サイクリング
あまりにも絶望的な状況。
普通の人間であれば、諦めるか、自棄を起こすかだろう。
そして、その普通の人間よりも恐らく臆病である彼は、冷静の思考判断を欠きそうになっていた。
だが、彼はそのギリギリのラインに何とか踏みとどまっていた。
そしてその状況で思い付くアイデアこそが、事態をひっくり返す名案に成り得るのだ。
(考えろ!奴らは音に反応する!音の出るものが何かないか探すんだ!)
リュックサックの中をすべて地面にぶちまける。
その音で一層ゾンビが多くなるが気にしない。
(あった!スマホ!)
スマホで音楽を微かに鳴らし、大通りの方に向かって投げる。
スマホは大通りまで飛んでいき、ゾンビを引き付けはじめる。
そして自分の横にあったゴミ箱をぶちまけると、その中に自分の身体を押し込んだ。
息をひそめる。
「ァァアぁあ……」
「うぅウぅ……ァぇぇえエ……」
ゾンビの呻きが聞こえる。
それが今の徹には亡者が地獄から自分を呼ぶ声に聞こえた。
ザッ……ザザッ……
たどたどしい足音が近づくたびに、口を押さえている手から漏れそうになる悲鳴を必死に堪える。
暫くして足音が途絶えた。
少しゴミ箱から顔を覗かせてみる。
ゾンビの集団が、スマホの音が聞こえるごく狭い範囲にひしめき合っている。
もしあの中にダイブしたら骨だけになるまで食べ尽くされるだろう。
ゾッとしながら、リュックサックに荷物を入れていく。
決してスマホから流れる音楽より大きな音を出してはいけないのだ。
極めて慎重に物を拾う。
(ん?)
ゾンビが一匹、地面を這いながらこちらに直進してくる。
(な、なんで……?なんであの一匹だけ!?不味いぞ……アイツを倒すと音が出る……間違いなく気づかれる!)
荷物は大事だが、それ以上に命が大事だ。
今入れた荷物と金属バットを持って忍び足でその場を離れる。
後ろを何度も振り返りながら前に進むが、どうやらゾンビは追ってきていないらしい。
スマホを使ってしまったのは痛いが、生きるためには仕方がない。
(そんなことより……。)
先ほどから思考に引っかかるあのゾンビ。
何故音に反応しなかったのだろう。
いや、追ってきていないことを鑑みると、徹の位置が識別できてはいなかったようだ。
(あ、自転車……。)
道端で倒れている自転車を見つける。
これに乗っていけば、高校につくのが楽になるだろう。
「よし、動くぞ……。」
小声で呟いてから自転車に跨り、漕ぎ始める。
自転車を漕ぎ始めて数分立ったが、見えるのは殺伐とした風景だ。
いつも弁当を買う人で溢れていた弁当屋には人っ子一人いない。
ただ近づくものを拒むかのように閉められているシャッターに血が付着しているだけだ。
(酷い……。)
それしか言葉が見つからない。
道端に止まっている車には、シートベルトで身動きが取れなくなっているゾンビが呻いているし、肉屋のショウウインドウには人間の肉塊が張り付いていた。
肉屋に人肉が陳列されてるなんて笑えない。
(どんなブラックジョークだよ!クソッ!)
吐き気と眩暈をこらえながら気をしっかり保つように努める。
やがて、学校が見えてきた。
徹の通っている学校はこの地方では最大規模の学校で、生徒数がかなり多い。
高さ2m程の塀に囲まれた学校には北校舎と南校舎があり、北校舎は授業棟、南校舎は部活棟になっている。
規則として生徒は全員部活動に参加しなければならないのだが、生徒が三人以上いれば好きな部活を作れるためにその規則はほとんど破られていない。
ちなみに徹は放送部である。
(此処なら、高い塀のおかげであいつらは入ってこれないだろう。)
徹は正面の門まで辿り着く。
「ッ!?」
徹の目に映ったもの。
それは開いたままの門。
それはグラウンドを練り歩く亡者。
それは血に塗れた窓ガラス。
ここに安息などないと徹は悟る。
いや、この世界にすらないのかもしれない。
(嘘だろ……。)
体から力が抜けるような感覚がする。
しかし、取り敢えず今は生きている人間を見つけるのが先決だ。
徹は大きく深呼吸をし、門を超えて静かに歩き始めた。