予期せぬ伏兵
しかし、いつまでたっても痛みは来ない。
怜が恐る恐る目を開けると、顔を強張らせた桜がこちらを睨みつけていた。
何が起こったのか疑問に思った瞬間、桜の頭がガクンと揺らいだ。
ポタッ、ポタッ、と屋上の床に血が垂れる。
振り上げられた手はだらりと下がり、桜は膝をついた。
「あ……うあ……。」
桜は何が起こったか把握できないようだ。
怜は顔を上げる。
跪いた桜の後ろに立っていたのは、コミュニティのメンバー全員だった。
その中央に立っている徹が銃を持っていたことで、何が起こったか把握できた。
徹が桜を撃ったのだ。
弾は桜の後頭部に当たり、桜は止まった。
「間一髪、間に合ったみたいだ。」
「徹……。助かった。」
「怜は、優衣ちゃんに言ってくれ。彼女が教えてくれなかったら、今頃死んでいた。」
「えへへ……。たまたまお兄ちゃんを見かけて、後をつけただけだよ。」
「……さて、これでチェックメイトかな?」
全員が桜を半円の形で囲む。
「お兄ちゃん、摑まって。」
「あ、ありがとう……。」
優衣が怜に肩を貸して、屋上から移動させる。
「裏切り者は見つかった!山下桜……。コイツは、自分がウイルスに感染したことを隠し!僕たちの仲間が死んでいくのを見て陰でほくそ笑んでいた!絶対に許すことは出来ない!」
徹の声に全員が頷く。
「ふっ、あはっ!」
すると、不意に桜が笑い出した。
「あははははっ。あははははははははハハハハハハハハハハハハハ!!!」
耳をつんざくような不快な高音が辺りに響き渡る。
「私は女王よ!何もかも思いのままに出来る!お前らのような下等な生物に負けるなんて事は無いのよ!」
桜の目の焦点はもう合っていない。
後頭部を撃たれた時に脳を損傷したのか、すこし呂律もおかしい。
身体はまるでマリオネットのように、カクカクと不気味に蠢いている。
「狂っている……。」
巧が思わずそう呟いたのも無理はない。
誰がどう見ても、桜は壊れてしまっていた。
爆風の衝撃と熱で、もはや以前のような美貌は見る影もない。
爛れきった顔面の中で、口だけがパクパクと動いている。
「お前らは馬鹿!揃いも揃って馬鹿ね!あははははははは!!!わたじに、わだじにがでるわげがないのぉ!!あははははははははばばばばばばばばぁぁぁッ!!」
コミュニティのメンバーは一言も喋れない。
狂った人間を前にして、ただ茫然としていた。
「僕達に出来る事は、コイツを黙らせることだけだ。やろう。」
徹が銃を構える。
大樹が鉄パイプを構える。
誠治が釘付きグローブを構える。
佑季が弓を構える。
小夜が金属バットを構える。
葉月が包丁を構える。
美羽が硫酸の入った瓶を構える。
その様子を見て、桜が吼えた。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばがぁッ!わだしのじもべばまだいるッ!やれッ!ごいづらをごろぜぇッ!!!」
「しもべ?…………まさかッ!!!」
「ぎがづいてももうおぞいわぁッ!!」
「皆避けろォッ!!」
その瞬間、大樹の体が宙に浮いた。
床から何か赤い物が生え、それが大樹の身体を貫いたのだ。
「はぐぁっ……。」
大樹の四肢がだらりと垂れる。
赤い物はすぐに地面の中に消え、支えを失った大樹の身体は屋上の床に激突した。
「大樹ィィィィィィッ!!!」
徹が駆け寄ると、轟音がして、後方の床が吹き飛んだ。
そこから現れたのは、赤い物の持ち主である、あの赤い化け物だった。
「舌を、治していたのか……。何故気が付かなかった!?荘田先輩は何をッ!」
徹はそこで気づく。
「そうか……。荘田先輩は既に桜のしもべにされていたのか……。なんてことだ。」
唖然とした表情で、赤い化け物を見つめた。
桜の狂った笑いはまだ止む事は無い。