14話
朝餉を終え、腹がこなれたところで信長は竹千代を連れて鷹狩へと向かう。
お供はマーリンに藤乃、そして所用で政秀を訪ねて来た勝家の三人で合計しても実に少ない。
政秀はあまり良い顔をしなかったが武芸に秀でた勝家と、彼を退け機転も利く信長。
その信長と共に賊を撃退した藤乃、そして何よりも魔女マーリンが居るならばと許可はしてくれた。
「勝家、昨日は聞けなかったが……信勝の様子はどうだ?」
馬に乗ってゆるりと狩場へ向かう途上、信長はそんな話題を口にする。
気心の知れたマーリンに藤乃と、二人ほどではないが信を置いている勝家。
それに子供ながらに聡明な竹千代だけと言うこともあって信長は割りと素の顔を見せていた。
竹千代に関しては他家の者だが、わざわざ波風を立てるような真似はしまいと確信している。
「大人しくされていますよ。ええ、あれから特に動きも見せておりませぬ」
「ありがとよ……お前のおかげだ」
信長は勝家が自分の要望通りに信勝を落ち着かせてくれたのだと思っているが、
「いいえ、某は何もしておりませぬ。無論、話は致しましたが聞いてくれたのかどうか……」
「……」
信勝からすれば裏切られたと思ったのかもしれない。
無論、信長もそう言う反応は予想していた。
しかし、賢い信勝ならばだからと言って勝家を無碍にはしまいとも思っている。
信勝派の中でも勝家は頭一つ抜けた人材だから、それを自ら捨てるような愚は犯さぬだろうと。
「それでも、お前が居てくれるだけでも抑止にはなるし、信勝の力にもなってくれる」
それだけで十分だ。
難しい問題に対してあまり多くを望み過ぎても上手くはいかない。
十望めば三叶えばそれで良い、そう思っておくのが吉だ。
「某はそう大した男では御座いませぬ」
「いいや、傑物だよ。いずれ、俺達が死に絶えた後の時代でも語り継がれるだろうて」
「過分な御言葉で御座います。さりとて、悪い気は致しませぬな」
強面に僅かながらの笑みが浮かぶ。
「ハハハ! 素直な評価だよ。ま、あれだ……後で他にも色々聞かせてくれると嬉しい」
「ハ! 承知しております」
そのためにわざわざ鷹狩の供をさせたのだ。
信勝の家臣をこのような遊興に同行させるのは反感を買うかもしれない。
だが、此処で竹千代の存在が生きて来る。
他家の人間で、織田家にとっても重要な人物。
ずっと閉じ込めたままでは印象が悪くなる。出かけるのは些か心配ではあるが良いことだ。
そうなった時、織田家でも信の厚い勝家を動かすのは当然の帰結である。
が、信長としてはそんなことよりも不在の間にあったことを聞くのが一番の目的だった。そして勝家もそれを承知している。
「ん? どうした竹千代」
ふと、ケツに乗せている竹千代がぼんやりとしていることに気付く。
頬も、起こしに来た時ほどではないがほんのりと赤い。
「な、何でもありませぬ!」
「(……ああ、俺のギャップにキュンと来たか。何か知らんが、妙に俺への幻想抱いてたようだし)」
憧れを打ち砕かれて等身大に近い信長が見えた。
が、今此処で道化た顔とはまた別の顔が見られた。
理性の光を瞳に宿し、弟を想う優しい兄の顔。
激しい温度差ゆえ、より魅力的に思えた――ギャップ萌えである。いや、萌えは違うか。
「信長様、此処らでよろしいかと」
「ん」
竹千代を小脇に抱いて馬から飛び降りる。
馬の世話は藤乃に任せ、信長はゆるゆると歩き出す。
「お、降ろしてください!」
「っと……すまんすまん。竹千代、鷹狩はやったことあるか?」
「……いいえ、無いです」
「よし、それならば俺が教えてやろう」
本来ならばもう少し人を集めて、獲物を追い立てるのだが今日は居ない。
とは言え此処にはマーリンが居るのでどうとでも出来る。
「来い、カトー!」
ピュイ! っと口笛を鳴らすと力強い翼を広げて鷹のカトーが滑空して来る。
止まり木として腕を突き出すと、カトーは素直に腕へと降り立った。
「俺は男だし、身体も頑丈だから大丈夫だが……マーリン」
「はぁい。竹千代殿、少々じっとしててくださいまし?」
「わわ!」
マーリンは竹千代の腕手袋のようなものを被せる。
それはその細腕を包み込んだ瞬間にピタリと吸い付き、竹千代は思わず悲鳴を上げてしまう。
「薄く、軽く、動かし易いですがこれを着けていれば鷹を腕に乗せられますわ」
「な、なるほど……」
「先ずは俺が手本を見せてやろう」
そう言って信長はスッ、と目を細め油断なく全体を見渡す。
そうしてしばし、遠く離れた草むらが僅かに動きを見せる。
「行け!!」
言うやカトーは凄まじい勢いで飛び立ち動きがあった草むらに吶喊。
そうして数分もしないうちに、息絶えた兎を脚の爪で引っ掴んだカトーが戻って来る。
