど、やはり堂々と嫌ってくれないと。
でなくば楽しむことさえ出来やしない。
「……」
返事をせず、だんまりの帰蝶。
さてはて、どうして此処まで殺意を抱かれているのだろうか。
信長は酔った頭を適度に回転させて、理由を考える。
「(確か……逸話だったか何だったかで……道三に短刀を渡されて……)」
史実かどうかは不明だがこんな逸話がある。
娘が嫁ぐ際、斎藤道三は短刀を渡し信長が真のうつけであるならば殺せと言い含めたと言う。
帰蝶は即座に、分かりました。しかし、この刃の向かう先は父上かもしれぬと返した。
蝮の娘、やはりただではいかぬと言うことを示した逸話だろう。
「(それにしちゃおかしいよなぁ。あの婆様が道三だってんなら、コイツが蝮の娘だと言うのならば)」
嫌う必要はないのだ、憎む必要はないのだ。
淡々と処理すれば良い。
道三ならばそうしていただろう。冷めた目で俯瞰し、雑事をこなすようにやってのける。
信長が抱く道三の印象はそんな感じで、あまりにも当て嵌まらない。
「(期待して、裏切られたから……じゃねえわな。この女、ハナっから変わっちゃいねえ)」
縁も所縁も無く、怨まれる覚えなど微塵も無い。
消去法と経験則からして、
「(逆恨み、とは言え俺だけが原因ってわけでもなさそうだ。探るか、試すか、暴くとしよう)」
ニンマァ、と底意地の悪さが滲み出た笑顔を浮かべる信長。
基本的に女には優しくあるし、命を狙われても怨みすら抱いていない。
だと言うのに何とも性格が悪く見える、らしくないと思うかもしれないが別にそうではない。
これをすれば間違いなし! などと言うコミュニケーション必勝法などは存在せず。
相対する個人個人によって、最適解がある。
信長は帰蝶に対する最適解がこれだと判断したからそうしているだけだ。
好かれる気もなく、強いて言うのならば敵として四六時中ピリピリし合う刺激的な関係。
それを構築するために必要なのは性根の悪さである。
「なあ帰蝶……お前、ホントに道三の娘かね?」
がっかりだー、とばかりに鼻で笑う信長。
瞬間、帰蝶の瞳にこれまで見せたどれよりも強い敵意と殺意と憎悪の三色が入り混じった。
「(道三関連か……道三は女で……帰蝶も女で……ふむ、ひょっとして……)」
相手怒らせて糸口を掴むなど初歩の初歩。
帰蝶とて、冷静な状態でならば良いように誘導されていることに気付いただろう。
しかし、成功すると思っていた暗殺をあっさりと阻止された挙句に組み敷かれてケツを載せられている。
更に言えば失敗した上でこれからどうなるのか、考えることは山ほどあって、そんな状態で冷静になるには経験が足りなかった。
だからこそ、するすると信長が張り巡らせた蜘蛛の糸に絡め取られているのだ。
「お兄ちゃんも大変だねえ。こんな不出来な妹さんを持って」
「! 私をあの盆暗と比した上で愚弄するか!!」
犬歯を剥き出しにして赫怒の念を発露する帰蝶。
縦に裂けた瞳と相まって帰蝶と言うよりかは鬼女のようだ。
「(ホイキタ、ビンゴ)」
真実を看破した信長抱いた感想は一つ――――『やべえ、可愛い』だった。
信勝と言い帰蝶と言い、信長は自分を嫌っている相手に対して好意を持ってしまう。
それはその者の良いところを見つけられるからだが、好意を向けられた相手からすればたまったものではない。
嫌っている相手に好意的に接せられてみろ、侮られているとしか思えない。
「うつけに暗殺を読み切られて組み敷かれ、挙句に中身を透かされる。お前はうつけ以下じゃ」
カッ! と血が上り、顔を真っ赤にして屈辱にプルプルと身体を震わせる帰蝶に更に駄目押し。
決して手は抜かない。丁寧に丁寧に嘲る、心のささくれを丁寧に丁寧に撫ぜる。
「そんな阿呆にやれんわ、やれんわなぁ。継げん、継げんわなぁ」
そして、渾身のドヤ顔を以って言い放つ。
「――――蝮の後釜にゃ不足よ」
それが総てだ。
男女同権、男女平等、そんな概念すら存在しない時代だ。
それでも、信長が知る歴史のように男女の差別が酷いかと思えばそうではない。
