11話
マーリンの魔法で人々を振り切り、京を脱出した一行。
尾張への道は通常の旅人が通る、ある程度整備された街道ではなくなるたけ人気の無い道を選んだ。
絶対に誰も通らないと言うことはないが、日に一人二人通る程度の道。
無論、刺客を誘うためである。
「なあマーリン、聖剣抜いちまったわけだが……羅城門付近は大丈夫なのか?」
聖剣の力で安全地帯となって居たのならば聖剣を抜いてしまえば?
信長がエクスカリバーを抜いた際は無邪気に喜んでいたギャラリーだが、彼らは分かっているのだろうか。
「問題ないわ。力の残滓だけでも後百五十年ぐらいは保つ――私はそう見たわ」
他ならぬ専門家の言葉だ。信じるしかないだろう。
一先ずは安心出来たものの、やはり尾張へ帰るのは気が重かった。
「へえ……ところでマーリンさん、鞘はまだ出来ないんですか? 信長様ずっと抜き身のままぶら下げてるんですけど」
そう、すっかり鞘を創り忘れていたマーリンは現在急ピッチで鞘を作成していた。
歩きながらあちこちに魔法陣を飛び散らせその中で素人にはよく分からない作業をしている。
明らかに前なぞ見ていないがそこはそれ、案外器用なもので木にぶつかることも石に躓くこともなく歩けている。
烏と衝突事故起こした女とはとても思えないほどだ。
「い、今やってるわよ!」
「すまんな、マーリン。にしても、この聖剣一体誰が造ったのか知らんが不親切極まるな」
「ですよねえ。普通、剣と鞘は一揃いでしょうに」
聖剣の作成者を知らない二人は遠慮なく作成者の間抜けを突く。
「そりゃ刀鍛冶は刀を打つことが仕事で、鞘は別に発注するのかもしれませんが……」
「まあ、鍛冶師なんてやってりゃ言われんでも鞘は用意するよな」
作成者の本業は魔女だった。
「ああでも、頼める知り合いが居ない孤独な方だったのかもしれませんよ?」
「成るほど……おー……何か想像出来る。天涯孤独で近所付き合いさえない独居老人」
「だけども腕が良いので一応は喰いっぱぐれないんですね」
「おう。それでも孤独死一直線だがな」
「(泣かない! 私泣かない! だって魔女だもの!!)」
好き勝手にキャラ付けされている事実に打ちのめされそうになる。
女の子なら泣いたってしょうがないが、マーリンは女の子であると同時に魔女なのでどうにか堪えきった。
「いよし! 出来たわ信長様!」
「へえ……こりゃ見事なもんだ」
蒼を貴重に、下品にならない程度に金の装飾などを取り付けたシンプルな、それでも貧相ではない拵え。
華美過ぎず、貧相過ぎず、丁度良い按配で作成者のセンスがよく出ている。
プレゼントは相手の色が見えるものを好む信長にはピッタリだった。
「私の心臓を使っているから聖剣であろうともちゃんと保護してくれるわ」
「へえ……ん? 心臓?」
ちょっと聞きなれない、あまり聞きたくない類の素材が耳に入った。
信長は咄嗟に鞘に耳を近付ける、藤乃も同じようにしていて互いに聞こえる? 聞こえない、などと言い合っている。
「鞘に加工した時点で臓器じゃないから心音はしないわよ」
「……あなた、何時の間に心の臓を抜き出してたんですか?」
楽しい御喋りをしている横でやけに静かだと思っていたら心臓を抉り出していたのか。
思わずぞぞぞ、と鳥肌が走り藤乃はマーリンから距離を取った。
「あの、お猿さん? それに信長様も何か勘違いしてるようだけど……」
と言うかそもそも自分は魔女なのだ。
そう言う非常識に対してもさらっと受け流して欲しかった。
「良い? 魔道を嗜む者の心臓はそれ単体で強力な力を秘めていて魔法具や呪具の素材になるの。
だから良い具合に熟成したなーと思えば抜き取って保存しておくものなのよ。
後、だからって今心臓が無いわけじゃないわよ? 抜き取っても自然と再生するんだもの」
鞘に使われた心臓は何百年か前に抜き出して異空間倉庫の中にぶち込んでいたものだ。
使おう使おうと思いつつも忘れてしまって、百姓生活にのめり込んでいたので良い在庫処分になった。
そう語るマーリンに成るほど、と二人は納得を見せる。
「まあそれでも臓器が鞘ってのは些か以上に驚いたがな」
「と言うかドン引きですよ」
これまで比喩的な意味で女のハートを幾つも手に入れて来た信長だ。
その彼をしてリアルに心臓を手に入れることになろうとは御釈迦様でも予想出来ないだろう。