「よしよし……良い子だ」
腰の巾着に入れていた褒美の餌を咥えさせてやり、兎を受け取る。
「こうやって地を駆ける獣、空を往く鳥目掛けて鷹を嗾けるのさ」
「おぉう……」
好奇心に目を輝かせる竹千代、自分もやってみたと顔に書いてある。
何とも可愛いらしい子供だ。
「獲物となる鳥獣が居る場所を選んだが、慣れるまではマーリンに獲物を追い立ててもらおう。じゃあ、本番だ」
「は、はい!」
鷹を空へと放す。
呼んでみろ、と目で促してみると竹千代は見よう見まねで口に指をやり笛を吹く。
するとカトーは一目散に竹千代の下へ。
腕を差し出してやればピタリとそこに着地。
「あは♪ 信長様、見ましたか!?」
「ああ、上手いじゃないか。最後まで上手くやってみろよ?」
「竹千代に御任せあれ!!」
微笑ましげな大人達にも気付かず、竹千代はフンス! と鼻息を荒くする。
「さあさ竹千代殿、しっかり辺りを見渡してくださいな?」
「はい!」
「良い御返事です。では……!」
パチン、と指を鳴らすと割りと近い場所に居た朱鷺が飛び立った。
竹千代はそれをしかりと視界に収め、カトーを嗾ける。
カトーは仮の主の期待に応えて見事に朱鷺を仕留めて帰還。
信長がそうしたように竹千代も餌をやり、軽くカトーの頭を撫でてやる。
「どうですか? どうですか!?」
「いやいや筋が良い。なあ、勝家」
「ええ、御立派で御座います」
「えへへ」
無邪気に笑う竹千代の頭を少し強めに撫ぜて信長は言った。
「よし、じゃあお前に重要な任務を与えよう」
「重要な任務ですか?」
「うむ。城を出る前に昼飯用に握り飯をこさえさせたがそれだけではあまりにも寂しい。もっと豪華な昼飯が食べたいのだ、俺は」
「分かりました! 竹千代が見事に調達してみせまする!!」
「お、良い気合だ。ならば任せる! 城の皆にも土産をやりたい。しくじるでないぞ?」
「ははぁ!!」
もう一度頭を撫で、信長はマーリンに後を任せ勝家と共に後方へ。
手近な岩を見付け腰掛け、大人の話し合いを始める。
「母上はどうしておられる?」
信長が旅立つ前から土田御前は信勝の傍に居る。
頭の悪い女ではないが、さりとて聡明と言うわけでもない。
信秀の目が届かぬ場所で余計なことをしでかしていないか、ほんの少しだけ心配だった。
「忌々しく思ってはおられるようですが……表立った動きは何も」
「確かか?」
「ええ、他の侍女らに幾らか金を握らせて動向を報告させておりますゆえ」
「ほう……平手の爺様の入れ知恵かね?」
「はい」
「爺様らしいなぁ」
密に連携を取っているようで何よりだ。
勝家と政秀、特に信の置ける者が組んでいるおかげで信長も安心が出来る。
「御母堂様も、聖剣を手にした信長様を見ておられますし、これ以上は無駄な抵抗と諦めるでしょう」
「家督を継がせるのは、だろ?」
「ええ」
信勝派の考えていそうなことぐらいは信長にも分かっている。
家督を得られぬのならば次善の策として発言力を。
信長からすればそれはそれで悪いことではなかった。
いずれ信勝に家督を譲り渡した際に、それだけ団結力が高まっていると言うことだから。
「まあ何にせよ、予想を超える馬鹿をしでかさぬのならば是非も無しよ」
「左様で」
「次は近隣の情勢なんぞを教えてくれや」
「かしこまりました」
そうしてつらつらと大人の話し合いをしていると、気付けば結構な時間が経っていた。
日も高くなり、そろそろ昼飯時。
たんまりと獲物を捕まえて戻って来た竹千代と共に昼食の準備を始める。
「竹千代は俺と一緒に鳥の下ごしらえをしようか。他の獲物はマーリンや藤乃に任せてな」
「はい!」
「じゃ、しっかり俺の真似をするんだぞ」
血抜きをして羽を毟り、毛を剃り、解体。
多少臭さもあるだろうが、調味料を持って来ているので問題は無い。
手際良く鳥の肉を串に刺していく信長とおっかなびっくりで真似をしていく竹千代。
これはそう、
「……俺に妹が居たらこんな感じだったんだろうな」
兄妹のようだ。
「いや、お市様が居られるでしょう」
勝家がビシっとツッコミを入れる。
「ああ、そういや居たっけ? あんま絡まねえから忘れてたわ」
冗談でも何でもなく、信長とお市の絡みは少ない――と言うか皆無だ。
信長の記憶にある限り、会話をしたのだって片手で数えられるほど。
妹じゃなけりゃ手ぇ出してたなーと思う程度には美人だが、印象なんてそれぐらい。
何かと目につく信勝や、何かと構って来る信秀以外の家族に対してはさして感慨も沸かず。
何かと絡む二人に関しては家族としての情愛を抱けどもそれ以外には……。
冷淡と言われてもしょうがない自分を少しばかり省みる信長だった。
