36.救急処置室で考えたこと からなんとなく 萩尾望都 「白い鳥になった少女」 に思う
救急車で病院の裏玄関に運ばれると、そこからまず救急処置室で待機させられます。横たわっているベッドの脇で看護師さんからいろいろと話しかけられます。なんか、病院にいるってだけで安心しました。点滴の針を打たれて、後で様子を見に来ると言われて一息つきました。ぼんやりと天井を眺めていますと、カーテンで仕切られた向こう側のベッドから話し声が聞こえてきました。声から察しますに年輩の女性のようでした。どうやらケータイで家族と連絡を取っているらしかったのです。
「お願いだから、来てくれないかなぁ。来てくれたら助かるんだけど・・・。下着の替えとかも必要になるの。少し持ってきてくれたらいいから。・・・そうは言っても、こんな時だから。お願いできないかなぁ。他には頼める人がいなくて・・・。」
時々、ケータイごしにまくしたてている男の声が聞こえてきました。内容はよくわからないけれど、声の感じから察するに怒っている様子でした。
「こんな時にばっかり・・・。」って聞こえてしまいました。
老婦人のほとんど泣きそうな声は懇願に近かったのです。音を立ててブチっと電話が切れたようでした。
突然、処置室が静まり返り、私は息をするのもはばかられました。そこへ先ほどの看護師さんが老婆のベッドへ戻ってきたようでした。
看護師さんが尋ねました。
「どうだった?息子さん。ダメだって?」
老婆は小さい声で何か呟きましたが何を言ったのかは聞き取れませんでした。
そのまま私は、いつの間にか眠りに落ちていきました。
目覚めて処置室を出る時、カーテンごしに目をやりますと、ベッドの上にはもう誰もいませんでした。
一晩くらい入院させてくれてもよかったものを・・・。
結局、その日の私は2~3時間、病院の処置室で眠っただけですぐに家に帰されたのでした。
処置室での様子を友人に話しました。
「なんかさ、ひどい息子じゃない?自分の母親が入院するって時に付き添いにも来れないなんてさ。
あのお婆さん泣いてたみたい・・・。」
「そうとも言えないんじゃない。確かに冷たいっては思うけど。
そのお婆さんもその息子さんにおんなじようなこと、してたのかもしれないよ。
一番、側にいて欲しかった時に、いてくれなかったとか。」
「でもさ、もうお婆さんだよ。昔のことかもしれないのに・・・。」
「人間ってそういうことは忘れないんだよ。してもらえなかったことって忘れないんじゃないか?
よくわかんないけどさ。」
「そうだね。そうかも。なんでいつも悪い事ばかりよく覚えているんだろう。
どうしてかな・・・。
う・・・ん。
私、私さぁ、Sちゃんがしてくれたこと、よく覚えているよ。良かった事もよく覚えてる。
Sちゃんは、私がしなかったことを覚えているのかなぁ。
・・・Tちゃんは、私がしなかったことを許してくれるのかなぁ。
私、忘れてないよ。Tちゃんがしてくれたことも、私がしなかったことも。
私、いつかは返せるのかなぁ。Sちゃんにも、Tちゃんにも、それからCちゃんも、それから・・・。
たくさんいるんだ。いろんな人からたくさんもらってる。
でも、少しも返せていない。」
「思っていたらいつかはできるよ、きっと。
きみが返したいってこと、きっと返せるよ。」
「でも、もうSちゃんにもTちゃんにも会えないよ。もう死んでじゃってるかもしれない。
Cちゃんは外国にいるし。
わかんない。外国のどこにいるのかもわかんないんだから。」
「仮にもうその人たちに会えないとしてもさ、
他の人にその恩を返したらいいんじゃないのかな。
自分がしてもらって嬉しかったことを他の人に返していったらいいんじゃない?
その人たちだって、今更きみから恩を返して欲しいなんて思ってないと思うよ。
きみが他の人にその人の想いを返していったらいいんじゃないのかな。
・・・でもまぁ、親子関係はもっと複雑だろうけどね。
特に小さい子どもにとって親は絶対だから。」
『してしまったこと』の思い。
『しなかったこと』への思い。
人はどちらに重きをおいて動いていくのだろう。