「だ、だって聖剣の鞘に出来そうなものが心臓くらいしかなかったんだもの!」
マーリンにとって聖剣は生涯最高の一品だった。
これと同じものを造れと言われても、二本目は無理だろうと思うほどに。
それの鞘となると、並大抵の代物では務まらない。
「お前がそうだと言うのならそうなんだろうな。専門家の言だ、信じるよ」
「……うん、ありがと」
「にしても――――」
それ以上は言わなかったが、マーリンにも藤乃にも理解出来た。
場の空気が肌を刺すほどに鋭くなっているのだ。
つまり、
「信長様、そのままで大丈夫よ」
雨あられと矢が降り注いだ。
しかし、如何なる奇跡か信長と傍に居るマーリン、藤乃には掠り傷さえ負わせることなく総て逸れていった。
「お前の魔法か?」
「いいえ。聖剣に備わっている矢除けの加護よ」
藤乃に宗三左文字を放り投げ、自身は聖剣を抜き放つ。
敵に呼応するように戦意の光を放つ刀身に、矢が効かぬならと姿を現した襲撃者達が怯む。
「お前達が何処の誰の手の者かは聞かん。興味も無いしな」
身体が軽い、どうやら身体能力にもブーストがかかっているようだ。
一足飛びで手近な敵の首を刎ねた信長はその首を放り投げつつ宣言する。
「しかし、やると言うのならば覚悟しろ。俺は俺を殺そうとする者を、俺の女を殺そうとする者に対して慈悲は見せん」
殺そうとするのだから殺されても当然。
その当たり前が分からぬ輩はこの場より去れ、しかし襲撃者達は退かない。
数の優位もあるがそれ以上に、帰れないのだ。
このままおめおめと。三好か足利か、京の勢力で疑わしいと言えばそのどれかで、どれにしても、襲撃者達には断固たる命がくだっていた。
「人智及ばぬ魔女だと分かっていながら仕掛けるんだもの。よっぽど、追い詰められているらしいわ」
「罪人か、或いは弱みを握られている、それこそ命を懸けねばならぬほどに。まあ何にしても切羽詰ってますね」
鉄火場に叩き込まれて『キャー☆』などと可愛い悲鳴を上げる女は誰一人として居ない。
マーリンは旅のお供として使っていた杖――別に魔法具でも何でもないそれを構え、藤乃は宗三左文字を抜き放つ。
大人しく護られてやるつもりはないどころか、逆に信長を護ろうと闘志を燃やす女達。
やはり良い女達だと口元を綻ばせながらも、信長の瞳から殺意が消えることはない。
「お前達の理由は斟酌せん、退かんようだしな――――死ね」
数は数十、それが秘密裏に即座に動員出来る限界なのだろう。
対して信長陣営は三人。まあ、魔女だけで千人力なんてレベルではないのだが。
それでも信長にしたって藤乃にしたって、仮に魔女が居なくても怯まず立ち向かっていただろう。
逃げられぬのならば殺るしかない、死にたくないのだから。
そうスッパリと割り切れる強さが二人にはある。
「怯むな! 数はこちらが圧倒的なのだ! 魔女は放置しろ、積極的に手を出す気は無いらしい!!」
バッサバッサと味方が斬られていく中、痺れを切らした指揮官らしき男が叫んだ。
その瞬間、藤乃は駆け出した。
目の前に居た敵の腹に蹴りの要領で足をめり込ませ足場にし、もう片方の足で肩へと駆け上りそのまま跳躍。
軽業師のような芸当で敵の頭を踏み付けながら指揮官の下まで一直線で進み、
「当たりませんよ」
迎撃の刃をするりと回避して攻撃に合わせるように刃を振るい指揮官を殺害。
最初、わざわざ雑魚を相手にしていたのは、指揮官らしき者を見つけるためだ。
何せ陣形も何もなく、全員が忍のように黒い頭巾で顔を隠している。
これではどれが指揮官なのかあまりにも分かり辛い。
ゆえに、信長とアイコンタクトで示し合わせて殺し易そうな相手を切り続けた。
そうして、まんまと目論見通りに指揮官に自己紹介させることに成功。
「頭が崩れりゃ脆いが……それでも退かんのだなぁ」
横薙ぎの一閃、まとめて二つ首が飛ぶ。
もう何人も斬っているが刀身には血も脂も付着せず、清浄なまま。
流石は聖剣エクスカリバーと言わざるを得ない。
「(抜けば玉散る……は江戸時代だったか)」
南総里見八犬伝の一節を思い出す。
勉強熱心ではないし、読書を特別好んでいるわけでもない信長だが、客に勧められたものはとりあえず読む性質だった。
八犬伝も渋い趣味を持つかつての客に言われて一通り読んだことがあるのだ。
と言っても、もう此方に生まれ変わって随分経つので今では印象的な文句ぐらいしか覚えてはいないが。
