10話
魔女と猿をキビ団子(隠語)を用いてお供にした信太郎は彼らを引き連れ京の都へ。
首都である以上、栄えていて当然と思うかもしれないが――どっこい、そうでもない。
室町幕府は形骸化しており、前将軍のグダグダは酷いものだった。
十一代将軍義晴は管領の細川晴元と対立し、度々戦を起こしては京を脱出、再び帰還を繰り返していた。
それでも信長が元服をしたその年に、前将軍の子菊童丸は十二代征夷大将軍の地位に着いた。
それに伴い名を義藤と改め、今年、ようやく京へと帰還。
とは言え来年辺りにまーた京から追い出されそうな気もするので正にグダグダ。
こんな状態でどうして京が安定しようか。
「私、尾張の田舎者だから京とか初めて来たんですけど……何と言うか……想像と違いますね」
煌びやかな人々、華やかな街並み。
住まう人間からして何から何まで違う。
そんなイメージを抱いていただけに藤乃は些か以上にガッカリしている。
「私が将軍なら街中に金箔張ってキラキラさせるんですけど……」
「(黄金の茶室とか作っちゃう奴だけはあるな)」
ふとしたところで史実の派手好きが垣間見えた。
これで気が利かずに、愛よりも金を優先するような人間だったら凄まじい毒婦となっていただろう。
ただの毒婦ならまだしも頭の回る毒婦とか最悪の部類だ。
「御婆さん御婆さん、京は昔からこうだったんですか?」
藤乃は同じ信長の女、そして才気に溢れ彼の役に立てる。
そう判断したためマーリンも藤乃に対して素性を明かしていた。
おかげで婆呼ばわりされているわけで……。
「誰が御婆さんよ殺すぞ小娘」
メラメラと怒気を燃やす羽目に。
「自分で良く婆婆言ってるじゃないですか見苦しい」
「自分で言うのは良いけど他人に言われるのは嫌なのよ!」
「面倒臭い婆ですねえ」
額を擦り付けメンチを切り合う二人――鹿の喧嘩を見ているようだ。
浜松を出てから度々修羅場ってはいたが、信長は静観している。
殺し合いにならない限りは止めるつもりがないのだ。
喧嘩するほど仲が良い、腹の裡をちゃんとぶち撒けられているのならば決定的な破綻は訪れはしないと。
それは信長本人にも言えることだが、彼の弱点の一つと言えよう。
出来ないのだ、相手がどれだけ悪感情をぶつけてきても信長本人がその者に好意を抱いている限り怒れないし憎めない。
「で、実際のとこどうなんだ?」
「んー……そうねえ……ぶっちゃけ私、あんまり京に来たことないのよね。あんまり興味無いし」
エクスカリバーを京に安置したのも首都だったからではない。
単純に良い霊脈だからと置いてみただけ。
「よっぽどの変事があれば来るけど、それ以外はその時住んでいた場所でずーっと畑と田んぼ耕してたもの」
「よっぽどの変事と言うと例えば何ですか?」
「菅原道真の祟りが起こった時とかは、ね」
エクスカリバーの様子を見て、いざ何があっても対処出来るようにとの理由だ。
とは言え聖剣の製作者であることを明かしていないので信長達からすれば悪霊退治だと思うのが当然である。
「道真公の怨霊か……実際に存在してたんだな」
「ええ、バリバリ雷落してたりして、私も幾度かやり合ったわ」
と言うより憎悪一色に染まった道真に喧嘩を売られて、仕方なく対処しただけだが。
「ひょっとして、道真公を天神にするようにしたのって……」
「荒御霊を鎮める定番だもの。時の権力者の夢に干渉して御告げってことにして早期終結をはからせてもらったのよ」
何時までも京に留まっているつもりもなく、早く帰りたかったためだ。
「ほう……賢者じゃねえか」
「あらやだ嬉しい。でも賢者よりは魔女の称号が気に入ってるからさす魔女と呼んでちょうだいな」
「何それ馬鹿みたいですよあなた」
「何ですって!?」
そんな二人を他所に信長は残念がっていた、今が梅の季節でないことに。
菅原道真で思い出したのだ、彼が祀られている北野天満宮の梅がそれはもう見事であると言う噂に。
「落ち着け落ち着け。京の皆さんがヒソヒソ話してらっしゃるぞ」
「ですって、御婆さん」
「~~!!」
「まあまあ落ち着きなさいって」
尻を軽く撫ぜ、下から乳を揉みしだく――沈静作用のあるセクハラである。
「ん、んん! そうね。こんな貧相な小娘相手にちょっと大人げなかったわ」
背中を逸らせてそのビッグバストを強調。
遠めに眺めていた者達も男は鼻の下を伸ばし、女は舌打ちをかましている。
「む……」
不満顔の藤乃。
マーリンの胸はとても信長の手に収まりきるサイズではない。
