達人の住まう部室
「ふんっ!」
強烈な回し蹴りがゾンビの首を捉え、骨の砕ける音とともに糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちる。
これでこの道場に蔓延る害虫は駆除できた。
三年二組の藤堂 巧は自らの衣服を正す。
ここは南校舎一階にある空手部の道場であり、衣服というのは空手着のことである。
巧は大会などで優秀な成績を収めている空手部の元部長である。
「これで綺麗になった。」
もとは白かった空手着が返り血で赤く染まっている。
「ほえ~。やっぱり先輩強いですね!」
一人の女子生徒が近寄ってくる。
「こいつらが弱すぎるだけだ。」
そう無愛想にいうと、女子生徒の持っていたタオルを受け取り、汗を拭く。
「いや~!自分じゃ絶対できないですよ!あんな回し蹴り!」
まるで自分のことのように誇らしげに語る少女の姿は小動物に通じる部分がある。
この少女の名は朝霧 葉月。
一年三組の柔道部マネージャーである。
柔道部男子(巧以外)の注目の的で、熱い視線を送られているが、気づいたことは一度もない。
「とりあえず、救助を待つ。出入り口を塞ぐぞ。」
「わかりました!」
器具室に行き、いろいろな道具を扉の前に持って行く。
その直後、扉が勢いよく開いて生徒が入ってきた。
「た、助けてくれ!追われているんだ!」
男子生徒が恐怖に染まった顔で巧を見上げる。
だが、巧はその男子生徒を蹴り倒すと、扉を閉め鍵を掛けた。
「おい!なんで!?」
扉を叩く音が聞こえる。
巧はその叫びが聞こえていないかのように淡々と扉を塞ぎ始める。
「うわぁぁ!寄るな!!来るなぁあぁ!!」
悲鳴が聞こえても扉を塞ぐ手は止まらない。
やがて、その叫び声が途絶え微かな咀嚼音のみが聞こえ始めたころ、扉を塞ぎ終えた。
「いやー、凄い形相でしたね……。」
葉月も少し表情を硬くしている。
巧が中に男子生徒を入れなかった理由はただ一つ。
男子生徒の腕には咬みつかれた跡があったからだ。
「……例え自分が感染しているとわかっていても、束の間の安全の為に他人に死を強制する。浅はかな男だ。そんなものは男とは呼ばん。」
凛とした表情で言い放つと、立ち上がり、もう一つの出入り口に向かって歩きはじめる。
この二人は知っていた。
ゾンビに咬まれたり、引っ掻かれたりすると感染し、ゾンビの仲間入りを果たしてしまうことを。
それは二人がここに来るまでに見てきた惨状の中で分かった事だ。
そしてもう一つ分かったことは、極限状況に陥った時の人間の弱さだろう。
先ほどの男子生徒からも分かるように、極めて自己中心的、若しくは考えることをやめるようになる。
その両方に良い未来は待ち受けてはいない。
先程回し蹴りで倒したゾンビもそうだった。
元は女だったが、ひどく高飛車だった。
あげく、自分が感染していることを隠し続け、いきなり発症して部員が一人やられた。
巧の胸の内で沸々と怒りがこみ上げる。
だが、すぐに収まる。
怒りは思考を鈍化させると知っているからだ。
(こんな事態だ、救助も来ないかもしれん。)
そう思いながら亡くなった部員へ黙祷する。
「そういえば、和馬先輩は大丈夫ですかね?」
葉月が思いついたように言う。
和馬先輩というのは巧の幼馴染で三年二組の安蘇 和馬のことである。
野球部の主将を務めているが、性格は飄々とした性格で巧とは真反対の性格である。
もっとも、そんな凸凹コンビだからこそ交友関係が此処まで長続きしているのかもしれないが。
「あいつなら問題はないだろう。殺しても死なんような奴だ。」
「凄い信頼ですね!」
「腐れ縁だ。……アイツはゴキブリのような生命力だからな。」
「ゴ、ゴキブリですか!?」
「小学生の頃、町内でキャンプに行ったときにアイツが女子の風呂場を覗いてこっぴどく叱られたが、翌日アイツは嬉しそうにカメラを持ってきたからな。」
「あはは……それはなんというか、確かにゴキブリですね……。」
葉月も舌を巻く。
(こんなところで死ぬんじゃないぞ、和馬……。)
巧は葉月に悟られないようにそう思い、天井を見上げた。