基本的にはそうだが、能力が頭抜けていれば女だてらに出世だって出来る。
その生き証人が斎藤道三だ。
ゆえに、能力さえあれば、相応の力を持っていれば女でも大名となれるのだ。
帰蝶は自分に自信を持っていた。道三の後継となれる自負が。
だと言うのに、それだと言うのにそうはならなかった。
母道三は長子に後を継がせるつもりで、帰蝶を信長の嫁にした。
道三は保守的な人間ではない、それは娘である帰蝶にはよーく分かっている。
だからこそ、変に護りに入らず自分だって家を継げると思っていた。
はっきり言って何の疑いも持っていなかった、次代となることに。
しかし、蓋を開けてみればうつけに嫁げと来た。
前評判を鵜呑みにしていたわけではないが、鬱屈とした感情が目を曇らせている。
だからこそ、今を以ってしても信長を認めることは出来ず。
確かに頭の回転も速く人の心を読む術には長けていよう、だがそれだけだ。
母、蝮の道三に常日頃から感じていた無形の威をまるで感じない。
そう言う意味で能力はあれども、信長はそこまで大した男に思えず。
今は負けを認めよう、それでも次やれば必ず勝てる。
そんな男にどうして嫁ぐ? 母の下につけてくれ、沢山沢山教授してくれ。
そうすれば婚姻など必要ない、いずれは自分が織田を呑み込み更に斎藤の御家を大きく出来る。
油売りから始まって、美濃の王となった敬愛する母の作った御家を。
帰蝶は自分に疑いを持っていない。放たれた飛矢の如く目標に突き進む気性だ。
それゆえ、母の手で挫かれたことに並々ならぬ鬱屈を募らせている。
「蝮への意趣返しか? 或いは、勝手に己が役割を定めたかね」
高い高い自尊心を護るために、帰蝶は思い込んだ。
自分が信長の下に嫁がされた理由を、勝手に作り上げた。
「母上は私を信じてくださっている。だから、任せたのだ。
聖剣なんて目障りなものを持つうつけを、最小限の手で排除する役目を。
自分ならばやってのけるだろうと、任せてくれた。
信長を殺し、単身清洲を脱出し、美濃へと帰還し、返す刀で織田を滅ぼせると。
うつけであろうとも、次期当主が死ねば家中は混乱する。それは絶好の隙だ。
今川よりも早くに仕留める、斎藤の牙を突き立てて毒を仕込み腐食させ、丸ごと呑み喰らう。
おお! 我らは更に肥えるぞ、そしていずれは今川を喰らって更に勇躍せしめん」
放たれた言葉の矢は一つ残らず的の中心を射抜く。
馬鹿な妄想だ、帰蝶って無能じゃん、道三有能――などとは信長も決して言わない。
感情が思考を鈍らせることは人間である以上、避けられない。
上手く御すにしては、帰蝶はまだまだ若輩。
だがこれからだ。これから、先達たる道三を間近で見ていけば必ず身につける。
そして次代の蝮に恥じぬ存在へと至るだろう。
若さゆえの驕りも、旧き皮として打ち捨てられ、新たな皮を纏って立派な蝮になるだろう。
そう思わせるだけの輝きを持っているからこそ、信長は腹の中では帰蝶を認めていた。
「……私を、どうするの?」
死への恐怖は微塵もない、死ぬことを畏れてはいないから。
ゆえに未だ敵意も殺意も揺るがず――どころか激しさを増している。
そりゃこれだけ馬鹿にされたのだから当然だ。
「どうとも? 己の命を狙う女を傍に置く。良い座興だ、暇潰しにゃあ持って来いよ」
コンコン、パーン! と煙管の灰を落とす。
「誰にも言わん、何にも記さん、秘したままにしてやる。ゆえ、精々愉しませろ。
うつけ以下の馬鹿娘とは言え、期待してるぞ。なあ、我が妻帰蝶よ」
「何処までも人を小馬鹿に……!」
嫌悪など微塵も見せず、言葉通りに愉快げで、むしろ好意さえ滲ませている。
そんな信長の姿にこれでもかと云うほど屈辱を感じてしまう。
「(しかし、解せんなぁ……)」
屁を扱き、更に帰蝶を煽りつつも、先ほどから気になっていることがあった。
「(何だって蝮の婆様はこんな一級品の原石を俺なんぞの嫁に寄越す? 普通に当主にしてやれよ)」
何のことはない、ただの先行投資である。