「つか、本気で殺したいのなら形振り構うなよ。ホントに殺したいなら全軍差し向けりゃ良いのに」
それは襲撃者達に向けられた言葉ではない。
彼らの背後に居る者に向けた言葉だ。
「それはしょうがありませんよ。信長様本人の御心はともかく、織田家は現時点では弱小」
そこに聖剣の主が戻って家督を継いだからとて即座に脅威とはなり難い。
天下を目指すにしても、聖剣の威光だけで平伏すほど戦国大名達は物分りが良いわけではない。
現代より信心深いこの戦国乱世の中でも、素直に聖剣の威光を受け止めるのは民百姓ぐらいだ。
そして、その者達は有事の際に兵士であるわけだが、尾張の領民と言うわけではない。
総てを捨てて信長の下に走れる者は天涯孤独の者ぐらいだろう。
ちょっと考えれば誰にでも分かることだ。その上で、たった数人がために大軍を動かせばどうなる?
その隙を別の敵に狙われでもしたらたまったものではない。
ゆえに現状、大軍を動かす判断が出来るわけがないのだが、さりとて放置も出来ない。
「だとしても中途半端だろ。いっそ完全無視か、本気で殺しにかかるぐらいじゃねえとな」
藤乃の言わんとすることは分かる。
それでも、自分が敵の立場に立った場合はスパッと優先順位をつけて動いていたと哂う。
「中途半端にしか出来ない連中が多いから、この国は未だまとまってないんじゃないですか?」
藤乃もまた哂った。
この二人は重大な決断に際して迷うことがない。
必要だと思ったのならば、何を置いてでもその選択を優先して徹底的にことの成就を目指す。
言うは易し、行うは難し。易く行ってのけるのが信長と藤乃だった。
天下人の片鱗は確実に表れていると言えよう。
「違いない」
そうして二人は互いに向けて刺突を放つ。
顔の直ぐ横を通った刃は互いの背後に居た最後の敵二人の頭部を完全に貫いていた。
信長と藤乃が刃を引き抜き、ひゅっと一度軽く振るって納刀すれば背後の敵が崩れ落ちる。
「フフ……私、完全に何もやることがなかったわ! 誰も彼も無視するんだもん!!」
スタイリッシュアクションを決めている二人を他所にマーリンは本当に本当にボッチだった。
指揮官が言っていたように、マーリンは手を出さねば本当に何もしないのだ。
だから敵は完全に無視、そして味方も完全無視。
「もっとこう、私を巻き込んで動かすとかあったんじゃないかしら!?」
白刃煌き血潮舞う、叫喚に満ちた戦場の中でガンスルーはよっぽど堪えたらしい。
「いや、そうしなくても片付けられたからなぁ……」
「老人になると寂しがり屋になって、お菓子とかを出して話し相手を引き止めようとするとは聞きますけど……」
「おいエテ公、その学説は今関係無くない!?」
言い合う女二人を眺めながら信長は近場の岩に腰掛け汗を拭う。
身体的な疲れは皆無だが、殺し合いの中では嫌が応にも緊張が高まってしまう。
終わったことで集中が途切れ、精神的な疲労がやって来たのだ。
「藤乃、護身ぐらいはと思って宗三左文字を渡したんだが……戦えるんだな、お前」
「そりゃまあ一応武士を目指してましたからね。それにほら、私って案外やろうと思えば何でも出来るんです」
「ほう……そりゃすげえ。いやまあ、俺もだが」
要訣を掴むのが上手い、それが二人の共通点だった。
「信長様、何処の手の者か調べてみる?」
「身元が割れるようなもんは持っちゃいねえだろ」
「私なら死体の頭から情報を抜き取ることも出来るわ」
「すげーな魔女。じゃあ一応……いや待て」
調べたところでどうせ、何が出来るわけではないのだ。
だったらそれよりも嫌がらせをしてやった方が良い。
「道……と言うほどの道ではないが、道の真ん中に穴掘って墓作ろう」
どうせ人通りも無いのだ。
仮に此処を通る人間が居たとしても申し訳ないが墓石を除けて通ってもらう。
「その心は?」
「まあ良いから良いから。お得意の魔法で、穴開けて良い感じの岩……結構な大きさのを建ててくれよ」
「? 分かった」
「ああ、辺りに飛び散った血は消すなよ」
言われるがままに一瞬で深い深い穴を穿ち、その中に死体を収納。
土を埋めてオーダー通りに大き目の墓石を建立。
「どうするんですか?」
「まあ見てな」
聖剣を抜き、その刃を以って墓石にガリガリと文字を刻んでいく信長。
その内容は要訳すると、
"おお、哀れな君達よ!