「(そういや史実だと市と結婚してんだよな勝家)」
まあ、その後の末路は悲しいものだが。
「信長様信長様、次はどうするのですか?」
少々不恰好だが、竹千代も串焼きの準備を整え終わっていた。
「おう、こっからこれ塗るんだよこれ。たーっぷりとな」
「味噌……ですか?」
「正確にゃ柚子味噌だな」
朝の湯浴みで柚子について触れたからだろう。
信長と言う男は割りと単純だった。
「垂れて来るぐらいぐぐーっと塗ってな、あんまり火に近付け過ぎないように配置するのさ」
柚子味噌を塗り、事前に熾していた火の近くに突き刺す。
他の面子が仕込んでいた肉もそれぞれ塩やら芥子味噌やらでコーティングされ火の周りに配置されている。
これで準備は完了、後は焼けるのを待つだけだ。
「……」
「竹千代さん竹千代さん、涎垂れてますよ」
火を見つめて顔を綻ばせている竹千代の口元からたらーっと涎が垂れている。
藤乃は子供らしい可愛さに頬を緩ませながらそれを拭う。
「ど、どうも……」
「いえいえ」
火を囲んでいる間に、マーリンは全員に竹筒を渡してそこに水を注いでいた。
冷たく、喉越しも良い魔法で精製した水だ。
「竹千代」
「何ですか?」
「今は、楽しいか?」
炎を見つめたまま、信長はそんな問いを投げる。
何を考えているかは表情からは読み取れないが、それでも竹千代にとっては何故か大事な問いのように思えた。
だからこそ、はっきりと今、感じている想いを口にする。
「楽しいです」
「そうか……なら、今感じている気持ちをしっかりと覚えておけ」
信長はずっと考えていた。
朝の侘びは何が良いか、謝罪として何をあげられるのかと。
鷹狩も謝意の一環ではあるが、将来良い女になるであろう竹千代にそれだけではあまりにもケチ臭い。
だからこそ、考えて考えて、思いついたのが――経験だった。
自分が、何時か何処かで折れずに立ち向かえた理由。それを贈ろうと思い立った。
「人間、今が幸せでもこの先、不幸になる可能性なんてざらにある。大体そんなもんだ。
ずっとずっと楽しいままってわけにゃあいかねえのよ。
死にたくなったり、もう何もかもがどうでも良くなるような時だってやって来るかもしれねえ」
前世における十三歳の時がそうだった。
足場が崩れ落ち、何もかもが不安定になった日々。
駄目なところも多いけど何だかんだと好きだった父親。やかましいけれど、それは自分を想うがゆえの愛だと受け止めていた母親。
前者は理由も分からぬまま行方を晦まし、後者は心が壊れてしまった。
目の前に立ち塞がる現実の壁。
貧困、寄る辺無き身、大海に小船一隻で放り出されたような不安。
輝かしい思い出は見る影もなく、ただただ最悪の日々だった。
それでも、
「でもな、幸せだった時間は決して嘘じゃねえ。どんなことがあろうとも、今この瞬間感じているそれは真のもの。
耐え忍ばなければならない苦渋の日々が来たとしても、昔日の幸せを思い出せ。
何の不安もなく、ただただ心が満ちていたその時間を。そして、こう考えろ。
生きて居れば、頑張ってみれば、またあんな幸せな時間がやって来る。
幸せの後に不幸が来たのなら、その後には幸せだって控えてるんだってな。ついでに、その幸福の後にはもう不幸なんて無いかもしれない」
楽観論かもしれない、だけどそれで良いのだ。
笑い飛ばして生きていかなきゃ、この世はあんまりにもしんど過ぎるから。
「幸せな日々を思い返せば、苦境に陥り膝が折れそうになって、立ち上がる力に変わる。
どうにかこうにか踏ん張らせてくれる、それで、先にある幸せへと続く一歩を踏み出させてくれる。
諦めて腐るより、前向きになる方がだいぶだいぶマシだ。何せ、信じて歩き続ける限り幸せになれる可能性は零にならねえんだからな」
生活保護なんてものに頼っても良かったのかもしれない。
だけど、現代を生きていた"彼"にとってそれは諦めだった。
頼って、委ねてしまえば、自分はもう立ち上がれない。
苦境において、一度でも膝を折ってしまえばもう前には進めない。
そう思って、だからこそ自分の力で、過去の幸福を噛み締め、未来の幸福を想い、一歩を踏み出したのだ。
「だから今日この日だけじゃねえ、その前に感じていた幸せも。これから先感じる幸せも、絶対に忘れるな」
そうすれば、何時か不幸が訪れてもきっと大丈夫。
そう言って心の底から笑う。
届くかな? 届いてくれると良いな。
経験を伴った言葉だからきっと中身はある。だから、届いて欲しい。
竹千代の胸に何か一つでも輝けるものが残ってくれれば嬉しい。
そんな信長の想いは、
「……この竹千代、今の御言葉、決して忘れませぬ」
少女の胸にしかと宿った。それはきっと、生涯消え去ることはないだろう。




