15話
朝、珍しく早くに目が覚めていた信長だが寝床から出る気にはなれなかった。
起きて直ぐは気怠るくて、ただぼんやりとしているのが一番好きだから。
「ん、んん……のぶながさまぁ……」
「うむ」
隣で眠るマーリンの乳を軽くモーミングして頷く。
どうして男は胸と言うものが好きなのだろう。
小さい胸、大きい胸、有象無象の区別なく信長のノブナガン(連射可能)は反応してしまう。
乳に育まれたからだろうか? 母性愛を乳から受け取っていたからだろうか?
つらつらとまとまりのない思考のまま、乳について想いを馳せる。
「朝の揉み比べをしたかったんだが……」
藤乃はもう寝床から出て行っている。
と言うのも信長の後見であり、一種のVIPであるマーリンと違って藤乃は家臣でもあるのだ。
だもんで何かと仕事をせねばならない。
と言っても本人は細々と働くことが好きなので苦には思っていないのだが。
家中では信長の情婦と陰口を叩かれることもあるが、本人は何処吹く風。
その情婦よりも手際が悪く、要領の良くない連中の戯言など烏の鳴き声が『カー』か『クワァー』なのか並にどうでも良い。
実際、妙なフィルターを通さない人間からはしっかりと評価されているし。
出世する気ならばもう少し人間関係に気を遣っても良いと思っていても、その気は無し。
信長が家を盛り立てて行くと言うのならば自分も頑張るがそうでないなら適度に仕事をやっていれば良い。
そんな心持ちで仕事をしている藤乃だった。
それでも木綿と信秀に評されたようにあれこれ出来るのだから持って生まれたものが違う。
仕事上の直属の上司たる政秀なども藤乃を高く評価している。
何のかんので良い歳の政秀からすれば実にありがたい存在だった。
おかげで最近は余暇として城下に出ては同じ年頃の爺と日がな一日碁を指していることも多い。
とは言え、まだまだ現役を退く気はないのだが。
有事の際には何時でもやれまっせ! と身体も鍛えているようだし。
「ん、んん?」
妙に首筋がチリチリとする。
こう言う感覚を信長は知っている、前世から覚えがある。
こんな感覚がある日に限って、人生の大きな転機を迎えるのだ。
前世の父が蒸発した日の朝もそうだった。
同じように早くに目が覚めて、同じように首筋がチリチリしていた。
「良い悪いは分からんが……今日、何かあるのかねえ」
そう言って二度寝をするべくマーリンの胸に顔を埋めた瞬間、
「は、破廉恥で御座います! 破廉恥で御座いますぅううううううううううううううううううう!!!!」
信長を起こしに来たロリ千代ちゃんが大声で喚き立てた。
「……二年経つのに、変わらんなぁお前も」
信長が尾張に帰還し、竹千代と共に暮らし始めてからもう二年も経っていた。
だと言うのに竹千代は相も変わらずこんな調子だ――表面上は。
「つかさぁ、竹千代ぉ……ずっと疑問に思ってたんだけど良い?」
「な、何で御座りまするか?」
「お前ちょくちょく俺起こしに来るじゃん? んでそのたんびに破廉恥破廉恥言ってるじゃん?」
藤乃が堺で買って来た煙管を吹かしつつ、指摘する。
「――――何で女と同衾してねえ時は起こしに来ないの?」
性欲過多の第六天魔羅王様と言えど別に毎日ヤっているわけではないのだ。
ヤろうと思えばヤれるのだが、気分が乗らない日だってある。
性欲よりもアルコール摂取欲求などが強い時や、読書に夢中になっている時など。
何にせよ週に一回、二回だがそう言う日もあるのだ。
だと言うのに竹千代は、その時に限って起こしに来ないのだ。
「そ、それは……」
「それは?」
「た、偶々に御座いまする!」
そんなわけがない。
「竹千代、二年の間に偶々は何度あった? 幾度もある偶然は偶然じゃなくて必然ってーんだよ」
そもそも腹の探り合いに長けた信長だ。
小娘の本音一つ暴けないほどに耄碌してはいない。
当然、竹千代が何を考えているかも分かっている。
「破廉恥破廉恥って言ってるけどさぁ……実は興味あるんだろ? んん?」
ちょいちょいと手招きする信長。
「し、失礼な! 酷い侮辱ですぞ!」
口で拒否しつつもじりじりと距離を詰めていく竹千代。
ロリ千代は実にムッツリな、誘い受け属性なのだ。
「年齢的にはやばいが、まあ……発育良いしな、お前。相手になってやっても良いのじゃよ?」
閉経済みの老婆から初潮前の童女まで何でもござれ。
初潮前は未だ経験が無いものの、何ごとも経験。だって男は荒野に旅立つものだから。
