トラックジャーニー
暗い倉庫の中で、僕は円形の物体の縁を恐る恐る掴んで、ゆっくり息を吐く。
準備は出来た。
自分自身を縛る紐がやけにきつく感じる。
僕は少し身を捩り、その紐を移動させた。
僕はそっと右手を伸ばし、突起物を捻る。
すると、自分の座っていた椅子が空間と共に大きく揺れ、けたたましい音と共に金属の箱が息を吹き返した。
右足に少しずつ力を入れていく。
ペダルが押されるにつれ、少しずつ加速していく。
やがて、倉庫の中から陽光の元へと晒された。
傍から見たら、如何にもおっかなびっくりといった感じなのだろうが、これが僕の精一杯の迅速な動きだ。
そもそも、免許も持っていない人間が車を運転すること事体が大きな間違いだ。
車がエンストさえしなければ、大五郎さんも死ななかったし、僕が代わりに運転しなければいけないなんてことにもならなかった。
本当に運がなく、ついていない。
僕は絶望を大きな溜め息に変えて一気に吐き出した。
だからといって、心の中の絶望が消えるわけではない。
むしろ、今自分が絶望していることを改めて実感させてくれるくらいだ。
幅の広い道路に出たところで、僕はカーオーディオの再生ボタンを押す。
途端に、サックスの力強い音が車内に鳴り響いた。
僕は慌てて音量を最低まで下げる。
あまり音を出しすぎると、奴等がやってくる。
いつか大音量で自分の好きな音楽を聞くのが夢だ。
未来永劫叶わないだろうが。
「ねえ、りくー!」
後ろの方から聞こえてきた大声に、僕は身体を飛び上がらせた。
シートベルトが無ければ天井にぶつかっていたかも知れない。
僕は跳ね上がった心臓の鼓動を元のペースに戻すように努めてから、返事をした。
「き、急に大声出さないでって、いつも言ってるでしょ?」
「うんー!ごめんなさーい!」
ああ、絶対に分かってない。
美紗ちゃんは反省してないときはいつもこういう反応をする。
「で、何?」
「どーして、りくがうんてんしてるのー?」
「そりゃあ、大五郎さん死んじゃったでしょ?だから運転する人が足りないの。」
「仁はー?」
「別の車。」
「えー?仁に、あいたい!」
「我が儘言わないの。次止まったら会えるでしょ。」
子供は我が儘で困る。
こっちの事情なんて御構い無しに、自分自身の世界を黙々と拡げていくのだ。
「大人しくしてて。」
「はーい。」
言うことを聞いてくれるだけまだましか。
美紗ちゃんが静かになったので、僕は再び曲に耳を傾け始めた。
逞しいコントラバスの低音や、軽やかなピアノの旋律が、少しだけ僕の絶望を軽くしてくれた。
ほんの少しだけだけど。
僕は無意識の内に、腰にぶら下がったL字状の物体に手を伸ばしていた。
少し前まで唯の吹奏楽部員だった人間にはおおよそに会わないであろう物。
取り締まる者がいなくなったこの時代で、必要不可欠とまではいかないが、それなりに必要なもの。
もしかしたら、これを使う日が来るのも遠くはないのかも知れない。
大五郎さんのように無惨に食い散らかされたくなければ、これで自身の生涯を閉じる祝砲を鳴らすしかない。
そう考えるだけでまた絶望感が僕を取り囲み始めた
ので、僕はもう一度、大きな溜め息を吐いた。
パチッ、音がしたかのように、勢い良く瞼が開く。
最初に見えたのは、白い天井と蛍光灯。
上体をゆっくり動かすと、どうやら自分が保健室で寝ているらしいことは理解できた。
「純……。」
そうだ。
こんな風に呑気に昼寝なんかしてる場合じゃなかった。
純を探しにいかなければ。
ベッドから足を下ろすと、身体がぐらついた。
短くはない時間をベッド過ごしていたようだ。
純が待ってる。
ガララ、と音がして、美羽が保健室に入ってきた。
そして私を認識し、目を丸くした。
「拝賀先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、私は大丈夫だよ。」
身体に特に異常は無いようなので、その通りに答える。
すると、美羽がいきなり意味不明な言葉を口走った。
「その、純先輩のことは、残念でした。」
辛そうな顔。
「何が?」
「え?」
「特に思い当たる節が無いんだけど。」
「え?純先輩は死んで……」
「純は死んでないよ。」
美羽がまるで私を気が違った人間のように見てくるので、少し苛ついた。
純が死ぬわけ無いのに、何をいってるんだろう?
全く話が噛み合わない。
私は美羽を押し退けて、純を捜す為に保健室を出た。