浅ましくも帝がおわす京の都に座する偽りの為政者!
愚かしく醜悪な圧政者の命で正しき者の命を奪おうとし、逆に命を奪われてしまった哀れな君達よ!
私は聖剣に祈ろう。無念を抱え、土の中で眠る君達に安らぎがあらんことを!
私は聖剣に祈ろう。諸君らを遣わせた愚者達に呪いがあらんことを!"
みたいな感じである。
上記の内容をそれっぽい歌に即興で変換し年号と共に墓石へ刻み付けたのだ。
「マーリン、この墓石を見るだけで文字が読めぬ者も内容を理解出来るように出来るか?
後、墓石動かすことも壊すことも覆い隠すことも出来ないようにするのは可能か?」
「可能よ、ついでに言うなら惨劇の面影も拭い落とせず残り続けるように出来るわ」
マーリンや藤乃にもその意図が分かった。
これは嫌がらせだ、それもかなり性質の悪い。
恐らくこの後、ことが成就したかを確認するために襲撃者の犬が来るはずだ。
今は未だ来ていないのはマーリンによって確認済み。
さあ、これを見た犬はどうするだろうか? 主人に伝えないわけにはいかない。
主人は何が何でもこの事実を消そうと人を動かし、そして不可能であることを悟る。
この道を通る者は少ない、少ないが零ではない。
通った者がこれを見れば良い話の種にとあちこちで触れ回るだろう。
京の都に座する――つまりは京都近辺の勢力。
アイツ? コイツか? いいや、あれかもしれんな。
そうやって想像が掻き立てられ、諸共にその声望に疵が付く。
さあ、黒幕ではない勢力からすればたまったものではない。
信長は墓石一つで大義名分を与えたのだ。
要らぬ噂に巻き込まれた者達に、聖剣の担い手を殺そうとした偽りの圧政者達を討つ名分を。
巻き込まれた側は声望を回復するためにも動かねばならない。
一勢力だけで勝ち目が無いのならば、他に巻き込まれた勢力と手を組めば良い。
領土だけでなく、偽りの為政者を討つことで自分達が正しい側に居ることも喧伝出来るから決して悪い話ではないだろう。
「動きますかね?」
藤乃が疑問を呈する。
聖剣の担い手と言う名分を掲げて動く、つまりは聖剣の主の下に着く。
動いてしまえばそう受け取られても已む無しだ。
「動かずとも構わんよ。本命はあくまで、黒幕への嫌がらせだ」
隠滅出来ない証拠。
出来ることがあるとすれば人を配置して近寄らせないようにするだけ。
それでも確実に隠し通せるかは分からない。
ならばそれなりの数を用意して完全封鎖し続けるか? そんなことは出来るわけがない。
「不安で不安で眠れない夜を過ごしてくれりゃそれで十分さ」
「あら素敵。それなら、此処の警備に配置された者にギリギリ死なない程度の不幸が振り掛かる呪いもかけましょうか?」
その者らはやがて聖剣の呪いだと逃げたくなる。
その者らは赦しを乞うように真実を触れ回るかもしれない。
こんな墓石の警備に配置される者となれば、食い詰めた人間を金で雇ってと言うわけにもいかない。
そんな者達に不都合な事実を知らせても良いことはなく、ならば信の置ける者を。
その信の置ける者らが裏切る……さてはて、黒幕はどんな気持だろうか。
「いやいや、流石は魔女様! 悪辣だなぁ」
「いやいや、即座にこんな嫌がらせ思いつく信長様の方が御婆ちゃんより恐ろしいですよ」
「ふふ、そうね」
ケラケラと哂う三人――噛み付く相手は選ぶ、それが黒幕が得た唯一の教訓となることだろう。
 