一方の藤乃の胸は膨らみはあるので平坦と言うほどではないが、手の中に余裕で収まるサイズだ。
「むむむ……!」
これが普通の女ならばそのうち垂れて醜くなるだろうと反論出来る。
しかし相手は魔女だ。
千年生きても老いず、その気になればもっと若い容姿にもなれるであろう手合いにその手の反論は意味を成さない。
「俺はどっちも好きだがな。顔を埋められるような豊満さも、思わず吸い付きたくなるような慎ましさも」
これは本音だ。
乳に貴賎は無いのだと信長は本気で思っている。
まあ栄養状態が悪く母乳が出難いとかは死活問題だけど、そのような暗い話題は今は関係無い。
「じゃあ雨も降りそうだし何処かの御宿で休憩しませんかぁ?」
腕に絡み付き、華奢な身体をめいっぱい使ってアピールをする藤乃。
それに負けじと反対側から抱き付き対抗するマーリン。
正に両手に花。男としては夢のようなシチュエーションで、信長も正直このまま宿に駆け込んでしっぽりムフフと行きたい。
「そりゃ魅力的だが、だからこそ早めに用を済ましてゆっくりしたいんだよ」
聖剣が安置されている場所は京の都の羅城門。
現代においては芥川龍之介の羅生門で有名だろう。
その場所にある岩に選定の剣は突き刺さっている。
最初に場所を聞いた時信長は、
『鬼が住まう羅生門……か』
と思わず呟いてしまった。
『鬼? 聖剣のある羅生門にそんなものは出ないわよ』
と、これまたあっさり否定されてしまった。
確かに鬼を寄せ付けるようなものでは聖剣も伝説にはならないだろう。
マーリンが言うには羅城門付近は実に清浄な場所らしい。
京の社会的弱者が最終的に身を寄せるとすれば羅城門を選ぶほどには。
ならば、その場所にこそ身分の高い者達の住まいやら行政機関を作れば良いのでは?
そう思って質問してみると、幾度かそう言う試みはあったと言う。
だがその度に天災に見舞われ空白地帯となってしまった。
人々は正当なる支配者でない者達が恐れ多くも聖剣の威光に賜ろうとしたから天罰がくだったのだと噂している。
それでも民草が寄って来ても天罰は無い。
このことから聖剣は民を護る、まさしく王の剣であると伝説はよりいっそう強固なものになったそうな。
勿論、そうなるようにマーリンが仕向けたのだが。
とまあ、そんなこんなで羅城門付近はとても安全なのだ。
「ほう……」
マーリンの言葉は正しかった。
羅城門が視界に収められる距離にまで来た瞬間、空気が変わる。
清浄で、心穏やかになりそのまま眠ってしまいそうな安らぎを感じる。
藤乃もその空気を感じているのか、目を丸くしていた。
唯一平然としているのはあらかじめ知っているマーリンだけ。
周囲を見渡せば乞食や病人達が軒を連ねており、本当に安息の地なのだと言うことが分かる。
「こっちよ、信長様」
ポツポツと降り出していた雨は大降りになっていた。
それでも濡れることを厭わず進む一同、そうして進み目に飛び込んで来たのは風雨による劣化が何一つ感じられぬ岩。
そしてそこに刺さって雨を弾いている聖剣。
見れば観光者と思わしき者が聖剣を握ってどうにかこうにか抜こうと頑張っている。
「いやぁ、駄目だごれ。まったく抜けんど。おらぁ、村でも一番の力持ちだったんだがなぁ」
「当たり前さね旅人さん。これは霊験あらたかなものやもん」
「せやけど、何や噂によると聖剣の魔女様がこれを抜ける御方の前に現れたらしいで」
「おお、知っとる知っとる! 織田の……何ちゅうたか……そや、信長さん?」
楽しそうに笑っている人々。
どうやら観光に来た人間が聖剣を抜こうとするのは御馴染みの風景らしい。
ちらりとマーリンに視線をやると、
「……(さあどうぞって顔してやがるな)」
織田家に帰参する以上、聖剣を無視することは出来ない。
せめて試して抜けぬと言うのならば言い訳も立つが、試さず帰るのは不可能。
小さく溜息を吐いて、一歩踏み出す。
「おんや、えらい色男さんやね。あんさんも聖剣に挑戦しますのん?」
「……ああ。折角、京に来たのだからな」
「せやね。他所から来はる人は一度は此処来るからねえ」
「ほれ、今度はえらい別嬪さん連れた色男が挑戦なさるでえ!」
やんややんやと囃し立てるギャラリーに苦笑しつつ、更に一歩。
そうして聖剣の柄を握った瞬間、
「(あ……これ抜けるわ)」
凄まじく手に馴染んだ。
二年も一緒に居て、使ったことも数知れずの宗三左文字。
あれもすっかり使い慣れて手に馴染んでいたのだが、その比ではない。
まるで自分専用に誂えたかのように、ピタリと馴染み。
