タイムスリップ
戦闘開始から僅か10分足らずで、ヤクザ側は五人に数を減らしていた。
「組長、ヤスからの応答が……。」
サングラスとパンチパーマの明らかにヤクザという風貌の男がおろおろしながら伝える。
「で、こっちは何人殺ったんじゃ?」
「それが……一人も。」
「一人も、じゃと?」
「は、はい。」
叱られるか、はたまた殺されるかと首を竦めるヤクザだったが、喬太郎は静かに頷くだけだった。
「所詮その程度のチンピラに過ぎん。……銀、相手をしてやれ。」
「……御意。」
喬太郎の後ろの男がゆっくりと立ち上がる。
パンチパーマのヤクザはその姿を見て悲鳴をあげそうになった。
無表情にもかかわらず、確実な殺意を秘めているその顔からは、視線だけで人を殺せるような強さが放たれていた。
まるでヘビに睨まれたカエルの様に動く事が出来なくなった。
男はそのままパンチパーマのヤクザの横を素通りする。
パンチパーマのヤクザの背中を、一筋の冷たい汗が伝った。
「本当に面倒なことに……。いや、食事のチャンスと考えるべき?」
桜は理科室の中で机に腰かけ手を顎に沿えていた。
ヤクザだけを喰うか、それとも皆喰うか。
食料もそれなりに集まったし、一人なら冬くらい越せるだろう。
混乱に乗じて一気に征服するのもありかも知れない。
だが、もう少し使うのもいいかもしれない。
欲を言えば、もっと日用品などを充実させてから殺したい。
「あっ、桜さん!こんなところに!」
桜の思考は翼の声で吹き飛ばされた。
あわてていつも通りの心の仮面をつける。
「どうしました?」
すると、翼の後ろから怜が顔を出した。
「どうしたもこうしたも、ヤクザが来て大変なんだ。放送聞いてない?」
ウジウジ悩んでいた自分のミスか。
一気に二人を喰える自信は無いし、今回行動を起こすのはやめておくか。
そう思った時、桜はある違和感に気付いた。
(もう一人、歩いてくる……。)
恐らく翼たちは気づいていないが、もう一人、足音を消しながら歩いてくる。
ウイルスによって聴覚が研ぎ澄まされていなければ聞こえなかったであろう程の小さな音だ。
まっすぐにこちらに向かってくる。
「とりあえず、会議室に避難しようか。」
男はすぐそこまで迫っている。
伝えるべきか、伝えないべきか。
そう思案している間に、男は翼たちの真後ろに来た。
翼たちは気が付かない。
「行こうよ。」
怜が一歩踏み出した時だった。
桜は翼の背中から鮮血が噴き出すのを見た。
銀光したかけた月のような美しさを持つ何かが、翼の身体から血を噴出させた。
「え……?」
怜がゆっくりと横を向く。
そして背中から血を噴出す翼と、その犯人を視界に捉えた。
「な、んだ?」
翼が膝をつき、そのまま静止した。
血だけは噴き出し続けている。
男は刀を振って、刀に突いた血を飛ばした。
壁に血が付着し、不快な音を立てる。
「一人……。」
男が翼の様子を一瞥して、こちらに向き直る。
全身から放たれる静かな殺意。
まるで侍が現世にタイムスリップしてきたかのようだ。
「やばい……。」
怜が後退りすると、男も一歩前に進み出る。
「くっ!」
怜が腰に下がっていた投石用の石を投げたが、柄で弾かれる。
男は無表情を崩さない。
(怜が殺されるとどうなる?当然私は死なないから、怜は殺されて私が男を殺したことになる。いや、あり得ない。いくら怜がへたれとはいえ、他の奴等がイメージしている私よりは強いはず。となると、怜と私が協力して倒したことにしないと不審がられる。……仕方ない。)
桜は髪の毛を一本毟ると、それを床に落とす。
すると、その髪の毛はまるで毒蛇の用に男に近づき、男の手に巻き付いた。
「二人目……。」
男が刀を振ろうとする。
(……今。)
桜が髪の毛を引き絞り、男の手が硬直する。
男が固まったのを怜は見逃さない。
「うわぁぁっ!」
怜が男を蹴り飛ばした。
男は平然と立ち上がると、怜を再び斬ろうと近づく。