プロローグ
息抜きの新作として書き始めました。
峠~よりライトなノリで行く予定ですので、よろしくお願いします。
魔法という言葉には夢があると思う。俺も幼い頃はそれに大きな夢と憧れを感じていた。黒い三角帽子を被り、銀色の杖を振るって自由自在に願いを叶える――そんな魔法使いになりたいと思っていた。けれど、いざ本物の魔術師になってみると、夢なんてなかった。あったのはどこまでも灰色の現実だけ。退屈なものさ…………。
「チクショウ、なんでイブにこんなことしなきゃならんのだ……!」
十二月二十四日。世間がクリスマスイブで浮かれている中、俺たちは結界の警護に駆り出されていた。いま俺は町で一番高いセントラルホテルの屋上で、寒さに震えながら双眼鏡を握っている。時刻はまもなく午前零時。気温はそろそろ零度を下回りそうだ。寒さを凌ぐ魔法などないことはないのだが、そうそう簡単に使うわけにもいかないので俺はガクガクしながら過ごしている。
俺たちが住んでいる町の地下には何本もの龍脈が走っており、そのまま放置しておくと良からぬものの跋扈する異界のような状態となってしまう。それを防ぐため我が夏月家を中心とした十ニの家系が強固な結界を構築しているのだが、それが年に一回、よりにもよってこの年末の時期に緩むのだ。それによってほころびが生じたりしないよう、俺たちが夜通し監視するわけなのだが――
「ああ、もう! 足元で盛ってんじゃねーぞ!」
俺の立っている屋上の下は、ちょうどロイヤルスイートとなっている。その広い室内に置かれたキングサイズのベッドの上で、金回りの良さそうな男女が盛大に絡み合っていた。本来ならば決して外部からは見えるはずのない光景だが、魔法処理の施された双眼鏡にはそれがはっきりと映ってしまう。思わず床ドンしたが、厚いコンクリートに阻まれて聞こえるわけもなく。俺の手が少し痛んだだけだった。さらに遠くへ視線を走らせると、あちらでもこちらでも盛大に男女の交わりが行われている。見れば見るほど頭の痛くなる光景だ。
そんな折、携帯が鳴った。俺はいらだちながらもポケットからスマホを引っ張り出す。表示されている番号は、幼馴染の腐れ縁の物だ。
「へーい、こちら夏月。リア充が一杯で俺の方が逆に爆発しそうなこと以外には異常なしだぜ」
「冬風よ。中央広場のあたりにおかしな魔力が感知されたわ。何か変化はある?」
手すりから身を乗り出し、眼下に広がる中央広場を見る。華やかなイルミネーションとクリスマスツリーに彩られた広場は、見たところ何の異常もなかった。
「いや、今のところは何も」
「そう。だけどかなり数値が異常だから、引き続き監視してね。そうそう、もしムラムラして集中できないって言うなら、すぐにでも抜いてあげるわよ?」
「……やめてくれ、お前のはエッチじゃなくて性魔術だろうが」
「チッ、魔術師のはサンプルとして貴重なんだけどねえ」
そう言って、笑いながら電話を切る冬風。見た目はミステリアスな雰囲気の美少女で、正直かなり好みなんだが、中身がこれじゃあなあ……。華奢でスレンダーな身体とそれに似合わぬFカップは実に惜しいんだが、さすがにやる気がしない。やったら最後、干からびて死ぬような気がする。あれだ、サキュバスみたいなもんだ。
やれやれとスマホをポケットに納め、また双眼鏡を手にする。するとその時、広場の雰囲気が変わり始めたのを肌で感じた。この世ならざる物が現れる時に特有の、肌がしびれるような空気。それが双眼鏡の視界を通してこちらまで伝わってくる。やべえな、こりゃかなりの大物だぞ。俺はとっさに広場に居る一般人の人数を確認した。ひい、ふう、みい……四人。さすがに時間が遅いだけあって、人は少ないようだ。しかも全員、一つのグループのようである。リア充か、リア充なのか。けれど助けないわけにもいかない。
しまったスマホを再びポケットから出し、番号をタップする。冬風はすぐさま電話に出た。俺は本体を耳に押し当てると、返事も聞かないうちに矢継ぎ早に用件を告げる。
「大物が出そうだ! 飛ぶから、後の隠ぺい処理は頼む!」
「え!? 隠匿結界とかいま一切張られてないわよ! 駄目!!」
「時間がないんだよ! じゃあな、何とかしてくれ!」
「ちょ、ちょっと!」
脇に置いてあったスケボーを手に抱えると、すぐさま手すりの向こうへ放り出した。青い滑らかな板の上を白い魔法陣が走り、ブウンと低音を立てて空中に静止する。俺は手すりからそれに飛び移ると、思い切り宙を蹴った。たちまちスケボーが宙を滑り始め、見る見るうちに加速していく。頬を撫でる冷たい風。勢いよく迫ってくる景色。俺はしばしの間、心地よい無重力を味わう。やがて視界はイルミネーション一色になり、金色の光が俺の身体を包み始めた。
「あそこか!」
かしましく騒ぐ四人組。その前方に、僅かながらも空間の歪みが出来つつあった。オレンジに照らし出された街の中で、そこだけが異様なほど黒く染まっている。俺はいかにも楽しげな様子の彼らをすり抜けて行くと、その歪みに向かって杖を構えた。この手の歪みの対応策として一番手っ取り早いのは、強力な魔法で空間ごと吹き飛ばしてしまうことだ。俺はすぐさま詠唱を始める。
「神秘よ、我が杖に集いて――ぬっ!?」
裂け目がいきなり広がり、ブラックホールよろしく周囲の物を吸い込み始めた。にわかに暴風が吹き荒れる。とっさに防御しようとしたが、俺の身体はなすすべもなく飛ばされてしまった。こうなってしまえば、魔術師もただの人も同じだ。詠唱する僅かな時間もなくては、どうしようもない――!
「のわああァ!?」
こうして俺は、この世界から消えたのだった。