95.萩尾望都 「白い鳥になった少女」 と 映画 「Los Parecidos」 に思う
以前に投稿したもので、サブタイトルに 『白い鳥になった少女』 があったにもかかわらず、それについてはまったくの内容も示していなかったので、今ここに簡単に内容を説明します。
服装からして場所はヨーロッパで、はるか昔のこと。
ある冬の寒い日のこと、幼い少女が道端でみすぼらしい小鳥を見つけた。その小鳥は自分では餌となるパン屑を口にすることもなく、他の鳥たちにパン屑のありかをおしえているようだった。「どうしてかしら?」と近くにいた老婆に問いかけると、老婆が昔誰かから聞いたという話をその少女に話し始めた。
ある一人の少女が、彼女のお母さん?からだったのか、おばさんからだったのか。とにかくある日、焼きたての一斤のパンをもらった。少女はそのおばさんの元を離れたところで、「こんなパンなんていらないわ。」と言って、大きな水たまりを渡るときに、長いドレスの裾を汚したくないと、そのパンを水たまりに落として敷石代わりにしてしまった。そしてそのパンを踏みつけたその瞬間、突然水たまりが沈み、水の底で少女は魔法使いに出会って小鳥にされてしまう。魔法使いは小鳥になったその少女に、「お前が今踏みつけたパンと同じ量のパンを天(?)に返し終えた後にお前を自由にしてやろう。」と言った。
以前にも書きましたが、人とは一体、『してしまったこと』に向けて動いていくのか、それとも、『しなかったこと』に向けて動いていくのか・・・。
例えば、映画『千と千尋の神隠し』の千尋の両親は、食べ続けることで人間であることを忘れてしまい豚になってしまいました。(大食らいで寝てばかりの形容をいつも豚さんにされてしまうことが悲しい。豚さんは清潔で頭が良く感受性も豊かなのです。豚さんの胎児の姿は人間の胎児とよく似ているそうです。)
おとぎ話の『ピノキオ』とその仲間たちは遊び続けて、人間であることを忘れてしまい、ロバになってしまいました。
おとぎ話ではなく現実の世界でも、嘘をつき続けて人間であることを忘れてしまっている人たちがなんてたくさんいるのでしょう。あまりにもたくさんの嘘をつき、長い長い時間をかけて嘘をつき続けていたので、もう既に人の体を成していなくて、当の本人にもそのことに気付いていなくて。まわりも皆そのような輩ばかりなので別段奇妙にも思っておらず、嘘をつくことが当たり前の日常で。もう二度と、元の人間の姿にも、心の自由にもなれなくて、ただただ哀れな輩たちと言わざるを得ず。わたしもあなたも結局同じ穴の狢なのなら、己の姿の変化にも他人の姿の変化にも気づくこともせずに何の疑いもなくただただ日々を過ごしているのでしょうか。
広い広い宇宙から見たわたしたちは結局、哀れな los parecidos なのでしょうか。




