狂気の果てに
「純?何処?」
手をゆらゆらと動かし、焦点の合っていない目をあちらこちらにやりながら、小夜は歩き続ける。
その姿はゾンビそのものだった。
「ち、ちょっと!」
後ろから美羽が追いかけ、その手を掴んだ。
「先輩、しっかりしてください!」
しかし、小夜は聞こえていないように歩き続ける。
流石の美羽も痺れを切らし、小夜の前に出て道を塞いだ。
「落ち着いてください。純先輩は死んだんです。」
「純が……死んだ?」
「はい。今は拝賀先輩の身体を休めるのが先です。」
「……キ。」
「は?」
「ウソツキッ!」
小夜が美羽を思い切り払い除ける。
「うっ……。」
美羽が小夜を見上げる形になる。
だが、美羽はその形のまま動くことが出来なかった。
見ていた。
小夜が、まるでゴミを見るような目で美羽を見ていた。
「どうして、そんな嘘をつくの?」
不味い。
正気を失ってしまっている。
美羽は思わず後ずさったが、その分、小夜がじりじりと近づいてくる。
「ひっ……。」
殺される。
『死は常に音を立てず、背後から忍び寄る。』
まったくその通りだ。
安全な場所なんて所詮砂上の楼閣。
塀に囲まれたこの場所は唯の監獄に過ぎなかったのだ。
「嘘つきは皆死んじゃえばいいんだ。」
小夜が美羽の上に跨がり、首を絞めてくる。
「ぐ……!」
身体を捩っても、足をばたつかせても小夜は微動だにしない。
「だ、誰……か…………。」
世界が崩壊した日、ゾンビに首を絞められた事を思い出した。
あの時、大樹が自分を助けてくれた。
「太田、君……。」
また助けてくれるなど、そんなに都合の良いことがあるはずが無いのは分かっていた。
それでも、呼ばずにはいられなかった。
停止しかけた思考が、壊れたラジオのように、大樹の名前を呼べと命令してくる。
「助けて…………太田く……………大樹、君。」
目の前が暗くなる。
壊れたように大樹なを吐き出し続けていた思考すら錆び付いてきた。
「うおおおおおおおおおおッ!!!」
突然響いた大声の後、小夜は横に吹き飛んだ。
そのままゴロゴロと転がり、壁に激突して動かなくなる。
「ゴホッ!ゲホッ!ゴホッ!」
急激に肺の中に流れてくる空気に咽ながら、美羽は状況を把握する。
「大丈夫ッスか!?」
大樹が心配そうな顔でこちらを見てくる。
こんな奇跡が起こるなど、思ってもみなかった。
言葉は出ない。
ただ、涙が零れ落ちるだけだった。
「うっ……ふぇぇ……。」
「なっ、泣かないで下さいよォ!」
わたわたと慌てて何とか泣き止ませる方策を考えている大樹。
その姿が、美羽にはとても愛らしく映っていた。
美羽が大樹を抱きしめる。
「うおっほぃ!?」
「このままで……。このままでいさせて。」
「わ、分かったッスけど……。」
大樹が目のやり場に困ってふと小夜の方を見ると、小夜はいなかった。
「えっ!?あれ!?」
大樹が徐に立ち上がると、美羽を抱き起す。
「やばいッス!小夜先輩が居なくなってるッス!」
「……後を、追いましょう。」
「了解ッス!」
大樹が駆け出したので、美羽もついて行こうとしたが、足が動かない。
そのままペタンと廊下に座り込んでしまった。
「大丈夫ッスか?」
「私の事は放っておいて……。追ってください。」
大樹は暫く逡巡する。
「…………一緒に行くッスよ。」
そういって、大樹は美羽を背中に負ぶった。
「へっ?きゃっ!?お、降ろしてください!」
「自分だけだと止めれないと思うッス。だから、一緒に来てください。」
「そ、その……。重くないですか?」
「いや、全然軽いッスよ?」
「…………ばか。」
「褒め言葉と受け取っておくッス。」
大樹は美羽を背負って小夜を追いかけ始めた。
「純……純……。」
ひたすらに名前を呟きながら、壁に凭れつつ階段を登る。
先程の大樹のタックルはかなり効いた。
もしかしたら骨が折れているかもしれない。
「うぐっ……純……。」
純は死んだ?
本当に?
だとしたら、私はどうしたら良い?
何に生きる意味を見出せばいい?
私の存在価値は何だ?
ただ食料を貪り、水を浪費し、生活用品すらも消費している私が出来ること?
そんなものは無い。
純が居ない世界に私の居場所なんてある筈が無い。
純に逢いたい。
純……。
目の前の扉を開け放つと、冬の冷たい風が小夜の身体を包み込んだ。
屋上だ。
「純に、逢いたい……。」
純にいない世界に私の居場所が無いのなら。
小夜はフェンスに手を掛ける。
純と同じ世界に行けばいいだけじゃないか。