22.つい先日の 「ラジオ イタリア語講座」 に思う
つい先日のことですが、ラジオをかけっぱなしにしておりましたら、ラジオイタリア語講座が聞こえてきたのでそのまま聞いていました。
しばらくイタリア語の反復練習をした後に、講師の方々が互いの言語(イタリア語、日本語)を使ってフリートークをしてくれます。まぁ、一応その日のテキストの内容に合わせた内容なのですが。
んで、イタリア人講師の方が、子どもの頃は学校でこんなことを習っても仕方がないと思っていたことが、大人になってから役にたったとかっておっしゃるんです。「こんなに素敵な君をこの世に生み落してくれた君のお母さんに感謝します。」って言葉なんですけどね。日本語の講師の方は、「これ、もう定番のフレーズなんですよね。はは。」なんて笑いながらおっしゃっているので、少々、「ガーン!!」って感じに思いました。だってぇ、定番になってんのぉ?!「ハハ、そうなんですよ。大人になってからいろいろ役にたちましたよ。」って、イタリア人講師の方も笑いながら答えていらっしゃるんですね。そうかぁ、イタリアの小学校ではそんな殺し文句を教えてくれてるんだ。英才教育というか、だったら日本人は全く敵う余地ないですよね。そんな気の利いたフレーズを教えてくれる小学校なんて日本になんてあるはずがないですもの。英語の教材だって、「This is a pen !」 だもんね。最近は多少は変わったのでしょううか・・・。
スペイン語でも、『piropo』ってのがあります。
『El secreto de sus ojos (瞳の奥の秘密)』という映画があるんですけど、そこで、老齢の男性が同僚の黒いドレスを着た女性に「妖精さんが喪服を着てる。」と言っているのをわきで聞いていた中年の男性が「僕は上手くpiropo を話せない。」みたいなことを言うんですよね。
でも実際に私は、南米のスペイン語母語話者が piropo を使っているのを聞いたことがありません。おっさんたちですけど。若い人はどうでしょう。彼らは誰かを揶揄したり、冷かしたりする時に韻を踏んで面白がってはいますけど、女性をいい気分にさせるためになんて考えはないみたいです。基本、南米の男は machismo (マッチョのことです)と言ってました。昔の日本の男みたいなもんです。
私の知り合いのその南米人のおっさんが言うには、『piropo』を使うことが、なんかナンパっぽくてイヤだと言うんです。口先で綺麗なことを言っても、後はポイッだよ。それでもいいの?ってね。どうですかね。聞き手も耳触りのよい音楽と思って聞いていたらいいんじゃないですかね。そういえば、『El secreto de sus ojos』ってアルゼンチンの映画でした。う~ん、やっぱヨーロッパ人の男性の方が女性を楽しませる言葉には長けているのかなぁ・・・。
それでまた、私がフランスに行った時のことを思い出したんですけど、フランスのある地域に数日滞在した時のことです。私が明日は他の土地に旅立つって話をしたすぐ後でした。近くにいたフランス人の若い(ここ、重要!)男性が私に言ってくれた言葉です。「君が太陽を連れてきてくれたんだね。また太陽を連れて行ってしまうのかい。」ですって。きゃぁぁぁぁぁ。すごいでしょ。私がちょうどその土地に着いた前日までは実際に雨で、私がそこを発つ明日からまた雨という予報を聞いてのことなんですけど、もう、その言葉で完璧ノックアウトですよ。女性は言葉で潤う生き物ですからね。いいんですよ、お世辞だって。いいじゃないですか。実際、フランスを旅行中は、「君とキスがしたい。」「君と寝たい」って言葉もたくさんかけてもらいました。それもおじさま以上の方たちばかりから。彼らの挨拶みたいなもんで、どうしてもってわけでもないみたいです。一応声はかけてみて仮にそうなれば儲けもんってだけのことで。別に断られたってどうってこともないんですよ。ただ、その場を楽しんでいるだけっていうか、そんな感じでした。言葉で潤ってお互いがいい気分で一日(いや、もっと)が過ごせるんですから。罵り合ってお互いがささくれあってしぼんでいくよりも、幸せになれます。あの土地の人たちはずっと変わらないで欲しいです。
でもねぇ、それにしても、仮にこのようなセリフを日本人のおっさんから言われたらやはり引いてしまいますよね。下心見え見えっていうかぁ・・・。言われたその日、一日が不愉快でどんよりとした気分を過ごす羽目になるでしょう。日本語ってそーゆーの似合わないって思います。なんていうか、なんだろう、なんでかな。『スパイダーマン』を『蜘蛛男』って言っちゃうくらい似合ってないと思います。
「愛してる」ってのもなんか体にフィットしませんよね・・・。伏し目がちに「あなたを心配していますから。」とか「気をつけなさい。」って敬語で接してもらえた方が大切にされている感じがします。そうそう、『カードキャプターさくら』のさくらちゃんのお父様みたいな感じですかね。うん、そう。そんな感じ。日本語は礼節に徹することでその美しさが際立つと思います。
「愛してる」って言葉ですが、日本人の私はやはり「愛してる」よりも「好きだ」の方がスッと身体の中に入ってくるような気がします。「愛」(という言葉)は平安時代にはなかったそうです。大陸からの輸入品なんだそうです(新潮社 『脳はこんなに悩ましい』 より)。やはり私の感覚は間違っていませんでした。「愛」はなんか継続的で義務的な感じがしますけど、「好き」はまだ序盤って感じがします。新鮮で旬って感じ。
他の女性はどう思ってるんでしょ。
余談ですけど、「恋」は、昔は「孤悲」とも表記していたそうです。
なんか悲しいですね。
やはり、悲しいのが恋なんでしょうか。