アーッ! グネスも居ない戦国時代ならばロリに手を出したって誰にも咎められはしない。
信長は積極的にと言うほどではないが、竹千代がその気ならばヤってヤるです! な覚悟を決めていた。
「そ、そのような気は御座いませぬ!」
「分かった。じゃ止めよう」
「え」
ショックを受けたような顔で固まる竹千代。
信長はこの妹のような存在が可愛くてしょうがなかった。
リアル妹と絡むよりも他所の家のお子さんとの絡みの方が多い。
それは兄として如何なものかと思わなくもないが考えて仕方ないので直ぐに考えるのはやめた。
「(ま、今はそんな気分じゃないしまたの機会にしよう……焦らす方が楽しいし)起きろマーリン」
「ふわぁ……もう、あさ?」
「おう、朝だ朝。いやらしくて露骨な朝がやって来たぞ」
変な体勢で寝ていたせいかマーリンの身体が動く度にベキベキと気持ちの良い音を立てる。
そうしてようやっと覚醒した御婆ちゃん魔女は湯浴みの準備をしつつおはようのキスを一つ。
「あ、そうでした」
竹千代がポンと手を叩く。
ショックのあまり忘れていたが、言伝を預かっていたのだ。
「何だ?」
「平手様から言伝に御座いまする。昼頃、御客人が清洲に来られるようで覚えておいて欲しいと」
「客ぅ?」
信秀や他の家中の人間ならばわざわざ言伝を頼むこともないだろう。
となると、それなりに重要な人物と言うことになる。
はて? 一体誰がこのうつけの下に来るのかと考えるがまだシャッキリとしない頭では思い浮かばず。
一先ず思考は中断し、湯浴みを済ませ朝食の場へ。
「爺様、客って誰だい?」
と飯時に聞いてはみるも、
「来てからの御楽しみに御座います。信長様もきっと喜ばれると思いますので、期待していてよろしいかと」
上手いことはぐらかされてしまう。
とは言え嘘を言っている様子も無いので、ならば楽しみにさせてもらうかと信長は追及を打ち切った。
そうして朝食を終えた後は、何時も通りに仕事もせずに部屋で酒をかっ喰らう。
だらしのないニートにしか見えないが、それを咎める者は居ない。
と言うか政秀などはむしろ、仕事をさせないようにしている。
わざと失敗して失点を負って自分を不利な立場に追いやろうとするからだ。
聖剣を得た後も、決して油断は出来ない。
既に信長を当主と定めている人間からすれば、まだまだ予断を赦さない状況なのだ。
彼らは日々どうにかして信長が自ずから家を背負って立つような状況を作れないかを思案している。
だもんで、信長はある意味公認ニートと言えよう。
それでも基本的には外に出かけているので昼間から飲兵衛になると言うのはあまりない。
今日に限ってそんなことをしているのは客人とやらが来るからだ。
どうでも良い客人ならば信長も出かけてわざと遅刻するぐらいしただろう。
しかし、今回の客人は彼自身も気になっている。
出来るならば一刻も早く会いたいと言うのが本音だ。
それゆえ、大人しく清洲城でアル中になっているわけだ。
「信長様、続きを御願いしまする」
とは言えずっと酒を飲んでいるのもつまらない。
信長は片手間で、竹千代に諸国漫遊の中で土地の者や旅人から蒐集した与太話や御伽噺を披露していた。
「それでまあ、清姫は蛇になって安珍を追い始めるのさ。
最終的に奴は鐘の中に逃げ込むが、清姫は鐘に巻き付いて火を吐き大嘘吐きを蒸し焼きにしちまうわけよ」
「……それから清姫は?」
「蛇の姿のまま入水してそれきりさ。
幾度も嘘を重ねられ、虚仮にされたとは言え一度は愛した男だったから虚しくなったのかもな」
誰にも救いが無い話だと皮肉げな笑みを浮かべる。
一応、続きはあるのだが法華経サイコー! みたいな感じで物語の〆としては相応しくないと信長は敢えて言わなかった。
嫌いなのだ、神様が最後に出てどうこうと言うのが。
まるで人間は不幸にしかなれない、神様ならば幸せにしてやれると言われているようで。
「このお話の教訓は……誠実であれ、そう言うことなのでしょうか?」
「さてな。そりゃ受け取り手次第だ。俺にこの話を教えてくれた旅人は嘘を吐くなら上手に騙してやれってことだと言ってたしな」
「信長様はどのようなものを受け取ったので?」
「女の扱いには細心の注意を払いましょう、だな」
ゲラゲラと大笑いする信長にもその手の失敗談は当然あった。
ホストに成り立ての頃――ではなく、ある程度ノウハウが分かり調子に乗っていた頃だ。
思い詰めた客に刺されかけた、もしも反射神経が悪ければグサリと刺されてその場でお陀仏だっただろう。