さして力を入れずともこの岩から抜き放てることが分かった。
「やっぱり抜けへんねえ。でも、触っとるだけでも御利益あるから」
などと笑っている人々を尻目に、さてどうしたものかと考える。
此処からピクリとでも動けばその瞬間に聖剣は抜けるだろう。
しかしそれで良いのか? 聖剣を抜いてしまえば更に自由への道は遠ざかる。
とは言え信秀はそれを期待しているわけで僅かな抜く素振りも見せぬとあれば流石に――義理と自由意思の狭間で苦悩していると……。
「(ん? んん!?)」
聖剣が煌々と輝き出したではないか。
このような反応、現地人も初めて見るらしくざわざわとどよめきが広がり始めた。
輝きはいっそう強くなり、
「(オ、おぉおおおおおおおおおおおお!?)」
岩が砕け散った。
永き時を経て、外気に晒された刀身は歓喜を表すように更に輝きを強め――――。
「ッ!?」
瞬間、凄まじい力の奔流に押されて信長の身体が僅かに後退。
跳ね上がった切っ先は天に向けられ――――黒雲を祓い、蒼天を作り出した。
降り注ぐ雨は優しくなり、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
祝福のスポットライトが信長を照らし、ギャラリー達は一瞬の沈黙の後、怒号の如き歓喜を叫ぶ。
乱世を終わらせる者、日ノ本の正当なる支配者の誕生に。
「あの御方が信長様やったんか!」
「おお……おお……! わしが生きとるうちに聖剣の主が生まれるところを見られるとは……」
「ありがたや……ありがたや……」
「! あっちを見てみい!」
聖剣が衆目に晒された瞬間、マーリンは魔女としての装いを取っていた。
旅をする際、目立たぬようにと黒に染めていた深雪の如き御髪。
艶やかな肢体を包み込む、空色の外套、そして虹色の光。
言葉遣いまで変わっているのは、人目があるので真面目にやっているからだろう。
「聖剣の担い手、確かに見届けさせて頂きました。信長様、あなたこそが日ノ本の王に御座います」
とは言え、
「さりとて、強制は致しませぬ。意思が伴わねば、意味が生まれない。
望むままに生き、その中で覇道を進むことを御選びになられるよう祈っております」
信長は自由意思の権化だ。
それはマーリンにも分かっている。
聖剣は渡させてもらう、その上で選ぶのは信長自身。
覇道を往くことを選んだのならば手伝うし、そうでなくともただの一人の女として寄り添う。
何をも強制するつもりはない、マーリンはそう明言した。
「ああ、言われずともそうさせてもらうさ。俺は俺だ、聖剣なんて大そうなものを手に入れたところで変わりはしない」
信長は半ばやけくそになっていた。
周りの人々に囃し立てられ、この噂は光となって日ノ本を駆け巡るだろう。
いや、足利や三好など京の勢力は既に知っているのかもしれない。
万が一のために羅城門付近に密偵を忍ばせていないとは限らないのだから。
と言うかしているべきだ。聖剣の魔女と信長の噂は二年前に広まり始めただろうから。
幸いにして、表立って命を狙われることはないだろう。
そうすれば自ら真の王に恐れを成した偽りの支配者であると喧伝することになるのだから。
その代わり、これからは賊に扮した者らに襲われたり、忍に命を狙われたりすることはあるだろう。
死んでやるつもりは毛頭無いし、何が来ても乗り切ってやると言う自負はある。
あるが、それはそれとして煩わしいことに変わりは無い。
尾張に戻ってからもそう。聖剣を持ち帰ったことで信勝を刺激することは確実。
勝家や政秀が軽挙を犯さぬように抑えてくれると信じてはいるが……。
「(ああ……気が重い……いやでも、親孝行と思えば……)」
信秀の寿命がどれくらいかは分からない。
それでも、もう良い歳だし永くはないだろう。健康面に気を遣っている様子も無いから。
ならば、聖剣を持ち帰って喜ばせてやるのが"うつけ"からの最後の親孝行になる。
そうポジティブに思い直したところでふと気付く。
「ところでマーリン」
「何でしょう?」
「この聖剣、鞘は何処にあるんだ? 流石にこのままじゃ……」
抜き身の刃物を持って旅をするなどキ●ガイとしか思えない。
幾ら聖剣と言えども、ちょっとそれは駄目だろう。
ゆえ、マーリンに鞘を所望した。
見たところ近くにはそれらしいものがあるわけでもなし。
マーリンならば聖剣にも詳しいようだから何か知っているだろうと思っての質問だったわけだが……。
「え」
「え?」
マーリンは鞘を用意することを忘れていたようだ――ン百年も。