「信長様、御客人がみえられました」
「お、そうか」
何処か不機嫌そうな藤乃が信長を呼びにやって来た。
少々気になったものの、客人に会えば分かるかと信長は意気揚々と謁見用の部屋へと向かう。
竹千代も着いて来ているが、咎めはしなかった。
もし駄目と言うのならば事前に言い聞かされているはずだからと。
「――――とっても、美しゅう御座いますね」
部屋に着いてその客人を目にした瞬間、呆けたように竹千代が素直な賛辞を口にした。
客人は女、信長と同じか一つ二つ下だろうか。
周りに世話役と思わしき侍女達も居るので何処ぞの姫か。
容姿は竹千代が言うように美人そのもの。
腰まで伸ばした藍色がかった姫カットのロングヘアーは夜空のよう。
今は閉じられてはいるが涼やかな目元と、形の良い鼻に瑞々しい唇。
漂う気品は正に姫だが、それよりも何よりも目を惹かれる特徴があった。
夜空の御髪に散りばらめられた星だ。
装飾品ではない、かと言って当然、ふけやらでもない。それにしてはあまりにも美し過ぎる。
夜空色の髪を彩るキラキラと輝く星は、何処か蝶蝶の鱗粉を想起させ、何とも神秘的。
姫の美しさがよりいっそうに際立っていると言って良い。
成るほど、女好きの信長が喜びそうな客だ。
「お待たせした。俺が信長だ。あなたは何処のどなたかな?」
上座へ座り、真っ直ぐ姫を見つめて素性を問う。
姫はゆっくりと目を開け、信長はカチン、と固まった。
「御初に御目にかかります」
開かれた瞳、瞳孔はバックリと縦に裂けていた――そう、蛇のように。
「――――あなたの妻となる帰蝶と申します、よしなに」
彼女こそは、蝮の斎藤道三が息女、美濃の姫――帰蝶である。
信長は思わず絶句してしまう。
確かに予想出来る事態ではあった、しかし思い込んでしまっていたのだ、御破算になったのだと。
二年前に一度だけ、信長は道三らしき女と顔を合わせている。
結局マーリンに答え合わせはしなかったものの、油断ならぬ気配と蛇と言う印象。
先ず間違いなく道三であろうと予想していた。
史実において信長が道三の娘と政略結婚したことは覚えている。
とは言え、時期的に言えば元服をした直後辺りだ。
そこで話がなかったから、道三に会うまでは忘れていた。
勿論道三だと言う予想が浮かんだ時点であれ? と思い出しはしたものの、それから二年も音沙汰無し。
二年前、あの場に道三が居たのは婿を見極めるため。
そう考えるのが自然で、その時点で蝮の眼鏡に適わなかったと見るのが自然だろう。
何せまったくリアクションがなかったのだから。
だと言うのに此処に来て不意打ち気味での婚姻。
信長は一気に心地良い酔いから醒めてしまった。
非難の意を込めて同席している政秀を睨みつけるも、彼は何処吹く風。
「(油断してた……完全に油断してた……リアクションがなかったこともそうだし、斎藤との和睦が成ってたとも聞いてたから……)」
竹千代と出会った翌日での鷹狩の最中でのことだ。
近隣情勢を聞いている際に、信長が旅に出た後で斎藤との和睦がなったと聞いていた。
政略結婚の理由も無いんだし、大丈夫だと思っていたのだ。
盟を結び、仲を強化するための婚姻と言う可能性はそれでもあった。
だが二年、二年の間、何のアクションもなかったせいですっかり安心し切っていたのだ。
勿論、水面下では話が進んでいたのだが信秀や政秀が信長にバレぬよう気を付けていただけ。
知ってしまえば婚姻をぶち壊しにしかねないから。
不意打ち気味で決めてしまうのが上策であると、父親、そして父親のような男は理解していたのだ。
「何か、私に至らぬところでも?」
「……いや、そう言うわけじゃない」
氷のように冷たい鉄面皮、しかしそれも美しさを引き立てる一要素となっている。
誤解を解くために言わせてもらうのならば信長自身、帰蝶と言う一個人に対して不満は無い。
容姿は勿論だが、母譲りであろう毒を孕ませた感じも面白く、付き合えばきっと退屈はしないだろうと好意すら抱いている。
だが、それはそれとして結婚、結婚である。
ますます雁字搦めになっていくのもそうだが、それ以上に……。
「(う、うぅ……結婚……人生の墓場……せ、責任……あ、頭が痛い……!
側室制度があるし、女遊びを制限されることはないだろうが……それはそれとして結婚……う、眩暈まで……)」
現代的な価値観ゆえ、結婚と言う言葉が何よりも重かった。
頭が痛いなどは追い詰められた遊び人に良く見られる症状で、時間経過と共に治癒するので問題は無い。
 




